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第93話 空を駆ける暴君雷風竜と、港町の船売り

迷宮都市バベルの大通りでの買い物を終え、俺からのささやかなプレゼントであるアクセサリーを受け取った仲間たちは、我が家に帰宅してからもずっと嬉しそうにしていた。


俺のDIYで作り上げた一階の広々としたリビング。


ふかふかの特注ソファーでは、レイアが胸元の緋色のペンダントを何度も指でそっと撫でており、その隣でシルヴィアがもらったばかりの髪飾りを鏡の前で嬉しそうに整えている。


セツナは琥珀のブレスレットを太陽の光に透かして尻尾を揺らし、レオナは牙のペンダントを自慢げに掲げ、タマモは新しい組み紐を首に巻いてクッションの海に埋もれていた。


激闘の疲れも完全に抜け、こうして平和で穏やかな時間が流れる我が家。


俺は淹れたてのコーヒーを一口飲み、ソファーの背もたれに深く体重を預けながら、ふと思い出したように口を開いた。


「……そういえば」


俺の声に、みんなが一斉にこちらを向く。


「この間、アルバート伯爵とシャルロッテお嬢様が遊びに来て、みんなで宴会をしただろう? あの時、伯爵から面白い話を聞いたのを思い出してな」


「伯爵様からですか?」


レイアが小首を傾げる。


「ああ。……『南のリゾート島』の話だ」


俺はリビングのテーブルの上に広げた大陸地図を引き寄せ、南端のさらに先、広大な海域に浮かぶ小さな島々を指差した。


『常夏の群島・ブルーオアシス』。


宴の席で、伯爵が土産話として教えてくれた場所だ。アルカディア王国の南の海を越えた先にあるその島々は、強力な魔物が寄り付かない特殊な結界石に守られており、大陸の貴族や大商人がこぞってバカンスに訪れる「地上の楽園」だという。


「極寒の霊峰で障気にまみれて死にかけた俺たちには、これ以上ないほど魅力的な響きだと思ってな」


俺の言葉に、シルヴィアが目を丸くした。


「海のリゾート……。つまり、純粋に遊びに行くための旅行ということ?」


「そういうことだ」


俺は、自分の手を見つめながら少しだけ自嘲気味に笑った。


「15年間、絶対禁忌領域の無人島で嫌というほど海は見てきた。だが、俺にとっての海とは『塩分を補給するための死活問題の場』であり、『油断すれば巨大な魔海獣に食い殺される危険地帯』だった。ただ純粋に、波の音を聞き、白い砂浜で寝転び、美味いトロピカルジュースを飲むための『楽しむ海』なんて、一度も経験したことがない」


俺たちのこれまでの目標は、世界を救うことじゃなく、みんなで明日も美味い飯を食って生き残ることだった。


だけど、寿命の心配もなくなったし、これからは『ただ楽しむための旅』をしたっていいはずだ。


「南の海へ、バカンスに行こう。……俺たちの、終わらない日常の第一弾だ」


俺が顔を上げてそう告げると、リビングに一瞬の静寂が落ち――次の瞬間、爆発するような歓声が響き渡った。


「「「おおおおおっ!!!」」」


「ガハハハッ! 海か! 海のデカい獲物を狩って、ビーチでそのまま丸焼きにしてやろうぜ旦那様!」


レオナが拳を突き上げて興奮する。いや、だから狩るんじゃなくてバカンスなんだが。


「海……。お魚、たくさん食べられますか? 貝殻も、拾いたいです……」


セツナの獣耳が、期待でピコピコと激しく動いている。


「くふふ……わらわは毛皮が濡れるのは好かんが、日陰のビーチベッドでのんびり果汁をすするのは悪くないのじゃ」


タマモが尻尾を揺らしてご満悦だ。


「水着……。私たち、水着を買わないといけませんね……!」


レイアが顔を真っ赤にして両頬を押さえる。


「ふふっ、レイアったら純情ね。……クロウ、覚悟しておきなさいよ? 私たちの水着姿、目に焼き付けさせてあげるから」


シルヴィアが、悪戯っぽくウィンクをしてきた。


「よし、満場一致だな。そうと決まれば、さっそく準備だ」


俺は立ち上がり、地図の南側をトントンと叩いた。


「ブルーオアシスに向かうには、まず大陸最南端の巨大港町『ポート・ルアーブル』に行く必要がある。……だが、俺の『転移魔法』は、自分が行ったことのある場所、明確な空間座標が分かっている場所にしか飛べないルールだ。俺たちの中に、南の港町に行ったことがある奴はいるか?」


