第56話 猛姫の洗礼と、黄金の妖狐
別荘の裏手に広がる、タマモの展開した強固な黄金の魔導結界で保護された広大な庭園。
そこは今、帝国の闘技場をも凌駕するほどの、極限の緊張感に包まれていた。
「さて、誰から来る? 束になってかかってきても構わんぞ!」
庭園の中央に立ち、木剣を肩に担いだレオナが不敵に笑う。
闘技場での彼女は、百戦無敗の剣闘士。ハルバードこそ持っていないものの、その鍛え抜かれた肉体から放たれる闘気は、並の魔物など眼光だけで平伏させるほどの迫力があった。
「私が一番手よ。新入りには、先輩としての厳しさを教えてあげないとね」
第一回戦。レオナの前に歩み出たのは、レイアだった。
彼女もまた、木製の剣を静かに中段に構える。
「行くぞ!!」
レオナが地を蹴った。剣闘士としての凄まじい膂力と、獣人のバネから放たれる、重戦車のような突進。
振り下ろされた木剣は、空気を圧縮して叩きつけるような轟音を伴っていた。もしレイアが以前のような『力任せの魔法剣士』であれば、受け止めた瞬間に腕が痺れ、そのまま押し切られていただろう。
だが、今のレイアは全く違った。
表情一つ変えず、相手の踏み込みと肩の動きから、完全に軌道を読み切っている。
「――大味すぎるわよ」
帝国騎士団・部隊長エリーゼから徹底的に叩き込まれた『受け流し(パリィ)』の極意。
レイアは自身の木剣を正面からぶつけるのではなく、手首の柔らかなスナップだけで、レオナの重い一撃の『側面』を撫でるように滑らせた。
ズリュッ!!
「なっ!?」
完璧なタイミングと角度。レオナの放った全エネルギーが、斜め下の大地へと強引に軌道を変えさせられる。
完全に力を前へ逃がされたレオナが、前のめりに体勢を崩した、その一瞬の隙。
レイアの木剣の切先は、流れるような円運動を描き、レオナの喉元にピタリと添えられていた。
「勝負あり、ね。どれだけ力が強くても、直線的な攻撃なら、今の私には一生当たらないわよ」
「……見事な剣の理合だ。力で上回る相手を、技術だけで無力化するとは……参った!」
レオナは潔く木剣を引き、悔しそうにしながらも称賛の声を上げた。
◆
続く第二回戦。相手はエルフの狙撃手、シルヴィア。
「エルフの魔法使いか! 接近戦に持ち込めば私の――」
レオナが先ほどの反省を活かし、直線的な突進を避けてジグザグに距離を詰めようとした、その瞬間。
シルヴィアは一切の呪文詠唱も、大きな予備動作も見せなかった。
ただ、冷たい瞳でレオナを見据え、指先を軽く弾いただけ。
ピシッ、ピシィッ……!!
「……っ!?」
レオナの足元、腕の周囲、そして首のすぐ横の空間に、無数の『極大圧縮された氷の針』が、音もなく展開された。
魔法師団長カーミラ直伝の、不可視の狙撃。
以前のシルヴィアであれば、派手な爆発を伴う氷結魔法を放っていただろう。だが、極限まで殺傷力と貫通力に特化させた今の彼女の魔法は、発動の気配すら悟らせない。
「……一歩でも動けば、その綺麗な肌がいくつも串刺しになるわよ?」
「ま、全く魔力の波動を感じなかったぞ!? なんだ、その異常な魔法の練度と制圧力は!」
魔法の構築すら見せずに完封してみせたシルヴィアの前に、レオナは冷や汗を流して両手を上げた。
◆
そして第三回戦。相手は同じ獣人であるセツナ。
「獣人同士、本能のぶつかり合いだ! 手加減なしで行くぞ!」
レオナが気合を入れ、自身のギアを最大に上げようと、黄金の闘気を練り上げようとした――まさにその直前。
彼女の視界から、フッとセツナの姿が消え失せた。
「え?」
レオナが瞬きをした、わずかコンマ数秒の世界。
彼女の背後には、獣の匂いも、息遣いも、そして『殺気』すらも完全にゼロに断ち切ったセツナが音もなく張り付き、その首筋に冷たい双剣の峰を当てていた。
「――遅いです。戦いは、向かい合う前から始まっています」
皇帝直属の元暗殺者・ニーナから受け継いだ、極致の暗殺術。
ギアを上げる前に喉を掻き切られるという圧倒的な速度とステルス性に、レオナはゴクリと乾いた喉を鳴らした。
「……私の、完全敗北だ。なんなんだ、お前たちは……クロウだけでなく、全員が私を遥かに凌駕するバケモノじゃないか」
