約束
翌朝の乗馬の時、ナサニエルはベルトをエヴェデールに渡した。
花柄の刺繍がほどこされたアンティーク風の女性用ベルトと、男性用にしては珍しい白色に、柄入りのバックルがついたベルト。
エヴェデールは「すごく可愛い!」とはしゃいでいた。
「白って珍しいね!お兄ちゃんの制服白だから合いそうだよ」
「騎士団支給のベルトがあるんじゃないの?」
「あるけど個性を出すためにベルトは個人購入してる人が多いらしいよ。どのみち制服で隠れちゃうし。このデザイン好きだと思う。お兄ちゃんに送ってみるね!」
ベルトを贈り終わると、2人で並走して馬に乗った。
授業では騎士学生が文官学生に教えることが多いので、こんな機会はない。
ナサニエルは朝からすこぶる幸せな気分になった。
◆
一方で、文官学校校内では窮屈な思いもした。
朝の秘密の乗馬練習が他の生徒にバレたのだ。
朝の乗馬は特別珍しいことではなかったが、相手がいるとなれば話は別だ。
しかも騎士学校のマドンナ的存在、エヴェデールがその相手となれば黙っていない男子生徒もいた。
「ほら…あれがセドールだよ」
「あのもやし?」
「オリビエ嬢はあんな色白のどこがいいんだ?」
廊下や移動教室でコソコソした視線を感じることが増えた。
同じ地方政治クラスの同級生からも冷たくあしらわれ、酷い時は無視され、グループワークで爪弾きにされることさえあった。
「ずいぶんと低俗的だよな」
教員に頼まれて資料を中央政治クラスへ届けた帰り、エンレストが憤慨して言った。
「ろくに返事もしなけりゃ、こっちを見ようともしない奴らがいる」
「王宮勤めの文官は派閥争いも多い。基本的に足の引っ張り合いだから、こんな無視も嫌がらせも常套手段だよ」
さすが父親が王宮の筆頭文官だけあって、ラプスの言葉には重みがあった。
「高嶺の花であるオリビエ嬢と親密になりつつあるナサニエルに、嫉妬してるんだ」
「ナサニエル、気にするなよ」
「中央政治クラスとの接点はあまりないから、気にしてないよ」
あっけらかんと言うナサニエルは、本当に気にしていなかった。
学校という狭い世界において、ゴタゴタはつきものだ。それが思春期ともなると、余計に拍車をかけるだろう。
2人にそう言うと、
「ナサニエルらしいけどな」
「そう言うサバサバしたところ、俺は好きだぞ」
と笑われた。
「ただ、騎士学校の男子生徒の中にもよく思っていないやつはいるだろうから、くれぐれも気をつけろよ。特に馬術訓練の時はな」
真剣に言うラプスは心底ナサニエルを心配しているようだった。
「それはケイオスの一件を経験した者としてのアドバイスか?」
「もちろんだ。表立って堂々と絡んでくるやつはいい。分かりやすいし、警戒しやすいから。厄介なのは裏でコソコソする奴さ。尻尾を掴まさないし、正体も見えにくい」
「ラプスが言うと重みが違うな…」
「からかうなよ、エンレスト」
「からかってないさ。頼りになると思ってさ。卒業してもお前とは仲良くしたいよ」
「凄い利己的な言い方だな」
気分を害した様子もなく、ラプスは笑ってエンレストを見て言った。
「いや、本心だよ。お前みたいに冷静に物事を見れる友がいると、頼りになる。俺は思慮深さに欠けるって、よく父から言われるから」
「そうかな?」
「そうか?」
ナサニエルとラプスの2人に首を傾げられ、エンレストは困ったように笑った。
「頭に血が上った時が、一番危ないんだ。軽率で短絡的な行動や判断をしがちでさ。入学してそんな場面に陥ることがなかったから、2人はピンと来ないだろうけど」
確かに、そんな出来事はなかった。
ナサニエルはエンレストを客観的に物事を見れる人物だと評価していたので、意外に思った。
それはラプスも同様らしく、
「ふーん…。なら、そうなった時はエンレストを見張っておくよ」
半信半疑にそう言った。
「ラプスが見張ってくれるなら安心だ」
「僕はエンレストの後方にいるよ。その体格を止められる自信ないし」
エンレストは体格がいい。鍛えて、というよりは先天的な骨格に恵まれている。
しかし本人は「武道はからっきしだ」と、やる前からさじを投げていた。
本気を出せばきっとそこそこの成績はとれるはず、とナサニエルは考えていたが、本人にやる気がないので仕方ない。
「確かに…ナサニエルはパッと見、軟弱に見えるもんな。でも最近は——」