俺の問いに、レイアもシルヴィアも、そして他のメンバーも首を横に振った。


「なら、転移で一っ飛びとはいかないな。……よし、以前ギルドの討伐依頼で行ったことのある、南の商業都市までは転移で飛ぼう。そこからなら、馬車を借りて数日で港町まで出られるはず――」


俺がそう言いかけた時だった。


リビングの開け放たれた窓の外、庭の巨大な獣舎の方から「グルルゥゥン……」という、悲しげで重低音の鳴き声が響いてきた。


窓の外を見ると、俺たちの愛すべき相棒であるタロウが、庭の木々に隠れきれない巨体を揺らし、この世の終わりのような哀愁漂う瞳で俺を見つめていた。


転移して現地の馬車を借りるということは、タロウをバベルの家に置いていくということに他ならない。


「っ……! そ、そんな可哀想なことできません! タロウだって私たちの家族です!」


セツナが窓から飛び出し、タロウの硬くも温かい鱗に覆われた首に抱きついて涙目で訴えてくる。


「ガハハ! 当たり前だ! せっかくのバカンスに、この相棒を置いていくなんてあり得ねえぞ!」


レオナも窓枠を乗り越えて、タロウの背中をバンバンと力強く叩く。


「……だよな。置いていくなんてあり得ない」


俺は苦笑しながら、タロウの巨体を眩しそうに見上げた。


タロウは元々、強靭な四肢で大地を駆ける『地龍』だった。


空を飛ぶための翼を持たず、ただ愚直に地面を這うだけの存在だったタロウは、これまでの過酷な旅を俺たちと共に戦い抜き、そして北の霊峰で俺たちが四龍の力を解放した時、凄まじい恩恵を受けた。


俺の『鑑定眼』が以前読み取った、タロウの現在のステータスを思い出す。


『個体名:暴君雷風竜ストーム・ティラント・タロウ』

『追加スキル:【空歩スカイ・ウォーク】【風の加護】』


風龍の力をその身に受け継いだタロウは、雷と風を纏う『暴君雷風竜ストーム・ティラント』へと劇的な進化を遂げたのだ。翼が生えたわけではない。ただ、その強靭な四肢で、文字通り「空の道を踏みしめて走る」ことができるようになったのである。


今やタロウは、地上だけでなく大空という新たな生存圏を手に入れた、文字通り規格外のバケモノにして最高の相棒だ。


「転移魔法は便利だが、たまには旅の醍醐味を最初から最後まで味わうのも悪くない。時間はたっぷりあるんだ。……バベルから港町まで、タロウに引かせる俺たちの『タロウ号』で、のんびりと南への『空の旅』を楽しもうじゃないか」


俺の提案に、仲間たちは「大賛成!」と嬉しそうに歓声を上げた。


タロウも自分が一緒に行けると分かったのか、ギャウッ!と力強く咆哮し、バフッ!と強烈な雷混じりの突風を起こし、庭の木々を激しく揺らしていた。


◆ ◇ ◆


翌朝。

俺たちは、俺がアビス・ウッドなどの最高級素材をふんだんに使ってDIYした、キャンピングカーも顔負けの居住性を持つ特製大型馬車『タロウ号』に乗り込み、バベルの街を出発した。


タロウの牽引具を馬車の車軸にしっかりと固定し、俺が合図を送る。


すると、暴君雷風竜へと進化したタロウは力強く大地を蹴り、その四肢に翠色の風の魔力を纏わせた。


タロウが何もない虚空を踏みしめるたびに、『空歩』のスキルによって空気に不可視の足場が形成される。タロウはそのまま、まるで透明な坂道を駆け上がるかのように、空へと走り出した。


ふわり、と車体が浮き上がり、眼下にバベルの街並みが小さくなっていく。


「わぁぁっ……! 絶景ですね!」


空を走るタロウ号の中。ふかふかのソファーに腰掛けたレイアが、窓から見下ろす景色に目を輝かせている。


「ふふっ、こうして空から地上の景色を眺めながらのんびり進むのも、本当に最高ね」


シルヴィアが、窓から吹き込む風に銀髪を揺らしながら微笑んだ。


タロウの空歩による走行は驚くほど安定しており、俺が馬車の底部に仕込んだ風魔法の陣とスライムクッションのおかげで、揺れをほとんど感じさせない快適な乗り心地を保っている。


