第120話 辺境の関門と、裏方に徹したい英雄
覇帝国ガレリアの帝都を出発した外交使節団の行軍は、実に五日間に及んだ。
一万人規模の完全武装した精鋭騎士団の移動となれば、当然ながら歩みはゆっくりとしたものになる。
これだけの大人数が立ち寄れるような村や街は街道沿いに存在しないため、日が落ちる頃には、広大な平野や街道の傍らで大規模な野営が行われていた。
俺たちパーティと、シオン皇女、護衛のセリアが同乗する魔改造キャンピングカーは、常にその野営地の中心に陣取っていた。
外では騎士たちが携帯食料をかじりながら焚き火を囲んでいる中、俺たちのキャンピングカーの中には、食欲をそそる濃厚な香りが漂っている。
「今日は、飛竜牛とたっぷり野菜の特製メンミ煮込みだ。」
俺が巨大な鍋をテーブルの中央にドスンと置くと、車内に歓声が響いた。
「わぁっ! お肉がトロトロに煮込まれていて、とっても美味しそうです!」
レイアが、目を輝かせてお皿を用意してくれる。
「ええ。クロウの料理は、長旅の疲れを一瞬で吹き飛ばしてくれますわ。」
シルヴィアも、嬉しそうに微笑みながら鍋を覗き込んだ。
「ご主人様、私、たくさん食べます!」
セツナが銀色の尻尾を勢いよく振りながら、カトラリーを握りしめている。
「アタシはどんぶり一杯にもらおうか! タロウも外で肉を食って喜んでるよ!」
レオナが豪快に笑いながら、一番大きな器を差し出してきた。
「うむ! わらわの分も多めによろしく頼むのじゃ!」
タマモが子供の姿のまま、テーブルの端で箸を構えて待ち構えている。
「ピヨォッ!」
俺の肩に止まったフレイも、羽を広げておねだりをしてくる。
「はいはい、順番にな。……シオン殿下とセリアさんも、遠慮せずに食べてくれ。」
俺が二人の前に湯気を立てる皿を置くと、彼女たちは恐縮しながらもスプーンを手に取った。
「……いただくわ。……んっ!?」
シオン皇女が一口食べた瞬間、瑠璃色の瞳が驚きに見開かれた。
「美味しい……! お肉が口の中でとろけるのに、この不思議な甘辛い出汁の味がしっかり染み込んでいるわ。……クロウ、これはどんな魔術を使ったの?」
「いや、魔術じゃなくて、じっくり火を通しただけだよ。味の決め手は俺の特製メンミだな。」
俺が苦笑して答えると、護衛のセリアも目を丸くして頷いた。
「皇宮の専属料理人が作るフルコースにも引けを取らない……いえ、この旅の疲れを癒やす温かさは、それ以上かもしれません。」
セリアはそう言いながら、夢中で煮込み料理を口に運んでいた。
和やかな食卓の傍らで、俺は窓の外に広がる野営地の景色を眺めていた。
この五日間の行軍で、俺はあることに気づき、感心していたのだ。
帝国の軍隊は、ただ一万人でぞろぞろと歩いているわけではなかった。
街道沿いの小さな村や要所を通過するたびに、数十人規模の小隊をその場に配置し、後方に残していっているのだ。
あれはただの警備兵ではない。
おそらく、何か不測の事態が起きた際、部隊間で情報を行き来させるための「伝達網」として機能させるための配置なのだろう。
組織として、長大な兵站線と情報網を維持するための、非常に合理的で洗練されたやり方だ。
前世で組織の中で働いていた一介のサラリーマンだった俺から見ても、帝国の軍事システムがいかに完成されているかがよくわかる。
「カテリーナ陛下やセオドア伯爵は、本当に優秀な人たちだな。」
俺が一人で納得して呟くと、シオン皇女が不思議そうに首を傾げた。
「何か言ったかしら?」
「いや、帝国のやり方は見事だと思ってな。」
俺は微笑み返し、再び温かい料理へと向き直った。