エンレストはナサニエルの全身を上から下に見た。
「うん…悪くない」
「これも、一重にオリビエ嬢のおかげだな」
ラプスはあえて筋肉に触れるように、二の腕を掴んだ。
「前より腕は太くなっただろう?」
「まぁね」
「店裏で品出しばかりさせられなくなるかもな」
入学前、「少しは鍛えろ」と父に言われ、セドール商会のバックヤードでひたすら大きな品ばかり担当させられた地獄の期間があったことを知っているラプスとエンレストは、ニヤリとナサニエルを見た。
「その話はいいって!」
「夏季休暇で実家に帰るのが楽しみだな」
「おやじさん、少しは驚くんじゃないか?」
「筋力付いたらついたで、衰え防止のために大型商品の担当をさせられるに決まってるだろ」
「ああ…」
「なるほど…。さすが商人。たとえ筋肉であっても衰えていくことは許されないのか。現状キープか、より高みを目指すんだ」
「そういう事」
3人は顔を見合わせると、吹き出して笑い合った。
◆
「ネイト、そろそろ筋トレメニュー増やす?」
男子3人でおちゃらけた翌日。
騎士学校のグラウド。馬術訓練の常歩と速歩の練習の時、エヴェデールからそう尋ねられた。
「え?」
馬を扱うのに必死になっていたナサニエルは、不覚にもエヴェデールの言葉を聞き漏らしていた。
「だから、筋トレ。毎日の習慣になってきたし、そろそろステップアップしてもいいかと思って」
馬の扱いは騎士予備生並のエヴェデールは、余裕の表情で速歩でナサニエルに追いつきながら言った。
すぐ隣で並走する形になると、夏のぬるい風に乗って、エヴェデールの結っていない髪がばらばらと風になびく。
(あっ…シュシュのこと忘れてた)
鞍が届いた一件で、白いシュシュを送ってほしいと手紙に書くのを、すっかり忘れていた。
(いや…女性もののシュシュが欲しいなんて母さんに知れたら——面倒だな)
夏季休暇、実家に帰った時どうなるか…。
ナサニエルには容易に想像がついた。
(いいや。次の休みの時、外出届を出して街に行こう。ちょうど半袖シャツも欲しかったところだし…)
「ねぇ、聞いてる?ネイト!」
自分の考えに没頭していたナサニエルは、全く聞いていなかった。
「え?」
気が抜けたような声で返事をしたせいで、エヴェデールにはすぐにバレてしまい、
「全然聞いてないでしょ?!そんな態度なら、勝手にメニュー内容変えるからね!」
エヴェデールはプリプリした。
「いや、それは止めて!」
ぶんぶんと顔を横に振り拒否の姿勢を示したが、エヴェデールは鋭い目でナサニエルを見て、
「聞いてないんだもん!2回も説明したのに!」
「ごめん。ちょっと週末に出かける予定のことを考えてて…」
そう言うと、彼女の機嫌はさらに悪くなった。
「あら、オモテになるナサニエルは週末のデートのことで頭がいっぱいなのね」
「デート?!」
「そうでなくちゃ、鼻の下なんて伸ばさないでしょ?」
そんな自覚は全くなかったが、どうやら相当間抜けな顔をしていたらしい。
(デートだなんて…!エヴェデールの誤解は解かないとマズイ)
ナサニエルは慌てた。
「デートなんてするわけないだろう!そんな経験、一度もないし、週末はただ自分の買い物に行くだけだよ!」
「男は大抵、そう言うのよ」
「本当だって!エンレストとラプスに聞いてみればいいだろう?あの2人と一緒に行くんだから」
「あら。街についたら解散して、別の相手と会うのかもしれないのに?」
つん、とそっぽを向かれ、ナサニエルはパニックになった。
これまで深く付き合った女子生徒はいない。一番会話した女性は母親だ。
そんな悲しい女性遍歴しかないナサニエルは、
「そんなに心配なら、エヴァも一緒に来ればいいじゃないか」
つるりとそう言っていた。
エヴェデールは驚いてナサニエルを見た。珍しく数秒黙った後、
「え…?あたしも行くの?」
大きな目を瞬かせた。
まさか誘われるとは考えてもいなかったのだろう。
当のナサニエルも同じで、つい出た自分の言葉に慌てた。
誘うつもりはなかった。
でも来てくれるなら嬉しい。
いや、むしろ来てほしい。
でもそうなった場合、どうすればいい?
男3人とエヴェデール1人というのは、男女比としてよくない。
エヴェデールの友達も誘ってもらう?
それともラプスの婚約者のジョエル嬢に来てもらう?
