第61話 黄金の狐火と、悠久を分かち合う宵 ―― タマモ編
レイア、シルヴィア、セツナ、そしてレオナ。
四日間にわたる、それぞれの想いと絆を確かめ合う濃密なデート期間を終え、俺は帝都の別荘で久々の休息を満喫……できるはずだった。
「――ズルい、ズルいぞクロウ!! わらわを差し置いて、他の娘たちとばかり美味いものを食いに行くとは何事じゃ!!」
五日目の朝。リビングの深海沈没木のソファーでくつろいでいた俺の腹の上に、ドスンッと小さな質量が降ってきた。
伝説の妖狐、タマモである。
彼女は俺の胸ぐらを小さな両手で掴み、三本の尻尾を不満げにバタバタと叩きつけている。
「わらわも行く! 今日はわらわが、お主を一日独占する番じゃ! 皇帝からもらった『特級市民の身分証』も、まだ屋台の親父にドヤ顔で見せびらかしておらんのじゃぞ!」
「わかった、わかったから暴れるな。……別に俺は構わないが、お前、その子供の姿で俺と二人で出歩いたら、ただの『保護者と迷子』にしか見えないぞ?」
俺が苦笑交じりにそう指摘すると、タマモはピタッと動きを止め、「ふふん」と得意げに口角を吊り上げた。
「……誰が、この姿のままで行くと言った?」
「え?」
次の瞬間。タマモの小さな身体から、目も眩むような黄金の魔力が溢れ出した。
レオナとの模擬戦の時に見せた、あの圧倒的な覇気。魔力の光が晴れた後、俺の腹の上に跨っていたのは、幼い子供の姿ではなかった。
月明かりを紡いだような、艶やかで豊かな黄金の長髪。
桜色を基調とした豪奢な着物からは、豊満で扇情的な胸の谷間と、雪のように白い太ももが覗いている。背後で悠然と揺れる三本の巨大な尻尾は、彼女が人智を超えた化生であることを示していた。
「どうじゃ、クロウ。これならば、お主の隣を歩く『雌』として、何の不足もないじゃろ?」
絶世の美女へと変貌したタマモが、妖艶な流し目で俺を見下ろし、艶やかな指先で俺の頬をなぞる。
そのあまりの色香と、あまりの距離の近さに、15年のサバイバルを生き抜いた俺の心臓すらも、ドクンと大きく跳ねた。
「……ああ。美しすぎて、帝都中の男から妬まれることになりそうだ」
「くふふっ、素直でよろしい! さあ、行くぞクロウ! 目指すは帝都の美味いもの全制覇じゃーっ!!」
タマモは美女の姿のまま、中身は全く変わらない無邪気な歓声を上げ、俺の腕に柔らかい胸を押し当てながら玄関へと歩き出した。
◆
帝都の目抜き通りは、タマモが姿を現した瞬間、文字通り『時が止まった』かのような静寂に包まれた。
「な……なんだ、あの絶世の美女は……」
「女神か……? いや、あの耳と尻尾……獣人? にしては、気高さの次元が違いすぎる……」
すれ違う男たちはもちろん、女性でさえも、タマモの人間離れした美貌と圧倒的な存在感に目を奪われ、立ち尽くしている。
タマモはそんな周囲の視線を「くるしゅうない」と言わんばかりの堂々とした態度で受け流し、屋台が立ち並ぶ大通りへと俺を引っ張っていった。
「おおっ! これじゃこれ! 串焼き肉と、あのホットドッグというやつ! 親父、これを五つずつよこすのじゃ!」
「は、はいぃっ!? ぁ、いや、しかしお嬢さん……その、お代は……」
「ふふんっ。わらわを誰だと心得る! 控えおろう、これが『特級市民の身分証』じゃ!!」
タマモは懐から、カテリーナ皇帝直筆の紋章が入った豪華な身分証を、水戸黄門の印籠のごとく屋台の親父に突きつけた。
「ひぃぃぃっ!! こ、皇帝陛下直属の特級市民様っ!? ど、どうかお代は結構ですので、お持ちくださいませぇぇっ!!」
権威の証明に恐縮し、平身低頭でタダにしてしまおうとする屋台の親父。
俺は苦笑しながらタマモの前に出ると、屋台の台に十分な額の銀貨を数枚、カチャリと置いた。
「いや、しっかり受け取ってくれ。美味い飯を作ってくれた対価だ。釣りはいらないよ」
「えっ……い、いや、しかし……!」
タマモは不思議そうに首を傾げた。
「む? なんだクロウ、権力を使えばタダで食えるのに、なぜわざわざ金を払うのじゃ?」
「権力を笠に着て飯を奪うようになったら、ただの野盗と同じだぞ。美味いものを作ってくれた相手には、ちゃんと敬意と金を払う。それも俺の決めた『人間のルール』だ」
俺の言葉に、タマモは一瞬キョトンとした後、やがて嬉しそうに目を細めた。
「ふむ……なるほど。お主がそう言うなら仕方ないのう! 親父、しっかり受け取っておけ! わらわの気前の良い旦那様からのチップじゃ!」
「は、ははぁっ! ありがとうございます、英雄様! 美しきお嬢様!」
親父は安堵し、心からの笑顔で深く頭を下げてくれた。
市民からの反感を買うどころか、俺たちはしっかりと胃袋と人望を満たして、近くのベンチへと腰を下ろした。
