女子騎士と筋トレ
ナサニエルは深夜にも関わらず、ベッドに潜ることなく寮の自室の机で頭を抱えていた。
「くそぉ…。よりによって——」
文官学校に入って4年目。
成績以外でこんなにも頭を悩ませるのは初めてであった。
12歳で入学し、文官としての基礎的座学を学んだ2年間。
14歳で中央政治と地方行政のどちらに重きを置いて学ぶか選択する際、ナサニエルは迷うことなく地方行政を選んだ。
商人として働くには、戸籍や国家予算の見積もりよりも租税の仕組みや通貨価値の安定、物価統制を学びたかったのだ。
考えていたとおり、地方行政を知るのは楽しかった。成績も努力に応じてついてきて、至って順調な学生生活だったのだが——。
そこに影を落としたのは、馬術訓練だった。
もともと商家の息子であるナサニエルは、動物と触れ合ったことがほとんどない。
王都に店を構えるナサニエルの実家、セドール商会は、ナサニエルの父が一代で築き上げた商会だ。
他の商会のように馬車で運搬を行うため馬を飼っているのだが、幼少期、餌をやろうとして指を噛まれたトラウマから馬が苦手になった。
それを機に他の動物もダメになり、自分からは近づくことがなくなった。
「商人として働くから支障はないはず。…馬だけは克服しないとダメだけど——」
そう思いつつもずっと目を逸らしてきたツケが、ここにきて回ってきた。
ただでさえ苦手な馬を相手にする馬術訓練にも関わらず、ナサニエルにとっては別の問題もあった。
「うぅ〜…なんでよりによって騎士学校と合同授業なんだよっ」
馬術訓練は、隣接する騎士学校の同年代の生徒達と、合同授業だった。
馬は文官と騎士、どちらも乗りこなす必要がある動物だ。商人だけでなく王宮に仕える文官ともなれば、地方視察に行く際、単独で乗りこなす必要がある。
そのため騎士学校の馬舎まで赴き、文官学校の生徒も授業を受けるのだ。
騎士と文官。
何かと反りが合わない役職同士。
それは学生といえど、例外ではない。
「はぁ~…。さすがに寝ないと……」
明日の授業を思うとズシンと心が重かったが、仕方なくベッドの中に身を潜らせた。
◆
奇しくも絶好の校外授業日和となった晴天の空の下。
騎士学校の生徒と文官学校の生徒は、何頭もの馬を挟んで向き合っていた。
「んじゃ、グループに分かれるぞ〜」
授業説明の後、文官学校の講師がそう言い、ナサニエルは数名の同級生とともに騎士学校生徒に歩み寄る。
男子生徒3人、女子生徒1人。
(数少ない女子生徒がいる班か…)
騎士学校ということもあり、文官学校と比べて女子生徒は少ない。
そのため、男子文官学生にとって女子騎士生徒のいる班に当たるのは、ちょっとした嬉しいポイントだった。
年頃のナサニエルにとってもそれは同じだ。苦手な馬術訓練を受ける代わりのご褒美ともいえる、まさに「当たり班」だった。
しかしだからといって、すこぶるやる気が出るわけではない。
「馬、触らないんですか?」
授業が始まって20分が過ぎた時、馬から距離を取っていたナサニエルが、女子騎士生徒から言われた一言だ。
騎士学校の生徒だけあって姿勢がよく、ほどよく筋肉がついた四肢はナサニエルよりよほど鍛えられていた。
紺色に金の刺繍が入ったブレザーにプリーツスカート。
オレンジブラウンの髪にヘーゼル色の瞳から受ける印象は、元気で明るく活発、だった。
「ああ…触りますよ。もちろん」
見栄を張ったナサニエルは自分でも不格好だと思う笑みを浮かべ、そう返事をした。
そろりそろりと馬に近づき、同じ班の生徒達が手を伸ばす先にいる栗毛の牝馬を見つめる。
(…デカい)
馬は大きい。背も高い。
四肢は太く、テカテカとツヤがある。
そして人間をよく見てくる。
潤んだ大きな目と視線が合い、思わずヒュッと息を呑んだ。
(落ち着け…。蹴られるわけじゃない…)
ナサニエルは緊張しながら牝馬に手を伸ばした。
細かく手が震えて、喉はカラカラだった。
恐る恐る伸ばした指先が、温かい背中に触れる。
牝馬はじっとナサニエルを見つめていたが、されるがままに触らせた。
それにホッとして何度か手を往復させる。
「馬、嫌いなの?」
振り返ると、先程声をかけてきた女子生徒がすぐ隣に立っていた。
踏みしめている草とは違う華やかな香りがふわりと鼻をついて、少しドキリとした。
「いや…。そういうわけじゃないけど…」
「でも震えてたでしょ?ずっと後方にいたし、表情も険しかった。だから嫌いなのかなって」
