助けに来た騎士
「私、ちょっとテイクアウトの商品を見てくるね」
ケーキと紅茶を堪能したエヴェデールは、喫茶店を出るとそう言って、隣接する店舗に入っていった。
店舗はこじんまりとして狭く、閉店前ということもあり女性陣でぎゅうぎゅうだったので、ナサニエルがそこに入るのは憚れた。仕方なく店外のベンチで待つことにした。
夕方の熱気に沈んでいく夏の時刻。
人々が石畳を歩く乾いた音が、耳に入ってくる。
親子が夕飯に何を食べようか話をしている。
友達同士が「また学校でね」とさよならをしている。
ナサニエルはもう夕方なんて信じられなかった。
さっき待ち合わせ時間になったと思ったのに。
(もうデートが終わってしまう……)
楽しい時間はこんなにも早く、時間が溶けるように過ぎていくなんて知らなかった。
「まだ一緒にいたいな…」
まだ別れてもいないのに、そう思った。
気持ちはふわふわして、温かい。
今日一日の時間の全てが、ナサニエルの心を満たしていた。
(初デートにしては上出来だったんじゃないか?)
充実した1日だった。
博物館デートはすごく喜んでもらえた。
喫茶店もエヴェデールのお気に召したようだし、なによりエヴェデールの笑顔も楽しそうな顔も、たくさん見られた。
(相談に乗ってくれたエンレストとラプスにはちゃんとお礼をしないと…)
ナサニエル一人では、デートプランなんて立てられなかった。
王宮の武具を博物館に移送する手続きをしているとラプスから聞かなければ、展示内容を確認しようとは思わなかっただろう。王宮勤めの父を持つラプスに感謝だ。
それに、エンレストの従兄弟が喫茶店に野菜を卸していることを話してくれなければ、健康思考の喫茶店の存在なんて知る由もなかった。
(やっぱり持つべきものは友。人と人の繋がりは大事だ——)
お礼に何をしようかと考え、何気なく視線を彷徨わせていると、近くの露店が目に入る。
手作りアクセサリーを売っている個人店だった。
以前から白のシュシュを贈りたいと思っていたナサニエルは立ち上がっていた。
そもそも街に買い物に行こうと思ったのは、エヴェデールにシュシュを買うためだったと思い出したのだ。
木箱に入った商品は人気だったようで、ほとんど売れてしまいスカスカだった。
かろうじて残ったイヤリング、ヘアピン、指輪、髪留め、ブレスレットたちの中に、一つだけ白いシュシュがあった。
見たところ、価格は安いものの丁寧に繕われた一点物であることがうかがえる。
(この値段なら買えそう)
白いシュシュは小さなブルーのスパンコールが散りばめられ、アクセントに小さな星形のチャームがぶら下がっている。
控えめだが夏らしいデザインだし、なによりエヴェデールのオレンジブラウンの髪に映えるだろうと思えた。
「あの、これください」
袋に包んでもらい会計を済ませると、もとの場所に戻る。
まだエヴェデールは買い物中のようだ。店舗にその後ろ姿が見える。
再び近くのベンチに腰掛け、買い物が終わるのを待つことにした。
「最後に目的の物が買えて良かった…」
一安心して、買い物をするエヴェデールの背中を眺めていると、複数の足音が近づいてくるのが分かった。
そちらに顔を向けると、知った顔を見た。
ロイド・ファウグスト。
ラプンシス•ハーバー。
それにアラン・マグアイヤ。
3人とも騎士学生で、馬術訓練ではラプンシスとアランは別班だった。
明らかにナサニエルの方を見て近づいてくる。
嫌な予感はしたが、目が合った今、無視するわけにもいかない。
仕方なく姿勢を正し、立ち上がった。
「やぁ、ロイド」
「ずいぶんと楽しげだな、セドール」
ロイドではなくアランが声をかけてきた。
「今日はデートだったんだろう?エヴェデールと」
個人的な予定を知られているのが不満だったが、それよりも「エヴェデール」と名前を呼び捨てたことに腹が立った。
貴族なら婚約関係にない異性を呼ぶ時、オリビエ嬢かエヴェデール嬢と言うのが礼儀だ。
「ずいぶんと馴れ馴れしく呼ぶんだな。エヴァの許可を取っているのか、アラン?」
アラン・マグアイヤはセドール商会のライバル商会だ。
商会ギルドのパーティーで何度か顔を合わせたことがあるから、アランのことは知っていた。
アランはマグアイヤ家の次男だ。
長男が商会を継ぐことになっているから、商人の道を諦めて騎士学校へ進んだとは聞いていたが——
(まさかこんな形で会うことになるなんて…)
目の前で立ち止まると、アランはナサニエルを見下ろしてきた。
騎士学校へ入り、ずいぶんと背が伸びたようだ。
それに鍛錬もしっかりしているのだろう。腕も太腿も、年齢の割にはたくましい。
アランもその自負があるのだろう、腕を組んで威圧感たっぷりにナサニエルを見てくる。
「そんなことより、楽しかったか?ナサニエル」
「アラン、君も貴族なら呼び方はキチンとルールを守った方がいい。品性を疑われるぞ」