タマモは空の旅が心地よいのか、九本の尻尾を座布団代わりにしてすやすやと眠り、セツナはそのタマモの横で一緒に丸くなっている。


「おいクロウ! そろそろ昼飯にしようぜ! 私はさっきから下の方の山を飛んでるデカい怪鳥が気になって仕方ねえんだ!」


御者台(という名の飛行甲板)で俺の隣に座っていたレオナが、眼下の岩山を飛ぶ巨大な鳥の魔物を見定めて腹を鳴らしていた。


「よし、ちょうど見晴らしの良い湖畔が見える。あそこに降りてキャンプにするか」


俺が手綱を引いてタロウを湖のほとりに降下させると、さっそくレオナが飛び出し、瞬きする間にさっきの怪鳥を仕留めて戻ってきた。


「ガハハ! 獲ってきたぞ! さあ旦那様、美味く料理してくれ!」


「相変わらず早いな……。よし、今日は少し南部の気候に合わせて、スパイスを効かせた直火焼きにしよう」


俺はアイテムボックスから調理器具と特製のスパイスセットを取り出し、湖畔で手早く火を起こした。


怪鳥の肉を大ぶりに切り分け、特製つゆをベースにした甘辛いタレと、ピリッと辛い香辛料を揉み込んで豪快に焼き上げる。


肉の焼ける香ばしい匂いが漂うと、眠っていたタマモやセツナも目を覚ましてタロウ号から降りてきた。もちろん、タロウの分の巨大な肉の塊もしっかりと焼き上げる。


ジュワッと脂が滴る串焼きをみんなで頬張り、冷えた果実水で流し込む。


これまでのサバイバルでは、食事は「生きるためのエネルギー補給」の色合いが強かったが、今は純粋に「美味しいものを仲間と楽しむ」ための最高のレジャーになっていた。


◆ ◇ ◆


そんな賑やかで楽しい空と陸の旅を続けること数日。


気候はすっかり暖かくなり、タロウ号に吹き込む風には明確な「潮の香り」が混じるようになってきた。


「クロウさん! 見てください、海です! 海が見えます!」


御者台に座っていたレイアが、遠くに見える青い水平線を指差して声を弾ませた。


タロウが空歩で高度を下げ、小高い丘の上に着陸する。そこから見下ろす形で現れたのは、白い石造りの家々が立ち並び、巨大な帆船が何隻も停泊している活気あふれる巨大港町――『ポート・ルアーブル』だ。


「ああ、着いたな。……タロウ、空の長旅ご苦労だったな」


俺が首の鱗を撫でると、タロウは誇らしげに雷光を散らしながらグルルッと喉を鳴らした。


太陽の光を反射してキラキラと輝く海面と、どこまでも青く澄み渡った空。


街中へ入ると、潮の香りと共に、屋台から漂う海鮮の焼ける香ばしい匂いが俺たちの鼻腔をくすぐった。


「す、すごい活気ですね……! あっちで焼いてる串焼き、すごく美味しそうです!」


セツナがタロウ号の窓から身を乗り出して、ヨダレを拭う。


「ガハハ! おいクロウ、あの市場に並んでる魚、見たことねえような極彩色のデカブツばかりだぞ! 腹が減ってきたな!」


レオナの言う通り、市場には南の暖かい海流に乗ってやってきた多種多様な魚介類が並んでいた。


「……たまらんな」


俺の『グルメ魂』に火がついた。


「よし、タロウをギルドの提携竜舎に預けたら、まずはあの市場で美味そうな魚介を買い漁ろう。宿の厨房を借りて、今夜はバカンス前夜祭の海鮮フルコースだ!」


俺の号令に、みんなが「賛成!」と歓声を上げる。


市場での買い出しは圧巻だった。巨大なエビ、肉厚のホタテ、脂の乗った未知の深海魚。俺がアイテムボックスから取り出した金貨と、狂いのない目利きに、市場の商人たちも大喜びで極上の品を売ってくれた。


「さて、買い出しも終わったし、問題はリゾート島『ブルーオアシス』へ向かうための『船』だな」


海鮮をたっぷりとアイテムボックスに収納した俺たちは、潮風の吹く港沿いの通りを歩きながら、海に浮かぶ数々の船を見渡した。


「一般の乗合船じゃ、俺たちの規格外の身体能力やタマモの存在が目立ちすぎる。かといって、貴族のチャーター船を手配しようにも、今はバカンスのハイシーズンでどこも予約がいっぱいらしい」


