第121話 亡国の足音と、ギルドの鉄槌
覇帝国ガレリアを出発した一万の軍勢は、アルカディア王国の領内を粛々と進み、ついに王都へと到達した。
王都の城壁をぐるりと包囲するように布陣した赤い甲冑の波は、それだけで王都の民や守備兵たちに底知れぬ恐怖を与えていた。
事前の通達があったとはいえ、これほどの軍事的圧力をかけられれば、王国側も生きた心地はしないだろう。
俺たち外交使節団の中枢メンバーは、護衛の兵を一部だけ引き連れ、王城へと足を踏み入れた。
到着したその日の夕刻、まずは形式的な顔合わせとして、俺たちはアルカディア王国の国王との謁見を果たした。
豪奢な玉座の間に座っていたのは、白髪の混じった、ひどく疲れた顔をした初老の男だった。
(……カテリーナ陛下のような覇気は、欠片もないな。)
謁見の最中、俺は護衛としてシオン皇女の背後に立ちながら、密かに国王を観察していた。
常に視線を泳がせ、問題が穏便に過ぎ去ることだけを祈っているような、事なかれ主義の保守的な態度。
前世のサラリーマン時代、責任を取ることを極端に恐れていた、本社の天下り役員たちを思い起こさせる姿だった。
謁見は当たり障りのない挨拶だけで終わり、本格的な話し合いは翌日に持ち越されることになった。
俺たちは王城の敷地内にある、他国の要人を迎え入れるための立派な別荘へと案内された。
だが、王国側も余裕がないのか、あるいは意図的な嫌がらせか、用意された夕食などのもてなしは、一国の皇女に対するものとしては少々お粗末なものだった。
「なんだい、この冷めたスープは。タロウの餌の方がまだ温かいよ。」
レオナが、テーブルに並べられた食事を見て呆れたように肩をすくめた。
「まあ、急な大軍の対応で、王国の台所もパニックになっているのでしょう。」
シルヴィアが、冷静に状況を分析して紅茶のカップを置く。
「ご主人様、お腹が空きました……。」
セツナが、銀色の耳をぺたんと伏せて俺を見上げてくる。
「仕方ない。俺のインベントリに作り置きの食材が山ほどあるから、温かいものを出し直すよ。」
俺がそう言って、熱々のシチューや焼きたてのパンをテーブルに並べると、シオン皇女やセオドア伯爵も心底ホッとしたような顔で食事に手を伸ばした。
もとより、この国からの歓迎など期待していない。
俺たちは俺たちのペースで、王都での夜を静かに過ごした。
◆
翌日。
王城の奥深くにある、広大な円卓の会議室。
そこには、帝国側と王国側の代表者たちが向かい合うようにして席に着き、重苦しい空気が漂っていた。
帝国側は、シオン皇女とセオドア伯爵。
その後ろに、俺、レイア、シルヴィア、セツナ、レオナ、タマモが護衛として直立している。
対する王国側は、国王と、青ざめた顔をした数名の重鎮貴族たち。
だが、俺が驚いたのは、王国側の席のさらに奥に、見知った顔が並んで座っていたことだった。
「……ガウェインの旦那に、バルガスのおっさんまで。」
王都の冒険者ギルドマスターであるガウェインと、迷宮都市バベルのギルドマスターであるバルガス。
二人は腕を組み、王国貴族たちを見るような険しい目つきで、静かに座っていた。
(なるほど。セオドア伯爵が言っていた通り、ギルドもこの問題に直接介入してきているわけか。)
俺が内心で感心していると、セオドア伯爵が片眼鏡をスッと押し上げ、静かに口を開いた。
「さて、アルカディア国王陛下。此度の件、我が帝国の名誉公爵に対する貴国の不当な行いについて、釈明はおありでしょうか?」
セオドア伯爵の冷たく、鋭い言葉が会議室に響く。
「我が国のランドルフ子爵が、王命を騙り、クロウ殿の屋敷を武力で脅かしたこと……誠に、弁明の余地もない。」
国王はハンカチで額の汗を拭いながら、震える声で答えた。
「当のランドルフは、アルバート伯爵によってすでに捕縛され、地下牢にて厳重な裁きを待つ身となっております。……どうか、此度の件、国と国との争いに発展することだけは……。」
「一部の貴族の暴走であったとはいえ、我が国としては、カテリーナ皇帝陛下の顔に泥を塗られたも同義。……本来であれば、国境に軍を進めてもおかしくない事態です。」
セオドア伯爵の言葉に、王国貴族たちがヒィッと息を呑む。
「ですが、我々も無益な血が流れることは望みません。……戦争を回避するための『条件』を提示いたします。」
セオドア伯爵は、一枚の羊皮紙を国王の前に滑らせた。
「一つ。アルカディア王国は今後一切、国家としてクロウ殿およびそのお仲間に関わらないこと。」
「二つ。此度の精神的苦痛と財産的侵害に対する莫大な『詫び金』を、クロウ殿に支払うこと。」
「三つ。王家の宝物庫より、クロウ殿が見定めたアーティファクトを一つ譲渡すること。」
俺は、その後ろで聞きながら少し驚いていた。
(……全部、俺への補償じゃないか。)
帝国側としては、俺という存在に恩を売り、より強固な関係を築くことが最大の目的らしい。
