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王女に捧ぐ春の約束  作者: えむ


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4/8

春は過ぎ去り旅立ちの門

勇敢に散った人々の遺族に遺勲の賜金が配られた。


財政は破綻寸前だ。


日々の慰問が主な仕事となった王女は足を使う毎日だ。


忙殺の最中、何度も彼の容態を見に行った。


幸いなことに数日後、彼は意識を取り戻した。


左腕は動かない。


王女は自責の念に苛まれた。


石床に落ちる盾の音と、腕の砕ける音を思い出すたびに。


彼が私のために手放したものは大きい。


胸の奥が痛んだ。



春は過ぎ去った。


朝から蒸し暑い風が城の回廊を吹き抜ける。


王に謁見を申し出た彼は、すでに歩くことが出来た。


左腕は添え木で固定され、いくぶん頬はこけたようだ。


鎧を着用せず、臣下としての正装を整えて参内する。


人払いをした謁見の間には二人だけ。


木の香りと厚い絨毯が足音を包み込む。


彼は王座に向かって跪き、左腕の不自由さを悟らせぬほど綺麗な礼をした。


「楽にしてよい。具合はどうだ?」


彼は目を伏せたまま答えた。


「はい。もう痛みもございません」


彼の強がりな性格は王もよく知る。


「そうか」


近衛兵長は少し息を吸い込んで、ぐっとこらえたような間を作った。


長い付き合いだ。これは何か言い淀むことがある時の癖だ。


だから彼からの言葉を待った。


長い沈黙だった。


「陛下」


声が少しかすれている。


「私はこの国に育てられました。剣と居場所を与えられ、禄を頂き、近衛として取り立てていただきました。身に余る栄誉も賜りました」


王は静かに首を振った。


「お前がそれにふさわしい働きをしたからに過ぎない」


「ありがたきお言葉。……ですがこの左腕は働きません」


「左腕が動かなくとも、誉ある最高の武人だ」


「剣は振るえます。ですが王国の護りとして万全を期して立つことはできません」


恐懼しつつもその言葉は淡々と続く。


「不覚にも傷を負い、責を全うし得ぬ身となりました。私の希望は、後任の推薦です。腕の良い剣士がおります。私の処分はいかようにも」


驚いた顔で王は玉座から立ち上がり、彼に歩み寄った。


「処分だと?」


その声に怒りはない。長く見守ってきた父のように諭した。


「お前は我らを護り、王城にて尽くした。その代償を払いつつも、なお生きてここにいる。そのお前に何の処分が必要だ。むしろ褒美を与えようと思っているのだぞ」


近衛兵長は俯いたままだ。


王は再び察した。


彼が考えていることは無謀だ。


「何か他にやりたいことが出来たのか」


機先を制して王は代替案を出した。


「どうだろうか。たとえ任を辞しても、その功は消えぬ。お前もよい年だ。貴族に列しよう。良い縁談もある。領地と屋敷を与え、安穏に暮らせるよう取り計らおう」


彼の顔色を窺いつつ、言葉を足した。


「もちろん、近衛兵の指導もして欲しい。どうかこれからも力を貸してくれまいか」


そこまでねぎらいの言葉をかけられるとは思ってなかった。


なおのこと、苦しみは増した。


彼は感激に身を震わしながら言葉を探したが見つけられない。


言に生きる者ではない。


少々無礼な物言いになった。


「お言葉、身に余る光栄です。ですがそれは辞退させて頂きたく存じます」


王の眉がわずかに動く。


聞かざるを得ない。


「なぜだ」


王の顔を直視できない。


「私は剣の魔将軍と刃を交えて、自分が何を抱えて剣を振るってきたのかを思い知りました」


やはり、と王はため息をついた。


「私は剣を選びました。今度こそ護るために。ですが故郷を滅ぼされ、家族を失ったあの日から……」


彼は言葉をとめて王の顔を仰ぎ見た。


王は優しい笑顔で言った。


「本音を言え。きっかけはそうだとしても、お前はその先に辿り着いたはずだ」


王が少年の瞳の奥に、あの日感じ取ったもの。


「はい。復讐のためでした。でも私は変わっていきました。護るべきものも確かにここで得ました。剣の腕も。ですが、それでも、それでも私はもう一度だけ、あの男と対峙せねばならぬのだと思います」


