第65話 絶対零度の道標と、氷雪のサバイバル
火龍の里の長、ヴォルガノスから『火龍の宝玉』を預かった俺たちは、タロウ号(移動式拠点)をさらに霊峰の上層へと進めていた。
「……信じられないわね。本当に、数歩進んだだけで別世界だわ」
シルヴィアが、窓に張り付いた氷の結晶を指で拭いながら呟く。
彼女の言う通り、火龍の領域を抜けた途端、肌を焼くような熱気は嘘のように消え失せ、代わりに肺を凍らせるような極寒の吹雪がタロウ号を容赦なく打ち据え始めたのだ。
四季の霊峰の特異な環境。夏から冬への強制的な切り替わりは、俺たちの想像以上に過酷な道のりだった。
「ガ、ガルルゥ……ッ」
牽引役である暴君地竜のタロウの足取りが、目に見えて重くなっていた。
元々、地竜は寒さに強い種族ではない。分厚い鱗を持っているとはいえ、膝まで埋まるほどの深雪と、視界を完全に奪う猛吹雪は、彼から猛烈な勢いで体力を奪い続けている。
「クロウさん、タロウが限界近いです! 車輪も雪に深くハマって、これ以上進むのは危険かと……!」
御者台の隣で、厚手の毛皮のポンチョに身を包んだレイアが、強風に声を掻き消されないように叫んだ。
俺は手綱を引き、タロウを巨大な岩陰へと誘導して停止させた。
「ああ、一旦休憩しよう。……タロウ、よく頑張ってくれたな」
俺がタロウの鼻面を撫でてやると、彼は申し訳なさそうに「クゥン」と喉を鳴らした。
キャンピングカーの周囲は、すでに一寸先も見えないホワイトアウト状態だ。俺には『状態異常完全無効』があるため寒さは問題ないが、仲間たちの体力と魔力は、結界を維持しているシルヴィアを中心に削られ続けている。
「……順調とはいかないな。邪竜の障気が濃くなっているせいで、自然の吹雪に『魔力的な冷気』まで混ざり始めている」
俺は車内に戻り、状況を整理した。
「みんな、聞いてくれ。ここから先はタロウ号の車輪じゃ進めない。……だが、歩いて越えるには、猛吹雪のリスクが高すぎる」
「じゃあ、どうするのじゃ? ここで春が来るのを待つわけにもいかんじゃろ?」
毛布にくるまりながら、タマモが身震いして尋ねる。
「道がないなら、作るまでだ。……俺が15年過ごした島でも、通れない道は木を切り倒して橋を架け、雪が深ければ足場を組んで進んできたからな」
サバイバルの基本は、環境に適応し、自らの手でリソースを管理して活路を開くことだ。
俺はアイテムボックスから、以前バベルの深層で大量に伐採しておいた『深海沈没木』の木材と、火龍の里で採取してきた『溶岩の残り火を宿した石』を取り出した。
「レオナ、セツナ。俺と一緒に外の作業を手伝ってくれ。レイアとシルヴィアは車内の防寒結界の強化と、タロウのケアを頼む」
「フハハ! 力仕事なら任せておけ!」
「はいっ、ご主人様!」
俺たち三人は吹雪の中へ飛び出した。
まずは、雪に埋まった車輪の下にアビス・ウッドの板を噛ませて足場を固める。さらに、溶岩の石を特殊な鉄の籠に入れ、タロウ号の前方に括り付けた。石から放たれる熱が、進路の雪を瞬時に溶かす『即席の魔導除雪機』の完成だ。
「よし、これで少しは進みやすくなるはずだ。……行くぞ!」
俺たちが歩みを再開しようとした、まさにその時だった。
『グルルルゥゥ……ッ!!』
吹雪の向こう側から、ただの風音ではない、明確な『殺気』と『飢え』を含んだ獣の咆哮が響いた。
地響きと共に現れたのは、体高が五メートルはあろうかという巨大な白い熊――『氷晶の鎧熊』の群れだった。
本来なら霊峰の奥深くにしか生息しないはずの彼らが、邪竜の障気に当てられ、狂乱状態となってこちらへ突進してきたのだ。
「……ただの雪道じゃ終わらせてくれないってわけか。迎撃するぞ!」
「おうっ!!」
レオナが猛吹雪の中でハルバードを構え、先頭の鎧熊の脳天へと強烈な一撃を叩き込んだ。
だが、カンッ! という硬質な音と共に、彼女の武器が弾き返される。
「硬いな! まるで鋼鉄の氷だ!」
「障気で魔力が暴走して、装甲が異常発達しているみたいです!」
セツナが双剣を振るいながら、素早く熊の側面に回り込む。
俺も深淵の剣盾を抜き放ち、前面に立った。
彼らは障気に操られているだけで、倒すべき真の敵ではない。だが、この猛吹雪の中で力任せに戦い続ければ、こちらの体力が先に底をついてしまう。
「……脱力から、一点突破(100)だ」
俺は呼吸を整え、突進してくる鎧熊の攻撃を紙一重で躱した。
そして、その強固な氷の鎧の関節部分――わずかな隙間へと、神層素材の大剣を滑り込ませた。
力任せに斬るのではない。テコの原理と魔力の振動を利用して、氷の装甲を内側から『剥がす』。
パァァァンッ!!