「こ、国として一切関わらないというのは……つまり、クロウ殿たちには二度と、我が国の土を踏んでいただけないということか……?」
国王が、絶望的な声で呟く。
「当然でしょう。貴国は自らの手で、彼らを脅し、追い出したのですから。」
シオン皇女が、一切の感情を交えない冷徹な声で言い放った。
王国側が完全に悪い以上、彼らにその条件を拒否する権利はなかった。
国王は震える手で羊皮紙を受け取り、深く首を垂れた。
「……承知した。詫び金の額とアーティファクトの選定については、後日クロウ殿と直接話し合い、必ずやご満足いただけるように手配しよう。」
「賢明なご判断です。」
セオドア伯爵が満足げに頷いた。
これで、帝国と王国の間での戦争という最悪の事態は回避された。
だが、真の地獄はここからだった。
「……帝国の話が終わったなら、次は我々冒険者ギルドの話をさせてもらおうか。」
会議室の奥から、地を這うような低い声が響いた。
立ち上がったのは、王都のギルドマスター、ガウェインだった。
隣のバルガスも、怒りを孕んだ目で国王と貴族たちを睨みつけている。
「冒険者ギルドは、中立の機関だ。だが、それは国家が冒険者の権利と安全を尊重しているという、最低限の信頼関係の上に成り立っている。」
ガウェインはゆっくりと歩み寄り、円卓の上に両手をついた。
「貴国は、ギルドが認定した最高位の冒険者に対し、権力を笠に着て財産を奪おうとした。……これは、ギルドという組織そのものに対する、国家からの明白な敵対行為だ。」
「ま、待ってくれガウェイン殿! それはランドルフ個人の暴走で……!」
「国が貴族を管理できていなかったことの言い訳にはならん。」
バルガスが、国王の言葉を冷酷に切り捨てた。
「クロウたちが大人しく出て行ってくれたからよかったものの、もし彼らが剣を抜いていれば、今頃この王都は火の海だったはずだ。……冒険者を怒らせればどうなるか、その想像力すら欠如している国に、我々ギルドはもはや協力できない。」
バルガスの言葉に、会議室の空気が氷のように冷え切っていく。
「これより、冒険者ギルド大陸本部からの決定を伝える。」
ガウェインが、懐から黒い封蝋が押された書状を取り出し、国王の前に叩きつけた。
「アルカディア王国に対する、一定ランク以上の高位冒険者の『派遣』および『依頼の受注』を、無期限で凍結する。」
その瞬間、会議室にいた王国貴族たちの顔から、完全に血の気が引いた。
「なっ……!? バ、バカな!! そんなことをされれば、我が国はどうなる!!」
「魔物のスタンピードが起きた時、高ランクの冒険者がいなければ、王国の正規軍だけで街を守り切れるはずがないだろう!!」
「辺境の防衛が崩壊してしまうぞ!!」
貴族たちが次々と立ち上がり、泡を食ったように抗議の声を上げる。
彼らの言う通りだ。
この世界において、強大な変異種や魔物の群れに対抗できるのは、一握りの高位冒険者たちだけなのだ。
その盾を失えば、国境の村や街から順番に魔物に蹂躙され、物流は途絶え、国力は急速に衰退していく。
「それがどうした。」
ガウェインは、騒ぎ立てる貴族たちを一瞥し、鼻で笑った。
「自国の最大の抑止力を、自らの手でゴミのように捨てたのは貴様らだろうが。……その報いは、自国の軍隊で血を流して払うんだな。」
「ぐっ……!!」
ガウェインの正論の前に、貴族たちは言葉に詰まり、その場にへたり込んだ。
国王は、頭を抱えて机に突っ伏し、微かに嗚咽を漏らしていた。
(……これが、一国が緩やかに滅びていく瞬間か。)
俺は、背筋が寒くなるような思いでその光景を眺めていた。
帝国が一兵も動かさずとも、アルカディア王国は自らの愚行によって、自滅への道を歩むことが確定したのだ。
その事実の重さに、俺の横に立つレイアやシルヴィアも、静かに息を呑んでいた。
「ご主人様……なんだか、あの人たち、自業自得とはいえ可哀想になってきました。」
セツナが、小さな声で俺の耳元で囁く。
「そうだな。だが、俺たちが同情する義理はない。」
俺が静かに返すと、セツナは「はい」と頷いて身を引いた。
「ふん。自分の首を絞めるような真似をするからじゃ。」
タマモが、呆れたように三本の尻尾を揺らす。
俺は、会議室の隅で冷や汗を流している貴族たちの中で、ただ一人、俺に向けて申し訳なさそうに頭を下げるアルバート伯爵の姿を見つけた。
彼と、彼に連なる一部のまともな貴族たちは、これから崩壊していく国の中で、必死に泥をかぶって生き残る道を模索しなければならないのだ。
(……伯爵、あんたには悪いが、もう俺にできることはない。)
俺は、視線だけで彼に労いの意を伝え、静かに目を伏せた。
帝国の名誉公爵として、そしてギルドの最高位冒険者として。
俺という存在がどれほど重いものになっていたのかを、俺は嫌というほど思い知らされることになった。
愚かな国の絶望を置き去りにしたまま、会議は粛々と、そして冷酷に終わりへと向かっていくのだった。