魔王と王女が水を差した形になった、とまでは思ってないだろう。だが同じことだ。


「それは、自らの命を投げ捨ててでもやりたいことか」


彼は返事できなかった。


「いや、やはり答えずともよい。せめて療養の名目で城を離れよ。いつでも戻って来れるように。表向きはそうしておこう。後任も聞いておこうか」


仕えた二十年間、毎日欠かさずに鍛錬を積み重ね、何かしらになった男だ。


正直なところ、彼の気持ちは分からなくもない。


だが、死地に赴くのなら、せめて傷が癒えるまで王宮に留まってほしかった。


語りたい想い出話もある。


王の温情を汲み取った彼はただ深く頭を下げた。


「ありがたき幸せ」


王はあの日と同じように肩をぽんと叩いた。


「死ぬな」


彼の肩がわずかに揺れた。


「は」


「命令だ」


王はそう言って微笑んだ。


「承りました」


このまま王宮に留まり、何もなかったように生きていくことはできまい。


止めるだけ野暮というものだ。


「せめて娘へ別れの挨拶をしてから出て行け」



夕刻に自分のもとへ来るらしい。


王女の胸の内は乱れた。


このように改まっての話がよい報せとは思えない。


急な事だが、半日だけでも心の準備ができるのは助かった。


内容をいくつか想定が出来る。


それでも、扉が開いて彼の姿が見えたとき、また心が乱れた。


旅装に剣。


以前は無かったヒゲが目につく。


いつも剃っているのに気持ちここにあらずなのだろうか。


(やはり別れか)


