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第66話 絶対零度の猛攻と、氷を溶かす雪中鍋

過酷なクレバスを乗り越え、氷窟を抜けた俺たちの目の前に広がっていたのは、視界の果てまで完全に凍りついた巨大な湖だった。


空には分厚い雪雲が立ち込め、太陽の光すらも遮断する『絶対零度』の世界。ここが、四季の霊峰における第二の目的地――『水龍の里』の領域だ。


キャンピングカー(タロウ号)を氷湖の入り口に停め、俺たちは外の強烈な冷気に備えて外套の襟を立てた。


吹き荒れる風の音を聞きながら、シルヴィアがふと、何かを確かめるように口を開いた。


「……ねえ、クロウ。一つ気になっていたことがあるのだけれど」


「なんだ?」


「ここへ来る途中の、あの異常なまでの吹雪と、狂乱した鎧熊アーマーベアの群れ。……あれが邪竜の障気に当てられた魔境の本来の姿だとしたら、私たちが最初に向かった『火龍の里』への道程は、あまりにも平穏すぎたと思わない?」


シルヴィアの鋭い指摘に、レイアやセツナもハッとしたように顔を見合わせた。


確かにその通りだ。火龍の里へ向かう岩肌の道中には、強力な魔物はおろか、障気に当てられた狂暴な獣の一匹すら姿を見せなかった。まるで、あらかじめ綺麗に『掃除』されていたかのように。


「……イグニス、か」


俺がその名を口にすると、仲間たちが息を呑んだ。


帝都の別荘に現れた、漆黒の礼装を纏うエルダー・ドラゴンの老紳士。


「ええ。彼が事前に火龍の長へ話を通していたか、あるいは私たちの歩く道だけ、彼自身の圧倒的な魔力で魔物を退けていたか……。どちらにせよ、あの老竜はただの『案内人』の枠には収まらない、底知れない力を持っているわ」


「フン。わらわの覇気にも顔色一つ変えなかったジジイじゃからな。あの腹の底には、邪竜とはまた別の、深い闇を抱え込んでおるやもしれんぞ」


タマモが腕を組みながら、大人びた口調で同意する。


「……ああ。味方であるうちは心強いが、全幅の信頼を置くにはまだ謎が多すぎる。だが、今は目の前の問題に集中しよう。イグニスが手を回してくれていたのが火龍の里までだったとしたら……ここから先は、正真正銘、俺たちの実力だけで道を拓かなきゃならない」


俺がそう言って、腰の『伝説級:深淵の剣盾』に手を添えた、まさにその瞬間だった。


ピキッ、ピキピキピキィッ……!!


足元の分厚い氷湖に、巨大な亀裂が走る音が響いた。


「……みんな、武器を構えろ。歓迎の挨拶にしては、少しばかり手荒いようだぞ」


俺の言葉と同時。


猛吹雪の向こう側、そして砕け散った氷湖の底から、水晶のように透き通った蒼い鱗を持つ巨大なドラゴンたちが、十数頭も一斉に姿を現し、俺たちを完全に包囲した。


『……火の臭いがする。我らが忌み嫌う、野蛮なる炎の眷属の臭い。そして、見慣れぬ矮小な二本足ども』


吹雪を切り裂くように、頭の中に直接響く冷たく澄んだ声。


群れの中から、ひときわ巨大で、吹雪をドレスのように纏う優美な姿をしたドラゴンが進み出た。彼女こそが水龍の長だ。


その蒼い瞳には、邪竜の障気による強い疑心暗鬼と、明確な殺意が宿っていた。


「誤解だ。俺たちは火龍の刺客じゃない。……ただ、ついさっき火龍の里で美味い肉を焼いてきたばかりだから、少し香ばしい匂いが染み付いているだけだ」


俺が静かに語りかけるが、水龍の長は鋭い氷の牙を剥き出しにして咆哮を上げた。


『黙れ! 邪竜の障気に狂った火龍どもが、ついに我らを滅ぼすために下等な人間を差し向けたか! 誇り高き水龍の魂を不浄な炎に渡すなどあり得ぬ! 貴様らもろとも、永遠の氷壁に閉ざしてくれる!!』


