筋トレの理由
女性騎士に憧れてはいけない。
文官学校のみならず、騎士学校に通う男子生徒において念頭に入れておくべきことだ。
女騎士と聞けば、男子なら少なからず憧れがあるものだ。戦闘時と普段のギャップに乙女を見たり、弱さを隠し痛みに耐える姿に庇護欲をかき立てられる…。
一般的にはそうだろう。
しかし騎士学校、文官学校の男子生徒は知っている。
騎士学校において武術の上位を占めるのは、わずか2割しかいない女子生徒であることを。
エヴェデールも例外ではなく、昨年の武術大会で馬術、剣術、槍術、体術の全てにおいて上位3位以内に入賞し、総合得点が2位という好成績を収めた人物だ。
女生徒からは黄色い声援を送られ、騎士学校内ではファンクラブもあるという。
武術だけでなく明るく親しみやすい性格、美しい容姿から、文官学校でも密かに憧れを持つ女生徒がおり、なんとかお近づきになろうと休日の門の前で待ち伏せをされる…。
それがエヴェデールという女子生徒だ。
そんな人物の筋トレメニューは、文官…というより、商人希望であるナサニエルにはハードすぎた。
2回目の馬術訓練の日、授業前に呼び出されたナサニエルは「成果を見せて」と言われ、メニュー内容を実践させられた。
半分もこなさないうちに騎士学校のグラウンドでへばり、地面に伏せ、荒い息をする姿を見たエヴェデールは、
「こんなメニューもこなせないんだ…」
足元に転がる同級生を見下ろし、呆れというより絶望と罪悪感に満ちた表情をしていた。
「ええ…まぁ……。商人志望な……もんで…」
呼吸の合間に言葉をねじ込む。
「ごめん…。あたしが10歳の時には軽々こなしてたメニューだから、15歳の男子生徒なら余裕かと思って…」
10歳。
軽々とこなしたメニュー。
それにさらに心を砕かれそうになったナサニエルは、「うっ…」と一瞬息ができなくなった。
「一般的な15歳は筋肉痛になるし、息も切れるし、毎日こなすのも一苦労なんだね…。覚えておく…」
「ろくに歩けないし、椅子に座ろうとすると激痛が走ることも追加して欲しい…」
「はうっ…!そ、そっか…」
珍妙な声を上げた後、ナサニエルの隣で膝を抱えるとうずくまってしまった。
泣きそう、とまでは言わないが、潤んだ大きな目が揺れている。丸まって小さくなっている背中に、長いまつ毛が頬に影を落としているせいで、切なく見えた。
しゅんとした様子を見るに、エヴェデールは猛省しているようだ。
情けないことに、そんな彼女の様子にナサニエルは心奪われそうになる。
早春の真っ青な空を見上げ、冷たい空気を吸い込んで不埒な好奇心を跳ね飛ばすと、
「今後のためにも覚えておいてくれると、他の生徒達のためにもなるから…」
勢いよく起き上がった。
(うぅ…腹筋が…痛い……)
内心では筋肉痛に顔を歪めながら、それを表には出さず背中の土を払うナサニエル。
それを見ながら、
「他の生徒…?」
エヴェデールは首を傾げた。
「僕らの文官学校にはそういう風習はないけど、騎士学校は後輩指導とかあるだろう?ハード過ぎるメニューを作らないためにも、筋トレの内容は本人に確認した方がいいよ。これは後々、騎士団に入っても役立つ情報だろう?」
ナサニエルは当然のことを言ったつもりだったが、エヴェデールはきょとんとしていた。
目を見開いてナサニエルを見つめた後、プッと吹き出し、
「役立つ情報って…。さすが商人志望だね」
肩を震わせて笑った。
「え…。何かおかしなこと言った?」
「いや…。騎士にはない言い回しだから。家族も武人が多いし、そんな言葉聞かないの」
「そういう…もの?」
「そういうものだよ、ドセールさん」
声を殺して腹を抱えている姿からして、かなりおもしろかったようだ。
さっきまで落ち込んでいたのに、今はコロコロと可愛らしく笑っている。
表情豊かな様は、またナサニエルの心をくすぐった。
商人らしい言い回しがナサニエルにはよく分からなかったが、「騎士はそういう表現をしないのか」と思うことにした。
