気づいた日
エヴェデールは終業式を迎え、誰もいなくなった寮に残り続けていた。
事件から3日経ったが、未だ面会の許可は下りず、ナサニエルの意識が戻ったとの知らせもなかった。
今もボーッと明るい夏の空を眺めている。
考えがバラバラになってまとまらず、常に頭の中にナサニエルの血だらけで蒼白の顔がこびりついていた。
小鳥のさえずりも、風の音も、眩しい陽光も、エヴェデールを慰めてはくれない。
以前のように世界を見ることができない。先のことが考えられない。明日のことも、1時間先のことだって。
ナサニエルと二度と会えないかもしれない。
そう思うと涙は枯れることを知らず、流れ続けるのだった。
「…エヴェデール?」
「入るよ…?」
控えめな小さな声で、自分を呼ぶ声がする。
アメリア•ボーンズとミア•テイラーだ。
この二人も寮に残っていた。
憔悴しきった親友が気がかりで、「エヴェデールがここを出ない限り、私達も帰らない」と寮に居残っていた。
「果物持ってきたよ」
「エヴァが好きなフレンチトーストも」
お盆に乗った出来立てのフレンチトーストは甘い匂いを部屋に運んできたが、エヴェデールの心を動かすことはなかった。
親友2人が近くに寄ると、エヴェデールはその体に抱きついた。
「また泣いてたの…?」
赤くなった瞼に、涙に洗われた大きな瞳。
エヴェデールはずっと暗い顔をしている。
抱きつかれた2人は、エヴェデールの頭と背中を撫でた。
たった数日で痩せたエヴェデールの背中は、細かく震えている。
「何か飲もう…」
「ほら、エヴァの好きなミルクたっぷりのアッサムティーだよ」
ひとしきり撫でられ、抱きついて泣いたエヴェデールは少し落ち着きを取り戻し、素直にカップに口を付けた。
「トースト食べたら病院まで行こう?」
「いつものベンチで知らせを待っていようよ?ね?」
この3日、ナサニエルの病室に一番近い外のベンチで過ごすのが日課だった。
そこにいれば少しでも気が晴れる。浮き沈みする不安定な心の揺れが小さくなる。
コクリと頷くと、
「2人とも……ありがとうね」
呟いた。
2人はそろってエヴェデールに抱きついた。
「親友だもの」
「当たり前じゃない」
「うん…」
フレンチトーストを食べる間、2人はナサニエルの病室に飾る花を校庭や馬舎の草原から取ってきた、と見せてくれた。
怪我をしたメレーナの傷は大きいが深くはなく、順調に回復していると厩務員のダニアンが話してくれた、とも教えてくれた。
「メレーナ、元気なんだ。良かった…」
「牧草もたくさん食べてて、エヴァに会いたがってるらしいよ。また馬舎に行こうよ」
「うん…」
アッサムティーの最後の一滴を飲み干したところで、パタパタと廊下を走る音がした。
3人しかいない寮では些細な音もよく響くので、すぐに足音に気がついた。
エヴェデールの部屋の目の前で止まると、ノックもそこそこに扉が開いた。
寮母のマーガレット、通称マギー先生だ。
「連絡があったよ!セドールが目を覚ましたって!!」
◆
急いで病院に駆けつけると、すでに両親の他にエンレストとラプスがいた。
全員が安堵と喜びの顔をしているとすぐに分かり、
「ネイトは?!!」
エヴェデールは駆け寄るなり、そう尋ねた。
「オリビエ嬢、今、ナサニエルは起きているよ。短い時間しか会えないが、どうか顔を見せやってほしい」
父親のネイサンが、嬉し泣きで声をつまらせる妻を抱きしめたままそう言った。
エンレストとラプスもエヴェデールに頷いた。
まだ弾む息が整わないままだったが、エヴェデールは頷いて病室のドアに向き合い、ドアノブをゆっくり回した。
開けると消毒液の匂いが少しだけした。
そこに混ざってナサニエルの匂いが、明け放たれた窓から押し流されて香ってくる。
真っ白いシーツに薄い掛け布団。
同じくらい白い肌をしたナサニエルが、瞼を閉じて横になっていた。
痛々しい額と頬の傷は絆創膏で隠され、骨折した右腕にはギプスがはめられている。
歩み寄るとコツコツと足音が、病室内にやけに大きく響いた。
ベッドサイドに置いてある椅子にゆっくり腰掛けると、
「ナサニエル…?」
呼びかけた。
小声にするつもりはなかったのに、無意識のうちにボリュームを絞っていたらしい。
果たして聞こえただろうかと思ったが、ナサニエルは目を開けた。
アイスブルーの瞳がエヴェデールを見る。
「…エヴァ」
少しくぐもった不思議な声だった。
ずっと使っていなかった喉をなんとかこじ開け、無理やり仕事をさせたような感じだった。
「ナサ…ニエル……」
じっと耳を澄ましていないと聞こえないような、ほんの僅かな風音にもかき消えそうな、そんな儚い声しか、エヴェデールには出せなかった。
「ナサニエル……良かった……」
この3日の間に巡らせていた不安も、抱いていた恐怖も絶望も、何もかもがエヴェデールの中から消え去った。
鳥肌が立つほどの熱い思いが胸を埋め尽くしたが、言葉にできたのはわずかだった。
「ナサニエル…起きた……やっと——。良かった……良かった……」
気がつけば、エヴェデールはナサニエルを布団ごと、包み込むように抱き締めていた。
彼の体温が伝わってくる。
清潔なシーツの匂いに、ナサニエルの特別な生命の匂い。
擦り寄せた頬に、規則的に動く胸の上下運動を感じる…。
エヴェデールは否応なく突きつけられた。
自分は、ナサニエル•セドールが好きなんだと。