いや、そうなるとジョエル嬢とエヴェデールが話し込んでしまい、僕と会話できないかもしれない…。
ナサニエルはほんの一瞬で、そこまで考えた。
その間、現実のナサニエルは口をパクパクさせるだけで、ろくに呼吸もしていなかった。
「あの…エヴァが良ければ——だけど…。来てほしい……かも…」
「…予定はないけど」
「本当?!なら……どうかな」
「えーっと…。それはネイトと男友達2人で行くの?女子は私ひとり?」
「気が引けるなら…あの2人は断る…」
そう言うと、エヴェデールは耳を赤くした。
「つまり……デートってこと?」
ナサニエルはゴクリ、と喉を鳴らした。
ここで引いてはダメだ。
一世一代のチャンスだぞ、ナサニエル。
「そうだね」
できるだけ平静を装ってそう言った声が、震えていませんように……。
エヴェデールはじっとナサニエルを見た。
ナサニエルは心臓の鼓動しか聞こえないくらい緊張していた。
返事を待つ時間は、授業一コマ分の長さに感じた。
やがて、
「分かった。外出届けを出しておくよ」
エヴェデールはそう言った。
「うん…。よろしく」
「待ち合わせは広場の噴水前でいい?」
「いいよ」
「時間は?」
「えーっと……11時?行きたいお店の開店時間なんだ」
「分かった」
タイミングよく、会話が終わると同時に下馬する地点に到着した。
2人はギクシャクした顔をして馬から下りると、次の生徒に変わるため互いに背を向けた。
ナサニエルは、エヴェデールをデートに誘えたこと、しかもオッケーだったことに呆然としていた。
(まさか許可してくれるなんて——)
エヴェデールは勘違いしたかな?
いや、勘違いってなんだ?
ちゃんとデートって言ったし、勘違いとかないだろう!
デートって何するんだ?
何着ていけばいいんだ?
どうしよう!もう木曜なのに!週末まで時間がない!
現実味のない思いでいると、不意に肩をドン!叩かれた。
「おい、セドール。手綱、さっさと寄越せよ」
同じ班の騎士学生だ。
いつも鋭い視線を向けてくる相手だった。
「ああ、ごめん」
手綱を手渡すと、そのままグイッと手首を掴まれ、
「成り上がりの男爵風情が、調子にのるなよ」
低い声で囁いた。
「お前ごときがオリビエと釣り合うものか」
言い捨てるとそのまま立ち去ろうとしたので、ナサニエルは急に湧き上がった突発的な怒りのまま、彼の袖を掴み返した。
「友人になるのに、爵位は関係ないだろう。見聞を広げるなら狭い視野を持たないほうがいいぞ、ロイド・ファウグスト子爵」
ロイドは名前を覚えられていたのが意外だったのか、一瞬驚いた顔をした。
「名前と顔を覚えるのは得意なんだ。ついでに、君の父親はうちのお得意様だ」
ギョッとしたロイドは、
「そっ、それは脅しか?!」
声を裏返した。
「まさか。ただ、僕はセドール商会の一人息子だ。後任は僕になる。ここでファウグスト家次期当主であるロイドと僕の関係がこじれれば、領地は将来的に困ったことになるかもしれない」
ロイドはグッと唇を噛んだ。
そこまで考えてはいなかったのだろう。
「学校とはいえ、ここは貴族の社交場と同じだ。情報交換…駆け引き…人脈づくり…すでに始まってるんだよ、ロイド」
ロイドはギッとナサニエルを睨みつけたが、何も言わず、掴まれた袖を振り払って行ってしまった。
その背中を見送りながら、ナサニエルは大きく息を吐いた。
こういったトラブルの対応は得意じゃない。
しかし商人であれば交渉術と話術は必須の能力だ。
「ナサニエル、大丈夫か?」
不穏な空気を感じ取ったエンレストとラプスが、ナサニエルに駆け寄ってきた。
「なんでもないよ」
ナサニエルの袖口がしわくちゃになっているのを見たラプスは、
「あまり無茶はするなよ」
シワを伸ばしながらそう言った。
「騎士学校の奴らは力に任せて実力行使することが多いんだから」
「授業中だし、大丈夫さ」
「だからって、あんまり挑発にのるなよ」
ロイドの小さくなった背中を見て、エンレストが言う。
「分かってる。それより、相談したいことがあるんだ」
ナサニエルはさっそく週末のことを話して聞かせた。
友人の思わぬ恋の進展に、2人は喜んでくれた。
実はその内容を密かに聞いていた人物がいたのだが、3人はそれに気が付かなかった。