「あむっ! もぐもぐ……んん〜っ! 美味いのじゃ!! やはりこの味の濃さがたまらんのう!」
タマモは両手に串とパンを持ち、妖艶な顔をソースで汚しながら、ハムスターのように頬をパンパンに膨らませて咀嚼し始めた。
見た目は女神のような傾国の美女なのに、中身は食い意地の張った幼女のまま。その強烈な『ギャップ萌え』に、俺は思わず吹き出さずにはいられなかった。
「な、なんじゃクロウ! 人の顔を見て笑うとは失礼な!」
「いや……お前は本当に、見ていて飽きないなと思ってな。ほら、口の横にソースがついてるぞ」
俺がハンカチで彼女の口元を拭ってやると、タマモは美女の顔をパッと赤く染め、「子供扱いするな!」とそっぽを向いた。だが、その背中の三本の尻尾は、嬉しそうにパタパタと揺れていた。
◆
夕暮れ時から夜にかけ、俺たちは帝都の高級レストランをハシゴし、タマモの底なしの胃袋を満たしていった。
そして、すっかり日が落ちた頃。俺たちは帝都の喧騒を離れ、静かな皇宮の庭園が見渡せる高台へとやってきた。
夜風が、タマモの黄金の髪をふわりと揺らす。
彼女の指先からポロポロとこぼれ落ちる『黄金の狐火』が、周囲を幻想的に照らし出していた。
「……美味かったのう。今日は最高の気分じゃ」
タマモは手すりに寄りかかり、夜の帝都の街並みを見下ろしながら、静かに呟いた。
「わらわはな、クロウ。……何百年も、あの霊山の結界の中で、たった一人で生きてきたんじゃ。たまに迷い込んでくる人間の子供をからかう以外は、来る日も来る日も、変わらない景色ばかりを見ておった」
彼女の声から、昼間の無邪気さが消え、何百年という途方もない時間を生きてきた化生としての『孤独』の響きが混ざり始める。
「人間たちは、あっという間に死んでいく。わらわが名前を覚える前に、みな土に還ってしまう。……それが寂しくて、つまらなくて、わらわはあの祠に引きこもって、ずっと暇を持て余すふりをしておったんじゃ」
タマモは振り返り、その黄金の瞳で、俺を真っ直ぐに見つめた。
「じゃが……お主らは違った。お主らは、わらわの退屈で死にそうだった永遠を、一瞬でぶち壊してくれた。……特に、お主じゃ、クロウ」
彼女が一歩、また一歩と俺に近づいてくる。
「お主は『ハイヒューマン』へと進化したことで、寿命という理から外れておる。……お主の肉体も、魂も、すでにわらわと同じ『不老』の領域に足を踏み入れておるのじゃ」
タマモは俺の胸元にそっと両手を当て、顔を近づけてきた。
妖艶な美女の吐息が、俺の鼻先をかすめる。
「エルフの小娘が何百年生きようと、所詮は命あるもの。じゃが、お主とわらわは違う。……クロウ。お主がこの先、何百年、何千年と生き続け、他の娘たちを看取った後でも……このタマモだけは、永遠にお主の隣におるぞ」
それは、ただの恋情ではない。
同じ『終わりのない時間』を生きる者同士だからこそ結べる、魂の最も深い部分での共鳴であり、究極の誓いだった。
「……永遠、か」
俺は静かにタマモの細い腰を抱き寄せた。
15年間の無人島での孤独が、いかに人間を狂わせるか、俺は誰よりも知っている。これから先、途方もない時間を生き続けるであろう俺にとって、同じ時間を並んで歩いてくれる存在がどれほど救いになるか、計り知れない。
「頼もしいな。……なら、俺の何千年先の途方もない暇つぶしにも、最後まで付き合ってもらうぞ、タマモ」
「くふふっ。当然じゃ。この伝説の妖狐たるわらわが、お主の永遠を最高に面白くしてやるわ」
タマモが艶然と微笑み、そのまま背伸びをして、俺の唇に、狐火のように熱く、蕩けるような口づけを落とした。
言葉もなく、ただ互いの永遠を分かち合うような、深い深い口づけ。
どれほどの時間が経っただろうか。
名残惜しそうに唇を離したタマモは、急に「ふぁぁ……」と大きな欠伸をした。
「……あー、食いすぎた上に、大人の姿で魔力を使いすぎたせいで、急に眠気が……」
ポンッ、と間抜けな音が響き、タマモの姿は絶世の美女から、いつもの幼い子供の姿へと元通りになってしまった。
「むにゃ……クロウ、歩くの面倒じゃ。おぶれ」
「……はいはい。お姫様のご命令とあらば」
俺は苦笑しながら背中を向け、小さなタマモを背負い上げた。
背中から聞こえてくる、安らかな寝息。
俺は帝都の夜風を感じながら、レイア、シルヴィア、セツナ、レオナ、そしてこのタマモと過ごした、かけがえのない五日間に思いを馳せていた。
これからも、色々な困難や未知の迷宮が俺たちを待ち受けているだろう。
だが、最強の力と、共に歩んでくれる最高の仲間たちがいる限り、俺の旅が退屈することなど、絶対にありえないのだ。
俺はゆっくりと、彼女たちの待つ温かい『家(別荘)』へと、歩みを進めていった。




