第80話 完璧なる絶望と、死角なき包囲陣
抜け殻となった巨大な肉の山から這い出た、漆黒の装甲を纏う人型の怪物。
体格は俺と大して変わらない。だが、そこから放たれる障気の密度は、大気そのものを泥のように重く変質させていた。
「来るぞ……ッ!」
俺が深淵の大剣を構え直した、まさにその瞬間だった。
『――遅イ』
風切り音すら、なかった。
瞬きをするよりも早く、漆黒の怪物は数十メートルの距離を「消失」するようにゼロにし、俺の目の前に立っていた。
手には、障気を極限まで圧縮して形作られた漆黒の刃。それが、無造作に俺の首筋へと薙ぎ払われる。
「シィィッ!」
俺は背筋を凍らせながらも、サバイバーの反射速度で大剣を盾のように掲げ、その刃を受け止めた。
ガギィィィィィンッ!!!!
「ぐ、ぅぉぉっ……!?」
重い。先ほどの山のような巨体から放たれた一撃よりも、遥かに重く、鋭い。
俺の足裏の岩盤が爆発し、両腕の筋肉が断裂しそうなほどの衝撃に襲われる。
「クロウさんッ!!」
「ガァァッ! 潰れろォ!!」
俺を追撃させまいと、左右からレイアの魔法剣とレオナのハルバードが同時に襲いかかる。
だが、怪物は俺の大剣に刃を押し付けた状態のまま、わずかに首を傾け、重心を半歩だけズラした。
スッ……。
レイアの魔法剣が怪物の胸元を数ミリの差で空切りし、その余波でバランスを崩したレイアの背中に、レオナのハルバードの柄が誤って激突しそうになる。
「なっ!? しま、っ――」
「レオナ、引けッ!!」
俺が叫ぶのと、怪物が反撃に転じるのは同時だった。
怪物は俺の大剣を蹴り上げて間合いを外し、その回転の遠心力を利用して、流れるような回し蹴りをレオナの腹部へと叩き込んだ。
「ガ、ハァッ……!?」
レオナの巨体がくの字に折れ曲がり、砲弾のように岩壁へと吹き飛ばされる。
「させませんッ!」
シルヴィアが後方から、先ほど巨竜の殻を撃ち抜いた『極大圧縮』の光矢を放つ。さらに、セツナが影から跳躍し、神代級ダガー『嵐穿の虚空刃』で怪物の背後から心臓を狙う。
完璧な挟撃。回避は不可能。
だというのに、怪物は振り返りすらめなかった。
怪物は漆黒の刃を背中側に回し、セツナのダガーの切っ先を「カチン」と弾き落とす。そして、弾かれたセツナの身体を盾にするように自らの立ち位置を入れ替え、シルヴィアの光矢をセツナに向かって誘導したのだ。
「えっ……!?」
「セツナッ!!」
シルヴィアが慌てて弓を弾き、光矢の軌道を無理やり天井へと逸らす。洞窟の天井が轟音と共に崩落する中、怪物は悠然と着地し、黒い刃を軽く振り下ろした。
『……脆イ。脆スギル。貴様ラノ攻撃ハ、殺意ガ直線的スギルノダ』
怪物が赤い瞳を細め、嘲笑う。
俺は全身に冷たい汗が伝うのを感じながら、深淵の剣盾を握り直した。
「……厄介すぎるな。さっきのデカブツより、遥かにタチが悪い」
俺の言葉に、体勢を立て直したレイアたちが息を荒げながら頷く。
この怪物の恐ろしさは、圧倒的なパワーやスピードだけではない。その『完璧すぎるバランス』だ。
攻撃、防御、回避。
通常、戦闘においてこれらは別々の動作だ。だが、この怪物は違う。
防御した勢いそのままに攻撃へと転じ、攻撃のフォロースルーがそのまま次の回避行動への完璧な構えとなっている。一切の無駄がなく、隙が存在しない。俺たちの攻撃はすべていなされ、こちらの力を利用される形で完璧なカウンターを叩き込まれる。
「……どうすればいいの。魔法も剣も、全部『流れ』の中で捌かれてしまうわ」
シルヴィアが焦燥感を滲ませる。
サバイバルにおいて、自然界で最も恐ろしい捕食者は、弱点のないバランス型の獣だ。
