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第62話 古の来訪者と、崩れゆく封印

帝都での個別デートという、甘く穏やかな休息を経て、俺たちの別荘には再び賑やかで平穏な日常が戻っていた。


リビングの大きな深海沈没木アビス・ウッドのテーブルには、俺がキッチンで腕を振るった『火竜のバラ肉と黄金スパイスの豪快炒め』や、シルヴィアが森で摘んできたハーブのサラダ、そしてレオナが市場で仕入れてきた最高級の果実が並んでいる。


「ふははは! この火竜の肉、修行のおかげでさらに旨味を引き出せるようになったな、クロウ!」


レオナが骨付き肉を豪快に頬張り、尻尾をご機嫌に揺らす。


「そうね。魔力を一点に『圧縮』して、細胞を壊さないように熱を通す……。料理も魔法も、本質は同じだわ」


シルヴィアも優雅にワインを傾けながら、俺の成長を誇らしげに見つめていた。


だが、そんな和やかな宴の最中。


――その『気配』は、音もなく、だが圧倒的な質量を持って俺たちの屋敷を包み込んだ。


「……ッ!?」


真っ先に反応したのは、俺とタマモ、そして暗殺者のセツナだった。


俺は箸を置き、静かに『伝説級:深淵の剣盾』の柄に手を添える。セツナはすでに気配を消し、リビングの影へと溶け込んでいる。


「……何じゃ、この濃密な魔力は。タマモの覇気とも、あの若造の竜たちとも違う……もっと、古くて、重い……」


レイアが魔法剣の鞘を握り、緊張に表情を強張らせる。


庭のタロウが、これまでにないほど怯えた様子で「クゥーン……」と小さく鳴き、地面に伏せているのがわかった。


「……皆さん、落ち着いてください。敵意は……今のところ感じられません」


俺は立ち上がり、エントランスの重厚な扉へと歩み寄った。


扉の向こう側に立っているのは、間違いなくこの大陸のことわりから外れた存在だ。


ギィ……と扉を開くと、そこには月光を背負った一人の老紳士が静かに佇んでいた。


白髪を綺麗に整え、汚れ一つない執事服のような漆黒の礼装に身を包んでいる。手には細いステッキを持ち、その双眸は夜の海のように深く、知性に満ちていた。


「夜分に失礼いたします。……アルカディアの英雄、クロウ殿とお見受けする」


老人は、優雅に、完璧な所作で一礼した。


その姿はただの人間に見えるが、俺の『ハイヒューマン』としての感覚は、彼の背後に、天を衝くほどの巨大な黄金の翼を持つ『龍』の幻影を捉えていた。


「……エルダー・ドラゴン。それも、ただの長老じゃないな」


「ほう。……左様でございますか。この老いぼれの真姿を、一目で見抜かれるとは」


老紳士は、口元に微かな笑みを浮かべた。


「名はイグニス。……先の、分を弁えぬ若造たちが帝都を騒がせた件。その『始末』と『謝罪』に参りました」



リビングへと招かれたイグニスは、俺がDIYで作ったアビス・ウッドのソファーに、一切の淀みない動作で腰を下ろした。


「ふむ、この調度品……深層の沈没木に、これほどまでの精緻な魔導彫刻が施されているとは。クロウ殿、貴殿は武技だけでなく、万物の理を編む力にも長けておられるようだ」


「……15年も無人島で一人で暮らしていれば、必要なものは自分で作るしかありませんから。で、イグニス殿。単刀直入に伺いたい。ドラゴンの里の重鎮が、わざわざ人間に化けてまで、なぜここへ来た?」


俺が問いかけると、イグニスは一度目を閉じ、深く息を吐いた。


「……貴殿は、かつて龍の国から来た侍の男と会ったことがあるはずだ。……カガミと言ったかな」


その名を聞いた瞬間、俺の脳裏にドワーフの国『ガルド』での記憶が鮮明に蘇った。


あの時、カガミが杯を交わしながら語っていた「おとぎ話」。大陸のどこかに封印されているという、世界を焼き尽くそうとした『厄災』の存在。


「……カガミさんの言っていたことは、本当だったということか」


「左様。……龍の国の古い伝承にある『厄災』。その正体は、大陸北端の最果てに封じられていた『深淵の魔龍・アジ=ダハーカ』。……クロウ殿。その封印が、ついに崩壊を始めました」


「崩壊……!? まさか、あれは神代の結界で守られていたのではなくて?」


シルヴィアが驚愕のあまり椅子から立ち上がる。


「本来ならば、永遠に解けぬはずの封印でした。しかし、ここ数ヶ月で大陸全体の魔力バランスが急激に歪み始めている。……原因は不明ですが、あの結界が『溶けて』きているのです」


イグニスの金色の瞳が、夜の闇の中で怪しく光る。


「数日前に帝都を襲った若き火竜たち……。彼らはその封印から漏れ出した障気に当てられ、本能的な恐怖と狂気に支配されて暴走したに過ぎません。……ドラゴンの里の長老たちは今、総出でその障気の拡大を防いでおりますが、それも時間の問題。邪竜が完全に目覚めれば、この帝国も、アルカディアも、文字通り灰へと還るでしょう」