「ついでに言うと、初対面の相手に筋トレの強要もしないほうがいい。僕はまだいいけど、他の生徒なら逃げ出すか、馬術訓練に顔を出さなくなるだろうから」
「えっ?」とエヴェデールは笑いを止めて顔を上げた。
「逃げ出す?なんで?」
「こっちでは騎士学生からのいびりって言われてる」
「そうなの?!」
(また表情が変わった…)
「毎年のことだから騎士学生からの洗礼みたいな扱いだけど、誰が犠牲になるかビクビクしてるんだぞ。中央政治クラスは毎朝グラウンド10周に付き合わされてるって聞くし…。地方行政クラスは僕しか犠牲になってないけど。周りからは『ご愁傷様』って目で見られてる」
エヴェデールはナサニエルの顔をまじまじ見つめた。
長いオレンジブラウンの髪を一つくくりにしたエヴェデールは、風になびく毛先が顔にかかるのを気にすることもなく、ナサニエルを見続ける。
その視線にドギマギしながらも、
(もう少しまとめ上げればいいのに…)
毛先の行き場が気になるナサニエルは、実家の母がよくまとめ髪をしていることを思い出しながらそう思った。
(確か店頭に白のシュシュがあったはず…。エヴェデールの髪色によく似合うだろうな…)
「気になる?」
考えていたこととエヴェデールの言葉が合致して、ナサニエルは慌てた。
「え?」
(まさかじっと見つめていたことに気づかれたのか…。不埒だと罵られるかな…)
予想に反してエヴェデールは、
「クラスのみんなからイジられた…?」
おずおずと尋ねた。
普段は凛として背筋を伸ばし、ハキハキと言葉を紡ぐエヴェデールとは対照的な姿に、ナサニエルは慌てた。
「いや!そういう意味じゃない!いじめられるとか、そういうわけじゃないからっ」
「いや…。いじめられてるとまでは言わないけど…」
「イジられるっていっても、大したことないよ。むしろ同情されて優しくされるというか…気を遣われるというか…」
筋肉痛でひょこひょこ歩いていると、教科書や重い荷物を持ってもらえる。
「タンパク質とれ」と鶏肉料理を分けてもらえる。
筋肉痛に効く湿布や塗り薬をくれる。
思いのほか、いい待遇を受けていた。
(それに、こんな風に二人きりで会えるのはむしろ嬉しい…)
「そっか。嫌な思いしてないなら、良かった」
にこり、と微笑みを向けられる。
破顔一笑。
紳士であろうと踏ん張っていたナサニエルの心は、一気に奪われた。
ボボボッと顔が熱くなる。頬も耳も紅潮していると、自分でも分かった。
「ああ…その……ありがとう、気を配ってもらって」
「もともとは私のせいだから、感謝されてもね」
彼女はふふっ、とまた笑う。
よりによって騎士学校と合同授業だ、とか、苦手な馬術訓練だとか、理不尽な筋トレメニューなんか作りやがってとか、そんな不満を抱えていた心は消えていた。
ありがとう、合同授業。
ありがとう、昔手を噛んでくれた馬。
君のおかげで、僕は彼女に声をかけてもらえた。
(今度実家に帰った時、墓前に花を供えよう)
密かな決意をしたナサニエルは、エヴェデールを見た。
「筋トレも悪くないよ。クラスのみんなから優しくされるからね。こんな風に突き動かされないと、自分からは絶対にしないことだし。だから…そのー…もう少し続けてみようかな」
「ほんと?」
ずいっと体を寄せられ、ナサニエルの心臓は跳ねた。
(肩が近い…!いい匂いする…!)
「じゃあ、このメニュー続けてね!あっ!でもこなす回数は減らすよ。腕立て伏せ10回、腹筋15回、スクワット5回ね!寝る前とか朝起きてすぐとか、時間を固定してやると習慣化するよ!できない日があっても気にしないで!翌日やめずに再開してね!カレンダー部屋にある?できた日に丸を付けるとモチベが上がるよ!すぐに見た目に変化は起きないけど、焦ったり落ち込んだりしないでね。2〜3カ月したら変化を感じるはずだから!」
「う、うん」
多弁にキラキラした目で話すエヴェデールは、
(可愛いかも……)
こうしてナサニエルは不健全な理由で健全な筋トレを始めたのだった。
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