三連敗を喫し、レオナはすっかり毒気を抜かれたように、グラウンドの芝生の上にへたり込んだ。
そこに、縁側でお茶と羊羹を楽しんでいたタマモが、トコトコと歩いてきた。
「ふふん! 思い知ったか新入り! わらわの仲間たちは最高に強いのじゃ!」
「……む? お前は確か、タマモとかいう子供だな」
レオナはため息をつきながら、見下ろすような視線を向けた。
「悪いが、いくら私が負けが込んだとはいえ、戦う力もないような小童と力比べをする趣味はないぞ。大人しくお菓子でも食べていろ」
軽くあしらわれたタマモの言葉に――タマモの狐耳が、ピクッと危険な角度に跳ね上がった。
「……ほう? 今、なんと言った? この伝説の妖狐たるわらわを、戦う力もない小童と抜かしたか?」
タマモの声色が、幼く無邪気なものから、突如として『何百年も生きた化生』特有の、ひどく冷たく、底知れない威厳を伴ったものへと変わる。
直後。タマモの小さな身体が、目も眩むような黄金の魔力の光に包み込まれた。
「な、なんだ!?」
レオナが腕で顔を覆い、強烈な風圧に耐える。
光が晴れた後。
そこに立っていたのは、幼い子供の姿ではなかった。
月明かりを集めたような黄金の豊かな長髪。豊満で扇情的なプロポーションを、桜色の豪奢な着物で艶やかに包み込み、背後で巨大な三本の尻尾を悠然と揺らす、絶世の美女。
それが、霊山の奥深くで何百年も生きてきた伝説の妖狐タマモの、『本気モード』だった。
「身の程を知るがよい、若き獅子よ。お主が立っているのは、このわらわの影の中じゃぞ」
美女の姿となったタマモが、流し目でレオナを見下ろす。
その瞬間、タマモの全身から放たれたのは、先日の火竜の群れすらもひれ伏すほどの、桁違いの『覇気』と『圧倒的な魔力圧』だった。
物理的な重力すら歪めるようなそのプレッシャーに、レオナは立っていることすらできず、本能的な恐怖にガクガクと震えながら、両膝を地面についてしまった。
「あ……がっ……! な、なんだ……この、次元の違うバケモノじみた気配は……っ!!」
息をすることすら困難なほどの威圧感。レオナだけでなく、離れて見ていたレイアたちですら、冷や汗を流して顔を引きつらせている。
「あー……タマモ。それくらいにしておけ。新入りが本気で死んじゃうぞ」
俺が苦笑しながら声をかけると、タマモの放っていた覇気がスッと霧散し、ポンッと気の抜けた音を立てて、元の幼い子供の姿へと戻った。
「ふんっ! わらわの恐ろしさが身に染みてわかったなら良いのじゃ!」
タマモがドヤ顔でふんぞり返る。
圧倒的な格の違いを、文字通り骨の髄まで見せつけられたレオナは、フラフラと立ち上がると、今度は一切の反抗心を見せず、レイアたち全員に向かって深く、深く頭を下げた。
「……私が、完全に井の中の蛙だった。自分の力を過信し、調子に乗って大きな口を叩いて、本当に申し訳ない……!」
レオナは真っ赤になった顔で、深々と頭を下げる。
「お前たちの強さは、本物だ。クロウの隣に立つにふさわしい、最高の戦士たちだ。……どうか、私を妹分として、お前たちのその洗練された技術を教えてはくれないだろうか。私も、お前たちと共にクロウの背中を預かれるくらい、本物の強さを手に入れたいんだ!」
その真っ直ぐで、一切の嘘偽りのない懇願。
獣人らしい純粋さと向上心に、レイアたちは顔を見合わせ――やがて、フッと柔らかい笑みをこぼした。
「……仕方ないわね。あそこまで素直に頭を下げられたら、意地悪もできないわ。いいわよ、木剣の振り方から教えてあげる」
「ええ。それに、あなたの純粋な力は私たちのパーティの大きな戦力になるわ。歓迎するわよ、レオナ」
「一緒に、ご主人様を守りましょうね!」
レイアが手を差し伸べ、レオナがその手を、目に涙を浮かべながら力強く握り返した。
闘技場での運命的な出会いから、激しい模擬戦を経て。
こうして、帝都最強の獅子の猛姫レオナは、俺たちのパーティに正式な仲間として加わり、俺たちの別荘での賑やかで最強なスローライフが、本当の意味で幕を開けるのだった。




