第46話 霊山の結界と、伝説の妖狐
前夜のスパイス香る宴の余韻も冷めやらぬ、翌朝のこと。
俺たちがタロウの馬車で出発の準備を整えていると、村の広場の方が何やら騒がしいことに気がついた。
「困ったのう……」
「どうしよう、よりによってあんな奥深くまで……」
村長をはじめ、大人たちが顔を真っ青にしてざわついている。ただ事ではない雰囲気を感じ取り、俺たちは荷造りの手を止めて彼らの元へ歩み寄った。
「村長、どうかしたんですか? 皆さん集まって、ひどく慌てているようですが」
俺が冷静に声をかけると、村長はハッとして振り返り、深く溜め息をつきながら重い口を開いた。
「ああ、クロウ殿……。実は、村の子供たちが……私の孫も含めて三人、今朝から姿が見えんのです。見張りの話では、夜明け前に『黄金のスパイス』を採りにいくと言って、奥の霊山へ入ってしまったらしく……」
「霊山へ……? あの、昨日言っていた特別なスパイスが採れる山ですね」
レイアが眉をひそめると、村長は痛ましそうに顔を歪めた。
「左様です。あの山は、ふもとから中腹までは安全にスパイスが採れるのですが……さらにその奥深く、『霊山の深部』は古くから伝説の妖狐が住まうと言われ、我々大人でも決して立ち入らぬ禁忌の場所。子供たちはスパイス探しに夢中になるあまり、その奥へ迷い込んでしまったようで……。万が一、妖狐の逆鱗に触れてしまっていたらと……」
村長は震える両手を握り合わせた。
なるほど、そういうことか。俺は仲間たちと顔を見合わせた。帝国の指名依頼という急ぎの用はあるが、セツナの同胞であり、温かい歓迎と絶品カレーを振る舞ってくれた村の危機を、ただ黙って見過ごすわけにはいかない。
「……わかりました、村長。俺たちがその子供たちを連れ戻してきます」
「えっ……!? か、しかし、皆様は帝国への旅の途中で……それに妖狐は伝承に残るほどの恐ろしい化け物ですぞ!?」
「世界旅行の少しの寄り道ですよ。それに、最高のスパイス(食材)の産地を、危険なままにしておくのも寝覚めが悪いですからね」
俺が微笑みながらそう告げると、村長や周囲の大人たちはパァッと顔を輝かせ、何度も地を這うように頭を下げた。
「おおお……っ! ありがとうございます……! どうか、どうか子供たちを……っ!」
俺たちはタロウと馬車を村に残し(もちろん大量の肉とスパイス炒めを置いて)、クロウ、レイア、セツナ、シルヴィアの四人で、鬱蒼と茂る霊山の奥深くへと足を踏み入れた。
◆
霊山の中は、昨日までの山道とは打って変わって、異様なほど静まり返っていた。
鳥の声も、虫の羽音すらもしない。ただ、濃密で、どこか甘いような魔力の気配が、霧のように立ち込めている。
「……待って。ここから先、空気が歪んでるわ」
先頭を歩いていたシルヴィアが、不意に足を止めた。
彼女の鋭い瞳が、何もない空間を凝視している。
「強力な『幻術』と、物理的な侵入を阻む『多重結界』よ。……エルフの森の結界よりも、遥かに高密度で古臭い魔力を感じるわね。おそらく、数百、数千年は維持され続けているものだわ」
「なるほど。ここが妖狐の『縄張り』というわけか」
俺はシルヴィアの言葉に頷き、自身の魔力を指先に集中させて結界の表面に触れてみた。
ビリッ、と弾かれるような衝撃。ただの力任せでは破れない、位相をずらした複雑な結界だ。
「シルヴィア。お前の弓で、この結界の『魔力の流れ』を一時的に乱せるか?」
「ええ、少し時間をくれれば可能よ。……ただし、乱せたとしても一瞬だけ、人一人が通れるほどの隙間しかできないわ」
「十分だ。俺の【時空間魔法】(アイテムボックス)なら、その一瞬の隙間を『固定』して、全員を通すことができる」
俺の提案に、シルヴィアはニヤリと笑い、『伝説級:星砕きの竜弓』を構えた。
