第54話 獅子の猛姫と、帝都の闘技場
帝都の冒険者ギルド『鋼鉄の門』は、その名の通り、王都のそれとは比較にならないほど戦士たちの熱気と殺伐とした空気に満ちていた。
建物の中心には巨大な依頼掲示板があり、そこには「討伐」や「探索」といった項目よりも、軍事的な色彩の強い依頼が目立つ。
「……さすがは武闘国家ね。ギルドというより、兵舎のような雰囲気だわ」
シルヴィアが、自身の竜弓の感触を確かめながら呟く。隣ではレイアが、手入れの行き届いた魔法剣の柄に手を添え、周囲の荒くれ者たちの視線を冷静にいなしていた。
俺たちは窓口に向かい、カテリーナ皇帝から授かった『名誉貴族』の証を提示した。
職員の対応は一瞬で変わり、手続きは滞りなく進む。これで帝国側でも正式に最高ランクの冒険者として登録された。
「さて。……手続きも終わったし、何か面白い依頼でも――」
俺が掲示板に目を向けようとした、その時だった。
「――お主が、アルカディアから来たという『名誉貴族』のSランク冒険者、クロウ殿だな?」
背後から、低く、威圧感のある声が響いた。
振り返ると、そこには豪華な装飾の施された法衣を纏った、初老の男が立っていた。
その横には、帝都闘技場の紋章をつけた役人が控えている。
「……そうです。俺がクロウですが。闘技場の関係者の方が、冒険者ギルドに何の御用でしょうか?」
俺が丁寧な言葉遣いで問い返すと、男は満足げに頷き、周囲の野次馬たちを遠ざけるようにして声を潜めた。
「私は闘技場の運営責任者を務めている、ダリウスという。……単刀直入に言おう。お主『個人』に、ある特別なマッチへの参戦を依頼したいのだ。冒険者としてではなく、帝都が誇る『剣闘士』の挑戦者としてな」
「俺個人に、ですか?」
「ああ。……我が闘技場には現在『百戦無敗』を誇る、一人の若き女剣闘士がいる。彼女は『純粋な力比べ』において、もはや帝国の剣闘士の中に相手になる者がおらんのだ。しかも彼女は、闘技の場において『自分より強いオス(男)』との一騎打ちを望んでいてな。そこで、王国最高のSランクであり、皇帝陛下との手合わせも凌いだと噂されるお主の力を見込んで、彼女にぶつけてみてほしいのだ」
ダリウスの説明を聞き、セツナが耳をピクリと動かし、シルヴィアが不敵な笑みを浮かべて俺の肩をポンと叩いた。
「ご指名ね、クロウ。純粋な力比べで『強い男』を探してるなんて、随分と血気盛んな女の子じゃない」
「私たちが出る幕じゃなさそうですね。修行の成果を試すには、丁度いい舞台なんじゃないですか?」
レイアも面白そうに微笑んでいる。
「武闘国家で最も強い剣闘士……。今の俺が、帝国の技術をどこまで吸収できたか知るには、最高の相手かもしれません。お受けしましょう」
「……感謝する! 命の保証はできんが、報奨金は弾もう。では、すぐに準備を整えよう。今日のメインイベントだ!」
◆
帝都中央闘技場――その熱狂は、火竜の群れが襲来した時をも凌駕していた。
すり鉢状の観客席を埋め尽くす数万人の市民たちが、足を踏み鳴らし、地鳴りのような歓声を上げている。
「さあ! 本日のメインイベント! 挑戦者はアルカディア王国より来たる名誉貴族、Sランク冒険者クロウ!!」
アナウンスと共に、俺は漆黒の外套を翻し、砂が舞う舞台へと足を踏み入れた。
その正面。反対側のゲートからゆっくりと現れたのは、黄金のたてがみのような長髪をなびかせた、一人の獣人の娘だった。
「……あれが」
ライオンの耳と、力強くもしなやかな尻尾。
20歳前後だろうか。その肢体は極限まで鍛え抜かれ、彫刻のような美しさと猛獣の獰猛さを併せ持っていた。
その名は、レオナ。
彼女は、身の丈を超える巨大な『ハルバード(長柄斧)』を軽々と肩に担ぎ、燃えるような金色の瞳で俺を射抜いた。
「……お前が、王国の最強か。男の冒険者と聞いていたが、存外に細身だな」
レオナが、獲物を見定るような視線で俺を見下ろす。
彼女はこの2年間、自分より強いオスを探すために闘技場で戦い続けてきたのだという。
帝国中の猛者たちを純粋な力でねじ伏せ、ついには「自分を負かした男を生涯の伴侶にする」と公言して憚らない、誇り高き獅子の猛姫。
「見た目で判断しない方がいいですよ。……お手柔らかに、レオナ殿」
俺が『伝説級:深淵の剣盾』の大剣形態を静かに構えると、レオナは獰猛に口角を吊り上げた。
「……くふふ。礼儀正しいオスだ。だが、私の斧は情けをかけんぞ! 行くぞッ!!」
ドォォォォンッ!!
