第77話 暗殺の凶刃と、逆鱗のサバイバー
『……受け取れ、クロウ。お主らのその機転と器のデカさに免じて、わしら土龍一族の誇り、確かに預けたぞ』
テラドーラの巨大な口から吐き出された、深緑に輝く『土龍の宝玉』。
俺がそれを手に取った瞬間、アイテムボックスの中で眠っていた火、水、風の三つの宝玉が共鳴するように宙へと飛び出した。
赤、蒼、翠、そして深緑。
四つの属性の力が完全に調和し、邪竜の障気を打ち消す『清浄なる絶対結界』が、俺たち全員を優しく包み込む。
「……揃ったわね。これでいよいよ、邪竜の封印の最深部まで踏み込めるわ」
シルヴィアが、眩しそうに宝玉の光を見上げる。
「ええ! 私たち全員で、世界を救うサバイバルの総仕上げです!」
レイアが魔法剣を天に掲げ、レオナも「ガハハ! 最高の気分だ!」と笑い声を上げた。
四天王ゴライアスを打ち倒し、最後の宝玉を手に入れた。
全員が無傷で、戦力は最高潮。誰もが「これでようやく、一気に最後まで行ける」と確信し、安堵の息を吐いた――まさに、その一瞬の隙だった。
『――だから地上の生き物は、浅はかなのだ』
音も、気配も、魔力の揺らぎすら全くなかった。
ただ、俺たちの足元に落ちていた「ゴライアスの残骸の影」から、漆黒の凶刃が音もなく伸びてきたのだ。
標的は、四つの宝玉を束ねる結界の中心にいる俺の、心臓。
「え……?」
俺がその異常な殺意に気づいた時には、刃はすでに俺の胸の数センチ手前まで迫っていた。
回避は不可能。防ぐ盾も間に合わない。
だが、その凶刃が俺の肉を裂くよりもコンマ一秒早く。
俺の視界の横から、翠色の風が割り込んだ。
「――ご主人様ッ!!」
セツナだった。
彼女の獣人としての異常な反射神経と、暗殺者として「殺意」に誰よりも敏感なその本能が、唯一その凶刃の軌道に反応したのだ。
ズバァァァァンッ!!!
肉を、骨を、そして命そのものを乱暴に抉り取るような、ひどく鈍い音。
「……ぁ、がっ……」
俺の目の前で。
俺を庇うように飛び込んできたセツナの小さな身体が、漆黒の刃に深々と貫かれ、宙に浮いていた。
胸の中心から背中へと貫通した凶刃。そこから、どす黒い障気と、彼女の鮮血が大量に噴き出す。
「セツナァァァァッ!!!」
レイアの絶叫が地下空洞に響き渡る。
刃が引き抜かれ、セツナの身体が糸の切れた人形のように崩れ落ちる。俺は反射的にその身体を抱きとめた。
「セツナ! おい、セツナ!!」
「ご、しゅじん……さま……ご無事、で……よかっ、た……」
俺の腕の中で、セツナが血まみれの手で俺の頬に触れようとし……そのまま、力なくガクリと腕を落とした。
その琥珀色の瞳から、急速に光が失われていく。
致命傷だ。内臓を完全に破壊され、さらには刃に込められた濃密な障気が、彼女の生命力を猛烈な勢いで喰い荒らしている。
「あ、ああ……っ! 回復魔法! 早く、シルヴィア!!」
「ど、退いて!! 『三位一体』の魔力を全部回復に回すわ!! お願い、間に合って……っ!」
シルヴィアとレイアが泣き叫びながらセツナにすがりつき、ありったけの魔力を注ぎ込む。だが、傷口から溢れる障気が回復魔法を弾き返し、傷は全く塞がらない。
『ククク……無駄だ。我が「影刃」は魂そのものを腐らせる。その小娘は、あと数分で完全に泥と化して死ぬ』
俺たちの目の前。
ゴライアスの影から完全に這い出してきたのは、実体を持たない影のような輪郭に、二つの赤い瞳だけを光らせた異形の存在だった。
『我が名は四天王「影の暗殺者」ファントム。……ゴライアスの馬鹿が囮になってくれたおかげで、最高のタイミングで宝玉の持ち主を殺せると思ったのだがな。忠犬に庇われたか』
ファントムは、セツナの血で濡れた刃を舐めとるように蠢き、嘲笑った。
『まあ良い。お前たちの希望は今、その小娘と共に潰えた。絶望と悲しみに溺れながら、泥となって死ぬがい――』
「……黙れ」
俺の口から出たのは、自分でも驚くほど低く、冷たい声だった。
15年間。無人島で過ごした俺は、誰かを失うことの絶望を嫌というほど味わってきた。
もう二度と、大切なものを失わないために。誰も死なせないために、俺は強くなったはずだった。
それなのに。
俺の腕の中で、今、俺を庇った一番小さな家族が、命の火を消そうとしている。
俺はセツナの身体をそっとレイアたちに預け、ゆっくりと立ち上がった。
伝説級の『深淵の剣盾』は抜かない。
俺の全身から、魔力というよりは、純粋な「殺意」と「怒り」が、目に見えるほどの黒黒としたオーラとなって噴き出していた。
「……タマモ。宝玉の結界を最大まで絞って、セツナの傷口から障気を中和し続けろ。……シルヴィア、レイア、レオナ。お前たちの命を削ってでも、セツナの命を繋ぎ止めろ」
「ク、クロウ……!?」
「主、お主……目が……」
振り返った俺の顔を見て、タマモが息を呑んだ。
俺はもう、いつもの「落ち着いたサバイバー」ではなかった。
「……お前だけは。絶対に、許さない」
俺の足元の岩盤が、俺自身の踏み込みの圧力だけでクレーターのように吹き飛んだ。
『――なっ!?』
『ゼロから100』なんて次元じゃない。
俺は一瞬でファントムの眼前へと転移したかのように距離を詰め、その実体のない影の胸ぐらを、素手で強引に鷲掴みにした。
『馬鹿なッ!? 我は影だぞ! 物理的な干渉など――グガァァァァッ!?』
「物理じゃない。俺の殺意だ」
状態異常完全無効。それは、相手の障気や特殊な属性干渉を「無に帰す」力。
俺はファントムの『影に溶ける』という概念そのものを力任せに握り潰し、そのまま巨岩の壁へと、奴の身体を全力で叩きつけた。
ズドガァァァァァンッ!!!!
