事故ではない
王都内の病院の一室。
真夏の部屋はむせるほど暑いはずなのに、室内の空気は冷え切っていた。
張り詰めて息もできない緊張感の中、セドール商会のネイサンは、真っ赤に泣き腫らした妻の肩を抱いて、目の前に座る教員を睨みつけていた。
「——つまり、これは事故ではない、ということですか?」
「……恐らく」
文官学校校長エレノアと騎士学校校長ハロルドは、保護者からの断罪するような視線を真正面から、真摯に受け止めていた。
「つい先日も、騎士学校の生徒に暴力事件を起こされたばかりですが?それも、うちのナサニエルに」
「——返す言葉もありません…」
学校の調査の結果、ナサニエルが使用していた鞍——正確には鞍を馬の胴体に固定する腹帯——に、何者かが意図的に付けたと思われる傷が見つかった。
「この鞍は数ヶ月前、私がナサニエルに試供品として送った物です。頑丈な革製品が、たった数ヶ月でこのように切れるなんて、考えられない」
目の前に置かれた鞍を見て、ネイサンは冷たくそう言った。
「…はい」
「しかも切り口が鋭い。明らかにナイフなどの鋭い刃物で切りつけた跡だ」
「…はい」
「外れた腹帯の金具で馬の体に大きな傷ができ、その痛みにパニックを起こした馬が暴れた——。これは殺人行為ですよ?」
「——おっしゃるとおりです」
騎士学校校長のハロルドは深々と頭を下げた。
文官学校校長のエレノアは沈痛な顔で口を開く。
「学校側としては、調査を全面的に騎士団の警備部に任せるつもりです。鞍に細工できる可能性のある人物をピックアップして、教員・生徒を問わず聞き取りを行うことにしています…。もちろん、警備部への協力は惜しみません」
「騎士学校としても同意見です。すでに休学処分して校内にいなかったロイド•ファウグストとアラン・マグアイヤは容疑から外れるでしょうが、何か知らないか、話を聞く予定です」
「当然だ」
文官学校、騎士学校の両校の聴取。
前代未聞の事件だ。
長く続いた学校の歴史に傷が残る事態だが、人命には代えられない。
名誉や沽券に関わるなどといっている場合ではないのだ。
事件は王都中の話題になっていた。
文官学校の生徒が騎士学校で起きた事件に巻き込まれ、しかも学生による殺人未遂の可能性まである。
新聞では大々的に取り上げられていた。
なかには面白おかしく、エンターテインメントのように書いている新聞もあったので、ネイサンは全力で抗議した。
未来ある若者に対して名誉毀損も甚だしいと憤慨し、新聞社に乗り込んだのだ。
すぐに謝罪記事が書かれたが、取った行動には相応の責任を取るべきと考えるネイサンは、裁判にするつもりでいた。
「事件についての調査結果の進展は、我々からお伝えします。ですので、くれぐれも学校側に直接問い合わせるなどの行動はお控えください」
騎士団警備部部長、アルフレッド•ギルバート・レイヴンは、ネイサンに釘を差した。
前代未聞の学生による殺人未遂の可能性がある。しかも爵位を持つ者の犯行かもしれないということで、団長であるアルフレッドが担当を任されていた。
「承知しています。学校は子供が学びを得る場です。生徒の指導に責任があるとはいえ、事件の調査は学校の仕事ではない」
「賛同いただけて、ありがたく存じます」
アルフレッドは深く頭を垂れた。
「それで…セドールさん。ナサニエルくんの容体はどうですか?」
ナサニエルが在籍する地方行政クラス担任、マクライアン•ビリーはおずおずと尋ねた。
「肝臓の一部破裂…胃と食道の損傷……。右腕の複雑骨折…。失血多量で一時は危篤でしたが、手術は成功してなんとか一命を取り留めました…」
「そう…ですか——。良かった…」
大人全員が深く安堵の息を吐いた。
「しかし食道と胃の一部を切除し繋ぎ直したので、通常よりも食べられない体になりました…。成長期だというのに——不憫なことです」
沈痛な表情で深く眉間にしわを寄せる夫に、妻のエレナは言う。
「命が助かっただけでも、私はいいわ…。ナサニエルが生きてる……。また元気になる……それだけで——」
「分かってるよ、エレナ…。僕たちの息子は生きてる…。また話ができるし、一緒に暮らせる…」
抱き合って体を寄せる夫婦に、声をかけられる者はいなかった。
アルフレッドはそんな夫婦を見つめ、
(家族による殺害動機はどう考えてもない…)
と思案していた。
殺人で最も多いのが身内による犯行だ。
しかしこの家族に限って言えば、それはありえない。
大商会の唯一の跡取り息子。
誰に聞いても、夫婦が息子を溺愛していると証言した。
今、目の前で見ても、それは疑いようがない。
(そうなれば……他の顔見知りの犯行か——)
まだ年若い青年を殺めようとする動機は?
まだ調査を開始したばかりだが、ナサニエルは健全に学生生活を送っているように思えた。
暴力事件に巻き込まれたのも、相手の一方的な理由だった。ナサニエルに非はない。
頭の中で捜査の先を考えていたアルフレッドの耳に、担任のマクライアンが言いにくそうに進言した。
「面会の許可はおりそうですか?」
「いえ…まだ……」
「そうですか…。同じクラスのエンレスト・ハーバーとラプス・チック・グロースがかなり心配していまして…。夏季休暇に入りましたが、面会の許可が出るまで学校に残ると言い続けています」
「我が校のエヴェデール•マフィ•オリビエも同じです。毎日乗馬をするほど仲が良かったらしく…。救護にも参加していましたし、相当心配なのでしょう…」
その3人の名前はナサニエルの手紙によく出てくる人物だった。
(きっとナサニエルの想い人はオリビエ嬢だろう…)
これまでの息子の言動をみるに、まず間違いないとネイサンは考えていた。
それにエンレストとラプスは文官学校入学当初からの付き合いであることも知っていた。自宅に遊びに来たこともあるのだ。
「息子は学友に恵まれているようですね…。嬉しい限りです。医師から面会許可が出れば、その3人には私からお知らせましょう。生徒達に、そうお伝えいただけますか?」
「「承知しました」」
2人の校長は深々と頭を下げた。
◆
保護者との面会を終えたアルフレッドは、担任であるマクライアンからさらに話を聞くため、文官学校へ移動した。
2時間にわたる事情聴取の結果、ナサニエル•セドールは至って真面目な生徒であると分かった。
成績も問題なく、友人関係も良好。これといった問題行動を起こしたことはなく、クラスメイトからの信頼もある。
教師たちからの評判も良く、苦手な馬術訓練のため毎朝、騎士学校の馬舎に通う真面目さもある。
そんな4年間の学生生活において、唯一起こった出来事が暴力事件だ。
「あの事件だけが異質だ…」
暴力事件を起こしたアラン・マグアイヤとナサニエルは旧知の仲だが、取り立ててトラブルを起こしたことはない。
ロイド・ファウグストとは騎士学校の馬術訓練で同じ班という以外、接点は無かった。
教員や校長から聞けたのはそこまでだった。
「もっと生徒から聴取する必要があるな…」
となれば、一番友好関係が深そうな3人に話を聞く必要がある。
「…だが精神的なことを考えば今は控えるべきか——」
まだ15歳の子供たちだ。
事件のショックも大きいだろう。
「仕方ない…。とりあえずセドール周辺の人間関係を洗おう」
子供を容疑者と考えるのは気持ちがいいものではない。きっと生徒の親もいい気はしないだろう。
「やれやれ…厄介な事件だ——」




