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第63話 北の最果て、凍える都と四龍の伝承

覇帝国ガレリアの帝都を出発してから、タロウ号(移動式拠点)はひたすら北を目指して走り続けていた。


街道の景色は、帝都周辺の豊かな緑から、次第に鋭い針葉樹が立ち並ぶ深い森へ、そしてついには地平線の彼方までを白銀が覆い尽くす、圧倒的な雪世界へと変貌を遂げた。


「……ふぅ。さすがに冷えてきたな」


俺はタロウ号の御者台に座り、手綱を握りながら白い息を吐き出した。


周囲の気温は、優に氷点下を下回っているだろう。

だが、俺には『状態異常完全無効』という理外のスキルがある。


突き刺さるような冷気も、肺を凍らせるような乾いた空気も、俺にとっては「ただの気温の変化」に過ぎない。

不快感こそあれど、体力が奪われることも、凍傷に罹ることもない。


だが、背後の車内にいる仲間たちは別だ。


暴君地竜のタロウが雪を踏みしめる重厚な音をBGMに、俺は車内へと声をかけた。


「みんな、寒くないか? 魔導ヒーターの魔力結晶、予備はあるから遠慮なく使えよ」


「……大丈夫です、クロウさん。シルヴィアさんの結界のおかげで、中はポカポカですよ」


仕切りを開けて顔を出したのは、レイアだった。

彼女は厚手の毛皮のポンチョに身を包み、赤くなった鼻を擦りながら微笑んでいる。


その奥では、シルヴィアが魔導書を片手に車内全体の温度を一定に保つ魔法を維持し、セツナは温かいスープを啜り、新入りのレオナは初めて見る大雪に「フハハ! 砂漠の闘技場とは正反対だな!」と興奮気味に窓の外を眺めていた。


「クロウ。……あまり無理をしないでちょうだい。あなたは平気かもしれないけれど、見てるこっちはヒヤヒヤするわ」


シルヴィアが、心配そうに俺を見つめる。


俺は苦笑し、「ああ、気をつけるよ」と短く答えた。


タロウ号が雪深い平原を抜け、帝国最北の重要拠点『北都ノースランド』へと至る長い坂道を登っていた時のことだ。


車内での談笑が途切れ、ふとした沈黙が訪れた。


その沈黙を破ったのは、いつもは元気いっぱいのレイアの、どこか震える声だった。


「……クロウさん。さっき、レオナさんに聞いたんです。エルダー・ドラゴンのイグニスさんが言っていた、『邪竜の障気』のこと」


俺は手綱を握る手に、無意識に力がこもるのを感じた。


「……ああ。聞いたか」


「はい。……その障気は、どんな防御魔法も、聖なる加護も突き抜けて、生物の精神を内側から腐らせるって。……そして、それに耐えられるのは、状態異常を無効化するスキルを持つクロウさんだけだって……」


レイアが俺の隣に座り込み、俺の漆黒の外套アビス・クロークの袖を、ギュッと握りしめた。


「それじゃ、邪竜の封印の深部へ行く時は……私たちは、置いてけぼりなんですか? クロウさんだけが、たった一人で、そんな恐ろしい存在と戦いに行かなきゃいけないんですか?」


レイアの瞳は、不安と、そして自分たちの無力さに対する悔しさで潤んでいた。


車内のシルヴィアも、セツナも、レオナも。そして俺の膝の上で丸まっていたタマモまでもが、一斉に静まり返り、俺の答えを待っていた。


俺は15年間、無人島で『独り』で生きることを強いられてきた。


誰にも頼らず、ただ孤独に魔物を屠って生き延びてきた。だから、昔の俺なら「お前たちは危ないからここで待っていろ。俺が一人で片付けてくる」と、迷わず言っていたはずだ。それが一番合理的で、確実な生存戦略だと信じていたから。


