春の嵐と魔将軍の剣
あれから二十回の春花が舞い散り、想い出は遠き日の残響となった。
肩にかかる髪は腰に届くほど伸び、大きすぎた椅子も今では床に足が届く。
鏡の前に立つたびに自覚する責務。
いつの間にか学ぶことよりも自ら考えることが増えた。
否応なしに分かるようになった。
国がどれほど脆い均衡の上に立っているか。
王都の防壁の向こう側に、兵士たちが見つめる先に何があるのか。
魔王軍との戦いは建国以来続いてきた。
波のように押したり引いたりを繰り返しながら、戦と治世を両立させてきた。
しかし近年、いままでにない不穏な風が届き始めた。
戦の激しさは増してきている。
戻らぬ兵の家族の嘆きが城下に満ちる。
前線からの報告書も増えた。
軍議は毎夜繰り返される。
王女は自発的に軍議に参加している。
何が起きつつあるのかをこの目で見届けるために。
口を出すことはない。
同じく、軍議に毎回参加しつつも口を開かない者がいる。
王の傍らに侍る近衛兵長。
あの晩餐会の夜。笑ってしまうほどたくさん食べた近衛の見習い。
「命に代えましても」と少年の声で言った人。
彼は二十年の間に、復讐心と克己心で練り上げられた。
体躯は迫力。
剣を携えて廊下を歩くだけで周囲の空気が変わるような、威厳に満ちた寡黙な男になっていた。
毎年行われる武闘大会。
彼がひとたび剣を振るえば、見る者すべてが息を呑むような絶技を見せる。
誰も彼に勝てなくなったころ、彼の左腕には王国の象徴たる盾があった。
元々の名は伝わらないが、近衛の盾と呼ばれている。
建国の勇者より伝わる王国最強の守護の証。
国旗の意匠にも組み込まれているその盾を継ぐ者は、当代最強の戦士でもある。
先代の近衛兵長が予見した通り、その盾は彼に受け継がれた。
雨の匂いを含んだ風が王宮の窓を叩く夕刻。
魔王軍、王都へ迫るという報が入った。
軍議はすぐに始まった。
王女が不安に感じたのは、飛び交う言葉に兵站や布陣の話が出ないことだ。
もはやそのような段階ではないということか。
圧倒的優勢とみた魔王軍が決着をつけに来たのだ。
国境の砦が落ち、守りの要である大西門が破られた。
街道の村々は避難を終え切れていない。
魔王軍は破壊を積み重ねながら進撃してきた。
淡々と報告は続く。
王が低い声で命じた。
「民の避難を最優先に。外郭の防衛隊は内壁へ後退。王城を魔力で盛大に照らせ。ここで迎え撃つ」
覚悟を含んだ声だった。
誰も異を唱えなかった。帝政をしく隣国への援軍要請はすでに発しているがあてにならない。
王女は近衛兵長を見た。
いつものように背筋を伸ばして立っている。
彼はいつも感情を表に出さないが、王女にはわかっていた。
彼の心の奥に燃え盛る滾りを。
いよいよ来るのだ。
彼が長く待ち焦がれている相手が。
剣の魔将軍。
彼の故郷を滅ぼし、家族を灰に変えた男。
魔王軍きっての剣の使い手。
軍議のあと、廊下で彼を呼び止めた。
「はい」
振り返ると跪いた。近衛兵長の礼の仕草は慣れたものだ。
静かで、整っていて、完璧だ。
だが完璧なものほど、ふと消えてしまいそうな気がする。
「無茶はしないで」
口に出してみて王女は自分の言葉の軽さに唇をかんだ。
戦いの前にかける言葉ではないと分かっている。
しかし飾り気なしの本心だ。
彼は目を伏せて答えた。
「王女殿下」
その声は心なしか遠くに感じる。
「お護りします」
いつもの聞きなれたことば。
だが今夜のそれは幼少時に聞いた誓いには似ていない。
彼が長い年月抱えて来た覚悟の響き。
今宵の対決は避けられない。
(彼を信じよう。今夜何が起ころうとも)
王女も覚悟を決めて小さく頷いた。
夜半過ぎ。
嵐と共に魔王軍が到達した。
漆黒の天蓋が怒り狂ったように、容赦のない篠突く雨で大地を叩く。
魔法に照らされた王城の空が裂けた。
聞こえるのは城外から押し寄せてくる、数えきれない咆哮と、何か巨大なものがぶつかり砕ける音だった。
魔法鐘が鳴った。
ひとつ。ふたつ。みっつ。
王都全域に響き渡る。
王座の間へ急がなければ。
王女は母の形見のブレスレットを付けた。
中央には鈍く輝く赤い石が埋め込まれている。
お守りとして王家に伝わるものだが、これを付けると多少魔力の消費が少なく済む。
召喚術を受け継ぐ私は貴重な戦力だ。
