第四話 視察へ
「視察でございますか……」
朝食を食べてすぐ、ロセリアは領内の視察へ出かけたい旨を伝えた。すると案の定、クラウスは渋い顔をする。彼の脳細胞には既に「ロセリアが出かける=遊びに行く」という公式が刷り込まれてしまっているようである。実際に、ロセリアは彼を言いくるめて何度か遊びに出かけてしまったことがあるので、これは彼女の自業自得としか言いようがないのだが。
「構いませんが、どこへ行かれるおつもりですか? 詳しくお願いします」
「そうね……」
『できれば領内の村を全て回りたいな。サンプルは多い方がいい』
食事ということで、ロセリアの背中を離れ、ロッテの胸元に抱えられていたクローニ。彼の頭から念が飛んでくると、彼女は軽くうなずく。
「領内の村を全て回るわ。サンプルは多い方がいいから」
「全てでございますか? そうなると、一週間はかかりますな」
「大丈夫よ。今月は大した仕事はないから」
銀水の月。特に行事もなければ、収穫する作物もない月である。農民にとっては畑の世話などがあるので決して暇な時期ではないのだが、領主にとっては余裕のある時期であった。ロセリアが屋敷を暫く空けたところで、ヒースフェン領の運営にはほとんど差し触りはないだろう。
クラウスは白い顎髭を撫でると、喉を唸らせた。うつむけられた額には皺がより、表情が険しさを増す。
「……五日ならば」
「六日。それぐらいは欲しいわ」
「ロセリア様でしたら、移動にはさほど時間はかからないでしょう。五日です」
「……わかった。五日で良いわよ」
『おいおい……。ここの領地って、相当広いだろ? 大丈夫か?』
ロッテの胸元から不安げな念が飛んでくる。
確かに、クローニの危惧するとおりヒースフェン領は非常に広大だ。三日月形をしている領地の端から端まで歩くと、最低でも三日はかかる。馬車に乗ったとしても、馬を途中で取り換えなければ丸二日の道のりだ。領内に村は全部で四つ存在し、それぞれかなり離れた位置に存在する。五日間という日程では、村々をただ回るだけで精いっぱいに違いない。
しかし、それはあくまで徒歩や馬車の場合だ。ロセリアはクローニにウィンクすると、その大きな胸を反らせる。
『もちろん。良い足があるわ』
『なんだそれ。もしかして、車でもあるのか?』
『秘密。その日になってからのお楽しみよ』
そう言うとロセリアは、席を立って書斎の方へと歩き去って行った。視察に出掛ける前に、今月分の仕事をできるだけ済ませてしまおうというつもりらしい。その様子を見たクラウスはすぐに目を丸くし、槍が降る前に鎧戸を修理せねばと慌てるのであった。
三日後。ロセリアはクローニを背負い、屋敷の裏手へと来ていた。草原の草はこの周辺のみ綺麗に除去されており、屋敷がすっぽり入るほどの砂地が広がっている。小高い丘の上であるため見晴らしは良く、フズの村やその向こうに広がる緑の大地、さらには魔森の黒々とした稜線までも見ることができた。クローニは久々に見る窓越しではない外の風景に、思わず息を呑む。
『すげえ! 気持ちいい!』
『ふふ、これからもっと凄い所へ行くわよ!』
ロセリアは砂地の中央に佇む巨大な何かを指差した。
白い帆布材で包まれたそれは、杭とロープでしっかりと地面に固定されている。風を孕むその白い膨らみは平たい三角形に広がり、全体の大きさは小さな馬車ほどもあった。その形状からは中身の特定などほとんどできないが、ロセリアの話からすると乗り物ではないかと、クローニはあたりをつける。
「あの、ロセリア様……本当に連れていかれるのですか?」
ロセリアの後ろに立つロッテが、遠慮がちにそうつぶやいた。彼女は不安げな顔をしながらも、ロセリアに背負われたクローニの姿をちらちらと見ている。
「もちろん。連れてくわ」
「お世話でしたら、私が責任を持ってさせていただきますよ?」
「別にそういうわけじゃないわ。ただ連れて行きたいから連れて行くの。別にいいでしょ?」
「良いか悪いかで言われたならば、もちろん良いのですが……」
「ならいいじゃない」
ロセリアはまだ何か言い足りなさそうな様子のロッテを残して、白い包みの方へと移動した。彼女は地面に突き立てられた太い杭を一本一本引き抜くと、布に手を掛ける。はらり――雲ひとつない蒼穹に白が浮かんだ。それと同時に紅い骨格がロセリアの眼前に姿を現す。
二等辺三角形から角を取ったような流線型のボディ。紅く輝くその中央にはグリップが二つ付いており、その後ろが大きくへこんでいた。窪みの端からは革製のベルトが伸びており、身体をそこにしっかりと固定できるようになっている。カグラ工房製スカイクラフト「ファイアアロー」。最新モデルでこそないが、速度と馬力に定評のある小型飛行艇だ。ロセリアが王都に居た頃からずっと愛用している船である。
『これ、飛行機じゃねーか! 機械は使えなかったんじゃないのか?』
