第47話 伝説の妖狐タマモと、退屈しのぎの同行契約
霊山の奥深く、黄金の結界内。
Sランクのシルヴィア、そして共に死線を潜り抜けてきたレイアとセツナ。この国でも最高峰の実力を持つ三人の連携を、桜色の着物を着た小さな妖狐は、涼しい顔でことごとく受け流していた。
「くふふ、まだまだじゃのう! さあ、もっとわらわを楽しませるのじゃ!!」
三本の巨大な尻尾を揺らし、無邪気に笑う妖狐。その小さな体には、エルフであるシルヴィアでさえ底が見えないほどの、膨大で高密度な魔力が内包されている。
「……レイア、セツナ、シルヴィア! 一旦下がれ!」
これ以上、彼女たちだけで相手をさせるのは危険だ。俺は鋭く声を飛ばし、三人を後方へ退かせた。
そして、『伝説級:深淵の剣盾』の盾形態をガシャリと解除し、身の丈ほどもある無骨な「大剣」へと変形させる。
大剣の柄を両手で握りしめ、妖狐の正面へと進み出る。
一歩、また一歩。石畳を踏みしめるたびに、俺の意識は深く、冷たい場所へと沈んでいった。
魔力による強化ではない。
15年間、誰もいない絶海の無人島で、常に『死』と隣り合わせの極限状態を生き抜いてきた日々の記憶。
木を削り、泥にまみれ、血を浴びて、ただ明日を迎えるためだけに魔物の喉笛を掻き切ってきた、純粋で淀みのない『殺意』と『生存本能』。
それが形を持ったどす黒い闘気となって、俺の全身から陽炎のように立ち上り始めた。
「……ほう?」
妖狐がピクリと狐耳を動かし、面白そうに目を細める。
俺は呼吸を深く、静かに整えた。狙うは一撃。相手の神速のステップを完全に読み切り、退路を塞ぎ、この空間ごと叩き斬る。ただそれだけだ。
ギリッ、と。
俺のブーツが石畳を踏み砕き、極限まで練り上げられた殺気が、結界内に舞い散る黄金の桜吹雪をピタリと空中で静止させた、その瞬間。
「…………あっ、やめじゃ!!」
「「「……はい?」」」
突如として。
妖狐は構えていた小さな両手をパッと下ろすと、ペタンとその場に座り込み、全力で首を横に振った。
「やめやめ! 降参じゃ! お主、冗談キツイぞ! 人間の皮を被ったなんのバケモノじゃ!? これ以上本気でやり合ったら、わらわのこの美しい庭園が木っ端微塵になってしまうわ!!」
「……えっと」
俺は極限まで高めていた闘気の行き場を完全に失い、大剣を上段に構えたまま、ポカンと呆気を取られてしまった。
背後のレイアたちも、突然の戦闘放棄に絶句している。
「な、なんだよ。そっちから『楽しませろ』って仕掛けてきたんだろうが」
「アホウ! 手合わせの範疇を超えるドス黒い殺気じゃったぞ今の! 命がいくつあっても足りんわ! まったく、帝国の刺客はとんでもない狂犬を寄越したものじゃ……」
小さな妖狐が、やれやれと短い腕を組んでため息をつく。
何百年と生きた伝説の化生だからこそ、俺が放った本気の闘気の『ヤバさ』を、直感で正確に測り切ったのだろう。
「だから、刺客じゃないと言ってるだろう。俺たちは、麓の村の子供たちを迎えに来ただけだ」
俺が毒気を抜かれて大剣を背中に収めると、祠の影に隠れていた子供たちがタタタッと駆け寄ってきた。
「あっ、クロウのお兄ちゃんだ! 村長のおじいちゃんが呼んでくれたの?」
「そうだ。お前たち、大人に内緒でこんな山奥まで入ってきちゃダメだろう。村中が大騒ぎになってるぞ」
「ごめんなさい……スパイスを探してたら迷子になっちゃって。……そしたら、このお姉ちゃんが『森の獣に食われる前に、結界の中に入れてやる』って助けてくれたの!」