レオナが爆発的な踏み込みで、砂を爆ぜさせながら突進してきた。
その速度、そして質量。
彼女が振るったハルバードは、空気を引き裂く轟音を立てて、俺の脳天へと振り下ろされる。
――ガキィィィィンッ!!
俺は大剣でそれを受け止める。
凄まじい衝撃。修行前の俺なら、腕の骨が軋んでいたかもしれない。
だが、今の俺はジーク師匠から教わった『脱力』を使い、その衝撃を足元から大地へと逃がしていた。
「……ほう? 私の初撃を、眉一つ動かさずに受け止めるか!」
「まだまだ、これからでしょう」
俺はあえて、自分の力を『三割』程度に抑えた。
ジーク師匠との修行で得た、力のオンオフ。
今は極限まで「オフ」に近い状態で、彼女の技術と速さを見極める。
「ハァァァァッ!!」
レオナの猛攻が始まった。
ハルバード特有の、リーチを活かした突き。石突きによる打撃。そして、大斧による苛烈な薙ぎ払い。
そのどれもが一撃必殺の威力を秘めながらも、驚くほど洗練された型に則っている。
まさに、帝国の武術の結晶。
俺は最小限の動きでそれを躱し、時には大剣の『腹』で刃を滑らせていなす。
観客席からは、息を呑むような静寂と、次の瞬間には爆発的な歓声が交互に巻き起こっていた。
「どうした、クロウ! 逃げてばかりでは、私を落とすことなどできんぞ!!」
レオナが叫び、黄金の闘気を全身から噴き上げた。
獅子の獣人としての本能が、彼女の身体能力をさらに跳ね上げる。
ハルバードの軌道が加速し、もはや肉眼では捉えきれない残像となって俺を襲う。
(……いい動きだ。純粋な力と技なら、文句なしに帝国トップクラスだ。だが、これだけじゃ届かない)
俺は心の中で静かに呟く。
修行の1ヶ月、ジーク師匠に叩き込まれたあの感覚。
全身の筋肉を緩ませ、意識を一点に集中させる。
「……五割」
俺は抑えていた力を、少しだけ解放した。
直後、俺の踏み込みがレオナの予測を上回る。
「なっ!?」
レオナのハルバードの隙間を縫うように、俺は大剣の側面で彼女の懐を叩いた。
「ぐっ……!?」
レオナの身体が数メートル後退する。
彼女は信じられないといった表情で俺を見つめた。これまで彼女の攻撃を完全にいなした上で、反撃を加えた男など一人もいなかったのだろう。
「……素晴らしい反応だ。だが、まだまだ底が見えんな! 面白い……面白いぞ、クロウ!!」
レオナの瞳に、戦士としての喜び、そしてこれまで感じたことのない『熱』が宿り始めた。
彼女は大きく跳躍し、太陽を背にしながら、ハルバードを両手で構え直した。
「受けてみろ! 私の、魂の一撃を!! 『獅子王・天昇断』!!」
空から、巨大な黄金の獅子が舞い降りるかのような幻影と共に、ハルバードが振り下ろされる。
闘技場の床を叩き割り、衝撃波だけで周囲を吹き飛ばす、まさに帝都最強の剣闘士としての絶技。
俺はその一撃に対し、逃げることも、避けることもせず、ただ真っ直ぐに剣を構えた。
(――八割。いや……)
「……十割。行きます」
俺の全身から、これまで秘めていた『サバイバーとしての野生』と『帝国で極めた武の静寂』が融合した、圧倒的な闘気が爆発した。
観客席のシルヴィアが「……やっと本気ね」と呟き、タマモがホットドッグを咥えたまま「お主、容赦ないのう」と苦笑する。
俺は『伝説級:深淵の剣盾』の柄を、文字通り全身の筋肉を連動させて握りしめた。
ジーク師匠直伝の、力のオン。
ゼロから百へ。
コンマ数秒の間で加速した俺の斬撃は、振り下ろされるレオナのハルバードに対し、下から突き上げるような『受け流しからの逆風斬』として放たれた。
キィィィィィィィンッッッ!!!!
