第122話 滅びゆく国と、深淵の靴
円卓の会議室は、完全に葬式のような空気に包まれていた。
冒険者ギルドの重鎮たちから、事実上の国家滅亡宣告とも言える苛烈な決断を下されたアルカディア王国の貴族たち。
彼らは真っ白な灰になったかのように項垂れ、もはや誰一人として一言も発することができなくなっている。
俺たち覇帝国ガレリア側の使節団は、そんな彼らを一瞥することもなく、静まり返った冷え切った会議室を後にした。
「……見事な自滅だったわね。まさか、あそこまで自分たちの立場を理解していない愚か者の集まりだったとは。」
王城の長い廊下を歩きながら、シオン皇女が呆れたようにボソリと呟いた。
「ええ。ですが、彼らが自ら招いた結果です。我々が同情する余地は一切ありません。」
セオドア伯爵が片眼鏡を押し上げ、ひどく淡々と応じる。
「私と殿下は、このまま王城の別室へと向かい、王国との国境線や今後の不干渉に関する細かな事務手続きを進めます。……クロウ殿たちへの詫び金やアーティファクトの譲渡については、王国側の担当者と直接調整していただいて構いません。」
「ああ、わかった。そっちの手続きも任せるよ。長丁場になるだろうが、気をつけてな。」
俺が頷くと、セオドア伯爵とシオン皇女は護衛のセリアを伴って、別の回廊へと歩いていった。
残された俺とレイアたちの前に、重い足取りで一人の男が歩み寄ってきた。
「……クロウ殿。そして皆様。」
バベルの領主、アルバート伯爵だった。
彼はひどくやつれた顔をしていたが、その瞳の奥には、腐敗した国の中で泥水を啜ってでも生き残ろうとする、強い覚悟の炎が消えずに残っていた。
「此度の件、我が国の不手際により、多大なる不快な思いをさせてしまったこと……担当者として、深くお詫び申し上げる。」
彼が深く頭を下げたのを見て、俺は静かに首を横に振った。
「頭を上げてください、伯爵。今回の件で、俺からあなたに直接詫びてもらうようなことは何もありません。」
俺がそう告げると、アルバート伯爵はハッとして顔を上げた。
「むしろ、俺たちがバベルで冒険者を始めたばかりの頃は、あなたが色々と後ろ盾として融通を利かせてくれた。その恩は、俺も忘れていません。」
俺は、彼の目を真っ直ぐに見据えた。
「俺たちはこの国を去りますが……もし今後、個人的にどうしても困ったことがあれば、俺を頼ってほしい。国同士の揉め事には手を出せませんが、あなたやシャルロッテ嬢の身に危険が迫った時は、必ず助けに行きます。」
俺の言葉に、アルバート伯爵の瞳が微かに潤んだ。
「……クロウ殿。絶大な力を持つ貴方に、そこまで言っていただけるとは。このアルバート、感謝に堪えません。」
彼は深く、重々しく一礼をした。
「我がアルバート家も、これから衰退していく国と共に、いずれは小さくなっていくでしょう。ですが、私は私にやれることを、ひたすらにやるだけです。……クロウ殿たちには、こちらこそ大変世話になった。」
伯爵の顔には、もう迷いはなかった。
責任を押し付け合うばかりの貴族たちとは違う。彼は自分の足で立ち、最後まで領主としての責務を全うするつもりなのだろう。
「そういえば……うちの娘のシャルロッテが、クロウ殿やレイア殿たちの活躍に影響を受けて、いずれ冒険者になると言い出しましてな。」
アルバート伯爵が、ふっと口元を和ませて苦笑した。
「シャルロッテお嬢様が、冒険者に?」
レイアが目を丸くする。
「ええ。クロウ殿たちのような、誰かを助けられる強い人になりたいと。毎日、屋敷の庭で剣の素振りをしておりますよ。」
「まあ。あのおしとやかなお嬢様が、剣を……。」
シルヴィアも、驚きつつも微笑ましく頬に手を当てた。
「ふふっ、いいじゃないか! アタシがいつか、みっちりしごいてやるよ!」
レオナが、嬉しそうにハルバードの柄を叩く。
「ご主人様の後輩ですね! 私も応援します!」
セツナが銀色の尻尾をパタパタと揺らす。
「うむ! わらわも、可愛い娘が頑張る姿を見るのは嫌いではないぞ!」
タマモも、面白そうに三本の尻尾を揺らして笑った。
「もしかすると、いずれどこかの国で、彼女が皆様にお会いすることもあるかもしれません。……その時は、どうか未熟な娘をよろしく頼みます。」
アルバート伯爵が頭を下げたのを見て、俺は少しだけ不思議に思い、尋ねた。
「貴族のご令嬢が冒険者になってもいいのですか? 後継ぎや、政略結婚の話なんかもあるでしょうに。」
俺の問いに、アルバート伯爵は自嘲気味に笑った。
「……もう、この国は長くはないでしょうからね。沈みゆく船の家督など継がせるより、自分の力で広い世界を歩ませた方が、あの子にとっても幸せでしょう。」
その言葉には、父親としての深い愛情と、為政者としての冷徹な現状認識が入り混じっていた。
「……わかりました。もしどこかで会ったら、美味しいご飯くらいはご馳走しますよ。」
「ええ。クロウ殿の手料理ならば、あの子も大喜びするでしょう。」
そんな穏やかな雑談を交えながら、俺たちは王城の別室へと移動し、詫び金の受け渡しを行った。
用意されたのは、俺たちがバベルの家と土地を明け渡した精神的苦痛と、国家権力による不当な脅迫に対する莫大な慰謝料だ。