『魔放石じゃなくて人間の魔力で動くように改造してあるのよ。まあもっとも、私ぐらいの魔力量がないと使い物にならないけどね』
『それじゃあ、村の人が使うのは難しいか……』
『並みの人間がこれを動かしたら、一瞬で干からびるわよ』
ロセリアはどこか誇らしげにそう言った。ファイアアローをはじめとするスカイクラフトは、運用するのに非常に大きな魔力を消耗する。それを自身の魔力だけ動かせると言うことは、それだけで一流の魔導師と言えるのだ。
彼女は手にしていた小さなカバンを、ファイアアローの中央後部にあるフックへと括りつけた。そしてそれがしっかりと固定され動かなくなったことを確認すると、窪みの中に身体を滑り込ませる。続いて革製のベルトを引っ張ると、クローニに注意しながら上半身をがっちりと縛った。
「そろそろ出るわ。ところで、クラウスは?」
「書斎が散らかっていたとかで、お掃除をなされています。ですがもうすぐ来られるはずですよ」
ロセリアは内心でほくそえんだ。クラウスがこの場に現れないように仕向けるため、書斎は彼女がわざと散らかしておいたのである。予想通り、潔癖症のクラウスは散らかっている書斎に我慢ができず、少々の遅刻を覚悟の上で掃除を始めたようだった。
クラウスがこの場に現れれば、クローニを連れて行くことなどとても承認しなかっただろう。絶対に自分が預かると言い張るに決まっている。そのために、あらかじめクローニとロセリアの二人で相談して決めた作戦であった。
「そう、ならちょうどいいわね。来る前に出発するわ」
「え、大丈夫ですか?」
「いいのいいの。うるさいのが現れると厄介だわ!」
ロセリアは翼から放り出された格好となっている下半身を器用に使って、素早く砂地の端まで移動した。その先は急な斜面となっていて、坂の下に生えている木が小さく見える。斜面の上から下まで、軽く三十メートルは高低差がありそうだった。
『なあ、ここから飛ぶのか?』
クローニの声は、念話だというのに軽く震えていた。
『そうよ、もしかして怖いの?』
『こ、怖くなんてねーよ!』
『心配しないでも平気よ、いつもよりしっかり縛っておいたから。さ、いくわよ!』
ロセリアはニッと目を細めた。それを見たクローニの背中がゾクリとする。すると次の瞬間、ロセリアは一気に地面を蹴り、ファイアアローを斜面に突っ込ませた。
「おぎゃああああァ!!」
「ヒャッホー! たまんないわね!」
景色が疾走を始める。加速度によって重力がにわかに相殺され、二人の身体をある種の浮遊感が襲った。機体の下に据え付けられた車輪が軋みを上げ、急速に回転速度を上げて行く。紅い翼は緑の波をかき分け、その下に広がる大地めがけて一直線に落ちる。
――ぶつかる!
クローニがそう思った瞬間、車輪が大地を離れた。翼の両端に据え付けられた魔導エンジンから碧の粒子が噴出し、鈍い唸りを上げる。推進力を得た機体は、水切り石よろしく地面すれすれで宙を切り裂く。やがて車輪が翼の内側に格納され、機首が大きく上を向いた。ファイアアローは急速に高度を上げ、遥か上空に広がる積雲へと向かう。
「ロセリア様ーー!!」
小さくなった屋敷の方から、張り裂けんばかりの叫び声が聞こえてきた。クラウスが掃除を終え、裏庭へと出てきたようだ。ロセリアは振り向いてそのゴマ粒のような姿を確認すると、大きく手を振る。悔しそうに顔をゆがめているクラウスとは対照的に、その眼は子どもっぽくキラキラと輝いていた。
数分後。紅の翼は雲の峰を突き抜け、遥か蒼穹の高みへと達した。無色の空がどこまでも広がり、その上に輝く太陽は果てしなく白い。周囲を照らす清廉な光。それに眼を細めながら、ロセリアはグリップを握りしめると機体を安定させる。ファイアアローの速度がやや下がり、背中のクローニはようやっと息をつくことができた。
『ふう、死ぬかと思ったぜ……。幼児虐待反対!』
『何よ、これでもちゃんと加減してるんだからね。西風の加護だって使ってるんだし』
そう言われてみれば、クローニは高空を飛んでいる割には風の抵抗を感じていなかった。気温も地上とほとんど変わらず、とても快適だ。ロセリアが何かしらの魔法を使っているのは間違いないようである。
『ふーん……。でも、これからはもっと気をつけてくれよ。俺は赤ん坊なんだから』
『はいはい、ちゃんと気をつけるわよ。ところで、背中がちょっとあったかいような気がするんだけど…………何?』
そう言ったロセリアの声は、真冬の大気のように冷え冷えとしていた。それを耳にしたクローニの唇が、たちまち血の気を失う。重苦しく、嫌な沈黙が流れた。遥か雲の上を音もなくファイアアローは進んでいく。そして、数十秒後――
『……すまん、許せロセリア』
「こんのォバカァ!!!!!!」
ロセリアの絶叫が、雷鳴のごとく遥か上空で響き渡ったのであった。