◆
そして、行軍六日目の昼下がり。
俺たちの視界の先に、アルカディア王国と他国を隔てる、巨大な辺境の関門が見えてきた。
石造りの頑丈な城壁と、重厚な鉄の門が街道を塞ぐようにそびえ立っている。
だが、その関門の上に立つ王国の守備兵たちの様子は、明らかにパニックに陥っていた。
「お、おい! 冗談だろう!?」
「帝国軍だ! ガレリア帝国の軍旗が……一万はいるぞ!!」
「せ、宣戦布告か!? なぜこんな大軍が!!」
守備兵たちの悲鳴のような声が、遠く離れた俺たちの耳にも届いてくる。
「ははっ、そりゃ驚くよな。いくら事前に『外交使節団が行く』って周知されてたとしても、こんな数の精鋭騎士団が来たら、攻め込まれたと思うのが普通だ。」
俺がキャンピングカーの窓からその様子を眺めていると、レイアが苦笑しながら頷いた。
「ええ。アルカディア王国の正規軍をすべて集めても、この帝国の一個師団を止めるのは難しいでしょうから。」
「相手に無用な抵抗の意志を折る。これも立派な外交の手段ですわね。」
シルヴィアが、冷静な声で分析する。
軍勢の先頭で馬を止めたセオドア伯爵が、関門に向けて声を張り上げた。
「我々は、覇帝国ガレリアからの外交使節団である!! アルカディア国王陛下との謁見のため、事前の通達通り、これより王都へ向かう!! 直ちに門を開けよ!!」
魔力で拡張されたセオドア伯爵の威圧的な声が、関門全体を震わせた。
守備兵たちは震え上がりながらも、慌てて鉄の門を動かし始めた。
ギゴゴゴゴゴ……という重い音と共に、アルカディア王国への道が開かれる。
「全軍、前へ!!」
セオドア伯爵の号令で、赤い甲冑の波が、地鳴りのような足音と共にアルカディア王国の領内へと足を踏み入れた。
◆
関門を無事に通過し、王都へと続く街道をしばらく進んだ頃。
コンコン、とキャンピングカーの扉がノックされ、セオドア伯爵が車内へと入ってきた。
「失礼いたします。殿下、そしてクロウ殿。無事に王国領内へと入りました。」
セオドア伯爵は一礼し、シオン皇女の向かいのソファに腰を下ろした。
「ご苦労様、セオドア。……紅茶を飲むかしら?」
シオン皇女が気遣うと、セオドア伯爵は恭しく頷いた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます。」
俺が新しいカップに紅茶を淹れて渡すと、セオドア伯爵は一口飲み、深く息を吐いた。
「さて、クロウ殿。いよいよアルカディアの王都が近づいてまいりましたが……どうでしょう、今後の立ち回りについて、何かご要望はございますか?」
セオドア伯爵の真剣な問いに、俺は少し考えるように腕を組んだ。
「立ち回り、か。……ぶっちゃけた話をすると、俺は、俺たち家族を理不尽な力で脅したあの若造や、王国という国自体がどうなろうと、別に構わないと思っている。」
俺の素直な言葉に、セオドア伯爵は静かに頷いた。
「ですが、個人的に世話になった人たちのことは心配でな。」
俺は、バベルの街で苦労していたギルドマスターのバルガスや、王都で俺たちを気にかけてくれたガウェイン。
そして、俺たちのために走り回ってくれたアルバート伯爵の顔を思い浮かべた。
「俺たちが国を出たことで、あの人たちが不当に責任を問われたり、理不尽な目に遭ったりしていないか……それだけが気がかりなんだ。」
俺がそう打ち明けると、セオドア伯爵は眼鏡の奥の目を細め、ふっと柔らかく微笑んだ。
「クロウ殿は、本当に心のお優しいお方ですね。」
「……そうか?」
