急転直下
夏真っ盛りになり、朝から汗ばむ陽気が続く毎日。
あのデートから数週間が経っていた。
ロイド・ファウグスト子爵とアラン・マグアイヤ侯爵は停学処分となり、現在は学校にいない。
夏季休暇直前の停学ということで、それぞれの家の者が実家へと引き上げさせたからだ。
2人とも貴族の子息とはいえ、暴力事件という問題行動を起こしたことを重く見た各家の当主は、セドール家に謝罪するとともに大量のお詫びの品を送ってきた。
一人息子であるナサニエルを溺愛している父、ネイサンの怒りはそんなことでは収まらなかったのだが、愛息子を助けたのが武人の家系として有名なあのオリビエ家であると知ると、すっかり機嫌がよくなった。
「そうかそうか。オリビエ嬢が助けてくれたか…。さらに彼女は腕のいい職人を探しているのか…。ふん…。あてはあるな」
わざわざ学校まで赴いてナサニエルの怪我の具合を見に来たネイサンと母のエレナは、にこにことそう言った。
「話を聞いておこう。ところでネイト、ずいぶんと体格がよくなったな?」
「そう?」
「16歳らしい体つきになった。筋トレでもしたのか?」
「まぁ…。馬術には体幹が大切だから…」
「そうだな、うん」
「そうね。体幹も大切ね。でもそれ以上に大切な者を見つけたんでしょうね」
含みしかない言い方に、ナサニエルはバツが悪そうな顔をした。
「夏季休暇で会えるのかしら?」
「誰に?」
「ネイトの大切な人よ」
そんなんじゃない、と言うのは酷すぎる気がして、
「…来ないと思う」
とだけ返した。
「あらー、残念ね…」
「いつでも連れてきていいからな!」
「もう!いいから早く帰ってよ!」
「なんて息子だ!心配してはるばる王都まで来たのに!」
「買い出しのついでだろう?」
「違うぞ!ネイトの見舞いのついでに、買い出しと市場調査と視察に来たんだ」
「絶対仕事がメインじゃないか!」
そう文句を言ったものの、本当はファウグスト家とマグアイヤ家との話し合いに来たことを、ナサニエルは知っていた。取引があったファウグスト家はともかく、マグアイヤ家とはどんな話をしたのか——
(夏季休暇で帰ったらじっくり聞いてみよう)
暴力事件は文官学校、騎士学生でも大層な事件として語られた。
一番心配したのはエンレストとラプスで、デートの翌日、絆創膏だらけ、内出血まみれになったナサニエルを見て息を呑んで驚いていた。
「大丈夫だよ」
「どこがだよ!」
「あれほど気をつけろって言ったのに!!」
心配に拍車がかかって、なかばイライラした2人はナサニエルに詰め寄って、何があったのか細かな説明を求めてきた。
さもありなん、とナサニエルは事の次第を話し、2人の意見がデート成功に大きく貢献したお礼も伝えた。
「それはいいさ。それよりナサニエルの怪我だろう」
「試験に影響はなさそうなのか?」
「大丈夫。一番心配なのは馬術だけど、まだ数週間あるから治るさ」
その言葉のとおり、現在のナサニエルは絆創膏が取れ、内出血も黄色に代わりほぼ消えかけていた。
そして今朝もエヴェデールと共に並走して速歩をし、直前に迫った馬術試験について話し合っていた。
「いよいよテストだね」
「緊張するよ…。まだ鐙に足を取られるんだ。減点されるよね?」
「心配症ね、ネイトは。そんな減点くらい、支障ないよ。単独騎乗と常歩を見られるんだから」
「でも乗下馬も採点のうちじゃないか。姿勢も馬とのコミュニケーションの取り方も…」
「もう!ネイトはしっかりできてるんだから大丈夫!こんなに朝練してるのよ?他の生徒より上手いに決まってるでしょ?それに春には馬に触ることさえできなかったネイトが、ここまで乗りこなせるようになったのよ?もっと自信持ちなさい!」
「確かにね…」
振り返ればエヴェデールの言うとおりで、手が震えて触ることさえできなかったメレーナに、こうして騎乗できている。
奇跡のようだった。
「全部エヴァのおかげだよ」
「そんなこと——はあると思うけど、ネイトが積み重ねた努力の結果でしょ?」
ナサニエルはプッと吹いた。
「エヴァのおかげ、は否定しないんだ」
「当たり前じゃない!最初の筋トレメニューが貢献したのは確かだもの!」
「まぁ、確かにね」
ナサニエルが笑うと、エヴェデールも笑った。
デートに行って以降、2人の雰囲気は柔らかく、温かくなった。
よく視線も合う。
合えば自然と笑顔がこぼれる。
気恥ずかしくて視線を逸らしてしまうけど、心は躍ってまたエヴェデールを見てしまう。
するとまた目が合う。
今度は逸らさずに会話が始まる。
(なんだろう、これ…)
戸惑いつつも、幸せで穏やかな時間。
(このままずっと時が止まればいいのに…)