「いちいち煩いな。相変わらず細かいことに突っかかる…。昔から変わらないな」
そう。2人は昔から反りが合わない。
商会同士のことはさておいても、小さい頃から顔を合わせれば口論になっていた。遊び方や言葉遣い、考え方…そういった人間として根本的な部分が全く合わなかった。
「少し付き合えよ。こんな公然の場では気が引ける」
何か言いたいことがあるらしい。それに裏通りに誘ってくるとは——穏便に済ませる気もないのだろう。
正直言うと怖かった。
騎士学生3人と文官生徒一人。
どう考えても分が悪い。
でも……今日という日を不穏なまま終わらせたくはなかった。
それに、エヴェデールの件で嫉妬の視線に晒されることに、うんざりしていたところだ。
「——分かった」
◆
人っ子一人通らない裏通り。
夏の太陽が照りつけ、建物の濃い影に隠れた場所は殴り合いにはふさわしい場所に思えた。
ナサニエルの退路を断つように、眼前にアラン、後ろにロイドとラプンシスが立つ。
ロイドはニヤニヤしていたが、ラプンシスは怯えているようだった。
「んで?エヴェデールとはどこまでいったんだ?」
「どこまで、とは?」
「ずいぶん親しいんだろう?朝に乗馬して、授業中にはコソコソ話して…。デートまでする仲だ。キスくらいしたのか?」
低俗な発想と不躾な考えに、ナサニエルは溜息を漏らした。
「エヴァが好きなのか?だったらこんな陰気な方法じゃなくて、正々堂々と告白すればいいだろう?」
「エヴェデールは騎士学校の花だぞ!それに武術にも長けてる美人だ!上級生でさえ遠巻きに見るだけなのに、俺がしゃしゃり出れるわけないだろう!」
「なんだ、そんな理由で手をこまねいてるのか?」
「そんな理由だと?」
「騎士らしく、正々堂々と正面から挑めばいいじゃないか。後から報復されたり後ろ指を指されるのが怖いのか?騎士なのにずいぶんと勇気がないんだな」
「なんだと!」
「だってそうだろう?デートの情報をコソコソ嗅ぎ回って、こうしてエヴァがいない隙に話しかけて、数で僕を脅してる。不正や暴力に立ち向かい、弱い立場の人を守る気高さもない」
アランは拳をキツく握りしめた。理性が爆発しそうなのかもしれない。
「ロイド」
ナサニエルはチラリと後ろを振り返ってロイドを見た。
「前にも言ったよな。情報交換…駆け引き…人脈づくり…すでに始まってるって。このままいけば、僕はファウグスト家と縁を切らざるを得ない。強者に媚を売ってその影に隠れ、尻尾を振ることしかできない奴とは取引したくない」
「ふん!アランの家が俺の領地の面倒を見てくれる。問題ないんだよ、セドール」
「その通りだ、ナサニエル。父に言えばファウグスト家との取引を始めてくれるだろう。なにしろ、ロイドは俺の親友だからな」
ロイドは別の後ろ盾を得たから強気になっている。
アランは家族だからと、自分の我儘を父が聞いてくれると高をくくっている。
ナサニエルは深く落胆した。
学生時代のいっときの甘い汁のために、将来を捨てるなんて……。
ナサニエルは知っている。
もともとセドール商会はファウグスト家を援助するつもりはなかった。過去に汚職が見つかった先々代のファウグスト当主のせいで、融資に応じる商会は皆無だったのだ。しかしそれでは領地の整備もできず、領民たちにも示しがつかない。
だから前当主——ロイドの祖父はまだ立ち上げて間もないセドール商会に目をつけた。若輩者の商会なら、上手く丸め込めると高をくくったのだ。
しかしナサニエルの父は甘くない。すぐにそれを見抜き、不利な取引の指摘をした。おまけに当主が気づいていなかったファウグスト家の不審な金の動きも暴き出し、執事の横領や使用人の着服を突き止めた。
利用しようと考えていた若造に家を助けられ、不正をも見つけてくれたことに深く感謝した前当主は、父に頭を下げると自ら進んで領地でとれる小麦の優先権を、3代先まで保証すると提示した。
こうして今の関係性が成り立っている。
恩があるのはファウグスト家の方なのだ。
祖父の代から懇意にしている商会との縁を勝手に切るような真似をすると、どうなるか。
(きっとロイドは父親から非難されるだろう…)
それにマグアイヤ商会の次期当主でもないアランが勝手にこんな話を持ちかけては——
(兄のレグサスも現会長も、いい顔をしないだろうな…)
セドール商会とファウグスト家の関係は全商会ギルドが知っているのだ。当然、アランの兄と父も。
「ロイド、本当にいいんだな?アランも後悔はしないな?」
「後悔だと?」
「笑わせるな!」
しかしそこまで言ってやる義理はない。
2人とも実家の過去を知らないのが悪いし、なによりナサニエルはちゃんと忠告した。
「なら、好きにすればいい」
「ふん!強がりやがって!」
「お前のことは昔から気に食わなかったんだ!」
