第51話 帝国の師匠たちと、真なる強さへの昇華
覇帝国ガレリアでの滞在が始まって数日。
俺たちは皇宮の広大な修練場を借り切り、それぞれの弱点を克服するための『地獄の特訓』に明け暮れていた。
「――甘い。踏み込みの瞬間に、獣の『殺気』が漏れています。それでは一流の相手には届きません」
修練場の端で、無機質な声が響く。
カテリーナ皇帝の直属メイドであり、元凄腕の暗殺者であるニーナ。彼女は、神速で背後から迫ったセツナの双剣を、振り返りもせずに指二本で挟み止めていた。
「くっ……! どうして、完全に気配を消したはずなのに!」
「速度は申し分ありません。ですが、あなたは相手の『急所』を狙う瞬間、無意識に力が入り、殺気が先行している。暗殺の極意とは、日常の延長で命を刈り取ること。……殺気は刃が触れるその一瞬まで、完全に『ゼロ』に保ちなさい」
ニーナの言葉に、セツナは悔しそうに耳を伏せながらも、真剣な眼差しで頷いた。
元々、獣人としての異常な反射神経を持つ彼女だ。そこに帝国最高の暗殺者の『気配の断ち方』と『急所への最短ルート』の技術が組み合わされば、誰も反応すらできない本物の『不可視の刃』が完成するだろう。
◆
「あらあら、また的が木っ端微塵ですわね。エルフのお嬢様、それではただの『花火』ですわよ?」
少し離れた魔法修練の区画では、妖艶なローブを纏った魔法師団長・カーミラが、クスクスと艶やかに笑っていた。
その視線の先では、シルヴィアが額に汗を浮かべ、悔しげに唇を噛んでいる。
「……魔力を込めるほど、どうしても爆発の規模が広がってしまうわ。これを、一点に留めるなんて……」
「いいこと? あなたの膨大な魔力量は素晴らしいわ。でも、巨大な岩をぶつけるより、極細の針で心臓を貫く方が、人間も魔物も簡単に死ぬのです。……魔力を『広げる』のではなく、極限まで『圧縮』なさい。貫通力(殺傷力)だけを研ぎ澄ますのよ」
カーミラが手本として指先から放った極小の炎は、爆発音すら立てず、遥か彼方にある分厚い鋼鉄の的を『綺麗な円形』に貫いてみせた。
生来の魔力量に頼り、広範囲の制圧魔法を得意としてきたシルヴィアにとって、これは全く新しい魔法の概念だった。
「圧縮して、貫く……。ええ、やってみせるわ。Sランクの誇りにかけて、必ずあなたの技術を盗んでみせる!」
「ふふっ、その意気ですわ。さあ、夜まで千本ノックですわよ?」
◆
そして、剣術の修練区画。
ガキィィィィンッ!!
「……っ、また弾かれた!」
「手首が硬いです、レイア! 大剣のように力任せに振るのではなく、相手の剣の『軌道』を読み、自分の刃を滑らせるように受け流しなさい!」
帝国騎士団の部隊長である女騎士・エリーゼの細身のレイピアが、レイアの放つ渾身の袈裟斬りをクルリと撫でるように逸らし、そのままレイアの首元へと切先を突きつけた。
「あなたは生来、非常に『器用』な剣筋を持っています。ですが、伝説級の魔法剣を手にしたことで、無意識に武器の威力に頼りきった大味な剣術になってしまっている。……その器用さを、もっと『繊細な剣の操作』に向けなさい」
厳しくも的確なエリーゼの指導。
レイアはハッと息を呑み、自身の剣の握りを見つめ直した。
「武器に振られるのではなく、私が武器を導く……。相手の力を利用して、受け流す……」
レイアは深く深呼吸をし、再び構えを取る。
次にエリーゼが放った鋭い刺突に対し、レイアは力で弾き返すのではなく、手首の柔らかなスナップを利かせ、自身の剣の『腹』で相手の力を斜めへと滑らせた。
「――そこっ!!」
チィンッ!!
完璧な受け流しからの、カウンター。レイアの寸止めされた刃が、初めてエリーゼの喉元を捉えた。
「……素晴らしい。その感覚です、レイア」
「や、やりました……! ありがとうございます、エリーゼ師匠!」
レイアがパァッと花が咲いたような笑顔を見せる。元来のセンスの良さが、帝国の洗練された技術を吸収し、急速に開花し始めていた。
◆
――そして、俺は。
「遅い。力が入りすぎじゃ。……ほれ、また死んだぞ」
スパーンッ!