地下空洞全体が地震のように揺れ、硬い岩壁が数十メートルにわたって蜘蛛の巣状に砕け散る。
『ガ、ハッ……! キ、サマ……ただの人間が、これほどの……ッ』
「喋るな」
俺は壁にめり込んだファントムの頭を掴み、さらにその顔面を岩盤へと削りつけるように引き摺り下ろした。
無人島の巨大な魔獣の首をへし折ってきた、純粋な膂力と暴力。
ファントムが放つ無数の影の刃が俺の全身を切り裂くが、そんなものは痛みすら感じない。
「セツナを……俺の家族を傷つけたこと、その魂の底まで後悔させてやる……ッ!!」
俺の拳が、ファントムの赤い瞳を容赦なく叩き割る。
何度も、何度も。
四天王だろうが、影だろうが関係ない。俺の逆鱗に触れたこの怪物を、俺はただの一片も残さず、徹底的に消し去るまで殴り続ける。
「待ってろ、セツナ……! こいつを殺して、絶対にアジ=ダハーカの核をぶっ壊して、お前を助けてやるからな……ッ!!」
土龍の里の奥深くで、かつてないほどの激しい怒濤の反撃が始まっていた。
世界を救うためじゃない。ただ一人、自分を庇って死にかけている大切な少女を救うためだけに、サバイバーの男は修羅と化した。
ズガァァァァァァンッ!!
「ガ、アァァァッ……!! バカ、な……我が、こんな……ッ」
ファントムの絶叫が地下空洞に木霊し、その存在を縛り付けていた障気の核が俺の拳によって粉砕された。黒い霧となって消え去る四天王の残滓を視界の端に追いやり、俺は一目散にセツナの元へ駆け寄る。
「セツナ……ッ!」
タマモの浄化とシルヴィアたちの回復魔法が、激しく火花を散らしている。だが、セツナの胸に空いた風穴は、どす黒い障気がこびりついて一向に塞がる気配がない。
俺は無言で彼女の身体を抱き起こした。
体温が、驚くほど急速に奪われていく。
俺はアイテムボックスの最奥から、一つの小瓶を取り出した。
それはかつて、ある古代迷宮の最深部で手に入れた『万能エリクサー』を、俺が15年のサバイバル生活で培った技術と知識を総動員して精錬し続けた、唯一無二の**『特級エリクサー』**だ。
死なせない。こんなところで、俺を庇って死ぬなんて、絶対に許さない。
俺は震える手で瓶の栓を抜き、セツナの血の気のない唇へと押し当てた。七色の輝きを放つ雫が、彼女の喉へと滑り落ちていく。
その瞬間、絶望が反転した。
セツナの傷口から噴き出していた障気が、特級エリクサーの圧倒的な浄化能力に焼かれて一瞬で消滅する。みるみるうちに肉芽が再生し、致命傷だったはずの風穴が、何事もなかったかのように滑らかな肌へと戻っていく。
「あ……」
セツナの睫毛が震え、琥珀色の瞳がゆっくりと光を取り戻した。
彼女は自分の身体を不思議そうに見つめ、それから俺の顔を見て、ふにゃりと、いつものように柔らかく微笑んだ。
「……また、ご主人様に救われちゃいましたね」
その一言が、俺の心臓を強く締め付けた。
俺は彼女の細い肩を、壊さないように、けれど決して離さないという意志を込めて強く抱き寄せた。
「……もう、こんな無茶は二度とやめてくれ」
俺の声は、情けないほど震えていた。
サバイバーとして15年、一人で生きてきた。けれど、今の俺にとって最大の失敗は、自分が傷つくことじゃない。大切なやつを失うことなんだ。
「俺は、お前たちと一緒に生き残るために強くなったんだ。……頼むから、次は一緒に生き残る道を探してくれ」
俺の胸に顔を埋めたセツナは、驚いたように瞬きをしてから、そっと俺の背中に手を回した。
「……はい。ごめんなさい、クロウ様。……約束します。もう、置いていったりしません」
冷たい大地の底で、俺たちは互いの体温を確かめ合うように、しばらくの間そのまま動けずにいた。
「……よし。行こう」
俺はセツナを抱き起こし、前を向いた。
頭上では、四つの宝玉が一つに結びついた『四龍連結宝冠』が、かつてないほど清浄な光で周囲を照らしている。
もう、立ち止まる理由はない。
俺たちは、真の決着をつけるために、邪竜アジ=ダハーカが眠る最深部の扉へと一歩を踏み出した。