信じがたいが、すでに城門は破られたという。
魔王軍は想像を超える速さで誘導光に照らされた王城に殺到した。
逃げ遅れた人々の泣き叫ぶ声、靴音、悲鳴が不協和音となって不安を掻き立てる。
王座の間に着いた。
一瞬、そこがよく知る場所だと信じられなかった。
晩餐会の夜には、灯りと音楽と幸せに満ちていた。
今ここにはテーブルも燭台もなく、むきだしの石床に魔法陣が描かれ、近衛兵が列をなし、宮廷魔術師たちが杖を構えている。
父王は王座の前に立ち、眼下にはいつもの彼がいる。
左腕の盾は付与されたばかりの魔力で鈍く光り、右手にはすでに抜き放たれた剣。
円陣の中央に屹立する姿はまさに王国の盾である。
息を切らしながら王女は王の隣に立った。
「逃げても良かったのだぞ」
「でしたら褒めてください」
大広間の巨大な扉が爆ぜた。
木と鉄が砕け、黒煙がなだれ込んだ。
殺気が来た。
一瞬の静寂のあと、前面に剣を構えた死兵ドラウグルが入ってきた。
後ろには斧を掲げた背の高いオークたちが見える。
その上を翼を持つ魔族がぶつかり合いながら侵入してくる。
まず迎え撃つは王直属の精鋭兵たち。
たちまち剣がぶつかり、槍は翼を貫く。
息を合わせたように魔術師の放った火球が弧を描いて飛んだ。
熱風が王座近くの頬を撫で、焦げた匂いが広間に充満する。
決して目を逸らすまいと前を向く。
やがて二つの異様な影が現れた。
ひとつは闇そのものが人の形をとったような存在。
魔王だ。
もうひとつは巨大な剣を肩に担いだ魔族。
剣の魔将軍。
その姿をみとめると近衛兵長は剣を握りなおした。
魔将軍もまた彼を見ていた。
大剣の化身はまるで知人と挨拶を交わすような落ち着きで言った。
「来い」
その声は喧噪の中でも奇妙にはっきりと聞こえた。
魔王が嗤う。
「その剣士はやっかいだ。早めに片付けろ。余はその間に王の命をもらおうか」
父王は一歩前に出た。
「わざわざ最前線まで出張ってくるとは迂闊なことよ。よほど勇者の血を引く我らの最期がみたいらしい。その傲慢と予断を撃たせてもらおうか」
魔王が呪文を唱え始めた。
ひとつの口から発せられる声が二重、三重と増えていく。
魔力の濃度が一気に上がり、王女は鳥肌が立った。
宮廷魔術師たちは予定通り一斉に魔法防壁を展開した。
防壁の内側からは一方的に魔法を放つことが出来る。
幾重もの術が放たれる。炎の槍、氷の刃、電撃の鎖。
魔王はそれらの光の奔流を片手で払いのけるように一歩、また一歩と前進する。
防壁に向けて魔弾を撃ちながら詠唱も止まらない。
圧倒的。
力そのものの質が違うのだと王女は分かった。
精鋭兵たちも魔族の波を押し返そうと剣を振るい続けるが、魔弾にも注意を払いつつ、じりじりと兵数で押されていく。
しだいに剣が床をすべる音、鎧の倒れる音が聞こえ始めた。
広間の中央では剣の魔将軍と近衛兵長がぶつかった。
魔将軍の一撃で大広間の床石が砕け飛ぶ。
王女は胸に手を当てて見守るしかない。
魔将軍の大剣は一太刀ごとに、まるで岩石がそのまま振り下ろされているような重さを感じさせる。
それを彼は左腕の盾で受け流す。
なんども繰り返して身につけた動作だ。
それでも近衛の盾には火花が散り、金属音とは似て非なる衝突音が響く。
近衛兵長も力負けはしていない。
むしろ半歩、また半歩と踏み込み、右手の剣で魔将軍の懐を狙っていく。
まともに剣を合わせるのは初めてだ。
だが初めて会った敵ではない。
長く、深く、彼の人生を皮肉にも形作ってきた相手なのだと王女は感じた。
誘うように足を出し、素早く身を引いた魔将軍の大剣が、飛び込む近衛兵長めがけて横薙ぎにぶつかる。
不意を打たれた彼は咄嗟に盾で受け、衝撃を殺しきれぬまま石畳の上を滑った。
だが踏みとどまり、体勢を立て直すと身を捻りつつ鋭い斬撃。
脇をかすめた斬撃を魔将軍は笑って称えた。
「よくぞここまで」
「黙れ!」
ここまで彼が感情をむき出しにした声を初めて聞いた王女はどきりとした。
(どうか冷静に)
=========================
ここまで読んで頂きありがとうございます!
少しでも気に入って頂けましたらページ下部にある【☆☆☆☆☆】からお星さまやブックマークを頂けると執筆の大きな励みになります<m(__)m>