「昔、噛まれたことがあって…。少し苦手なんだ」
「この子は大人しい性格だから大丈夫よ。ねぇ、メレーナ?」
女子生徒は愛おしげにメレーナの首を撫でた。
メレーナは安心したように目を細め、女子生徒の手を優しくハムハムしている。
心を許している愛情表現を見て、普段から触れ合っていることがうかがえた。
「信頼されてるんだな」
「まぁね。毎日世話をしてるから。ここにいる馬たちはみんなそう。騎士と馬は切っても切れない、大切な相棒だもの」
ねぇ?と優しく微笑んでメレーナを見る女子生徒の顔に、ナサニエルの心はドキリとした。
澄んだヘーゼル色の瞳が輝いて見えた。
「…君、名前は?」
「エヴェデール•マフィ•オリビエ。オリビエ子爵家長女。よろしく」
「僕はナサニエル•セドール。男爵家の長男だ」
「セドール…」
エヴェデールは薄ピンクの可愛らしい唇に指を添え、なにやら考えていた。
その仕草がまたナサニエルの心を震わせる。走ってもいないのに心臓の鼓動がうるさい。
「もしかして、王都にあるセドール商会と関係ある?」
「ああ、僕の実家」
「じゃあ、セドール商会の息子さんなんだ」
コクリ、と頷いた。
いつもであれば、成金貴族と揶揄されるか、コネ作りのためのおべんちゃらを並べられるところだ。
しかしエヴェデールから出た言葉は、そのどちらでもなかった。
「あそこで売ってるベルト、兄にプレゼントしたことあるんだけど、すぐに錆びちゃってさ。騎士用ってわりには軟弱な作りだったんだよね」
淡々とした苦情。
「は?」
「まぁ5年も前の話なんだけど。今は真っ当な商品を売ってると助かるよ」
「…それは——ご迷惑をおかけしました」
「善処してください、セドール商会さん」
15歳のナサニエルの、初めてのクレーム対応だった。
◆
「最初はちょっと可愛いかも、と思ったけど…。あの後、『色白だからもっと健康的になったほうがいい』とか言って薄着にさせられるし!そのままグラウンド10周させられるし!この季節、カッターシャツ一枚じゃ寒いってのっ」
寒さでくしゃみをしたら、「筋肉がないからだ」と腕立て伏せ30回、腹筋50回、スクワット20回を言い渡された。
しかもその場で全部をこなせなかったため、次回の馬術訓練までに毎日3セットするよう宿題を出された。
同じ文官学生からは同情の目を向けられ、騎士学生からは軟弱者との冷たい視線を浴びせられた。
極めつけの最後の馬のブラッシングでは、ブラシの改善点をつらつら言われる始末。
「——いや、そこは商品開発の参考になったけど…」
騎士は実用性を重視する。
だからベルトの耐久性もブラシの改良案も、騎士らしいといえば騎士らしい。
のだが……。
半ば強制的に手取り足取り指導されるのは——
「やっぱり脳筋だな…」
考えるより身体が先に動く。思い立った時の行動力が抜群。
「はぁ…」
ナサニエルは深い溜息をついて、手元にある紙を見下ろした。
ご丁寧に渡された、次回の馬術訓練までの筋トレメニュー表だ。
「少しは鍛えたほうがいいよ。文官といえど、力仕事はあるわけだし、体力が資本なのは事実だし」
もはや目が点になったナサニエルは、掴んだ指先でヒラヒラと風に揺れるメニュー表を見た。
急な筋トレをさせられたナサニエルの体はプルプル震え、メニュー表を拒否する脳は完全に思考停止していた。
「サボったら分かるからね、ナサニエル•セドールさん。筋肉は嘘つかないし、裏切らないから」
じゃ、と騎士学校校舎に帰っていく背中を見送ったナサニエルに、同情した同級生が次々と肩をポンポンと叩いて慰めてくれる。
「第一被害者はナサニエルだったか…」
「中央政治クラスの奴らよりはマシだろう」
「ああ…。クラス全員が毎朝グラウンド10周につき合わされるんだろう?」
「地獄だな…」
「まぁ、セドールくんは色白で病弱そうに見えるから…」
「セドールくん、頑張ってね」
毎年恒例の騎士学生による強制筋トレの犠牲者は、ナサニエルになった。
◆
「はぁ…。寝る前に筋トレしよう…」
一日の授業を終え、寮の自室に戻ったナサニエルは渋々、椅子から立ち上がった。
もちろん、実家にベルトと馬ブラシについてエヴェデールから指摘された改善点をしたためた手紙を書いた後だ。
これが、ナサニエル•セドールとエヴェデール•マフィ•オリビエの出会いだった。
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