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第123話 決別の調印と、帝都への帰還

アルカディア王国の宝物庫でアーティファクトを受け取った俺たちは、そのまま王城の奥にある控室へと向かった。


分厚い絨毯が敷かれた廊下を歩いていると、前方の扉から、ひどく青ざめた顔をした王国側の役人たちが、幽鬼のような足取りでぞろぞろと出てくるのとすれ違った。


彼らは俺たちの姿を見ると、ビクッと肩を震わせ、逃げるように足早に去っていく。


「……随分と、わかりやすい反応ですね。」


レイアが、呆れたように小さく息を吐く。


「ええ。自分たちの立場が完全に終わったことを、ようやく骨の髄まで理解したのでしょう。」


シルヴィアも、冷ややかな視線で彼らの背中を見送った。


俺たちが扉を開けて控室の中へと入ると、大きな長机の上には、山のような書類の束が積まれていた。


その奥のソファで、シオン殿下が深くため息をつきながら、目頭を揉んでいる。


傍らでは、セオドア伯爵が羽ペンを置き、書類の最終確認を行っていた。


「お疲れ様です。……手続きは終わりましたか?」


俺が声をかけると、シオン殿下は顔を上げ、少しだけ疲れたような笑みを浮かべた。


「ええ、クロウ。たった今、すべて終わったわ。……アルカディア王国との、完全な『不干渉条約』の締結よ。」


セオドア伯爵も、立ち上がって恭しく一礼をした。


「クロウ殿たちへの補償、そして帝国に対する不可侵の確約。さらに、王国側から我が国に対する一切の援助要請を禁ずるという、極めて強固な条約を突きつけてやりました。……これで、あの国は完全に孤立無援です。」


冒険者ギルドからの高位冒険者の派遣凍結という絶望的なペナルティに加え、帝国からの軍事的・外交的な支援も完全に絶たれたのだ。


魔物の脅威に対抗する手段を失った国がどうなるか、火を見るよりも明らかだった。


「ご苦労様でした。……シオン殿下も、初めての外交交渉で大変だったでしょう。少し甘いものでもどうですか?」


俺は右手をかざし、インベントリから淹れたての温かい紅茶と、手作りしておいた特製パウンドケーキを取り出してテーブルに並べた。


「ありがとう……。頭を使いすぎて、ちょうど甘いものが欲しかったところよ。」


シオン殿下はホッとしたように紅茶のカップを両手で包み込み、パウンドケーキを一口かじった。


「美味しいわ。……あなたの料理は、本当に心が落ち着くわね。」


「ええ、ご主人様のご飯は最高ですから!」


セツナが、誇らしげに銀色の尻尾を揺らす。


「アタシたちも、毎日旦那様のご飯が食べられて幸せだよ!」


レオナも豪快に笑いながら、自分の分のケーキに手を伸ばしている。


「うむ! わらわもこの甘いお菓子は大好物じゃ!」


タマモが子供の姿のまま、両手でケーキを持って嬉しそうに頬張った。


「ピヨッ!」


フレイも俺の肩から飛び降り、テーブルの上でケーキの欠片を啄み始める。


和やかなお茶会の空気が流れる中、シオン殿下がふと、窓の外に広がる王都の街並みを見下ろして口を開いた。


「条約の締結も終わったし、これ以上、王都の周辺に一万の軍勢を駐留させて武力を見せつける必要もないわ。……正直に言えば、こんな息苦しい国には一秒でも早くおさらばして、帝都の地下研究室に戻りたいのだけれど。」