闘技場全体に、鼓膜を突き破らんばかりの高周波が響き渡った。
あまりにも重く、あまりにも鋭い俺の一撃。
レオナのハルバードに接触した瞬間、大剣から放たれた衝撃は彼女の武器の芯を捉え、その振動だけでレオナの両手の握力を完全に奪い去った。
「――あ」
レオナの手から、無敗を誇ったハルバードが、クルクルと回転しながら宙を舞い、遠くの砂地に突き刺さった。
そして。
俺の大剣の切先は、着地したレオナの細い喉元に、紙一重の距離でピタリと止まっていた。
「…………」
静寂。
数万の観衆が、何が起きたのか理解できずに静まり返る中。
俺は大剣を静かに収め、荒い息を吐くレオナに向かって、大人の余裕を持って手を差し伸べた。
「……私の勝ち、でいいでしょうか。レオナ殿」
レオナは呆然としたまま、自分の手を見つめ、そして俺を見上げた。
彼女の燃えるような金色の瞳は、先ほどまでの闘争心ではなく――深い驚愕と、そして潤んだような『熱』を湛えていた。
「……負けた。この私が……力でも、技でも、完敗だ……」
レオナは俺の手を取ることなく、その場に崩れ落ちるように膝をついた。
そして、顔を真っ赤に染め上げ、震える声で叫んだ。
「……いた。本当に、いたんだ……っ! 私を純粋な力でねじ伏せ、私の誇りを叩き折る……真の、オスが……っ!!」
「え?」
俺が首を傾げた、その瞬間。
レオナは勢いよく立ち上がると、俺の胸ぐらを掴むほどの勢いで顔を近づけてきた。
獣人特有の甘い匂いと、戦いの熱気が混ざり合う。
「クロウ!! 私は今日、ここでお前に誓う!! お前こそが私の唯一の王だ!! 私を娶れ!! 今日からお前が、私の旦那様だ!!」
「「「…………はぁぁぁぁぁっ!?」」」
観客席から、レイア、シルヴィア、セツナの、そして数万の観客の絶叫が重なった。
当の本人である俺は、あまりにも唐突な『求婚』に、大剣を背負ったまま石のように固まってしまった。
「な、何を言ってるんだ!? これはあくまで特別マッチで……」
「問答無用だ! 私は自分より強いオスに一生を捧げると決めている! 私を倒したお前には、その責任があるんだぞ!!」
レオナは鼻息も荒く、俺の腕を強引に抱きかかえ、その豊かな胸に押し付けてきた。
ライオンの尻尾が、まるで意思を持っているかのようにパタパタと激しく振られている。
「……クロウ、さん?」
闘技場のゲートから、笑顔ながらも目が全く笑っていないレイアが、魔法剣を抜き放ちそうな勢いで歩み寄ってくるのが見えた。
「ちょ、ちょっと待て! 事情を説明させてくれ、レイア!!」
「説明などいらん! このオスは私のものだ! 文句があるなら、かかってこい、女狐ども!!」
レオナが咆哮を上げ、俺を奪い合うような泥沼の……いや、華やかな修羅場の幕が上がろうとしていた。
帝国でのスローライフ。
その始まりは、伝説の妖狐に続き、帝都最強の獅子の猛姫という、新たな『暴風』を招き寄せることになったのだった。




