朝の乗馬
初夏。
馬術訓練が始まって2カ月半が過ぎた。
単独騎乗の練習が始まり、上達した者はグラウンドを一周できるようになっていた。
さらに扱いに長けた生徒は、厩務員がいる時間であれば騎乗が許されることもあった。
驚くことに、ナサニエルはそのうちの一人だった。
とはいっても、実は裏がある。
セドール商会の馬具の試供品を使う指示が、会長である父親から出ていたからだ。
セドール商会は店舗での商売のみならず、騎士学校、文官学校へ様々な商品を卸している。文具から運動着、制服のボタン、甲冑、飼料など…。
馬具もそのうちの一つであった。
『お前からの手紙を受け取った。5年前のこととはいえ、商品に不備があったことは看過できない。オリビエ嬢に新作の騎士用ベルトを渡してもらいたい』
手紙とともに騎士用のベルトが男女セットで送られてきた。
「男性用はお兄さんに渡せってことなんだろうけど…。女性用はエヴァに着けてもらって、校内での宣伝をしてもらおうって魂胆だな…」
きっとエヴェデールのことも調べたのだろう。オリビエ伯爵家といえば生粋の武人家系だ。娘が愛用しているとなれば、今後ご贔屓になる可能性があると踏んだらしい。
商人気質の父らしい戦略だ、とナサニエル呆れ半分、尊敬半分の気持ちになった。
「あと…鞍?」
『今回、来年発表予定の馬具シリーズの試供品も同封する。馬術訓練が始まっているだろう?ナサニエル自身で試して、感想を聞かせてくれ。騎士学校には話を通してある。詳しい使用感は夏季休暇の時に報告を頼む』
「道理で箱がデカいわけだ…」
黒い革でできた鞍は、新品特有の艶を帯びていた。
部屋の照明に反射して美しく輝いている。
「単独騎乗ができるようになったタイミングで良かった…」
同じ文官学校を卒業した父のことだ。絶対に時期を見定めて送ってきたに違いない、とナサニエルは確信していた。
こうして、ナサニエルは授業開始前の早朝に騎士学校の馬舎に行く、という新たな日課ができたのだ。
◆
初夏に入ったので、朝5時から外は明るい。
馬術用の服に着替えたナサニエルは、蒸し暑くなり始める道を歩き、騎士学校の馬舎を目指した。
早朝とはいえ厩務員はすでに仕事を始めていて、緑地には馬が放牧され、のびのびと過ごしている。
「おはようございます」
初老の厩務員の男性に声をかけると、
「ああ、おはよう。君がセドール商会のところの息子さんかい?」
「はい。ナサニエルです」
「ネイサンはもう父親なのか」
ネイサンとはナサニエルの父の名前だ。
「父をご存知なんですか?」
「もちろん。忘れるわけがない!あんなにも抜きんでた学生はいなかった!」
「抜きんでた…?」
「発明オタクの文官学生、ネイサン・セドール。当時、ワシは文官学校に勤務していてな。放課後になるとアレやコレや試作品を作っては『おじさん、これ試してくれ!』ってガラクタを渡してくるんだ。教師の許可も取らずに」
厩務員の男性は楽しそうに笑った。
「奇妙な発明を繰り返す文官だと思ってたら、卒業した途端、商会を立ち上げて、あれよあれよ急成長だ。今じゃ大商会の会長!男爵だからな。いやー!驚いた!」
当時を思い出しているのか、目を細めている。
父親が勝手に物を作っては試用してくれる人を捕まえて、試供品製作に加担させていた。
息子としては親の身勝手な行動を謝罪すべきだろう。
「——父がご迷惑おかけしました…」
頭を下げると、男性は夏空のように明るく笑った。
「ははっ!気にしてない!当時のよしみでセドール商会では割引をしてくれるんだ。薄給の爺さんにはありがたいのさ。むしろネイサンには感謝してる!」
嬉しそうに言う顔を見るに、本当に気にしていないようだ。
「そう言って下さると助かります」
「ナサニエル、だったな。顔は父親とそっくりだが、中身は母親に似てるな。ネイサンの豪快さや遠慮のなさとは全然違う!」
「よく言われます」
厩務員の男性はナサニエルの肩をポンポン叩いた。
「それで?試したい鞍っていうのはソレか?」
片脇に抱えた鞍に目を落とし、そう尋ねた。
「はい。来年発表予定の新作らしくて」
「ほー」
男性は鞍を受け取ると、まじまじと見た。