「……だから、俺たちをドラゴンの里へ招待したい、と?」


「招待、というよりは……『盟約』を。……カテリーナ皇帝にも、すでにこの事態は伝えてあります」


イグニスは懐から、見慣れた黄金の封蝋が押された書状を取り出した。女皇帝カテリーナからの親書だ。


『クロウ、そしてアルカディアの勇者たちよ。事態は一刻を争う。我が帝国の魔法師団と騎士団も警戒態勢に入ったが、かの地の障気を突破し、事態を鎮圧できるのは、ジークたちを超えたお前たちしかいない。……名誉貴族としての、これが初の「勅命」だ。頼むぞ』


「……陛下まで」


レイアが書状を見つめ、ゴクリと唾を呑んだ。


「ドラゴンの里は、今や猛烈な障気と、狂気に陥った魔物たちが蠢く魔境と化しております。……我らドラゴンだけでは、障気に中てられ、内側から崩壊しかねない。……『状態異常完全無効』をその魂に刻んだ、ハイヒューマンの貴殿。そしてその洗練された仲間たちの力が必要なのです」


イグニスは、謝罪のしるしとして『真竜の鱗』と莫大な『魔力結晶』を置いて、風のように去っていった。


リビングに残された俺たちは、しばし沈黙に包まれていた。

「……みんな、どう思う?」


俺が尋ねると、レイアが真っ先に口を開いた。


「……怖くない、と言えば嘘になります。でも、クロウさんが行くなら、私はどこへでもついていきます。……それに、あのカガミさんが追っていた影を、私たちが見逃すわけにはいきません」


「ふふん、世界が滅んだら美味しいご飯も食べられなくなっちゃうものね。……エルフの魔法の極致、あの邪竜とやらに見せつけてやるわ」


シルヴィアが、星砕きの竜弓を愛おしげに撫でる。


「ご主人様を守るのが、私の役目ですから」


セツナも静かに、だが確かな闘志を瞳に宿らせた。


「ドラゴンの里か……! フハハ、私の求婚相手が世界を救う英雄になるというのなら、これ以上の誉れはないな! 旦那様、私も全力でお供するぞ!」


レオナが俺の肩を叩き、豪快に笑う。


「……よし。決まりだな」


俺は立ち上がり、リビングの隅にある広いスペースへと歩み寄った。


「まずは出発の準備だ。イグニス殿の話じゃ、北の地は相当過酷らしい。……15年のサバイバル生活で培った俺の知恵を、全部注ぎ込むぞ」


その晩、俺は眠る間も惜しんで、アイテムボックスから大量の深海沈没木アビス・ウッドと魔動銀を取り出した。


「まずは、この別荘とバベルを繋ぐ【時空間魔法】のゲート構築だ。……ここが中継地点になるからな」


俺はリビングの一角に、巨大な鏡のような魔導門ゲートを設置した。


これがあれば、バベルに置いてある大量の食料備蓄や、キャンピングカー(タロウ号)のスペアパーツ、さらにはドランが打ってくれた予備の武具まで、一瞬で取り寄せることができる。


「次は食事だ。タマモ、手伝え」


「おお、わらわの出番じゃな!」


俺は討伐したばかりの火竜の肉を、大鍋で豪快に煮込み始めた。


黄金スパイスと、帝都で仕入れた薬効成分の高い香味野菜をたっぷりと投入し、食べれば全身の魔力が活性化する『特製・耐寒スープ』を大量に作り置きし、アイテムボックスの『時間停止機能』の中に保存していく。


「……15年前の俺なら、一箇所に留まることだけを考えていた。でも、今は違う。……俺には帰る場所があり、守るべき仲間がいる」


俺は夜更けまで、仲間たちの武具を一点一点丁寧にメンテナンスし、魔法薬を調合し、キャンピングカーの車輪に魔導強化を施した。


ふと、窓の外を見ると、遠く北の空がどす黒く淀んでいるのが見えた。


イグニスが言っていた、障気の広がり。


世界の存亡を賭けた戦いが、すぐそこまで迫っている。


「……待ってろよ、邪竜アジ=ダハーカ。俺たちの『まったりスローライフ』を邪魔しようっていうなら、その鱗、一枚残らず剥いでやる」


翌朝。


帝都の朝霧が立ち込める中、俺たちは準備を整え、別荘の門の前に並んだ。


見送りに来たのは、ジーク師匠やカーミラ師匠たち。


「……死ぬなよ、クロウ。帰ってきたら、また酒を奢ってやる」


ジークの不器用な激励に、俺は無言で頷き、タロウの手綱を握った。


「よし、出発だ! 目的地は大陸最北端、ドラゴンの隠れ里!!」


最高の武器、最高の技術、そして想いを通じ合わせた最高の仲間たち。


かつてカガミが残した謎を解き明かし、迫りくる厄災を斬り伏せるため。


俺たちのタロウ号は、帝都の石畳を力強く蹴り、未知なる極北の地を目指してゆっくりと走り出したのだった。


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