第73話 崩壊の空と、受け継がれし風の証
天空迷宮の最深部、虚空の祭壇の奥で輝く巨大な転移門。
俺たちがその光の渦を抜けた先に広がっていたのは、本来であれば雲海を見下ろす美しい天空の楽園――『風龍の里』であるはずだった。
「……ひどい有様だな」
俺は深淵の剣盾を構えたまま、目の前の光景に低く呟いた。
美しい翠銀の石で造られた竜の巣や神殿は無残に砕け散り、空は邪竜の障気によって赤黒く淀んでいる。
そして、その淀んだ空から次々と湧き出しているのは、障気に完全に思考を乗っ取られた巨大な四枚羽の魔獣――『凶風の飛竜』の大群だった。
『退クナ!! 結界ヲ維持セヨ!! 我ラ風龍ノ誇リニカケテ、里ヲ護リ抜クノダ!!』
広場の中央で、全身傷だらけの若い風龍が悲痛な咆哮を上げている。
彼を中心に、数頭の生き残りの風龍たちが円陣を組み、必死に風の防御結界を張っていた。だが、圧倒的な物量と障気の毒に当てられ、結界は今にもパリンと割れそうなほどにヒビ割れている。
限界は、誰の目にも明らかだった。
「……レイア、シルヴィア、レオナ。そしてセツナ。……出番だ」
「「「はいっ!!」」」
俺の号令と共に、四人の乙女たちが大地を蹴った。
『ガァァァァァァッ!!』
結界が破れるのを待ちきれず、数十頭の飛竜が一斉に風龍たちへ急降下を仕掛ける。
風龍の若き長が死を覚悟して目を閉じた、まさにその瞬間だった。
「――お待たせしました!」
上空に割り込んだのは、レイアだった。
彼女は空中を蹴り、魔法剣の刀身にありったけの魔力を込める。
だが、その魔力は彼女一人のものではない。左手の薬指に輝く『三位一体の風環』を通じて、後方にいるシルヴィアとレオナから、底なしの魔力がレイアの剣へと流れ込んでいるのだ。
「フハハ! 私の魔力、全部持っていけ!!」
「出力調整は私がやるわ! 遠慮なく振り抜きなさい、レイア!」
「――『絶風刃・三連星』!!」
レイアが振るった一振りは、ただの剣閃ではなかった。
三人の魔力が融合し、極限まで高められた絶対的な「盾」にして「鉾」となる巨大な真空の衝撃波。
それが空を薙ぎ払った瞬間、急降下してきていた数十頭の飛竜の群れが、文字通り「見えない巨大な壁」に激突したかのように空中で完全に粉砕された。
『……な、何者ダ……!?』
若い風龍が、驚愕に目を見開く。
だが、驚くのはまだ早い。
飛竜の群れが、仲間を殺されたことで一斉に上空のレイアへと標的を変えた時だ。
「……私の風からは、逃げられませんよ」
虚空から、冷たく澄んだ少女の声が響いた。
次の瞬間、飛竜たちの群れの中で、翠色の閃光が「Z」の軌道を描いて不可視の速さで乱舞した。
セツナだ。
彼女の手には、神代級ダガー『嵐穿の虚空刃』。
彼女がダガーを投擲すると、刃は空間そのものを切り裂いて飛竜の急所を貫き、風の軌道を通って一瞬でセツナの手元へと戻ってくる。
投擲と回収のタイムラグが「ゼロ」。
さらには、風の魔力を完全に支配したセツナ自身が、ダガーが切り拓いた風の道を滑るように空中を自在に跳躍している。
それはもはや戦闘ではなく、一方的な蹂躙――芸術的な暗殺の舞だった。
「ガァ……ッ!?」
「ギィャァァァッ!!」
ものの数分。
俺が一度も剣を振るうまでもなく、里を覆い尽くそうとしていた飛竜の大群は、一匹残らず霊峰の雲海へと墜落していった。
◆
「ふぅ……。新しい装備のテストには、ちょうどいい相手だったわね」
シルヴィアが息を整えながら、魔導書を閉じる。
三乙女もセツナも、息一つ乱していない。彼女たちは間違いなく、この霊峰の過酷な試練を経て「最高」の次元へと到達していた。
俺はゆっくりと歩みを進め、茫然としている風龍たちの前へと立った。
『……貴殿ラハ。一体、何者ナノダ。我ラヲ、救ッテクレタノカ……?』
若い風龍――今の里をまとめている長が、警戒と畏怖の入り混じった声で問いかけてきた。