戦闘態勢に入ったのは、アランとロイドだけだった。
ラプンシスは数歩後ろでじっとしている。
ラプンシスまで手を出してくるとは思いたくなかったが、二対一でも十分に分が悪い。
アランは大きく拳を振りかざした。
さすがのナサニエルも、無抵抗で殴られるわけにはいかない。そこは男としてのプライドが許さない。
最初の数発くらいは避けることができた。
しかし相手は2人だ。しかも騎士学校の学生。
一発が頬に当たると、次々と拳が、蹴りが襲ってきた。
腕、足、腹……。
派手に横蹴りをされると、無様に地面に転がった。
口の中に血の味が広がる。
頬は熱く、腹には鈍い痛みが詰まっている。
硬い石畳の上でナサニエルに跨るアランが、靴のかかとで顔面を踏みつけようとした時——
「ちょっと!!なにしてるの!?」
鋭い声がした。
激怒したエヴェデールが仁王立ちしていた。
その姿たるや、男3人を圧伏させるほどで、あんなにも余裕そうだったアランもロイドも途端に動きを止めた。
「や、やぁ…エヴェデール」
「奇遇だね、こんな場所で…」
暴力に参加していなかったラプンシスは、壁と同化したように黙って慄えていた。
思えば、彼だけがまだひと言も発していなかった。
「何をしてるの、と聞いたんだけど?返事がないようね?」
「なに…ナサニエルとは旧知の仲でね…。交流してただけだよ」
「へぇ、そう…」
エヴェデールは喫茶店で見せた可愛らしい顔から一変し、鋭く目を吊り上げていた。隠していた凶暴なものを遠慮なく表に出している。
エヴェデールは歩きながらベルトに手を伸ばした。
バックルを外すと、右手に装着する。
拳につけると立派な武器……どうやらハーフルナックルだったようだ。
それを見たアランとロイドは血相を変えた。
素手よりよほど攻撃力が高い武器を装着した武術大会の覇者が、凄い形相で迫ってくるのだ。怯えるのも無理はない。
「いや!エヴェデール!それはダメだろう!!」
「君がそんな物つけたら…怪我じゃすまない!」
「へぇ…。無抵抗の文官生を騎士学生が二人がかりでボコボコにしおいて?自分たちは怪我を恐れるの?」
一歩一歩近づいくるエヴェデールは、ひどい冷気を放っていた。
それに気圧され、アランとロイドは数歩下がる。逃げようとしているらしい。
しかしエヴェデールは許さない。
走って一気に距離を詰めると、遠慮なくハーフルナックルの付いた拳をお見舞いした。
腹に細腕が食い込む。一発で動けなくなったロイドは呆気なく地面に倒れた。
「ひっ…」
情けない声を出したアランを振り返ると同時に、体幹に横蹴り。
壁に激突したアランは息ができないようで、地面にへたり込んだ。そこに高く足を上げたエヴェデールのかかと落としが打ち込まれる。
見事脳天をとらえ、目がぐらりと揺れたかと思うと、アランは卒倒してしまった。
わずか数分の出来事に、ナサニエルは見ていることしかできなかった。
「ナサニエル!」
エヴェデールは酷く顔を歪めて駆け寄り、膝をついた。もう顔に青筋はないし、鬼の形相でもなかった。
「大丈夫?!骨は折れてない?口の中切れた?めまいはする?吐き気は?!」
抱き起こされると、体のあちこちに触れられる。
違う意味でめまいがしそうだった。
ナサニエルは手足を動かした。痛みはあるが、ちゃんと動く。
「骨は…折れてないと思う。吐き気はないよ。口の中は…切れてるかも」
エヴェデールは砂や埃を払うと、「つかまって」と肩を貸してくれた。
痛みで上手く立てない。それに腹を殴られたせいで、背筋も伸ばせなかった。
女の子にしっかりと支えられるのは気が引けたが、こんなフラフラでは致し方ない。
「向こうで手当てしよう。顔も冷やさなくちゃ!」
「でも寮に帰る時間があるんだろ?」
あれからどれくらい時間が経ったのか。
少なくとも18時は過ぎている気がした。
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!こんなボロボロのナサニエルを置いて帰れるわけないじゃない!」
「でも外出届けの時間を破ったら——」
「あそこに証人がいるから大丈夫よ」
エヴェデールはラプンシスを見てそう言った。
ラプンシスは驚いたようだが、しっかりと頷いた。
「2人のことはごめんなさい、セドールさん。止めようとしたんだけど…僕は説得もできなくて——」
地面に転がる2人を見下ろし、
「2人のことは教官と寮長に報告するよ。オリビエ嬢の外出時間延期のことも伝えておく。迷惑かけて、ほんとうにすいませんでした」
深々と頭を下げたラプンシスは、軽傷のロイドを起こそうというのか、肩を揺さぶり名前を呼んでいた。
ナサニエルが見たのはそこまでだった。
肩を支えたエヴェデールが、
「ほら、もう行こう、ナサニエル。あなたの手当てをしなきゃ」
明るい表通りへと足を向けた。