もはや王宮の近衛兵長として立つ姿ではない。


彼は部屋の中央に来るといつものように礼をした。


「王女殿下、ご挨拶のお時間を頂きありがとうございます」


せっかちだなと思った。


その前に言うことがあるだろう。


この人は本当に行ってしまうのだ。


夕暮れの赤い光が窓から差し込み、部屋の床に長い影を落とした。


このように彼と向き合うことはめったにない。


「ここから出ていくの?」


彼が何か説明する前に結論を言ってしまいたくなった。


そうしてしまえば、言われる辛さは多少減る。


「はい。陛下のお許しを頂きました。療養のためお暇させて頂きます」


療養なら城で出来るだろうに。


「そう」


本当は山ほど言いたいことがあるのに、いざとなると口から出てこない。


彼は言い訳もしないし、ごまかしもしない寡黙な男だった。


少なくとも王女の前では。


器用に嘘を付けないところが少しずるいと思う。


沈黙と共に陽が落ちていく。


「本当は近衛の仕事をやめて、腕試しに行くんでしょう」


どうしても彼を止めたい気持ちが空回りして、故郷を奪われた人間に対して意地悪な物言いをしてしまったと我ながら思う。


彼は弁解しなかった。


「申し訳ございません」


「魔王城は空間転移を繰り返し、人が容易に辿り着くことは叶わぬ場所です。それとも彼らを誘い出す算段でもあるのですか」


魔王城には魔力による二重の防御策がとられている。


もともと、魔王城には山肌や山林の色彩に同化するように認識妨害の魔法がかけられていた。


魔術師でもなければ視線がするりと滑ってしまう。


さらに歴代の王から攻められて、劣勢にでもなれば居城の空間転移という策をとってきた。


あまりにも膨大な魔力を必要とするため、その頻度は高くないのだが。


魔王の撤退からほどなくして、魔王城は姿を消したという。


あの日、よほどのダメージを負ったと思われる。回復を待つ防御周期に入ったのだろう。


「なんの算段もございません。自らの足で噂を集め、追うつもりです」


またしても弁解しなかった。


愚直なのか、正直すぎるのか。


その愚直さが彼を一流の剣士に押し上げたのは分かる。


「なら、私も連れて行きなさい。必ず役に立つから」


唐突な申し出に彼の目がかすかに見開かれる。


王女はさらに一歩近づいた。


目の前の彼の胸板を指でついた。


「あなた、言ったじゃない。子供の時に。私を護るって。離れてどうやって盾になれるの?」


彼の喉がわずかに上下した。


「王女殿下……」


「私は覚えてる」


夕闇が満ち、最後の陽光が彼の横顔を照らす。


口元にはしわがあり、少年の日の面影はない。


喉仏とヒゲを見て、ふふっといたずらっぽく王女は笑った。


「なんてね。冗談よ。言ってみただけ。父になにかあれば国を継ぐのはこの私。さすがにこの状況の国を放り出して行けないわ」


彼はゆっくりと片膝をついた。晩餐会の夜にそうしたように。


「申し訳ございません」


「もう謝らないで。私はあなたを信頼している。だって……」


今日、別れる前に一番伝えたかった気持ち。


「あの時、私のために……。申し訳ないのは私で……」


声が震えるのをぐっとこらえて後ろを向いて離れた。


「私はここでやるべきことがある。魔王が力を取り戻す前にやることが。勇者の剣が見つかっていないのは知っているわよね?」


「はい。彼は近衛の盾だけ遺しました」


レリーフに刻まれた勇者の剣。名前すら伝わっていない。本来は近衛の盾も別の名がついていたと伝わる。


「歴代の王や宮廷魔術師たちが調べても見つからなかった剣。私ごときが見つけられるとは思わないけど、調べてみる。それから……」


振り返って彼の目を真っすぐに見て言った。


「必ず生きて戻って来て」


「承りました。王にも同じことを言われました」


「当然です。戻って来て、近衛の仕事が出来ないなら、私の執事になりなさい」


「はい」


「今、はいって言ったよね?私の言うことなら何でもはい、はいって。……もういいわ。行きなさい」


ふたたび彼は片膝を付き、頭を下げて礼をした。


長年の報恩を謝す。


王女は思った。


今夜が永遠の別れとなるだろう。


魔王城に辿り着いたとして、剣の魔将軍と対峙したとして、そこからどうやって戻るつもりだろうか。


王女は再び後ろを向いた。彼の気配が部屋から無くなるまで。


涙を見られたくない。


扉が閉まる音にかぶせて大声で言った。


「ヒゲは剃ってた方が似合うと思うよ!」



彼が城を出たのはその日の夜のことだった。


近衛の仲間たちにも何も言わなかったようだ。


おそらく、付いていく者が出ないようにと気をまわしたのだろう。


誰にも見送られないことを望んだ。


王女は見張らせていた侍女から、彼が密かに裏門へ向かうことを知らされた。


王女は外套を羽織ると駆けだした。城の回廊から中庭に降りる。


夜の王宮は静かだ。


まだ割れた壁、取り外された扉。戦の痕跡があちこちに残る。


空には月が出ていた。


雲間から差し込む淡い光が石畳に落ち、裏門への道を白く染める。


すぐに見つけた。


道の先に彼が一人で歩いている。


勢い付いていた王女は軒先で立ち止まった。


彼の歩みは惑いもなく、淡々としていて揺らがない。背中が大きく感じた。


呼び止めようと思ったが出来ない。


もしも。


付いて行ったらどうなるだろうか。


彼と共に、どんな旅になるだろうか。


どんな出会いがあるだろう。


一緒に笑ったり、泣いたりできるだろうか。


城暮らしと違って、ひもじい思いもするかもしれない。


もしかしたら、剣も魔将軍との戦いもやめてくれるかもしれない。


私が足手まといになることで……。


裏門の扉がゆっくりと開かれた。


門番たちに話は通してあるようだ。


今なら。まだ。


息せききって、侍女が追い付いてきた。


「……姫様」


月明りの中、彼の後ろ姿が闇に溶けていく。王女は一歩も動けない。


私は二十半ばを過ぎた。彼は三十半ば。


魔王の襲来から父王は体調を崩す日が増えた。


私も国政に携わりはじめた。


もしも十代だったら飛び出して付いていっただろうか。


侍女は意を決して尋ねた。


「……本当に宜しいのですか」


王女はこぶしをぎゅっと握りしめて「大丈夫」とだけ言った。


月は静かに見送る者たちを照らしていた。


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