「こりゃあまた、いい革を使ってるな。ナサニエルが試し乗りをするのか?」
「はい。使用の感想を伝えてくれ、と言われたので」
「息子にも試供させるのか。根っからの商人だな、ネイサンは」
男性は「こっちだ」と、ナサニエルを連れて馬舎の近くに移動した。
木の下でのんびりと草をはんでいる牝馬に近寄り、
「ナサニエルが授業で乗っているのは、メレーナだろう?」
優しくその背中を撫でた。
「はい」
「ならメレーナで試すといい。この子はエヴァがよく面倒をみてるんだが、そろそろ来るはずだから、ついでにあの娘にも説明しよう」
厩務員の男性はネイサンの昔話をしつつ、テキパキと鞍をつけてくれた。
父親の話は、息子のナサニエルにとって赤面するものばかりだったが、男性は楽しげに、愉快に話してくれた。
彼にとっては悪友との思い出話の感覚なのかもしれない。
ブラッシングをしているとエヴェデールがやって来た。
馬舎までの距離を走り込みをしてきたのか、息は上がり顔が紅潮している。
白シャツに校章のエンブレが入ったベスト。キュロットパンツはタイトで、剣術の訓練に邪魔にならないデザインをしていた。
馬術訓練の時の制服とはまた違った装いで、ナサニエルは魅入ってしまった。
「おはよう、エヴァ」
朗らかに挨拶され、
「おはようございます、ダニアンさん。あと…ネイト?なんで騎士学校にいるの?」
エヴェデールは驚きつつもナサニエルを見た。
厩務員の男性はダニアンという名前らしい。
まだエヴェデールに見惚れているナサニエルに代わり、ダニアンが事の詳細を説明してくれた。
「そうなんですね…。じゃぁ、しばらくネイトはここに来るんだ」
「ああ。少なくとも夏季休暇まではね」
説明をされている時間で我を取り戻したナサニエルは、エヴェデールにそう伝えた。
「なら、馬術訓練以外でもネイトに会えるね!授業以外で文官生徒と会えるのは新鮮かも!」
嬉しそうにはしゃぐエヴェデールは、素直に可愛かった。
「さっそく乗るか?ナサニエル」
「はい。あ、エヴァ。明日、またここへ来る?」
「もちろん。なんで?」
「父が、エヴァに渡してほしいって送ってきた物があってさ」
「ネイトのお父さん?セドール商会の会長さんが?」
「ほら、前にベルトの話をしてくれただろう?お詫びにって新しいベルトを送ってきたんだ」
「ええっ!?」
予想外のことにエヴェデールは慌てていた。そんな姿も可愛くて、ナサニエルは思わず微笑んでいた。
「そんなつもりなかったのに!」
「もちろん、エヴァが打算的に5年前の話をしたなんて思ってないよ。これは父の性分なんだ。少しでも損をした買い物をさせてしまったのが許せないのさ。男性用と女性用が一組送られてきたから、お兄さんの分とエヴァの分だと思う」
「そんな…。悪いよ…」
「本当に気にしないで。明日の朝に持ってくるから、ちゃんと受け取って」
そう言ったが、まだ気が引けるのか、エヴェデールは伏目がちにナサニエルを見た。
「エヴァ、ナサニエルの父親はそういう性格なんだ。貴族といえど、学生が大人の行為に遠慮しちゃダメだ。ありがたくもらっときな」
ダニアンの後押しもあり、エヴェデールは渋々頷いた。
そこから予定通り、試供品の鞍を載せたメレーナに跨り、ナサニエルは試し乗りをした。
緑地を一周しかできなかったが、朝から運動ができて満足そうなメレーナは尻尾をゆったりと振り、優しい目でナサニエルを見つめていた。
「朝からありがとう、メレーナ。明日から頼むよ」
首を撫でてやると、耳を前に向け鼻を広げてフンッと鳴いた。
任せておいて、と言っているように見えた。
「あはは!やる気満々だね、メレーナ」
エヴェデールはメレーナの背をリズミカルに撫で、
「ネイトをよろしくね」
と笑った。
まるで親しい友人を預けるような言い方に、心が踊った。
(僕はエヴァと距離が進むチャンスかもしれない)
これからエヴェデールとの親密度が上がる予感に、ナサニエルは体中に喜びが溢れそうだった。
馬術訓練以外でも会える。
しかも他の生徒がいない時間に。
「じゃぁ、また明日、エヴァ。ベルト持ってくるから」
「分かった。楽しみにしておくね」