「ええ。絶大な力を持ちながらも、決して情を忘れない。そのお人柄こそが、皆様を惹きつけるのでしょう。」
セオドア伯爵は紅茶のカップを置き、手元の資料に視線を落とした。
「アルバート伯爵についてですが、ご安心ください。彼はアルカディアの中でも有数の実力者であり、我が帝国とも友好的な関係を築いている賢明な方です。彼がこの件で不当に処罰されるようなことになれば、我々が黙っていません。……悪いようにはならないでしょう。」
その言葉を聞いて、俺は心底ホッと胸を撫で下ろした。
「そうか。それならよかった。」
「ご主人様の恩人ですものね。無事でよかったです。」
セツナが、嬉しそうに俺の袖を引く。
「ええ、シャルロッテお嬢様も安心しているでしょう。」
レイアも、優しく微笑んでいる。
「問題は、冒険者ギルドの方です。」
セオドア伯爵の表情が、少しだけ険しいものに変わった。
「ギルドの問題は、もはや国家の外交裁量でどうにかなる領域を超えています。……私の推測ですが、帝国とアルカディアの外交関係がどうこうなるよりも先に、冒険者ギルドとアルカディア王国の関係が完全に壊れる可能性が高いでしょう。」
「そこまで深刻なのか?」
俺が驚いて尋ねると、セオドア伯爵は深く頷いた。
「当然です。クロウ殿たちは、冒険者ギルドの最高位であるSSランクの英雄。その英雄に対し、王国が王命を偽装して不当な扱いをしたのです。ギルドという独立組織の面子を、泥で塗りつぶしたに等しい。」
セオドア伯爵の言葉に、シルヴィアが納得したように頷く。
「確かに。ギルドがそれを黙認すれば、世界中の冒険者たちに示しがつきませんわね。」
「その通りです。バルガス殿やガウェイン殿は、王国に対して強烈な制裁を突きつけているはずです。……彼らが責任を問われるどころか、今は王国側がギルドの顔色を必死に窺っている状況だと思われます。」
それを聞いて、俺は完全に安心した。
あの二人のオッサンなら、したたかに王国を追いつめていることだろう。
「わかった。俺の世話になった人たちが無事なら、もう俺から王国に言うことは何もない。」
俺は大きく伸びをして、ソファに深く背中を預けた。
「今回の遠征は、あくまでセオドア伯爵とシオン殿下が主役の、外交の舞台だ。俺たちパーティは、余計な口出しはせず、裏方で影から応援させてもらうよ。」
俺が裏方宣言をすると、レオナが少し不満そうに鼻を鳴らした。
「えーっ。アタシはあの大口叩いてたランドルフって奴を、一発殴ってやりたかったんだけどね!」
「我慢しろ、レオナ。これは国と国の話し合いだ。俺たちが暴れたら、カテリーナ陛下たちの顔に泥を塗ることになる。」
俺が窘めると、タマモが「ふぁぁ」とあくびをした。
「まあ、わらわたちはクロウの傍でのんびりしておればそれでよいのじゃ。」
シオン皇女も、静かに頷いている。
「ええ。クロウは私の護衛として、私の後ろに控えていればいいわ。……魔術の議論の続きもしたいし。」
和やかな雰囲気の中、セオドア伯爵だけが、片眼鏡の奥で少しだけ困ったような苦笑いを浮かべていた。
「……裏方に徹する、ですか。」
セオドア伯爵は、俺の顔をじっと見つめた。
「クロウ殿の存在感と、この一万の軍勢の理由を考えれば……何となく、表舞台に上がらざるを得ない気がいたしますが……。」
「勘弁してくれよ。俺はただの護衛兼、御者なんだから。」
俺が肩をすくめると、車内に小さな笑い声が響いた。
かくして、俺たちの乗る魔改造キャンピングカーは、帝国の圧倒的な軍勢に守られながら、かつて捨てた国、アルカディアの王都へと真っ直ぐに突き進んでいくのだった。




