第119話 魔術の探求者と、時空を断つ新たな剣
覇帝国ガレリアを出発した一万人規模の外交使節団は、アルカディア王国へ向けて順調に行軍を続けていた。
その巨大な軍勢の中央に位置する、俺の自作した魔改造キャンピングカーの車内は、外の物々しい雰囲気とは対照的に、実に和やかな空気に包まれていた。
「……なるほど。極大圧縮魔法の要は、単なる魔力の押し込みではなく、螺旋状に魔力を編み込むことで反発力を抑え込んでいるのね。」
シオン皇女が、用意した紅茶も冷めるほどの熱量で、前のめりに質問をぶつけている。
「ええ、その通りです。カーミラ師匠からは、魔力の流れを一本の糸のようにイメージし、それを針の穴に通すような精密さで編み上げるよう教わりましたわ。」
シルヴィアが、手元に小さな光の矢を浮かび上がらせながら、優雅に微笑んで答える。
その高密度に圧縮された光の矢を見て、シオン皇女の瑠璃色の瞳がキラキラと輝いた。
「素晴らしいわ。宮廷魔術師団の教本にも、そこまで実践的で精密な術式は載っていないもの。……ねえ、次はあの妖狐の魔法について教えてくれないかしら。」
シオン皇女の視線が、ソファの上で寝転がりながら南国の果実を齧っているタマモへと向けられた。
「む? わらわの魔法について知りたいのか?」
タマモが起き上がり、三本の尻尾をゆらゆらと揺らした。
「ええ。人間が使う一般的な属性魔法と違って、神獣や化生と呼ばれる存在の魔法は、術式の構成自体が違うと読んだことがあるわ。とくに、あなたの使う幻術や結界の構造にとても興味があるの。」
シオン皇女の問いに、タマモは「ふふん」と自慢げに胸を張った。
「よいぞ! わらわの幻術は、ただ相手の視覚を騙すだけではないのじゃ。空間そのものの波長を歪め、魔力で偽りの事象を上書きしておる。」
タマモが小さな指を鳴らすと、車内の一角に、本物と見紛うほどリアルな美しい花畑の幻影が浮かび上がった。
「……これは、凄いわね。魔力による光の屈折だけでなく、微小な重力操作で空気の質感まで変えているんだわ。」
シオン皇女は、幻影の花畑に顔を近づけ、ブツブツと分析を始めた。
「その通りじゃ! さすがは帝国の皇女、よく勉強しておるのう。……じゃが、これはわらわたちのような存在だけの特権ではないぞ。」
タマモが、ニヤリと悪戯っぽく笑う。
「どういうことかしら?」
「理屈さえわかれば、人間の魔力回路でも十分に再現は可能じゃということじゃ。要は、魔力の周波数を空間のそれに同調させればよいだけじゃからな。」
タマモが事も無げに言うと、シオン皇女はハッとしたように目を丸くした。
「理屈がわかれば、人間でも……。そうか、私の研究に足りなかったのは、事象の根幹を視るアプローチだったんだわ……!」
シオン皇女は、懐から手帳を取り出し、物凄いスピードで何やら複雑な数式や陣容を書き込み始めた。
「ふふふ。皇宮に帰った後の、新しい研究の楽しみができたわ。」
シオン皇女が、本当に嬉しそうな、年相応の笑みを浮かべる。
「よかったですね、殿下。」
護衛のセリアが、驚きつつも微笑ましいものを見るような顔で、シオン皇女を見守っていた。
いつもは薄暗い地下の研究室にこもり、無口で淡々としているという皇女が、こうして目を輝かせて楽しそうにしている。
その姿を見て、俺も自然と口角が上がってしまった。
「……クロウ。何をニヤニヤしているの?」
シオン皇女が、手帳から顔を上げてジト目でこちらを見てきた。
「いや、シオン殿下が楽しそうで何よりだと思ってな。」
俺が素直に言うと、シオン皇女は少しだけ頬を赤くして、そっぽを向いた。
「別に、楽しんでいるわけじゃないわ。……純粋な魔術的探究心よ。」
「はいはい、そういうことにしておくよ。」
俺が苦笑して紅茶を淹れ直していると、シオン皇女がふと、真剣な顔つきに戻って俺を見た。
「そういえば……クロウの『時空間魔法』については、まだ詳しく聞いていなかったわね。」
「俺の?」
「ええ。あなたが広場で見せた、この巨大な馬車を収納空間から取り出す魔法。それに、一瞬にして距離を跳躍する転移魔法。どちらも、帝国軍の魔術師団が束になっても再現不可能な、神の領域の魔法よ。」
シオン皇女が、探るような目で俺を見つめる。
「でも、これまでのあなたの戦闘記録を聞く限り、あなたはそれほど強力な魔法を、もっぱら『荷物持ち』と『移動手段』にしか使っていないわよね?」
その鋭い指摘に、俺は思わずハッとした。
「……言われてみれば、そうだな。」
俺は顎に手を当てて考え込んだ。
時空間魔法は、俺が持つスキルの中でも間違いなく破格の能力だ。
だが、これまでの魔物との戦いや、悪徳領主の館に乗り込んだ時を思い返してみても、俺は基本的に愛用の大剣を振り回すか、サバイバルで身につけた格闘術で物理的に叩きのめすことばかりだった。
「クロウさんは、剣と格闘だけでも十分すぎるほどお強いですからね!」
レイアが、誇らしげに俺の腕に抱きついてくる。
「アタシも、旦那様と正面から殴り合うのが一番燃えるよ!」
