第75話 深淵の進撃、穢された大地の門
「……空気が、重すぎるな」
俺はタロウの背の上で、視界の端を飛び交う不気味な黒い影を睨みつけながら呟いた。
四季の霊峰、その最奥に位置する巨大な縦穴。かつては神聖な静寂が支配していたはずのその場所は、今や邪竜アジ=ダハーカから溢れ出した『障気の泥』が壁を伝い、地獄の底へと続く入り口のように変わり果てていた。
「クロウさん、前方にまた反応! ――来ます!」
レイアが魔法剣を抜き放ち、鋭く叫ぶ。
縦穴の岩壁に空いた無数の穴から、泥のようにどす黒く、実体のない身体を持った異形の怪物たちが、津波のような勢いで湧き出してきた。邪竜の眷属――『深淵の這う者』だ。
「……数が多いわね。迷宮の比じゃないわ」
シルヴィアが星砕きの竜弓を構え、指先に魔力を集める。
「ふん、まとめて吹き飛ばしてやるわい! ――主、ここからはわらわが結界を広げる。お主らは露払いをお願いするぞ!」
幼子の姿から、一瞬で絶世の美女へと変身したタマモが、黄金の狐火を周囲に展開する。
「ああ、頼む。……タロウ、全速力で駆け下りるぞ! 止まるなよ!」
「ガウッ!!」
暴君雷風竜へと進化したタロウが、四肢に旋風を纏い、垂直に近い岩壁を蹴って深淵へと突き進む。
眷属たちがタロウ号の四方から飛びかかってくるが、それをセツナが許さない。
「――『嵐穿』!」
翠色の閃光が、空間を切り裂くように奔った。
セツナが放った神代級ダガー『嵐穿の虚空刃』は、投擲された瞬間に風の魔力で軌道を修正し、一度に三体の眷属を串刺しにすると、空間を跳躍して彼女の手元へと戻ってくる。
以前の彼女なら、この数の眷属に囲まれれば防戦一方だったはずだ。だが、風の理を掴んだ今のセツナは、むしろ空中に散らばる眷属たちの影を『足場』にするかのような超高速移動で、群れを蹂躙していく。
『ギィィィヤァァァァッ!!』
上空から、さらなる眷属の増援――巨大な羽虫のような姿をした『腐風の羽ばたき(カース・フライ)』が降り注ぐ。その数は数百、数千。
「レイア、シルヴィア、レオナ! ――合わせるぞ!」
俺の号令に、三人が同時に左手を掲げた。
三人の指に輝く『三位一体の風環』が翠色の光を放ち、魔力の共鳴が空間を震わせる。
「私の魔力を、全部レイアに!!」
「私の闘志も、上乗せしてやるわ!!」
シルヴィアとレオナの全魔力が、一瞬にしてリーダーであるレイアへと集束した。
一人では到底不可能な、巨大な魔力の渦。レイアはその奔流を魔法剣に宿し、天へと振り上げた。
「――『三位一体・極光絶閃』!!」
放たれたのは、三人の力を一つに束ねた極大の光の斬撃。
それは縦穴の闇を昼間のように照らし出し、降り注ぐ数千の眷属たちを、その存在ごと消滅させた。
絶大な威力。だが、共有された魔力のおかげで、レイア一人に負荷がかかることはない。
「……すごい、これならいくらでも戦える……!」
レイアが驚きと自信に満ちた表情で、自分の手を見つめる。
だが、深淵の底はまだ遠い。
下れば下るほど重力は増し、障気の密度は濃くなっていく。
「……ご主人様! 前方、土龍の里の入り口となる『大地の門』が見えました! でも、あそこ……!」
セツナの指差す先。
巨大な岩の扉の周りには、もはや眷属とは呼べないほどの強大な魔力を持った、漆黒の巨人が三体、門を破壊せんと猛攻を加えていた。
『深淵の門番』。
一体でも中級ドラゴンを圧倒する力を持つそれが、里を護る結界を今まさに食い破ろうとしていた。
門の奥からは、土龍たちの悲痛な咆哮が聞こえてくる。
彼らは障気に冒されながらも、里を守るために必死に戦っているが、その防衛線は崩壊寸前だ。
「……タロウ、あの巨人のど真ん中に突っ込むぞ! 全員、ここからは乱戦だ!!」
俺は深淵の剣盾を抜き放ち、大剣の切っ先を黒い巨人へと向けた。
15年のサバイバルで培った、死線を見極める感覚が告げている。ここを抜ければ、いよいよこの異変の元凶が待っている、と。
「……一匹残らず、地の底に叩き落としてやる」
タロウが咆哮を上げ、最後の加速を開始した。
雷風を纏った巨体が、障気の海を切り裂き、土龍の里へと突入していく。
俺たちは、崩壊の危機に瀕した里を救い出し、最後の一枚となった『土龍の宝玉』を手に入れるため、地獄の底のような戦場へとその身を投じた。
次々と砕け散る岩壁。飛び散る黒い血。
里の入り口を塞ぐ巨人を俺の一撃で両断し、俺たちはついに、土龍の里の内部へと滑り込んだ。
だが、そこで俺たちが目にしたのは……。
里の中央で、山のように巨大な土龍の長テラドーラをいたぶるように踏みつけ、不気味に笑う『漆黒の鎧を纏った騎士』の姿だった。
「……なんだ、お前は。ただの眷属には見えないな」
俺が深淵の大剣を突きつけると、騎士は血のような赤い瞳を細め、愉悦に満ちた声で笑い声を上げた。
「ククク……よくぞこの深淵まで辿り着いた、矮小なる人間ども。我が名は『大地の処刑人』ゴライアス。偉大なる邪竜アジ=ダハーカ様の意志を継ぐ、『四天王』が一人だ」
四天王。
そんな存在がいることなど、これまでの伝承にも、イグニスの話にも一切出てこなかったイレギュラーだ。圧倒的な力を持つ邪竜に、さらにこんな規格外の側近が四人もいるというのか。
ゴライアスは漆黒の巨大な剣を抜き放ち、圧倒的な絶望のオーラを里全体に放った。
「この老いぼれの土龍は、もはや我ら深淵の糧となるのみ。貴様らも、その愚かな希望ごとここで圧殺してくれよう!」




