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第58話 久遠の誓いと、湖面を照らす極光 ―― シルヴィア編

レイアとの甘く、そして確かな誓いを交わしたデートから一夜明けた帝都の別荘。


朝陽が差し込む静かなエントランスホールで、俺は二番目の約束の主を待っていた。


「……待たせたわね、クロウ」


コツ、と静かなヒールの音を響かせて階段を下りてきたその姿に、俺は一瞬、言葉を失った。


エルフのSランク冒険者にして、最強の狙撃手であるシルヴィア。


彼女が今日纏っていたのは、いつもの動きやすい旅装束やローブではない。深く神秘的な森を思わせる、深緑色のシックなイブニングドレスだった。


胸元と背中が大胆に開いたそのデザインは、彼女の透き通るような白い肌と、洗練された大人の女性としての豊満なプロポーションを、これ以上ないほど際立たせている。


長く美しい金糸の髪は上品にまとめられ、俺がかつてバベルでプレゼントした『魔導銀の髪留め』が、一筋の星の輝きのように添えられていた。


「……いや、全く待っていない。ただ、あまりにも綺麗で驚いているだけだ。……そのドレス、すごくよく似合ってる」


俺が率直な称賛を口にすると、シルヴィアはふわりと余裕のある微笑みを浮かべた。だが、その白く長い耳の先端が、ほんのりと桜色に染まっているのを俺は見逃さなかった。


「ふふっ。15年間も無人島で魔物と殺し合っていただけの男が、随分と気の利いたセリフを言えるようになったじゃない。……さあ、エスコートしてちょうだい。今日は私を、普通の『女の子』として扱ってくれるんでしょう?」


シルヴィアが、しなやかな白い腕を差し出してくる。


俺はその手を取り、彼女の歩幅に合わせながら、帝都の街へと歩み出した。


俺たちがまず向かったのは、帝都の中心部から少し外れた場所にある『魔導骨董街』だった。


剣や槍が並ぶ武具街とは違い、ここは古き良き時代の魔道具や、失われた魔法陣が記された古代の魔導書などがひしめく、知の集積地だ。


「……なるほど。この魔道具、術式の『展開』は美しいけれど、魔力効率が悪すぎるわね。これなら、私が魔力を『圧縮』して放った方が遥かに速くて威力も出るわ」


薄暗い骨董店の中で、シルヴィアは古い杖を手に取りながら、楽しそうに分析を口にしている。


以前の彼女なら、その『広範囲に広がる術式』を素晴らしいと褒めていたかもしれない。


だが、帝国魔法師団長カーミラから教わった、極大の貫通力と殺傷力を生み出す『魔力の極大圧縮』。その真理に触れた彼女の魔法観は、今や帝国の宮廷魔導師すらも凌駕する境地へと至っていた。


「君は、本当に魔法が好きなんだな」


「ええ。エルフにとって、魔法は呼吸と同じ。でも……最近は、魔法の深淵を覗くことよりも、もっと心躍るものを見つけてしまったから」


シルヴィアは古い杖を棚に戻すと、俺の方を振り返り、悪戯っぽく微笑んだ。


そのエメラルドグリーンの瞳が、真っ直ぐに俺を捉えている。


「クロウ。あなたという、規格外の存在の隣にいることよ。……さあ、買い物はもういいわ。この街の喧騒は、少し私には騒がしすぎる。どこか静かな場所へ連れて行って」


夕暮れ時。


俺が彼女を連れてきたのは、帝都の郊外に広がる巨大な湖――『ルナリス湖』だった。


太陽が地平線に沈み、周囲を深い藍色が包み込み始める。この湖は夜になると、水底に生息する特殊な発光苔が青白い光を放ち、まるで星空を水面に映し出したかのような幻想的な景色を作り出すのだ。


俺たちは小さな木舟を借り、湖の中央へと漕ぎ出した。


オールを握る俺の腕に、余計な力は一切入っていない。ジーク師匠から叩き込まれた『ゼロ』の脱力状態。水に逆らうのではなく、水と同化するようにオールを滑らせることで、小舟は波紋一つ、水音一つ立てずに、鏡のような水面を滑っていく。


「……すごいわね。船を漕ぐだけの動作なのに、一切の『隙』も『殺気』もない。今のあなたがどれだけ恐ろしい武の極致に至っているか……魔力を感知できる私だからこそ、肌が粟立つほどによく分かるわ」