だが、今は違う。隣で震える彼女の手の温もりを知っている。


苦しい修行を共に越え、最高の仲間たちと絆を結んだ今。俺の孤独は、もう終わったのだ。


「……レイア」


俺は握りしめられた彼女の手に、自分の手を優しく重ねた。


「俺は伊達に15年も、地獄みたいな無人島を生き抜いてきたわけじゃない。……自分一人だけが生き延びて、大切な仲間を失うような結末を、『成功』と呼ぶつもりはないよ。……お前たちを置いていく気なんて、毛頭ない」


「でも……! 障気を防ぐ方法なんて……」


「だから、これから行くノースランドで『ある噂』を確認したいんだ。帝都の図書館の禁書庫で、俺が見つけた断片的な記録をな」


俺は仲間たちを見渡し、静かに、だが確かな自信を持って頷いた。


「北の霊峰に点在する四つのドラゴンの里。そこには、邪竜の障気を中和し、一帯を聖域へと変える『四龍の宝玉』という秘宝が伝わっているらしい。火、水、風、土……四つの属性の力を一つに合わせ、祠に捧げれば、お前たちを邪竜の足元まで導く『障壁の道』を作ることができるはずだ」


「四龍の宝玉……。本当に、そんなものが実在するのですか?」


「それをこれから確かめに行く。……ドラゴンたちはプライドが高く、部族間の仲も最悪らしい。だが、そんな連中をまとめ上げて宝玉を借り受ける。それが、俺たちが全員で生き残るための道だ」


俺の言葉に、車内の空気がふっと軽くなった。


絶望的な予感に沈んでいた彼女たちの瞳に、再び希望の光が宿る。


「……ふふっ、いいわね。困難な道であればあるほど、攻略のしがいがあるというものよ」


シルヴィアが柔らかく笑い、竜弓の弦を爪で弾いた。


「ご主人様が行く道なら、私がすべて掃除してみせます」


セツナが影の中から、琥珀色の瞳を鋭く輝かせる。


「ガハハ! 私は剣闘士だぞ、相手がドラゴンだろうと力と技で語り合ってやる!」


レオナがハルバードを叩き、武人らしい勇猛な声を上げた。


「……よし。方針は決まった。ノースランドに着いたら、まずは飯だ。この寒さで凍えた身体を、北の地の美味いもんで温めるぞ」


「「「おおーっ!!」」」


数時間後。


厚い雪雲の切れ間から、沈みかけた夕陽が差し込み、白銀の世界をオレンジ色に染め上げたその時。俺たちの目の前に、天を突くほど巨大な石造りの城門が姿を現した。


「――あれが、帝国最北の都。ノースランドか」


城壁には、常に熱を発する魔導回路が組み込まれているのだろう。積もった雪が湯気となって立ち昇り、街全体が巨大な生き物のように白く煙って見える。


俺がかつて住んでいた札幌を彷彿とさせる光景に、さらにファンタジーと軍事要塞の要素を煮詰めたような、不思議と懐かしさを覚える街並みだった。


タロウが「ガウッ!」と、長旅の終わりを告げるような咆哮を上げる。


城門を潜れば、そこには極寒を耐え忍ぶ人々の熱気と、雪国ならではの豊かな文化が広がっていた。


「……へぇ、こりゃすごいな」


街に入った瞬間、俺は感嘆の声を漏らした。


石畳の両脇には、雪の下に埋まることを前提としたアーケード状の通りが続き、そこかしこの屋台から、海の幸を焼く香ばしい匂いと、スパイスの効いた煮込み料理の湯気が吹き出している。