パワーに偏った相手なら隙を突ける。スピードに特化した相手なら罠にかけられる。
だが、すべてを高水準で兼ね備え、完璧に連動させている相手には、小手先の戦術は一切通用しない。
(……一つずつ崩そうとするから、いなされるんだ)
俺は頭の中で、奴の完璧な動きの軌跡を高速でシミュレートした。
どんなに完璧な武の極致だろうと、物理的な身体の構造を持っている以上、同時に処理できる情報と対応できる方向には『限界』がある。
右を捌けば、左が空く。
前をいなせば、後ろが無防備になる。
奴がそれを補えているのは、俺たちの攻撃に「コンマ数秒のズレ」があるからだ。そのズレを縫って、奴は姿勢を組み替えている。
ならば、答えは一つしかない。
「みんな、聞け」
俺は敵から目を離さぬまま、静かに、だが確かな勝機を込めて口を開いた。
「奴の動きは完璧だ。順番に攻撃しても、すべてカウンターの餌食になる。……なら、奴が『どう動いても絶対に回避も防御もできない状況』を作ればいい」
「回避も防御もできない状況……?」
セツナが琥珀色の瞳を瞬かせる。
「ああ。前後、左右、そして上下。……全方位から『全く同時のタイミング』で、致命の一撃を叩き込む。奴の完璧なバランスの処理能力を、物理的にパンクさせるんだ」
「なるほど……。でもクロウ、口で言うのは簡単だけど、人間の反射神経でそこまで完璧にタイミングを合わせるなんて……」
シルヴィアの言葉を遮るように、レイアが左手の『三位一体の風環』を掲げた。
「できます。……私たちには、この指輪の『魔力共有』がある。互いの魔力の脈動が繋がっている今なら、シルヴィアさんやレオナさんの呼吸、放つタイミングが、手に取るようにわかります」
「……違いない。お前たちならやれる」
俺は頷き、全員に視線を送った。
「タマモ! 奴の足元と頭上に狐火の結界を張れ! 逃げ道を完全に塞ぐんだ!」
「くふふ、承知した! 重力結界、展開じゃ!」
タマモが九本の尻尾を広げ、怪物の上下を黄金の炎で挟み込むように封鎖する。
「レイア、シルヴィア、レオナ! そしてセツナ! 俺が奴の正面から突っ込む。俺の刃が奴に触れるその一瞬を『ゼロ』にして、全方位から同時に叩き込め!」
「「「はいっ!!」」」
俺の号令と共に、四人が一斉に散開した。
『……無駄ナ足掻キヲ。ドウ動コウト、我ノ刃ガ貴様ラノ命ヲ――』
「黙ってろ。お前の相手は、俺だ!!」
俺は『ゼロから100』の踏み込みで、一直線に怪物の正面へと突進した。
大上段から振り下ろす、深淵の大剣。
怪物は冷笑を浮かべ、それをいなして俺の首を刎ねようと、漆黒の刃を滑らせる。
――だが、怪物の赤い瞳が、初めて驚愕に見開かれた。
怪物が俺の剣を弾こうとしたその瞬間。
全く同じタイミング、コンマ一秒のズレもなく。
右からは、レイアの魔法剣が。
左からは、レオナの剛腕のハルバードが。
背後からは、セツナの神代のダガーが。
そして上空からは、シルヴィアの極大圧縮の光矢が。
四つの致命的な殺意が、怪物の『完璧な防御姿勢』のすべての死角を同時に貫こうと迫っていた。
『チッ……!?』
怪物の動きが、初めて「淀んだ」。
前を捌けば、左右から両断される。後ろを躱せば、上空から撃ち抜かれる。
完璧なバランスが故に、すべての攻撃の致命性を同時に理解してしまい、身体の処理が追いつかず硬直したのだ。
そのわずかな、本当に微細な一瞬の「バグ」。
俺は、その隙を見逃さなかった。
「これで……お前の選択肢はゼロだ!!」
俺の深淵の大剣と、仲間たちの四つの神代の力が、逃げ場を失った漆黒の怪物に向かって、同時に叩き込まれようとしていた。