彼らの心は、障気のせいで完全に閉ざされている。言葉で誤解を解くフェーズは、すでに通り過ぎていた。


「……仕方ない。みんな、殺すなよ! 相手の力を殺ぎ、俺たちの技量を見せつけるだけでいい!」


「「「了解!!」」」


俺の号令と共に、極寒の氷湖を舞台にした激しい戦闘が幕を開けた。


『グルルルォォォォッ!!』


一頭の水龍が巨大な顎を開き、触れるものすべてを氷像に変える『絶対零度の吹雪ブレス』を放ってきた。広範囲を覆い尽くす死の冷気。


だが、その前にシルヴィアが静かに進み出た。


「……大味すぎるわね。冷気は広げるんじゃなく、一点に集束させるのよ」


彼女が手にした『伝説級:星砕きの竜弓』から放たれたのは、極限まで魔力を圧縮した一本の光の矢だった。


その矢は広範囲の吹雪を真っ向から貫き、水龍の口内の魔力器官の『ほんの数ミリ横』を正確に撃ち抜いた。


『ギャッ……!?』


魔力の流れを乱された水龍のブレスが不発に終わり、むせ返るように後退する。殺傷せず、無力化だけを狙った完璧な狙撃だ。


「ハァァァァッ!!」


別の水龍が、硬い氷の尾を鞭のようにしならせてレイアへと薙ぎ払う。


直撃すれば城壁すら粉砕する一撃。だが、レイアは氷の上を滑るようにステップを踏み、手首の柔らかなスナップで魔法剣の腹を尾に添えた。


ズリュッ!!


『……なっ!?』


エリーゼ師匠直伝の『受け流し(パリィ)』。


水龍の放った莫大な運動エネルギーは、レイアの剣によって軌道を完全に上空へと逸らされ、水龍自身が体勢を崩して氷湖に派手に転倒した。


「力任せの攻撃なら、私には当たりませんよ!」


レイアが凛とした声で剣を構え直す。


「フハハハッ! 氷のトカゲ共、相手になるぞ!!」


レオナは猛烈な勢いで突進してきた水龍に対し、逃げることなく正面からハルバードの柄を突き出し、その巨大な顎をガッチリと受け止めた。


獅子の獣人としての爆発的な膂力。足元の分厚い氷がミシミシとひび割れる中、彼女は水龍との純粋な力比べに一歩も引かず、最後は雄叫びと共に水龍の巨体を強引に投げ飛ばしてみせた。


そして、猛吹雪で視界が遮られる中。


『どこへ消えた……!?』


水龍たちが標的を見失って混乱する中、彼らの死角である雪煙の中から、気配と殺気を完全に断ち切ったセツナが音もなく躍り出た。


彼女の双剣の峰が、水龍たちの首筋にある神経の集中する急所を、次々と正確に叩いていく。


『ガ、ァ……ッ』


声なき悲鳴を上げ、数頭の水龍が意識を刈り取られて氷の上に崩れ落ちた。


「……みんな、頼もしくなったな」


俺は仲間たちの動きを視界の端で捉えながら、静かに息を吐いた。


15年前の俺なら、生き残るために手段を選ばず、この水龍たちの命を確実に奪っていただろう。だが今は、これほどまでに背中を預けられる仲間たちがいる。命を奪わずに制圧する余裕があるのだ。


『おのれ……! 矮小な人間どもが、我らを愚弄するか!!』


水龍の長が、仲間たちが次々と無力化されていくのを見て激昂した。


周囲の吹雪がさらに激しさを増し、長の全身から氷の刃が何十本も生え揃う。


『我の牙で、貴様らを一思いに粉砕してくれよう!!』


長が大地を蹴り、巨大な氷の槍となって俺へと突進してくる。


その速度と質量は、先ほどの火龍を凌駕するほどの一撃だった。


だが、俺は武器を抜かない。


全身の筋肉を弛緩させ、呼吸を整え、完全に『ゼロ(脱力)』の状態を作る。


長の巨大な顎が俺を捉える、コンマ数秒の瞬間。


「……シッ!」


俺の肉体が、爆発的な連動を起こした。


ゼロから100へ。


俺は突進してくる長の前方へと自ら踏み込み、その鼻先を紙一重で躱しながら、瞬時に抜刀した『伝説級:深淵の剣盾』のひらを、長の柔らかい首の側面にピタリと押し当てた。


「――勝負ありだ」


『……ッ!?』


長は完全に動きを止めた。


もし俺が剣の刃を立てていれば、長の首は一瞬で両断されていただろう。


圧倒的な速度と、完璧な死の予感。それを突きつけられながらも命を奪われなかった事実に、水龍の長は恐怖ではなく、深い驚愕の表情を浮かべた。


「……なぜ、斬らぬ」


長が、震える声で問う。


「俺たちは、お前たちと殺し合いに来たわけじゃない。……ただ、意固地になっている連中に話を聞いてもらうには、こうしてお互いの『力』を確かめ合うのが一番早いと思っただけだ」


俺は静かに大剣を鞘に収め、一歩退いた。


「俺たちは、邪竜の障気を防ぎ、この山を……そして世界を生き残らせるためにここへ来た。お前たちの誇りは、俺たちがこの剣で確かめた。見事な吹雪だったよ。……だから次は、俺たちの話を少しだけ聞いてくれないか?」