長机の上には、眩い光を放つ白金貨が山のように積まれていた。
「こちらが、要求された額の全額になります。ご確認を。」
「確かに。ありがたく受け取っておきます。」
俺は右手をかざし、白金貨の山をそっくりそのまま時空間魔法のインベントリへと収納した。
無人島でサバイバルをしていた頃は、金など何の価値もないただの金属片だった。だが今では、俺たちの快適な生活を支え、新たな拠点を充実させるための確かな資産となっている。
インベントリに眠る莫大な資金に比べれば、この白金貨の山もほんの一部に過ぎない。
だが、王国にしっかりと代償を払わせるという事実が重要なのだ。
「それでは、最後にアーティファクトの譲渡ですね。王家の宝物庫へご案内いたします。」
アルバート伯爵の先導で、俺たちは王城の地下深くへと降りていった。
◆
分厚い鉄の扉が開かれ、王国が歴史の中で溜め込んできた宝物庫の全容が明らかになった。
金銀財宝や、精巧な美術品、そして魔力を帯びた様々な武具が、所狭しと並べられている。
「この中から、クロウ殿のお目に適うものを一つ、お持ち帰りください。」
アルバート伯爵の言葉に、レイアとシルヴィアは興味深そうに宝物庫の中を歩き回り始めた。
「綺麗な剣ですけど……私が使っている剣の魔力伝導率と比べると、少し物足りないですね。」
レイアが、飾られていた煌びやかな装飾剣を少しだけ鞘から抜いて確認し、そっと元に戻す。
「こちらの杖も、魔力回路の編み込みが少し甘いわ。……カーミラ師匠の極大圧縮には耐えられないかもしれないわね。」
シルヴィアも、杖の宝玉に触れながら静かに評価を下す。
「アタシのハルバードの方が、ずっと重くて頑丈だよ!」
「私の短剣の方が、ずっと鋭いです。」
レオナとセツナも、並べられた武具を一瞥してすぐに興味を失ってしまった。
「むぅ。どれもこれも、わらわの狐火の足しにもならんのう。」
タマモに至っては、欠伸をしながら俺の足元でゴロゴロし始めている。
「ピヨッ。」
フレイも、つまらなそうに俺の肩で羽を取り繕っていた。
ガルドの天才鍛冶師ドランに打ってもらった武具や、俺が手作業で極限まで魔改造を施した装備、あるいはタマモのような存在の力と比べると、王国の宝物庫にある品々は、どれも数段見劣りしてしまうのだ。
「……クロウ殿。お気に召すものはございませんでしたか?」
アルバート伯爵が、少し申し訳なそうに尋ねてくる。
「いや、素晴らしい品ばかりですよ。ただ、俺たちの手に馴染むものは、なかなか見つからなくて。」
俺が苦笑しながら宝物庫の奥へと進んでいくと、ふと、部屋の片隅の木箱の上に無造作に置かれているある物に目が留まった。
それは、なんの装飾もない、ひどく古びた漆黒のブーツだった。
他の武具が綺麗に磨かれ、立派な台座に飾られている中で、それだけがまるで忘れ去られたガラクタのように扱われている。
だが、俺の生存本能と、身に纏っているアビス・クロークが、微かに共鳴するような感覚を覚えたのだ。
俺は無意識にそのブーツに手を伸ばし、鑑定のスキルを発動させた。
【深淵の靴】
詳細:はるか古代、深淵の底で織り上げられた特殊な繊維で作られた靴。着用者の魔力と同調し、あらゆる環境変化への適応能力を付与する。また、空間の歪みを足元で捉えることで、時空間魔法の発動速度と精密さを大幅に向上させる。
(……これは。)
俺は驚きで目を見開いた。
アビス・クロークと同じ、深淵の素材で作られた同系統のアーティファクトだったのだ。
シオン皇女のアドバイスで習得した、事象転移の斬撃。あれをさらに高次元で実戦投入するための、完璧な補助装備と言える。
誰もその真の価値に気づかず、ただの古びた靴として何百年も放置されていたのだろう。
「アルバート伯爵。……俺は、これをもらっていきます。」
俺がその漆黒のブーツを手に取ると、アルバート伯爵は目を丸くした。
「そ、それですか? それは詳細不明の古い靴で、いくら鑑定士を呼んでも価値がわからなかった品ですが……。もっと見栄えのする宝剣などをお選びにならなくてよろしいのですか?」
「ええ。これが一番、俺の足に合いそうなんでね。」
俺が満足げに微笑むと、アルバート伯爵は不思議そうな顔をしながらも深く頷いた。
「クロウ殿がそう仰るなら、構いません。……どうか、その品が貴方の旅の助けとなりますように。」
俺はアビス・ブーツをインベントリに収納し、レイアたちを振り返った。
「よし。俺たちの用事はこれで全部済んだな。シオン殿下たちがいる控室に戻ろう。」
「はいっ!」
アルバート伯爵に見送られながら、俺たちは王城の宝物庫を後にした。
俺たちの個人的な問題はすべて片付いたが、シオン皇女とセオドア伯爵の外交手続きはまだ終わっていない。
帝国への帰還まで、俺たちは護衛としての任務をしっかりと全うしなければならないのだ。
滅びへと向かう国の重苦しい空気を背中で感じながらも、俺たちの足取りはひどく軽かった。
待っているのは、温かい仲間たちと過ごす、広大な帝国の別荘での新たなスローライフだ。
その平穏な日常へ帰るため、俺たちはシオン皇女たちが交渉を続けている王城内の控室へと、静かに歩みを進めるのだった。