彼女が魔力を込めた矢を結界の特定座標へ放つと、黄金の火花と共に、結界の表面に小さな、歪な『亀裂(隙間)』が生じた。
「――今だ!!」
俺はその瞬間を逃さず、自身の【時空間魔法】を亀裂の空間へと干渉させた。
固定。本来なら一瞬で閉じてしまう結界の裂け目を、強引に『空間の歪み』として固定する。
「よし、通れるぞ! 急げ!」
俺の合図と共に、レイア、セツナ、シルヴィアが次々と亀裂を潜り抜ける。
最後に俺が飛び込み、固定を解除すると、黄金の結界は音もなく元通りに修復された。
◆
結界の中は、外の鬱蒼とした山とはまるで別世界だった。
黄金色に輝くススキが風に揺れ、季節外れの桜が舞い散る、まるで夢のような美しい庭園が広がっている。
そしてその奥、立派な古びた祠の前で――俺たちは、探していた子供たちを発見した。
「わぁーっ! お姉ちゃん、その尻尾すごい!! もふもふだー!!」
「これこれ、引っ張るでないのじゃ! 妾の気高い尻尾を粗末に扱うとは、良い度胸じゃな!」
子供たちと一緒に遊んでいたのは――。
桜色の着物を着た、小さな女の子だった。
頭にはぴょこぴょこと動く狐の耳。そしてお尻からは、子供たちの身長ほどもある、白くてもふもふとした立派な尻尾が三本、優雅に揺れている。
(のじゃ……? あんな小さな子が、のじゃ口調……?)
俺が内心で驚いていると、その小さな妖狐は俺たちの気配に気づき、ハッと子供たちを背後に隠した。
その瞬間。彼女の小さな体躯から、これまでの甘い空気が一変し、肌を刺すような常軌を逸した『魔力の圧』が放たれた。
「――何奴じゃ。妾の聖域に、断りもなく足を踏み入れる不届き者は。……ほう、人間の分際で妾の結界を破るとは、骨のある奴らよのう」
小さな子供の姿、のじゃ口調。
だが、そこから放たれるプレッシャーは、間違いなくSランク級……シルヴィアと同等か、それ以上のものだった。
「妾の客(子供たち)を奪いにきた、帝国の刺客か? ……くふふ、面白い。久しぶりの余興じゃ、妾自ら遊んでやろうぞ!!」
「待て、俺たちは刺客じゃない! 子供たちを連れ戻しにきただけだ!」
俺の制止も聞かず、妖狐は小さな手を見得を切るように構えた。
直後。黄金の桜吹雪が舞い上がり、彼女の姿が霧のように掻き消える。
「――そこねっ!!」
シルヴィアが即座に弓を引き絞り、何もない空間へと魔力矢を放った。
ドガァァァンッ!!
空間が弾け、そこから小さな狐の姿をした妖狐が飛び出した。
「おのれ、エルフの分際で妾の幻術を見破るとは! ……じゃが、これならどうじゃ!!」
小さな狐がクルクルと回転すると、無数の『黄金の狐火』が生成され、俺たちを追尾するように襲いかかってきた。
「セツナ、レイア、子供たちを庇え!!」
俺は叫ぶと同時に、背中の大剣を盾の形態に変形させ、黄金の狐火の雨の真正面へと立ちはだかった。
ズドドドドドドォォォォンッ!!!
「ぐぅっ……! なんて重い火炎だ……っ!」
伝説級の盾越しでも、俺の腕の骨が軋むほどの凄まじい熱量と魔力の衝撃。
俺は死力でアビス・バスターを大地に押し付け、仲間たちへの被害を完全に防ぎきった。
狐火が晴れた隙を突き、レイアとセツナが連携で妖狐へと肉薄する。
だが――。
「妾の速度に、ついてこれるかのう?」
小さな妖狐は、レイアの『一本の線』の斬撃を紙一重で躱し、セツナの神速の連撃すらも、まるで踊るように全て受け流してみせた。
「……嘘。私の攻撃が、一つも当たらない……っ!?」
「くふふ、まだまだじゃのう! さあ、もっと妾を楽しませるのじゃ!!」
小さな体で、SランクとAランクの仲間たちを赤子同然にあしらう圧倒的な実力。
これが、霊山に住まう伝説の妖狐……!
俺はアビス・バスターを大剣に戻し、サバイバーとしての死力を尽くして、小さな妖狐との『勘違いの手合わせ』へと身を投じるのだった。