「ぐはっ……!?」
先代騎士団長・ジークの振るったただの『木刀』が、俺のアビス・バスター(大剣)の側面を叩き、その反動を利用した強烈な突きが俺の鳩尾に深々と突き刺さった。
「がはっ……げほっ、ごほっ……」
「どうした、アルカディアの英雄。図体と剣ばかりがデカくて、中身はただの素人じゃのう」
俺は石畳の上を数メートル転がり、痛む腹を押さえながら立ち上がった。
基礎的な身体能力も、武器の重量も、圧倒的に俺の方が上だ。だが、この白髪の老人には、俺の剣がかすりもしない。
「……ジークさん。あんたの動き、どうなってるんだ。まるで俺の剣が当たる前に、そこに俺の剣が来ることがわかってるみたいだ」
俺が荒い息を吐きながら問うと、ジークは木刀を肩に担ぎ、深く皺の刻まれた顔でニヤリと笑った。
「わかっとるさ。お前の身体が『ここを斬るぞ』と全力で叫んどるからな」
「なに……?」
「お前さんは、一人で長く生き抜きすぎたんじゃ。常に死と隣り合わせのサバイバル……その極度の緊張感が、お前の身体の筋肉を常に『100の力』で強張らせておる。だから、動きの起こりがデカく、読まれやすい」
ジークの指摘に、俺は目を見開いた。
確かに俺は、無人島で「いつ魔物に襲われても即座に最大火力で反撃できるよう」に、無意識のうちに常に全身の筋肉を張り詰めていた。それが俺の強さの根源だと思っていた。
「いいか、若僧。真の武術とは『脱力』じゃ」
ジークは木刀をダラリと下げ、隙だらけの構えをとった。
「普段は『ゼロ』にしておき、剣が交わるその最後の一瞬だけ『100』にする。……力のオンとオフを切り替えろ。無駄な緊張を解き、自然体から放たれる一撃こそが、最も速く、最も重い」
「ゼロから、一瞬で100に……」
俺は手にした大剣の柄を、一度強く握りしめ――そして、ふっと力を抜いた。
肩の力を落とし、膝の緊張を解き、ただ静かに相手の気配だけを感じ取る。
闘気も、殺気も、すべて身体の奥底へと沈み込ませる。
「……ほう」
ジークの目の色が変わった。
「行きます」
俺は静かに地を蹴った。
先ほどまでの獣のような爆発的な踏み込みではない。足音一つ立てず、滑るように間合いを詰める。
ジークが迎撃の木刀を振り上げる。俺はその軌道を見極め――大剣がぶつかり合う直前の『一瞬』だけ、全身の筋肉を爆発的に連動させ、100の力を乗せて振り抜いた。
ドゴォォォォォォンッ!!!
「ぬうっ!?」
凄まじい衝撃音が修練場に響き渡り、ジークの身体が後方へと数メートル滑った。
俺の重い一撃を木刀で受け止めたジークの手は、微かに痺れたように震えていた。
「……なるほど。これが『力の使い方』ですか」
俺が大剣を収めて静かに呟くと、ジークは目を丸くした後、愉快そうに大笑いした。
「カッカッカッ! まさか一度の助言で、ここまで形にしてみせるとはな! 異常な生存本能に、洗練された武の技術が合わさる……こりゃあ、とんでもないバケモノが育ちそうじゃわい!」
老武の頂点が、心底楽しそうに笑う。
俺も自然と口角を上げ、再び大剣を構え直した。
◆
――こうして、帝国での過酷な1ヶ月の修行は、瞬く間に過ぎ去っていった。
「ふぁあ……お主ら、毎日毎日よく飽きずに泥だらけになるものじゃのう。わらわは退屈で死にそうじゃぞ」
修練場の特等席で、この1ヶ月ひたすらに皇宮の高級菓子を食い漁っていたタマモが、大きな欠伸をしている。
だが、その視線の先にいる俺たちは、1ヶ月前とはまるで違う『気配』を纏っていた。
俺の剣からは無駄な殺気が消え、自然体から不可視の斬撃を放てるまでに昇華した。
レイアは持ち前の器用さを極め、どんな重い一撃も柳のように受け流す完璧な防御を習得。
シルヴィアの魔法は、余分な爆発を抑え込み、万物を貫く極大圧縮の光線へと進化。
そしてセツナは、気配と殺気を完全に断った状態から、神速で急所を抉る真の暗殺術を身につけていた。
「カテリーナ陛下。そして師匠方……。この1ヶ月、最高の教えをありがとうございました。俺たちはついに、我流の壁を越えることができました」
俺が代表して深く頭を下げると、カテリーナやジークたちも満足そうに頷いた。
「うむ。お前たちはもはや、帝国騎士団の精鋭すらも凌駕する――」
カテリーナが賞賛の言葉を口にしかけた、その時だった。
『――ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥンッッ!!!』
突如として、帝都の空を切り裂くように、けたたましい『魔物襲来の警報魔導具』の音が鳴り響いた。
修練場にいた全員が、一斉に上空を見上げる。
「……なっ!?」
カテリーナが息を呑んだ。
帝都を覆う巨大な防壁の遥か上空。
そこには、太陽の光を遮るほどの黒い雲――いや、数百……数千という単位の『飛竜の大群』が、帝都を飲み込まんと押し寄せていたのだ。
「あれは……大陸南部の霊峰にしか生息しないはずの、飛竜の大群……!? なぜ、帝都にこれほどの数が!」
部隊長のエリーゼが蒼白になって叫ぶ。
「理由は後だ! 全軍、対空迎撃態勢! 魔法師団、結界の出力を最大にしろ!!」
カテリーナが即座に皇帝としての威厳ある声を張り上げ、皇宮内が蜂の巣をつついたような騒ぎになる。
このままでは、帝都は火の海だ。
だが、その絶望的な光景を見上げながら――俺たち『四人』は、一切の動揺を見せず、ただ静かに各々の武器へ手をかけていた。
「……クロウ」
レイアが、自信に満ちた目で俺を見る。セツナも、シルヴィアも、誰も怯えてなどいない。
「ああ。……ちょうどいい『力試し』の相手が来てくれたな」
俺は『伝説級:深淵の剣盾』の柄を静かに握りしめる。
15年の泥臭い生存本能と、帝国の洗練された武の極致。その二つが完全に融合した、俺たちのパーティの真の実力を披露する時が来たのだ。
「カテリーナ陛下。……この1ヶ月の『授業料』、俺たちがその飛竜の群れで支払わせてもらいますよ」
驚愕する女皇帝と師匠たちを背に、俺たちは空を覆い尽くす厄災の群れへと向かって、静かに歩みを進めた。




