第78話 最果ての封印門と、目覚めし深淵
土龍の里のさらに奥底。
大地の龍脈すら途絶え、光も音も吸い込まれるような絶対的な静寂の中を、俺たちは歩みを進めていた。
俺の頭上に浮かぶ『四龍連結宝冠』から放たれる清浄な光だけが、この暗闇を切り裂く唯一の道標だ。宝玉がなければ、一呼吸しただけで肺が腐り落ち、精神が崩壊するほどの超高濃度の障気が、濃密な霧となって空間に立ち込めている。
「……空気が、ひどく冷たいわ」
シルヴィアが、身を震わせながら弓を強く握りしめる。
「ええ。それに、なんだか重い……。水の中にいるみたいです」
レイアも魔法剣の柄に手をかけたまま、周囲を油断なく警戒している。
「障気の密度が高すぎて、大気そのものが物理的な質量を持ち始めているんだ。……気を引き締めろ。もうそこまで来ているぞ」
俺の言葉に、セツナ、レオナ、そしてタマモが静かに頷く。
やがて、霧の向こう側に、天と地を繋ぐような巨大な『扉』が姿を現した。
それは、四龍の長たちが数千年前に築き上げた、邪竜を閉じ込めるための『最果ての封印門』。
ミスリルとオリハルコンを何百層にも重ねて造られたであろうその扉は、今や赤錆とどす黒い泥にまみれ、巻き付けられていた無数の封印の鎖は、その大半がちぎれかけていた。
扉の隙間から、ドクン……ドクン……と、巨大な心臓の鼓動のような音が響いてくる。
『……とうとう、ここまで来てしまったな。クロウよ』
タマモが、いつもの幼い姿から、神々しい九尾の妖狐――絶世の美女の姿へと変化し、俺の隣に並び立った。
「ああ。15年前、無人島で生き残った時から、こうなる運命だったのかもしれないな」
俺は深淵の剣盾を両手に構え、振り返って仲間たちの顔を一人ずつ見た。
帝都で出会った、真面目で不器用な魔法剣士のレイア。
知識を愛し、極限の魔法を極めたエルフのシルヴィア。
俺の背中を預けられる、風を纏う最高の暗殺者、セツナ。
誇り高く、誰よりも真っ直ぐな獅子の猛姫、レオナ。
そして、永遠を共にすると誓ってくれた大妖怪、タマモ。
誰一人欠けることなく、ここまで辿り着いた。
「行くぞ。世界で一番でかくて厄介な獲物を、狩りの時間だ」
俺は封印門の隙間に手をかけ、『ゼロから100』の踏み込みで全身の筋力を爆発させ、巨大な扉を強引に押し開いた。
ギギギギギギィィィィィィッ……!!!
鼓膜を破るような金属の悲鳴と共に、数千年間閉ざされていた封印が完全に解き放たれる。
扉の向こう側に広がっていたのは、景色ではなかった。
ただ一面の、果てしない『漆黒』。
その漆黒の空間の中央で、山脈と見紛うほどの巨大な質量が、ゆっくりと持ち上がった。
『…………誰ダ』
声ではない。
脳の奥底を直接削り取られるような、圧倒的な悪意の思念。
『四龍連結宝冠』の結界が激しく明滅し、障気の侵入を防いでいるが、その存在が放つ純粋な「恐怖」と「殺気」の圧力だけで、空間がひび割れそうに軋む。
持ち上がった巨大な漆黒から、三つの巨大な首が鎌首をもたげた。
星のない夜空のように真っ黒な鱗。ドロドロと溶岩のように滴る障気の涎。そして、すべてを滅ぼすためだけに存在する六つの赤い瞳が、一斉に俺たちを見下ろした。
深淵の魔龍、アジ=ダハーカ。
伝承に語られる、世界を終わらせる生きた災害が、今、完全にその眼を覚ましたのだ。
「……これが、邪竜」
レオナでさえ、その絶望的な大きさと威圧感を前に、思わずハルバードを握る手に力を込める。
『……我ガ眠リヲ妨ゲ、忌マワシキ龍共ノ光ヲ纏ウ小バエドモ……。貴様ラガ、我ノ最後ノ封印ヲ解イタカ』
アジ=ダハーカの三つの首が、同時に口を開く。
その奥底で、太陽を黒く塗りつぶしたような、極大の破壊エネルギーが圧縮され始めていた。
挨拶代わりの、広域殲滅ブレス。食らえば、この大地の底の空洞ごと、俺たちを塵一つ残さず消し飛ばす威力。
「――来ますッ!!」
セツナが叫び、『嵐穿の虚空刃』を構える。
だが、俺は一歩も引かなかった。
どれだけ巨大でも。どれだけ絶望的な力を持っていようとも。
俺は、15年間、圧倒的な自然の脅威と死に直面し続けてきたサバイバーだ。
これしきの「嵐」で、足を止める理由にはならない。
「レイア! シルヴィア! レオナ! 『三位一体』の出力を最大にしろ! タマモは結界の維持に全力を注げ!」
俺の指示に、仲間たちが一斉に動く。
「はいっ!! ――私たちの全魔力、クロウさんに預けます!!」
三位一体の風環が共鳴し、レイアたち三人の限界を超えた魔力が、俺の背中へと流れ込んでくる。俺は深淵の盾を前に突き出し、自身の全魔力と合流させた。
『滅ビヨ――』
アジ=ダハーカの三つの口から、漆黒の極大ブレスが放たれた。
光すらも飲み込む破壊の奔流が、俺たちを飲み込もうと迫る。
「舐めるなァッ!!」
俺は『状態異常完全無効』の理外の力と、仲間たちから託された全魔力を盾に込め、迫り来る極大ブレスの『中心』へと盾を叩きつけた。
力で受け止めるのではない。破壊のエネルギーの軌道を、剣と盾で強引に「いなし」、空中の座標へと受け流す。
ズガァァァァァァァァァァンッ!!!!
俺の盾を起点に、漆黒のブレスが左右へと綺麗に割れ、背後の岩壁をマグマのように溶かし尽くしていく。
凄まじい衝撃。腕の骨が軋み、足の裏の岩盤が爆発する。
だが、俺は一歩も退かなかった。
ブレスの余波が晴れた後。
無傷で立ち尽くす俺たちを見て、アジ=ダハーカの六つの瞳に、初めて「驚愕」の色が浮かんだ。
『……バカ、ナ。人間ゴトキガ、我ガ吐息ヲ……?』
「言っただろ。俺たちは、ただの人間じゃない」
俺は煙を上げる盾を下ろし、深淵の大剣の切っ先を、巨大な邪竜の鼻先へと真っ直ぐに突きつけた。
「俺は、15年間泥水を啜って生き抜いてきたサバイバーだ。……お前のちっぽけな世界を終わらせに来たぞ、トカゲ野郎」
大地の最底辺。絶対的な絶望を前にして、俺たちは不敵に笑った。
世界を賭けた、最後の、そして最大のサバイバルが、今ここに幕を開けた。