「同感です。……ですが、一万の軍勢を連れての帰路となりますと、また五日は野営を続けながらの行軍となりますね。」


セオドア伯爵が、スケジュールを手帳に書き込みながら生真面目に答える。


その言葉を聞いて、俺は少しだけ考えるように腕を組んだ。


「……なら、俺の転移魔法で、全軍まとめて帝都に帰るか?」


俺が事も無げに提案すると、控室にいた全員の動きがピタリと止まった。


「……えっ?」


シオン殿下が、目を丸くして俺の顔を見つめる。


「ぜ、全軍まとめて、ですか!? クロウ殿、いくらなんでも一万の騎士と馬、それに大量の物資を一度に空間跳躍させるなど……。」


セオドア伯爵が、片眼鏡をズレさせるほどに驚愕の声を上げた。


「帝国軍の宮廷魔術師団が束になっても、数十人を転移させるのが限界のはずです。それを一万など……。」


セオドア伯爵の言う通り、常識的に考えれば不可能な規模の大魔術だ。


だが、俺は宝物庫で手に入れたばかりの『深淵のアビス・ブーツ』を軽く足踏みして鳴らした。


「新しい装備のおかげで、空間の歪みや魔力の波長が、足元から手に取るようにわかるようになったんだ。今の俺なら、十分いけると思うぞ。」


「それに、クロウさんは規格外ですからね。できないことなんてありませんよ。」


レイアが、俺の腕に抱きつきながら自信満々に頷く。


「ええ。クロウがやると言ったのなら、間違いなく成功しますわ。」


シルヴィアも、涼しい顔で紅茶を飲んでいる。


シオン殿下は、しばらく俺と仲間たちの顔を交互に見つめていたが、やがてふっと吹き出すように笑った。


「……そうね。理論上不可能でも、あなたならあっさりとやってのけそうだわ。」


シオン殿下は、瑠璃色の瞳に期待の光を宿して俺を見た。


「お願いできるかしら、クロウ。あなたのその規格外の魔法で、私たちを帝都まで運んでちょうだい。」


「了解した。……まあ、俺もこの国にはもう長居したくなかったし、丁度いいからな。」


俺は軽く肩を回し、皆と共に控室を後にした。



王都の郊外に広がる、広大な平野。


そこに、赤い甲冑を纏った一万の帝国騎士団が、整然と陣形を組んで整列していた。


兵士たちの間には、これから何が起こるのかという戸惑いとどよめきが広がっている。


「本当に、我々全員を一度に転移させるおつもりなのか……?」


「いくら名誉公爵閣下とはいえ、一万の軍勢を跳躍させるなどおとぎ話の領域だぞ……。」


兵士たちの囁き声を聞きながら、俺は平野の中央に立ち、大きく深呼吸をした。


「クロウ殿。準備は完了いたしました。全軍、いつでもいけます。」


セオドア伯爵が、少し緊張した面持ちで報告に来る。


「ご主人様、頑張ってください!」


セツナが、少し離れた場所から手を振って応援してくれている。


俺は頷き、足元の『アビス・ブーツ』に魔力を流し込んだ。


瞬間、足の裏から大地を通して、周囲一帯の空間の座標と歪みが、明確なビジョンとして脳内に流れ込んでくる。


(……すごいな、この靴。魔力の制御が、今までの何倍も精密にできる。)


俺は時空間魔法の術式を、限界まで広大に展開し始めた。


ゴゴゴゴゴォォォォッ……!!


大気が震え、平野の空がにわかに暗く曇り始める。


俺の足元を中心として、途方もない規模の青白い魔法陣が、一万の軍勢をすっぽりと覆い尽くすように広がっていった。


「な、なんだこの魔力密度は……!?」


「足元が、光っている……ッ!」


帝国騎士たちが、あまりの光景に息を呑み、その場に立ち尽くす。


「ほう……。相変わらず、クロウの魔力は底が知れんのう。これほどの規模の術式を、一人で寸分の狂いもなく維持するとは。」


タマモが、目を細めて感心したように頷いている。


「クロウ……あなた、本当に人間の枠に収まっていないわね。」


シオン殿下も、魔法陣の複雑な紋様を食い入るように見つめながら、圧倒されたように呟いた。


「行き先は、覇帝国ガレリア、皇宮前広場。……しっかり捕まっててくれよ。」


俺がそう告げると同時に、青白い光が巨大な柱となって天を衝いた。


視界が完全に白く染まり、浮遊感と空間が歪む感覚が全身を包み込む。


音も光も消え去り、ただ魔力の奔流だけが身体を通り抜けていく。


そして、次の瞬間。


シュンッ!!!


