第50話 武の頂点との決闘、そして我流の限界
帝都の皇宮の裏手にある、皇帝専用の広大な修練場。
そこで俺は、覇帝国ガレリアの頂点に君臨する女皇帝・カテリーナと相対していた。
「さあ、来い。アルカディアのSランクの力、私に見せてみろ」
カテリーナが、装飾の施された美しい長剣を正眼に構える。
その瞬間、彼女から放たれた『気』の重さに、俺は背筋が凍るような錯覚を覚えた。
これまでに相対してきた災害級の魔物たちのような、暴力的で巨大なプレッシャーではない。どこまでも冷徹で、一切の無駄がなく、俺の急所だけを正確に貫こうとする『洗練された殺気』だ。
「……行くぞ」
俺は『伝説級:深淵の剣盾』の柄を強く握りしめ、地面を爆発的に蹴り飛ばした。
15年のサバイバルで培った、獣のような踏み込み。一瞬で距離を詰め、大剣の重さと遠心力を利用した袈裟斬りを放つ。
並の騎士なら、防御ごと両断される死力の一撃。
――だが。
「……遅いな。力に頼りすぎだ」
カテリーナは表情一つ変えず、最小限の動きで大剣の軌道を『いなし』た。
ガキィィィンッ!!
俺の大剣が虚しく空を切り、石畳を叩き割る。体勢が崩れたその一瞬の隙に、カテリーナの長剣が、俺の首筋へと吸い込まれるように迫っていた。
「くっ……!」
俺は異常に発達した生存本能だけで首を捻り、紙一重でその切先を躱す。だが、彼女の剣撃はそこで終わらなかった。
流れるような水面のごとき連撃。突き、払い、斬り上げ。
まるで息をするように自然に放たれるその剣技には、俺のサバイバル格闘術のような『泥臭さ』が一切ない。何百年という歴史の中で、人間を効率よく殺すために磨き抜かれた、帝国の『武の極致』だった。
(……マズい。完全に手玉に取られてる)
一撃の威力や、基礎的な身体能力、武器の性能自体は俺の方が上のはずだ。だが、圧倒的な技術の差がそれを完全に覆している。
俺は防戦一方になりながらも、彼女の剣の軌道を必死に観察し、死中の活路を探った。
「どうした、その程度か!? 防いでばかりでは勝てんぞ!」
「……ッ、オォォォォッ!!」
カテリーナの鋭い突きをアビス・バスターの腹で弾き返した瞬間、俺はあえて体勢を大きく崩し、死角から足元の砂を蹴り上げた。
「目くらましか!」
カテリーナが砂を避けるために一瞬だけ視線を外す。その僅かな隙を突き、俺は武器のリーチを捨て、体当たりに近いほどの至近距離へと懐に潜り込んだ。
そして、手首の返しだけで大剣の切先を跳ね上げ、彼女の喉元にピタリと寸止めした。
「……そこまでです」
俺が荒い息を吐きながら告げると、カテリーナは目を丸くし、やがてフッと口角を上げた。
「……ああ、私の負けだ。見事な生存本能と、泥臭い一撃だった」
彼女の言う通りだった。俺の大剣が喉元を捉えていたのと同時に、彼女の長剣の切先は、俺の心臓の表面にピタリと触れていたのだ。
身体能力と伝説級の武器の性能、そして手段を選ばないサバイバルの奇策で、辛うじて『相打ちに近い勝利』をもぎ取ったに過ぎない。純粋な剣術の勝負であれば、俺は最初の三手で細切れにされていただろう。
「いえ、私の完敗に等しい結果です。……独学の剣技の『限界』を、痛いほど思い知らされました」
俺が素直に大剣を収めて深く頭を下げると、カテリーナは満足そうに頷き、剣を鞘に納めた。
◆
「さて、次は私たちの番ですね」
俺とカテリーナの一騎打ちが終わり、修練場の空気は再び張り詰めた。
レイア、シルヴィア、セツナの三人が、帝国の精鋭たちとの模擬戦に臨んでいたのだ。(タマモは修練場の隅で、優雅にお茶とお菓子を楽しんでいる)。
だが、その結果は――俺たちにとって、残酷なほど明確な実力差を突きつけるものだった。
「そこまで。膂力と魔力は素晴らしいですが、剣の『理合』がなっていませんね」
レイアの伝説級の魔法剣を、細身のレイピアで軽々と絡め取り、手から弾き飛ばしたのは、帝国騎士団の部隊長を務めるという女騎士だった。
力任せの斬撃では、彼女の精密機械のようなパリィとカウンターの前に、すべて無力化されてしまったのだ。
「そんな……私の剣が、全然当たらない……っ」