俺が事前にギルドで仕入れていた情報を話すと、シルヴィアが腕を組んで考え込んだ。


「そうね……。クロウの『名誉公爵』の権力を使えば、無理やり豪華客船を一つ押さえることもできるでしょうけど、それじゃあバカンス気分に水を差すみたいで嫌よね」


「私も、あまりそういう権力の使い方は好きじゃないです」


レイアも同意するように頷いた。


俺は、港の一角――多くの立派な帆船が停泊している『船舶取引所』のエリアを見つめ、ニヤリと笑った。


「権力で無理やり人から奪うのは俺の流儀じゃない。かといって、狭い乗合船で窮屈な思いをするのもごめんだ。なら、簡単なことだ」


「どうするんですか、クロウさん?」


「チャーターできないなら、俺たちの拠点になるような『俺たち専用のデカい船』を、丸ごと一隻買っちまえばいいんだよ」


「「「……えっ?」」」


「船があれば、バカンスが終わった後も、世界中の海を自由に旅できるだろ? さあ、そうと決まればさっそく船の品定めに行くぞ!」


呆気に取られる仲間たちを置き去りに、俺は意気揚々と船舶取引所へと足を踏み出した。


◆ ◇ ◆


ポート・ルアーブルで最も規模の大きい造船商会『海神のいかり亭』。


その広大なドックには、小型の漁船から大型のガレオン船まで、無数の船が係留されていた。


俺たちがズラリと並ぶ船を眺めていると、恰幅のいい、いかにも商人といった風体の男が揉み手で近づいてきた。


だが、俺たちの出で立ち――豪華な貴族の服ではなく、実用性重視の冒険者風の装備(神話級や伝説級だが、一見するとただの丈夫な革や布に見える)を見た瞬間、男の顔に露骨な「値踏み」の色が浮かんだ。


「おや、冒険者の方々ですか? ここは高級な船舶を扱う商会でしてね。小舟のレンタルなら、あちらの裏通りになりますが」


男は鼻で笑うように言い放った。


「いや、レンタルじゃなくて『買い』に来たんだ。ブルーオアシスまで余裕で航海できて、中でゆったり生活できるくらいデカい船がいい。金ならある」


俺がそう言うと、商人の男はピクッと眉を動かし、すぐに胡散臭い笑みを顔に貼り付けた。


「ほう……! それはそれは、失礼いたしました。金回りの良い冒険者様でしたか。それならば、お客様方に『ぴったり』の船がございますぞ」


商人が案内した先には、確かに見事な装飾が施された、中型のガレオン船が停泊していた。


真っ白な帆と、美しい女神の彫像が舳先を飾っている。レイアたちも「わぁ、立派な船ですね!」と感嘆の声を漏らした。


「いかがです? 特別価格、金貨三千枚でお譲りいたしますよ。……ささ、すぐに契約書を」


商人がニヤニヤと笑いながら羊皮紙を差し出してくる。


一見すれば、誰もが憧れるような見事な船だ。だが、俺のサバイバルで鍛え抜かれた直感と、常時発動している『鑑定』のスキルは、この船が抱える「致命的な欠陥」を正確に暴き出していた。


『個体名:白鳥のガレオン船(偽装)』


『状態:竜骨キールの腐朽度90%。外装のみ魔法で補強。沖に出た瞬間、波の衝撃で真っ二つに折れる可能性大』


「……なるほどな。外見だけ綺麗に塗り直して、中身はシロアリに食い荒らされた廃船か」


俺が冷たい声でそう言い放つと、商人の顔からスッと笑みが消え去った。


「な、何を言いがかりを……! この見事な船が廃船だと!? 冒険者の分際で、海を知り尽くしたこの私の査定を疑うと言うのか!」


商人が顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げると、ドックの奥から屈強な用心棒らしき男たちが数人、ぞろぞろと現れて俺たちを取り囲んだ。


「ふん。田舎の冒険者が粋がりおって。言いがかりをつけた慰謝料として、お前らの持ってる金、全部置いていってもらおうか。……おい、やっちまえ!」


商人の合図で、用心棒たちが下品な笑いを浮かべて武器を構える。


……楽しいバカンスの幕開けに、随分とつまらない邪魔が入ったものだ。


俺がため息をついたのと同時に、俺の背後にいたレイア、シルヴィア、レオナ、セツナ、そしてタマモの目から、スッと感情が消え去った。


「クロウさんの楽しいバカンスの時間を奪うなんて……万死に値します」


レイアが、冷たい殺気を帯びた声で魔法剣の柄に手をかけた。


ここから先は、俺の出番すらないだろう。


南の港町での船探しは、波乱と物理的な破壊音と共に、賑やかなスタートを切るのだった。

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