その瞳には、火龍や水龍の長と同じように、余所者に対する強い不信感が宿っている。
「俺はクロウ。ただの通りすがりのサバイバーだ。……あんたが、今の風龍の長か?」
『……イカニモ。我ハ、疾風ノ長・ゼファー。……貴殿ノ力ニハ感謝スル。ダガ、ココハ誇リ高キ風龍ノ聖域。人間ヲ歓待スル余裕ハ、今ノ我ラニハ無イ……』
ゼファーは痛む身体を庇いながらも、気高く首を上げた。
「宝玉を求めて来たのなら、帰れ」と、その目が語っている。
俺は小さく息を吐き、静かに首を振った。
「歓待してほしいわけじゃない。……ただ、昔の知り合いから、あんたたちへの『預かり物』があってな。それを届けに来ただけだ」
俺はアイテムボックスから、古びた、だが強力な魔力を宿した石板を取り出した。
地下5階層の迷宮で、元族長の魂から託された『風龍の正統なる継承の証』だ。
それを見た瞬間、ゼファーをはじめとする生き残りの風龍たちが、雷に打たれたように硬直した。
『……ソ、ソレハ……! まさか、何百年モ前ニ、里ヲ守ルタメニ地下迷宮ヘト下リ、二度ト帰ラナカッタ、我ガ偉大ナル祖父……大族長ノ石板!? な、ナゼ、人間ノ貴殿ガソレヲ……!』
ゼファーの声が、隠しきれない動揺でひび割れる。
俺は隣に立つセツナに視線を向けた。彼女は静かに頷き、その腰から翠色に輝くダガー――『嵐穿の虚空刃』を抜き放った。
神代の風の魔力が、里を優しく包み込む。
その風に触れた瞬間、風龍たちの瞳から、警戒の色が完全に抜け落ちた。
『アア……。マチガイナイ。ソレハ、大族長様ノ魂ノ欠片……。アレホドマデニ荒レ狂ッテイタ迷宮ノ風ガ、今ハ、コンナニモ穏ヤカニ……』
「……あの方は、ずっと迷宮の底で、障気と闘いながらあなたたちを守り続けていました」
セツナが、透き通るような声で語りかける。
「障気に呑まれ、自我を失いながらも……最期の最期まで、この里の風を案じておられた。……私たちが、その悲しい風を断ち切り、魂を空へと還しました。これは、あの方から託されたものです」
セツナの言葉に、ゼファーはポロポロと、大粒の涙をこぼした。
巨大な風龍が、まるで子供のように声を上げて泣いていた。
周囲の風龍たちも皆、深く首を垂れ、長い間迷宮に縛られていた彼らの偉大な先達へ、静かな祈りを捧げている。
やがて、涙を拭ったゼファーは、俺とセツナの前に深く、地を這うように頭を下げた。
『……クロウ殿。ソシテ、清ラカナ風ノ娘ヨ。我ラノ無礼ヲ、ドウカ許シテホシイ』
ゼファーは顔を上げ、その瞳に確かな信頼と敬意を宿して俺たちを見つめた。
『大族長様ノ魂ヲ救イ、我ラノ里ヲ滅ビカラ救ッテクレタ。貴殿ラハ、我ラ風龍一族ノ「真ノ恩人」デアリ、新タナル風ノ導キ手ダ。……我ラハ、貴殿ラニ全面的ニ協力シヨウ』
ゼファーはその胸元から、空の青さをそのまま閉じ込めたような透き通る宝玉――『風龍の宝玉』を取り出し、俺の手へと恭しく預けた。
「……ありがとう。確かに受け取った」
俺が宝玉を握りしめると、ゼファーはさらに言葉を続けた。
『邪竜ノ封印ハ、既ニ限界ヲ迎エツツアル。……残ルハ、大地ノ奥底ニ眠ル「土龍ノ里」。あソコノ長ハ、我ラノ中デモ最モ頑固デ、最モ古イ龍ダ。……ダガ、貴殿ラデアレバ、必ズヤ彼ノ心モ動カス事ガ出来ルダロウ』
「ああ。任せておけ。……四つの宝玉を揃えて、必ず世界を繋いでみせる」
火、水、そして風。
過酷なサバイバルと、死線を越えた仲間たちの成長を経て、ついに三つの宝玉が俺たちの手の中に揃った。
「さあ、みんな。残るはあと一つだ。……最高の仲間と一緒に、一気に最後まで駆け抜けるぞ」
俺の言葉に、レイア、シルヴィア、セツナ、レオナ、そしてタマモが力強く頷く。
崩れかけていた風龍の里に、新たな希望の風が吹き抜けていた。
次なる目的地は、大地の底――『土龍の里』。
俺たちは、邪竜討伐に向けた最後のピースを求めて、新たな一歩を踏み出したのだった。