小舟の舳先で夜風に髪を揺らすシルヴィアが、ため息をつくように呟いた。


周囲には誰もいない。聞こえるのは、風が湖面を撫でる音だけ。水底から浮かび上がる青白い光が、彼女のドレスを神秘的に照らしている。


「……ねえ、クロウ」


やがて、シルヴィアは湖面を見つめたまま、静かに口を開いた。


「私たちエルフにとって、15年という月日は、本当に瞬きのような時間よ。人間であるあなたたちが、二、三日だと感じる程度の長さでしかない」


彼女の言葉に、俺は静かにオールを引く手を止めた。


「でもね……あなたが絶海の無人島で過ごした、その『瞬き』のような15年が、あなたという男を、どれほど深く、孤独で、そして恐ろしい存在に鍛え上げてしまったのか。……出会った当初のあなたの目は、本当に『獣』そのものだったわ」


シルヴィアは向き直り、小舟の中で俺の隣へと移動してきた。


ドレスが擦れる微かな音と共に、彼女の甘く高貴な香りが鼻腔をくすぐる。


「私はね、ハイエルフとして何百年も生きてきたけれど、誰かと『永遠』を誓おうなんて思ったことは一度もなかったの。人間はすぐに死んでしまうし、同じエルフ同士でも、心はいつか移ろっていくものだから。……でも」


シルヴィアは、俺の頬にそっと、その冷たく滑らかな両手を添えた。


「あなたのその不器用な優しさに触れて。あなたの背中を守って戦ううちに……私は、生まれて初めて、この時間がずっと続けばいいと願うようになってしまったの」


彼女の瞳から、一滴の涙が零れ落ち、水面の青白い光を反射して宝石のように輝いた。


「私の寿命は、あなたの寿命の何倍もあるわ。いつか必ず、あなたが先に老いて、いなくなってしまう。……エルフにとって、人間を愛するということは、必ず『喪失』の悲しみを伴う呪いなのよ」


その声は、微かに震えていた。


長く生きる種族だからこそ抱える、切なく、重い覚悟。


俺は、俺の頬を包み込む彼女の手の上に自分の手を重ね、静かに、だが確かな意志を持って告げた。


「俺は、君を一人残して死ぬつもりはない」


「……え?」


「俺はハイヒューマンへと進化したことで、この肉体の老化は完全に止まっている。……寿命という概念が今の俺にあるのか、俺自身にも分からない。だが、一つだけ確実に言えることがある」


俺は彼女の腰を抱き寄せ、その顔を真っ直ぐに見据えた。


「俺は無人島で、生きるために何万回と死線を越えてきた。だから、寿命だろうが、神だろうが、運命だろうが……俺たちを引き裂こうとするものが何であれ、俺の全力の『100』の刃で、すべて斬り伏せてみせる。……何百年先も、何千年先も、俺は君の隣にいるよ。約束する」


俺の言葉を聞いたシルヴィアは、信じられないものを見るように目を丸くし――やがて、ふき出すように、心の底からの笑い声を上げた。


「あはは……ふふっ、あははははっ!寿命や運命すらも斬り伏せるですって? 本当に……あなたって男は、どこまでも規格外のバケモノね。私の悩みなんて、全部吹き飛んでしまったわ」


シルヴィアは愛おしげに俺の首に腕を絡ませ、悪戯っぽく唇を近づけてきた。


「……クロウ。私の魔法はね、広げるのをやめて、一点に『圧縮』することで、どんな硬い鱗でも貫く殺傷力を手に入れたわ」


彼女の甘い吐息が、俺の唇に触れる。


「私の愛も、同じよ。もう、どこにも目移りなんてしない。私の何百年という寿命と、この心のすべてを……極限まで一点に『圧縮』して、あなたという男の心臓のど真ん中を、永遠に撃ち抜いてあげる」


「……ああ。望むところだ」


満天の星空と、青白く輝く湖面に包まれながら。


俺たちは、種族の壁も寿命の差もすべてを飛び越えるような、深く、長く、熱い口づけを交わした。


それは、魔法よりも強烈に、俺の胸の奥底を貫いて離さない、永遠の誓いの刻印だった。


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