「ガアァァァッ!?」
装甲を失った熊の急所を、セツナの峰打ちが正確に叩き、意識を刈り取る。
レオナも俺の動きを真似て、力押しではなく遠心力を利用した足払いで、次々と巨体を雪原へと沈めていった。
「ふぅ……なんとか退けたな」
息を吐くレオナの肩には、うっすらと雪が積もっている。
だが、息をつく暇もなかった。
熊たちの突進の余波で、俺たちが立っていた雪原の奥が、メリメリと嫌な音を立てて崩れ落ちたのだ。
「クロウさん、危ない!!」
レイアの叫び声。
俺たちの目の前に、幅十メートルは下らない巨大な氷の裂け目が口を開けた。
底が見えないほどの漆黒の闇。タロウ号がここを飛び越えることは物理的に不可能だった。
「……道が、完全に塞がれたわね」
シルヴィアが車内から顔を出し、険しい表情でクレバスを見下ろす。
猛吹雪はさらに激しさを増し、このままここに立ち往生すれば、いくら魔導ヒーターがあっても全員が凍え死ぬのは目に見えていた。
「……諦めるな。道がないなら、作ればいい」
俺はアイテムボックスを全開にし、中に入っていたすべてのアビス・ウッドの木材を雪原にぶち撒けた。
「シルヴィア! 俺が木材を投げる。君の『魔力圧縮』した氷の矢で、木材同士を対岸の氷壁に縫い付けるように撃ち込んでくれ!」
「……なるほど、即席の橋を架けるのね。でも、強度が持つかしら?」
「俺のDIY技術を信じろ。アビス・ウッドの硬度は鉄以上だ。……行くぞ!」
俺は強風が吹き荒れる中、巨大な丸太をクレバスの対岸に向かって全力で放り投げた。
その丸太が空中に浮いた瞬間、シルヴィアの放った極大圧縮の氷矢が、丸太の端を貫き、対岸の氷壁へと深々と突き刺さる。
ガガァンッ!!
「次っ!」
俺の腕力と計算された投擲軌道、そしてシルヴィアの寸分の狂いもない精密狙撃。
二つの技術が完全にシンクロし、クレバスの上に、頑丈なアビス・ウッドの『橋』が次々と架けられていく。
「すごい……! クロウさんとシルヴィアさんの息が、ピッタリです!」
レイアが感嘆の声を上げる。
最後の丸太が氷壁に固定され、タロウ号の重量にも耐えうる頑強な橋が完成した時、俺は額の汗を拭って大きく息を吐き出した。
「よし、渡るぞ! タロウ、慎重にな!」
タロウが低い唸り声を上げながら、俺たちの作った橋をゆっくりと渡り切る。
最後尾で橋を渡り終えた瞬間、俺たちは極限の緊張感から解放され、雪の上にどっと座り込んだ。
「……ははっ、やったな。サバイバル成功だ」
「フハハ! お前のその無茶苦茶な発想、本当に最高だぞ、旦那様!」
レオナが俺の背中を豪快にバンバンと叩く。
◆
クレバスを越えた先にある巨大な氷窟の陰にタロウ号を隠し、俺たちはようやく本格的な休息を取ることができた。
「……冷え切った身体には、やっぱりこれだ」
車内。魔導ヒーターの前に置いた愛用の中華鍋から、猛烈な湯気が立ち昇っている。
俺が作ったのは、先ほど倒した『氷晶の鎧熊』から切り出した霜降り肉と、ノースランドで買った極太のネギ、そして黄金スパイスをふんだんに使った『極厚肉の熱々餡掛けスープ』だ。
片栗粉の代わりになる魔力草の澱粉を使ってとろみをつけ、スープが冷めにくいように工夫してある。
「はふっ……! あふっ……あつ、でも、美味しい……っ!!」
セツナがフーフーと息を吹きかけながら、涙目でスープを啜る。
レイアもシルヴィアも、無言でスプーンを動かしている。その表情からは、先ほどの死線の疲労がみるみるうちに溶け出し、魔力と活力が身体の隅々まで染み渡っていくのが見て取れた。
「……美味い飯を食って、仲間と火を囲む。どんなに過酷な環境でも、これさえあれば絶対に生き抜ける」
俺の言葉に、全員が力強く頷き返してくれた。
吹雪の音を子守唄代わりに、俺たちは深い眠りについた。
翌朝、氷窟を抜けた俺たちの目の前に広がっていたのは――視界の果てまで完全に凍りついた、巨大で美しい『絶対零度の湖』だった。
「着いたな……。ここが、水龍の里だ」
猛吹雪を越え、魔獣を退け、己の手で道を切り開いたからこその、圧倒的な達成感。
俺たちは、次なる宝玉を持つ水龍たちとの対峙に向け、確かな自信を胸に、凍てついた湖面へと足を踏み入れたのだった。