水龍の長は、俺の真っ直ぐな視線と、一切の殺気を持たない仲間たちの姿を見て、やがてゆっくりと氷の刃を解き、深く頭を下げた。


『……完敗だ。我らの全力の吹雪を、誰一人殺さずに凌ぎ切るとは。貴殿らの技量、そしてその大きな器……火龍の刺客などと疑った我が身の愚かさを恥じよう』


長が降伏を宣言すると、周囲で倒れていた水龍たちも次々と身を起こし、俺たちに対する敵意を消し去っていった。



「さて……誤解も解けたところで、少し休憩にしよう。吹雪の中で激しく動いたせいで、みんな腹も減っただろう」


風が少しだけ弱まった氷湖のほとり。


俺はアイテムボックスから、使い慣れた巨大な鉄鍋を取り出し、魔導コンロの上に設置した。


『人間よ、何をしているのだ?』


水龍の長が、不思議そうに首を傾げる。


彼ら水龍は、氷の湖で獲った魚や魔物を、凍らせたまま生で食べるのが常だった。火を使って調理をするという概念自体が、彼らにとっては未知のものなのだ。


「まぁ見ててくれ。寒さを凌ぐための、サバイバルの知恵だ。……お前たちにも、美味いもんを振る舞ってやるよ」


俺は鍋にたっぷりの水を張り、先ほどの火龍の里で分けてもらった『火龍の骨』からじっくりと取った濃厚な出汁スープを投入した。


そこに、ノースランドで仕入れておいた特大の海鮮(タラバ蟹や白身魚のぶつ切り)、そして身体を内側から温める根菜類、さらに獣人村の黄金スパイスを独自の配合でブレンドして加えていく。


グツグツと煮え滾る音と共に、氷の世界には似合わない、強烈に食欲をそそる芳醇な香りが立ち昇り始めた。


仕上げに、雪国の特産品である魔力草を練り込んだ太めの麺を投入し、旨味をすべて吸わせる。


「よし、できたぞ。特製の『雪中鍋』だ。……熱いから気をつけて食べろよ」


俺が巨大な取り皿に分け与えると、水龍たちは恐る恐るその温かいスープと具材を口に運んだ。


『…………ッ!!』


一口食べた瞬間、水龍たちの瞳が見開かれた。


『な、何だこの信じられないほどの温もりは……!? 凍てついていた体内の魔力回路が、一気に溶かされ、活性化していくのがわかる……!』


『しかも、この深い味わい。我らが普段食している生肉とは、まるで別の食べ物のようだ。魚介の旨味と、火龍の骨から出た力が、完璧に調和している……っ!』


普段は冷たい食事しか知らない水龍たちにとって、心と身体を同時に温める『鍋料理』の破壊力は凄まじかった。


彼らは夢中で鍋を囲み、あっという間に巨大な鉄鍋を空にしてしまった。


「ふふっ、みんな美味しそうに食べてるわね。……クロウの料理は、本当にどんな種族の心も溶かしてしまうわ」


シルヴィアが、微笑ましくその様子を見つめている。


水龍の長――リヴァイアと名乗ったその美しいドラゴンは、スープを最後の一滴まで飲み干すと、満足そうに深い溜め息をつき、俺の前に進み出た。


『クロウ殿。貴殿らの見事な武技、そしてこの身も心も温まる素晴らしい膳……しかと我らの魂に刻み込まれた』


リヴァイアは静かに目を閉じ、自身の胸元から、湖のように深く澄んだ蒼い宝玉――『水龍の宝玉』を取り出した。


『我ら水龍の里は、貴殿らを真の友として歓迎しよう。この宝玉、どうか邪竜の障気を退けるために役立ててほしい』


俺は差し出された宝玉を、しっかりと受け取った。


「……ありがとう、リヴァイア。これで、火と水の二つが揃ったな」


『ええ。……クロウ殿。残る風と土の長たちも、我らと同じように意固地になっているはず。だが、貴殿らであれば、必ずや彼らの心をも繋ぎ合わせることができると確信している』


リヴァイアと水龍たちに見送られながら、俺たちは再びタロウ号へと乗り込んだ。


猛烈な吹雪だった水龍の里にも、今はどこか温かく、穏やかな空気が流れている気がした。


俺たちは仲間たちと顔を見合わせ、静かに頷き合う。

次の目的地は、空を舞う『風龍の里』。


どんな強敵が、どんな過酷な環境が待っていようと、今の俺たちなら絶対に乗り越えられる。そんな確かな自信を胸に、タロウ号はさらなる霊峰の高みを目指して進み始めたのだった。


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