第64話 火龍の洗礼と、魂を焼く深紅の甘味
ノースランドの都を後にし、タロウ号(移動式拠点)はさらなる北、天を突く『四季の霊峰』へと分け入った。
麓を支配していた白銀の景色は、標高を上げるごとにその色を塗り替え、ついには肌を焼くほどの熱気を孕んだ赤黒い岩肌へと変貌した。火龍の長、ヴォルガノスの加護が及ぶ『炎の領域』への侵入だ。
「……暑いわね。シルヴィア、結界を冷気側にシフトできる?」
「ええ、任せて。……でも、この熱気。ただの自然現象じゃないわ。山そのものが、外敵を拒絶するように拍動している」
レイアとシルヴィアが警戒を高める中、俺はタロウの手綱を強く握った。
突如、前方の溶岩の川が爆発するように跳ね上がり、三頭の火龍が俺たちの前に立ち塞がった。
『……止まれ、矮小なる者よ。ここから先は、命を燃やす覚悟なき者が踏み入る場所ではない』
中央の一頭が、喉の奥で炎を凝縮させながら、地響きのような声で警告を発する。
その瞳には、邪竜の障気による焦燥と、誇り高い種族ゆえの排他的な怒りが混ざり合っていた。
「俺たちは『四龍の宝玉』を借りに来た。……話し合いができるなら、それに越したことはないんだが」
俺が静かに告げると、火龍たちは嘲笑うかのように鼻から火の粉を吹き散らした。
『言葉など不要! 我らの理はただ一つ、強き者がすべてを食らうことのみ! 貴様らの価値、その身を焼いて証明してみせよ!!』
刹那、火龍が極大のブレスを吐き出した。
視界が真っ赤に染まるほどの灼熱。だが、俺は動じない。
「……レイア、レオナ。前を頼む」
「はいっ!」
レイアが魔法剣を抜き放ち、一歩前へ出る。
火龍の巨大な爪が、岩をも砕く勢いで彼女の頭上から振り下ろされた。だが、レイアは剣を力で迎え撃つことはしない。
手首の柔らかな返しだけで爪の側面に刃を添え、その破壊的な運動エネルギーを斜め後ろの岩壁へと受け流した。
ズォォンッ!!
岩壁が爆ぜる音。火龍が自身の勢いに体勢を崩した隙を、レオナが見逃さなかった。
「フハハ! 帝国最強の剣闘士を名乗った私が、この程度の熱気に屈すると思うなよ!」
レオナはハルバードを逆手に持ち、突進してくる別の火龍の顎に、柄の石突きを叩き込んだ。
爆発的な膂力。巨躯を誇る火龍の頭が強引に跳ね上げられ、その隙にシルヴィアの『極大圧縮』された魔法矢が、火龍の足元を寸分の狂いもなく射抜いて機動力を削ぎ落とす。
『おのれ……人間ごときが、何故これほどの……!』
「……俺たちが生き抜いてきた時間は、お前たちが思っているほど安くないんだ」
俺は静かにタロウ号から降り、正面の火龍と向き合った。
武器は抜かない。ただ、自然体でそこに立つ。
火龍は俺の隙だらけに見える構えに激昂し、その巨大な尾を薙ぎ払った。戦艦の主砲にも匹敵する衝撃。
だが、俺の視界には、その軌道がスローモーションのように見えていた。
『ゼロ』の脱力から、当たる直前の『100』の踏み込み。
俺は尾が触れる寸前、その円運動の内側へと滑り込み、火龍の懐に手のひらを添えた。
――発勁。
ジーク師匠から学んだ、衝撃を内側へ浸透させる理合。
『グハッ……!?』
火龍の巨体が、まるで内部で爆発が起きたかのように数メートル後退し、そのまま溶岩の岩場に沈み込んだ。
「……殺しはしない。だが、これで話を聞く気にはなったか?」
俺がそう告げた時、里の奥から、山そのものが動き出したかのような錯覚を覚えるほどの巨大な影が現れた。
全身が冷え固まった溶岩のように黒く、だがその隙間から真っ赤なマグマが脈動する老龍。
火龍の長、ヴォルガノスだ。
『……見事な技だ、人間。……いや、九郎と言ったか。貴殿らの武、しかとこの目に焼き付けた』