強烈な光が収束すると同時に、俺たちの足元には、見慣れた石畳が広がっていた。


「……と、到着したか……?」


騎士の一人が、恐る恐る目を開けて声を上げる。


そこは間違いなく、俺たちが五日前に出発した、覇帝国ガレリアの皇宮前広場だった。


一万の軍勢は、誰一人欠けることもなく、馬も物資もすべて無傷のまま、瞬きをする間に帝都へと帰還を果たしたのだ。


「おおおおぉぉぉっ!!」


「奇跡だ……! これが、名誉公爵閣下の力……ッ!」


「我々を一瞬で帝都に……信じられん!」


広場を埋め尽くす騎士たちから、俺に対する割れんばかりの歓声と賞賛の声が沸き起こった。


「ふう……。なんとか上手くいったな。」


俺が額の汗を拭うと、レイアがすぐに駆け寄ってきて、ハンカチで優しく拭ってくれた。


「お疲れ様です、クロウさん! さすがです!」


「見事だったわ、クロウ。……この魔法陣の構造、後で絶対に詳しく教えてもらうからね。」


シオン殿下が、興奮冷めやらぬ様子で手帳を握りしめている。


「まあ、殿下が満足してくれたなら何よりだ。」


俺は苦笑し、無事に帰還できたことに小さく息を吐いた。



その後、俺たちはそのまま皇宮の奥へと向かい、カテリーナ皇帝の執務室へと足を踏み入れた。


玉座に腰掛けるカテリーナ皇帝は、シオン殿下とセオドア伯爵からの報告を聞き終えると、腹の底から響くような豪快な笑い声を上げた。


「ははははっ! 見事な交渉だ、シオン! アルカディアの連中、さぞかし絶望に顔を歪めていただろうな!」


カテリーナ皇帝が、嬉しそうに玉座の肘掛けを叩く。


「ええ、姉様。彼らは自らの愚行の代償を、これから何十年もかけて払うことになるわ。」


シオン殿下が、誇らしげに胸を張って答える。


「うむ。お前も立派に帝国の皇女としての責務を果たしたな。……よくやった。」


カテリーナ皇帝の優しい労いの言葉に、シオン殿下は少しだけ照れくさそうに目を伏せた。


「そしてクロウよ。貴様も大儀であった。」


カテリーナ皇帝の鋭い視線が、俺へと向けられる。


「ただの護衛に収まらず、最後は一万の軍勢ごと空間跳躍で帰還するとは。広場に突如として我が軍が現れたと報告を受けた時は、さすがの私も肝を冷やしたぞ。」


「ははっ、すまない。王国に長居したくなかったし、歩いて帰るのも面倒だったんでな。」


俺が肩をすくめると、カテリーナ皇帝は愉快そうに口角を上げた。


「相変わらず、貴様の常識外れには度肝を抜かれる。だが、その力あってこその名誉公爵だ。……此度の働き、帝国として深く感謝する。」


カテリーナ皇帝が、俺たちに向かってゆっくりと頭を下げる。


「これにて、アルカディア王国への使節団任務は完了とする! 貴様らも、自らの別荘でゆっくりと羽を伸ばすがいい!」


皇帝の力強い宣言と共に、俺たちの一大イベントは、ここに幕を閉じた。



皇宮を後にした俺たちは、帝都の一等地にある俺たちの別荘へと帰り着いた。


「お帰りなさいませ、クロウ様! 皆様!」


門をくぐると、従者の若者たちが揃って出迎えてくれた。


手入れの行き届いた広大な庭と、俺たちが自作した家具で満たされた温かい空間。


「やっぱり、ここが一番落ち着くわね。」


シルヴィアが、リビングの特製ソファに腰を下ろして優雅に微笑む。


「ええ! 今日はクロウさんの手料理で、お疲れ様会にしましょう!」


レイアが、エプロンを着けながら嬉しそうに提案する。


「アタシは肉がいいな! 飛び切りでかいステーキを焼いておくれよ!」


レオナが、さっそくダイニングのテーブルに陣取る。


「ご主人様、お手伝いします!」


セツナが、キッチンの前に立って尻尾を揺らしている。


「うむ! わらわも腹が減ったのじゃ!」


タマモが、俺の足元にまとわりついてくる。


「わかったわかった。今から特上の飛竜牛を焼いてやるから、少し待ってろ。」


俺はキッチンに立ち、馴染んだ包丁を手に取った。


過去のしがらみをすべて清算し、俺たちはこの武闘国家で、新たな一歩を踏み出した。


揺るぎない仲間たちと共に歩む、騒がしくも温かい日常。


俺たちの、この異世界での終わらないスローライフは、これからもずっと続いていくのだった。

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