レイアが愕然と膝をつく。
一方、シルヴィアの戦闘も終わっていた。
「あらあら、Sランクのエルフさんともあろう者が、随分と大味な魔法を使いますのね。……それでは、本当に殺したい敵の『急所』は貫けませんわよ?」
グラマラスな肢体を妖艶なローブに包んだ女性――帝国魔法師団長が、シルヴィアの喉元に『極限まで圧縮された氷の針』を突きつけて微笑んでいた。
シルヴィアの魔法は広範囲を制圧するのには向いているが、一人の強者を確実に殺し切るような『鋭さ』に欠けていたのだ。
そして、最も衝撃的だったのはセツナの敗北だった。
獣人としての圧倒的な素早さを誇るセツナの背後に、いつの間にか音もなく『一人のメイド』が立ち、その首筋に冷たい短剣を当てていた。
「速いだけでは、一流には届きません。……あなたの速度には、まだ『殺気』のブレがあります」
カテリーナ皇帝の直属だというそのメイドは、感情の読めない瞳で淡々と告げた。
後で聞いた話だが、彼女は元々帝国を脅かす凄腕の暗殺者であり、カテリーナが自ら武力でねじ伏せ、メイドとして従わせているのだという。速度の極致を体現したような、恐ろしい女だった。
◆
「……見事な完敗だな」
夕刻。修練場の控え室で、俺たちは沈痛な面持ちで集まっていた。
レイアも、シルヴィアも、セツナも、これまでにない敗北感に打ちひしがれている。俺自身も、勝ったとはいえカテリーナとの技術の差に愕然としていた。
王都の地下でSランクになったと驕っていたわけではない。
だが、世界にはまだ、純粋な『武の極致』という見知らぬ天井が存在していたのだ。
そこへ、軍服姿のカテリーナが足音を響かせて入ってきた。
「落ち込むことはない。お前たちの身体能力と実戦経験は本物だ。ただ、正しい『技術』を知らないだけのこと。……さて、クロウ。私に勝った報酬として、何でも一つ望みを聞こうと言ったな。金か? 地位か? それとも、帝国の宝物庫の鍵か?」
カテリーナが面白そうに尋ねる。
俺は仲間たちと顔を見合わせ、深く頷き合ってから、女皇帝の目を真っ直ぐに見返した。
「カテリーナ陛下。金も地位も必要ありません。……私たちが望むのは、『師匠』です」
「ほう?」
「陛下の剣は、本当に凄まじいものでした。先ほどの部隊長や、魔法師団長、メイドの方もです。……お願いです。この帝国に滞在する間、私たちにその『洗練された技術』をご教示いただけないでしょうか。もし、陛下を育て上げた『師匠』がおられるなら、その方をご紹介いただきたいのです」
強くなるためなら、皇帝相手でも素直に頭を下げて教えを乞う。それが15年のサバイバルで学んだ、生き残るための鉄則だ。
俺の真っ直ぐな要求を聞いたカテリーナは、目を丸くして数秒間固まり――やがて、腹の底から湧き上がるような大爆笑を響かせた。
「フ、フハハハハハッ!! まさかSランクの英雄が、他国の皇帝に向かって『教えを乞う』とはな! お前たちのその底なしの貪欲さ、嫌いではないぞ!」
カテリーナはひとしきり笑った後、嬉しそうに口角を吊り上げた。
「いいだろう。お前たちの覚悟、確かに受け取った。部隊長も、魔法師団長も、私のメイドも、お前たちの指導役として貸し出そう。……そしてクロウ、お前の師匠だが」
カテリーナがパチンと指を鳴らすと、控え室の奥の扉が開き、一人の『老人』が静かに姿を現した。
「……呼んだか、カテリーナ」
「紹介しよう。かつての帝国騎士団・先代団長にして、私の剣の『師匠』でもある男だ」
白髪と白い髭を蓄え、枯れ木のように細い体躯をした老人。
だが、その皺だらけの双眸から放たれる『気』は、カテリーナのそれすらも凌駕する、底知れない深淵の如き静けさを湛えていた。
老人はゆっくりと俺たちを見渡し、ニヤリと剣呑な笑みを浮かべた。
「わしが教えるからには、生半可な修練では済まさんぞ。……お前たちがこの帝国に滞在する『一ヶ月』、地獄を見る覚悟はできとるんじゃろうな、アルカディアの若者たちよ」
歴戦の老将からの、過酷な宣告。
こうして、俺たちが真の武の極致へと至るための、帝国での厳しい修行の日々が幕を開けようとしていた。