ヴォルガノスは、倒れた部下たちを叱責することなく、むしろ誇らしげに俺たちを見据えた。
その傍らには、先ほど力尽きて死んだと思われる別の火龍の遺体があった。
『此度の障気の影響で、若き戦士がまた一頭、命を散らした。……我らの流儀では、死した者は大地へ還り、同胞の血肉となる。……だが、障気に侵された肉は苦く、魂の輝きが失われているようでな。長として、これが最後にできる弔いだと思うと、忍びなくてな……』
その言葉に、俺は静かに頷いた。
無駄を嫌い、命を最後まで使い切る。それは、俺が15年間のサバイバルで最も大切にしてきた信念と同じだった。
「……その弔い、俺に手伝わせてくれないか。この戦士の命が、最高に輝く形でな」
◆
俺はアイテムボックスから、使い慣れた黒鉄の中華鍋と、バベルで精製した独自の調味料を取り出した。
今回作るのは、素材の旨味を凝縮させ、甘みと塩気で魂を震わせる調理法――『照り焼き』だ。
まず、切り出した最高級のモモ肉を、溶岩の熱を反射させた特製のグリドルで焼き上げる。
ドラゴンの脂は火を通すと、驚くほど芳醇な香りを放つ。
「……ここで、発酵させた穀物の抽出液(醤油代わり)と、砂糖キビから取った蜜、そして香草の蒸留酒を合わせる」
中華鍋の中で、それらの調味料が混ざり合い、激しい熱によって煮詰められていく。
醤油の香ばしさと、蜜が焦げてキャラメル状になる甘い香り。
それらが肉の表面に絡みつき、深紅の鱗を思わせるような、艶やかな飴色の輝きを肉に与えていく。
仕上げに、すり下ろした薬効成分の高い生姜の根を投入する。
ジュワッ、という音と共に、食欲を暴力的に刺激する香りが火龍の里全体に広がった。
「さあ、食べてくれ。……命を繋ぐことは、最高の悦びであるはずだ」
俺が差し出した『火龍の照り焼き』を、長ヴォルガノスは静かに、だが重々しく口に運んだ。
『…………ッ!!』
ヴォルガノスの黄金の瞳が、一瞬にして見開かれた。
『何だ、これは……。ただの焼肉ではない。この……甘美なまでのタレが肉の奥深くまで浸透し、戦士の魔力と一体化して、わしの身体を駆け巡る……!』
『ただ悲しみに暮れて食らうのではない。これほどまでに美味く、これほどまでに生命を肯定する味が……この世にあるとは……っ!』
他の火龍たちも、俺が手早く調理した分をむさぼるように食べ始めた。
彼らの顔から、障気による焦燥が消え、純粋に「食べる」という行為に没頭する喜びが溢れ出す。
「……ふぅ。喜んでもらえたみたいだな」
俺が汗を拭いながら微笑むと、ヴォルガノスは俺の前に膝をつくようにして首を下げた。
『九郎。……お前の武、そしてこの、命を最高に輝かせる知恵。……我ら火龍の里は、お前を真の盟友として認めよう』
長は、その胸元に隠し持っていた、太陽の欠片のように輝く紅い石――『火龍の宝玉』を俺の手へと差し出した。
『これを持っていけ。……だが、残る水、風、土の里の連中は、我ら以上に偏屈だ。……特にお隣の水龍の長などは、冷徹で知られる。……この「テリヤキ」の温もりが、あ奴の氷の心に届くことを願っているぞ』
俺は紅く熱い宝玉をしっかりと握りしめ、ヴォルガノスの爪に拳を当てた。
「……ああ、任せておけ。次は氷を溶かしに行ってくるよ」
こうして、俺たちは最初の一つ目の宝玉を手に入れた。
戦いによる実力の証明と、料理による魂の共鳴。
バラバラになったドラゴンの心を繋ぎ合わせる『世界救済のサバイバル』は、ここからさらに過酷な、絶対零度の領域へと加速していく。
次なる目的地は、吹雪吹き荒れる『水龍の里』。
俺たちはタロウ号を走らせ、さらなる霊峰の高みを目指して進み始めた。




