第91話 伯爵の苦悩と、憧憬の眼差し
「――いやはや、クロウ殿! 相変わらず、お会いするたびにその存在感が増しておられるようだ!」
バベルの我が家の門前に、豪華な紋章を掲げた数台の馬車が停まった。
馬車から降り立つなり、破顔一笑して俺の手を握ったのは、アルカディア王国の有力貴族であり、俺たちが駆け出しの頃から何かと目をかけてくれているアルバート伯爵だった。
「お久しぶりです、アルバート伯爵。……そんなに強く握られると、名誉公爵の勲章がひしゃげてしまいそうです」
「ははは、これは失礼した! ですが、それほどまでに私は嬉しいのです。……シャルロッテ、お前も早く挨拶を」
伯爵に促され、馬車からしとやかに降りてきたのは、娘のシャルロッテだった。 以前会った時よりも少し大人びた印象を受けるが、その瞳に宿る知的好奇心と快活さは相変わらずだ。
「クロウ様、そして皆様。……この度は、前人未到のSSランク到達、並びに名誉公爵のご叙爵、心よりお祝い申し上げます」
シャルロッテが深々とドレスの裾を持ち上げてカーテシーを披露する。俺たちは彼女たちを、昨日完成させたばかりの自慢の応接室へと招き入れた。
◆ ◇ ◆
「……ほう、これは素晴らしい。アビス・ウッドをこれほど贅沢に使った応接セットなど、王宮でもお目にかかれませんぞ。さすがはクロウ殿だ」
伯爵は、俺が組み上げた黒曜石と深海沈没木のテーブルに感心しながら腰を下ろした。
だが、その表情にはどこか、手放しでは喜べないような陰りが混じっている。
「伯爵、何か……浮かない顔ですね。お祝いに来てくださったのは嬉しいですが、何かトラブルでも?」
俺が尋ねると、伯爵は「ううむ……」と一度言葉を濁してから、重い口を開いた。
「実はな、クロウ殿。……本来であれば、世界を救ったお主らの帰還は、我がアルカディア王国を挙げて国葬……いや、国を挙げての祝賀行事として盛大に祝うべきことなのだ。だが……」
伯爵は声を潜め、悔しげに続けた。
「王都の上層部、特にお堅い保守派の連中が、お主らが帝国の女皇帝カテリーナ陛下より名誉公爵の地位を授かったことを、快く思っておらんのだ。……『アルカディアの冒険者が、他国の爵位を受けるとは何事か』と、つまらぬ面子を気にしておってな」
「……なるほど。政治的な縄張り意識、ですか」
シルヴィアが冷めた声で呟く。
「左様。ゆえに、国としての公式な祝いは今のところ見送られることになった。……情けない話だ。世界を救った英雄に対し、そんなちっぽけな理屈で報いぬとは。だから私は、家臣の制止を振り切り、独断で祝いに駆けつけたというわけだ」
伯爵の言葉を聞き、俺は真っ直ぐに彼の目を見つめた。
「伯爵……ありがとうございます。俺たちにとって、国の形式ばった式典なんて正直どうでもいい。それよりも、俺たちが何もなかった頃から信じて後ろ盾になってくれたあなたが、こうしてわざわざ足を運んでくれた……その事実が、何よりも嬉しいです」
俺が丁重に感謝を伝えると、伯爵は目元を赤くして「そう言ってくれるか……!」と俺の手を再び強く握った。
◆ ◇ ◆
政治的な重苦しい話はそこまでにして、俺たちは準備しておいた『宴』を開始した。
「さて、伯爵。こちらが俺の新しい仲間たちです。……まずは、元帝国の剣闘士にして『最上位獣人』のレオナ。そして、こちらは俺たちが旅の途中で出会った『伝説の妖狐』、タマモです」
俺が紹介すると、レオナが豪快にエールを飲み干し、タマモが悠然と九本の尻尾を揺らした。
「レオナだ! 旦那様の剣として、邪魔な敵は全部ぶっ叩く。よろしく頼むぜ、伯爵様!」
「わらわはタマモ。……ふふ、主が信頼を置く人間とあらば、わらわも無体な真似はせぬ。ゆるりと楽しむがよい」
伯爵とシャルロッテは、その圧倒的なプレッシャーと神々しさに一瞬言葉を失っていたが、すぐに「おお、なんと素晴らしい……!」と驚きの声を上げた。 特にシャルロッテは、タマモの美しい毛並みと、レオナの戦士としての佇まいに釘付けになっている。
「さあ、料理もどんどん運ぶぞ。今日は霊峰で仕留めた魔獣の肉を、帝国の香辛料とバベル特産の塩でグリルした逸品だ」
俺が次々と運ぶ『異国の名物料理』の数々に、伯爵たちは感嘆の声を漏らしながら舌鼓を打った。 宴が進むにつれ、話題は必然的に俺たちの『北の霊峰』での冒険談へと移っていった。
「……絶対零度の吹雪を切り裂き、肉体を捨てた怨念の霧に立ち向かう。そして、四龍の宝玉を掲げ、浄化の光を放った瞬間、世界が白く染まったんです」
俺が淡々と、けれど鮮明に語る死闘の光景に、シャルロッテは食事の手を止め、瞳をキラキラと輝かせて聞き入っていた。
「……すごい。本当に、そんな世界があるのですね。本の中でしか知らなかったような光景を、クロウ様たちは実際に見て、戦って……」
シャルロッテは自分の小さく白い掌を見つめ、何かに焦がれるような溜め息を吐いた。
「私、今まで『冒険者』という方々は、ただ戦うことがお仕事なのだと思っていました。でも、クロウ様たちのお話を聞いていると……世界はこんなにも広くて、恐ろしくて……そして、美しいもので溢れているのだと感じます」
彼女の中で、何かが芽生え始めているのが分かった。 それは、安全な王都の壁の中にいては決して得られない、未知への『憧憬』だ。
「……私も、いつか自分の目で見てみたい。クロウ様たちが見た、その星の輝きを」
その言葉に、伯爵は「おいおい、シャルロッテ……」と困ったような顔をしたが、俺はただ、静かに微笑んで彼女を見つめた。 15年前の俺が、あの無人島で水平線の先を夢見たように。
宴は夜更けまで続き、伯爵親娘の笑顔と、新しい仲間たちの賑やかな声が、バベルの我が家を温かく包み込んでいった。