騎乗練習が終わると、馬舎の端っこの木陰に座り込んで夏季休暇の予定を話した。
お互いに実家に帰り、エヴェデールは剣術や体術の稽古を、ナサニエルは買い付け帳簿の整理など、家の手伝いをすると分かった。
「夏季休暇中は旅行とか行かないの?お兄さんたちも帰ってくるんだろう?」
「上の兄2人は結婚から従兄弟を連れてくるかな。一番下の兄は独身だけど、婚約者がいるから2人で出かけると思う」
「そっか…」
「ネイトも手伝いで終わりそうなんだね」
「うん。毎年恒例ではあるけど」
「旅行には行かないの?」
「今のところ聞いてないかな。サプライズで言われるかもしれないけど」
「ふふっ。ネイトの怪我、無事に治ったしね。お祝いでサプライズ旅行、あるかもしれないね」
「うん」
「——毎日会ってたから、ネイトに会えないの、変な感じかも…」
「そう…だね」
ナサニエルは両親の言葉を思い出し、「家に来ないか」と誘おうか、相当に悩んだ。
(でも婚約者でもない女性を実家に連れて行くなんて——)
そう考えると、どうしても言い出せなかった。
いつもの時間になると、エヴェデールはナサニエルの肩をポンと叩いた。
「試験、お互いに頑張ろうね!」
またあとで!とエヴェデールは走って騎士学校へと帰っていく。
ナサニエルはほんの一瞬触れられた右肩に、電流が走った気がした。
彼女の体温。
それがずっと残っている気がした。
◆
馬術訓練の試験は午後に行われた。
一人ひとりが教師の目の前で乗馬して、グラウンドを一周する。
その際の常歩、姿勢を採点される。乗り越える障害物はないので落ち着いてやれば問題ないのだが、馬の機嫌が悪かったり、上手く進行方向を示せなかったりで、減点されることもある。
幸いにも、ナサニエルが乗ることになった馬は信頼関係ができつつあるメレーナで、心底安心した。
「次、ナサニエル•セドール!」
名前を呼ばれると立ち上がり、乗馬台に立つ。
「よろしく、メレーナ」
挨拶し、その首に触れた。
尻尾が高く上がり、目を細めて鼻をすり寄せてきた。ご機嫌なようだ。
試験は鞍の設置に始まり、騎乗、常歩、下馬の基本を一通り行う。
ナサニエルはゼッケン、羊毛パッド、父から送られた鞍を設置し、腹帯を締めてぐらつきを確認した。
全部毎朝行ってきた動きで、すでに体が慣れている。
貴族であれば馬丁がいるが、緊急時には自身で設置する場面も少なくないため、一通りできるようになるのが必須技術だ。
準備が整うと、いつものように鐙に左足をかけ、メレーナのたてがみと鞍を掴んで、右足を大きく回してまたがった。
ここまでくるといつもの座り心地で、少し緊張がほぐれる。
合図するとメレーナは歩き出した。
グラウンドを軽やかに一周する。
すっかり熱くなった日差しがナサニエルを照りつけ、グラウンドに真っ黒い影を落とした。
今朝も歩いたグラウンド。
エヴェデールとの楽しい会話が脳内で思い起こされ、思わず口角が緩んだ。
夏季休暇は1ヶ月ある。
その間、エヴェデールと一度も会えないなんて…。
こんなにも休暇を苦痛に思うのは初めてだった。
(せめて数回会えたら——いや、手紙のやり取りができれば…)
オリビエ伯爵は男の同級生から愛娘に手紙が届いたら、どう思うだろう?
(兄3人も、妹に男の気配がするのはいい気持ちじゃないだろうな…。武人でない僕は、オリビエ伯爵家に受け入れられるんだろうか…)
やっぱり勇気を出して会う約束をするんだったと、早くも後悔の念が押し寄せた。
(家は無理でも、オリビエ家の領地の近くなら…。視察っていう体で父さんに説明して…街で会って、少しお店を見て——)
考えただけでもワクワクした。
そんなことをしているうちに、あっという間に常歩を終えてしまった。朝練であればもう一周するところだが、試験はここまでだ。
下馬の場所まで来ると両足から鐙を外し、右足を大きく後ろへ回して、滑るように着地——しようとした。
しかし右足に体重をかけた途端、ブチンと何かが切れる感覚がした。同時にガクン!とバランスを崩し、鞍ごと地面に落馬した。
背中に強い衝撃を感じ、息が詰まった。
そしてメレーナのヒィンッという甲高い声。まるで突発的な痛みに驚いたような、鋭い悲鳴のようだった。
全て一瞬の出来事で、ナサニエルは何がなんだか分からなかった。
真っ青な空が見える。
雲一つない青空だった。
「セドール!」と教員の声がする。
(起き上がらないと——)
そう思った時——
メレーナの興奮した嘶く声がした。
目の前に振り上げられる脚がある——
それが力いっぱいナサニエルに向かって下りてきた。
腹部と腕に強い衝撃がきて、聞いたことがない「バキッ」という乾いた音がした。
そこから先は、覚えていない。