「クロウ、あっちを見て! 巨大な蟹が……あんなに大きな蟹、見たことないわ!」


「わらわも、あっちのホタテというやつが気になるのじゃ! 早く降ろせ、クロウーっ!」


車を停める前から、シルヴィアやタマモが身を乗り出して騒ぎ始める。


俺はギルド直轄の駐車場にタロウ号を停めると、しっかりと雪対策の装備を整え、仲間たちを引き連れて街の探索を開始した。


「まずは情報の集まりそうな場所……ギルド併設の酒場『賢者の灯火』へ行こう。……それとタマモ、今日は特別だ。大人の姿になってもいいが、あまり目立ちすぎるなよ?」


「くふふ、わかっておる。……だが、わらわの美貌を隠しきれるかどうかは保証せぬぞ?」


ポンッ、という音と共に、俺の隣には絶世の美女となったタマモが現れる。


案の定、すれ違う北国の戦士たちが「おい、見ろよあの女……」「女神か何かか?」と足を止めて見惚れているが、今の俺たちにはそれにかまっている時間はなかった。


酒場『賢者の灯火』の扉を開けると、そこは薪ストーブのパチパチという音と、ガハガハと笑い合う荒くれ者たちの喧騒で溢れていた。


「いらっしゃい! ……おっと、南の方から来たお貴族様か? 随分と上等の外套を纏ってるじゃねえか」


カウンターの奥で、自身の腕ほどもある巨大な蟹の足を包丁で叩き割っていた店主の老人が、俺たちを見てニヤリと笑った。


その手際は、俺の目から見てもかなりの熟練だ。


「……名誉貴族のクロウだ。この街で一番詳しく、ドラゴンの里の伝承を知っている奴を探している」


俺がそう切り出すと、酒場の喧騒が波が引くように静まり返った。


奥の席でエールを煽っていたドワーフや、毛皮を纏ったベテラン冒険者たちが、値踏みするように俺たちを見つめる。


「……ドラゴンの里、だって?」


「おいおい、兄ちゃん。あそこは今の時期、邪竜の不吉な障気でドラゴン共がピリピリしてる。近寄るだけで炭にされるぞ」


店主は割った蟹の身を皿に盛ると、俺たちの前にドンッと置いた。


「ま、これでも食って落ち着け。……『四龍の宝玉』のことだろ? あの古い御伽噺を本気で信じてここまで来たのは、あんたらが初めてじゃねえが……生きて帰ってきた奴は、これまで一人もいないんだ」


「……だろうな。だが、俺たちは引き返すつもりはない」


俺は差し出された蟹の身を一口食べた。


バターと、わずかな海塩。そして、ドラゴンの魔力すらも吸い上げて育ったという特産の野菜。


その旨味は、俺の舌を震わせ、魔力回路を活性化させるほどのエネルギーを秘めていた。


「……美味いな。サバイバルにおいて、美味い飯は何よりの活力だ。……店主、教えてくれ。四季の霊峰への道と、里の入り口を」


俺が銀貨を数枚、カウンターに静かに置くと、店主はしばらく俺の目を見つめ――やがて、観念したように鼻を鳴らした。


「……いい目だ。ただの観光気分じゃねえな。……いいだろう、教えてやる。だが一つだけ忠告だ。……火、水、風、土。それぞれのドラゴンたちは、今の邪竜の障気のせいで互いを疑い、争っている。……宝玉を手に入れたければ、力でねじ伏せるだけじゃダメだ。奴らの『誇り』を認めさせ、バラバラになった心を繋ぎ止めなきゃならんぞ」


「……心を繋ぐ、か」


俺は仲間の顔を見た。


レイア、シルヴィア、セツナ、レオナ、そしてタマモ。


15年前、一匹の『獣』として生きていた俺に、仲間という絆を教えてくれた彼女たちがいる。


ドラゴンたちがどれほど偏屈で頑固だろうと、誠意と、美味い飯と、決して折れない意志を見せつければ、道は拓けるはずだ。


「わかってる。……ドラゴンたちの胃袋も心も、まとめて掴んでくるよ」


俺は蟹の身を完食し、静かに立ち上がった。


明日、俺たちは北の最果て、四季の霊峰へと足を踏み入れる。


邪竜アジ=ダハーカとの最終決戦に向けた、過酷なサバイバルがいよいよ本格的に始まろうとしていた。


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