子供たちの説明を聞き、妖狐は「ふんっ」とそっぽを向いて自慢げに胸を張った。
「そういうことじゃ! わらわは迷い込んだ人間の小童を保護してやっておった、慈悲深く偉大な妖狐じゃぞ!」
「……そうだったのか。事情も知らずに大剣を向けて悪かったな。俺はクロウ。あんたの名前は?」
「ふふん、わらわの名は『タマモ』じゃ! 伝説の妖狐タマモと、畏れ敬うがよい!」
タマモと名乗った小さな妖狐は、三本の立派な尻尾をふりふりと揺らしてふんぞり返った。
俺は小さく息を吐き、タマモに向かって真っ直ぐに頭を下げた。
「子供たちを守ってくれてありがとう、タマモ。……それじゃあ、俺たちはこの子たちを村に送り届けるから、これで失礼するよ」
「う、うむ! 大儀であった! 気をつけて帰るのじゃぞー!」
タマモがパタパタと手を振る。
俺たちは子供たちの手を引き、シルヴィアが開けた結界の亀裂を通って、外の山道へと出た。
一件落着。これで麓の村長たちも安心するだろうし、俺たちも帝国への旅を再開できる。
そう思って、霊山の山道を数分ほど下った、次の瞬間だった。
ギュッ。
「ん?」
俺のアビス・クローク(服)の裾を、小さな手がしっかりと掴んでいた。
振り返ると、そこには結界の中に残してきたはずの、タマモの姿があった。
「……お前、なんで結界から出てきてるんだ?」
「わ、わらわも行くのじゃ!」
「……は?」
タマモは俺の服の裾をぎゅっと握りしめたまま、上目遣いで駄々をこね始めた。
「わらわも行く! お主らと一緒に、外の世界へ行くのじゃ!!」
「いやいや、お前はずっとあの結界の山に住んでる伝説の存在なんだろ? ついてきても困るんだが」
「うるさいうるさい! もう限界なんじゃ! 数百年もずーっとあの庭に引きこもっておって、来る日も来る日も代わり映えのしない景色……。暇で暇で死にそうじゃったんじゃ!!」
まさかの『暇つぶし』。
セツナやレイアが「数百年引きこもり……」「暇だからって……」と呆れたように顔を見合わせている。
「そんなの知るか。俺たちの旅は遊びじゃない。帝国への厄介な指名依頼の途中だし、お前みたいなワガママで目立つ奴を連れて行ったら、絶対に余計なトラブルになる」
「むきーっ! お主、わらわの実力を見たじゃろ!? 旅の護衛にはうってつけじゃぞ! そこのエルフの娘よりも役に立ってやるわ!」
「あら? 言ってくれるじゃないの、小狐ちゃん」
シルヴィアがピクッとこめかみを引きつらせる中、俺はタマモと視線の高さを合わせ、真剣な顔で冷たく言い放った。
「……いくら伝説の妖狐だろうが関係ない。俺たちのパーティに入るなら、俺の決めた『人間のルール』に絶対に従ってもらう。むやみに幻術で人をからかわないこと。人間の街に入る時はその目立つ耳と尻尾を隠すこと。そして、俺の指示を聞くことだ」
俺の強い言葉に、タマモはビクッと耳を震わせた。
しばらく何かを考えるように視線を彷徨わせていたが、やがてギュッと拳を握りしめ、パァッと明るい笑顔を見せた。
「わ、わかったのじゃ! お主のルールに従う! 約束するから、わらわも一緒に連れて行くのじゃー!」
「……はぁ。言ったからには、絶対に守れよ」
俺が深い溜め息をつきながらその頭を撫でてやると、タマモは「えへへ」と嬉しそうに三本の尻尾をパタパタと振った。
こうして。
麓の村に無事子供たちを送り届けた俺たちの旅路に、極度の暇を持て余した伝説の妖狐『タマモ』が、新たな仲間として加わることになったのだった。