レオナも、ハルバードの手入れをしながら豪快に笑った。
「まあ、確かに物理で殴るのが一番早くて確実だからな。……でも、魔法を使ったテクニカルな戦い方も、手札としては持っておくべきかもしれないな。」
俺がそう思案していると、シオン皇女が小さくため息をついた。
「宝の持ち腐れね。時空間魔法を戦闘に応用できれば、それこそ防ぐ手立てのない一撃になるはずよ。」
「なるほど。……それなら、シオン殿下。魔術の専門家として、何か時空間魔法を戦闘に活かすアドバイスはあるか?」
俺が素直に教えを乞うと、シオン皇女は少し驚いた顔をした。
「……私が、あなたに教えるの?」
「ああ。俺は魔術の成り立ちや理屈には詳しくないからな。専門家の意見を聞くのが一番手っ取り早い。」
俺の言葉に、シオン皇女は少し考える素振りを見せた後、真剣な表情で口を開いた。
「そうね……。一番単純で、なおかつ凶悪な応用としては、『事象の転移』かしら。」
「事象の転移?」
「ええ。あなたは空間の座標を指定して、そこに物質を転移させることができるわよね? ならば、物質ではなく『現象』そのものを転移させることも可能なはずよ。」
シオン皇女は、俺の腰にある愛用の大剣を指差した。
「例えば、あなたがその剣で目の前の空間を物理的に斬りつける。その『空間を斬り裂く衝撃』という事象の座標だけを、遠く離れた敵の目の前へと転移させるのよ。」
「……斬撃を、そのまま離れた場所に飛ばすってことか。」
「ええ。斬撃の飛ぶ軌道が存在しないのだから、相手からすれば回避も防御も不可能。文字通り、見えない刃で突然斬り裂かれることになるわ。」
その説明を聞き、俺の背筋にゾクッと悪寒に似た高揚感が走った。
それは確かに、極めて実戦的で恐ろしい攻撃手段だ。
「……なるほど。それはいいな。ちょっと試してみるか。」
俺は立ち上がり、キャンピングカーの屋根に設置してある観測用のハッチを開けた。
「えっ、ここで試すの!?」
シオン皇女が驚いて立ち上がる。
「ちょうどいい的が飛んでたんでな。」
俺はハッチから上半身を出し、上空を睨みつけた。
遥か上空、雲の切れ間を縫うようにして、軍列を偵察しているであろう巨大な怪鳥の魔物が一羽、旋回していたのだ。
普通の弓矢や魔法では到底届かない高度である。
俺はアビス・クロークを風になびかせながら、腰から愛用の大剣を引き抜いた。
「……空間を斬り、その事象の座標を転移させる、か。」
俺はシオン皇女のアドバイスを反芻し、大剣の柄を両手でしっかりと握りしめた。
魔力回路を開き、時空間魔法の術式を展開する。
標的は、上空を旋回するあの怪鳥の魔物。
「ふっ……!!」
俺は鋭い呼気と共に、目の前の何もない空間を袈裟懸けに全力で振り抜いた。
ブォンッ!!という重い風切り音が響く。
同時に、俺はその『斬り裂いた』という物理現象の座標を、怪鳥の首元へと強制的に転移させた。
ピシッ……!!
遥か上空の空間に、一瞬だけガラスにヒビが入ったような黒い亀裂が走った。
次の瞬間。
「ギャァァッ!?」
怪鳥の魔物は、何が起きたのかも理解できないまま、首と胴体が綺麗に真っ二つに分断され、血飛沫を上げながら地上へと墜落していった。
距離や空気抵抗といった概念を完全に無視した、回避不能の絶対的な斬撃。
「……おお、すげえなこれ。」
俺はハッチから車内へと戻り、大剣を鞘に収めた。
「威力も申し分ないし、発動も早い。それに、相手には斬撃がいつ、どこから来るのか全く読めない。……汎用性が高すぎだろ。」
俺が感心して呟くと、車内の全員がポカンと口を開けて固まっていた。
「……あなた、本当に初めてやったのよね?」
シオン皇女が、信じられないといった顔で俺を見上げている。
「ああ。シオン殿下のアドバイスが的確だったおかげだ。」
俺はシオン皇女に向かって、敬意を込めて真っ直ぐに頭を下げた。
「シオン殿下は、人に教えるのが本当に上手いな。……おかげで、また一段階強くなれました。ありがとうございます。」
俺がちゃんとお礼を伝えると、シオン皇女の顔が、みるみると真っ赤に染まっていった。
「……っ。べ、別に! 私はただ、理論上の可能性を提示しただけで……それを一発で実戦レベルで成功させるあなたの規格外さが異常なだけよ……!」
シオン皇女は照れ隠しのようにそっぽを向いたが、その口元は微かに緩んでいた。
「でも……理論が証明される瞬間を間近で見られて、いいもの見れたわ。」
「どういたしまして。これからも、何か面白いアイディアがあったら教えてくれ。」
俺が微笑みかけると、シオン皇女は小さく「ええ」と頷いた。
「ご主人様の新しい技、かっこよかったです!」
セツナが、目を輝かせて俺の袖を引く。
「ええ。クロウさんにまた一つ、恐ろしい手札が増えてしまいましたね。」
シルヴィアも、呆れたように苦笑しながら肩をすくめた。
時空間魔法を用いた、事象転移の斬撃。
これからは、遠距離の厄介な敵に対する有効な手段として、よく使うことになるだろう。
アルカディア王国への長く過酷なはずの行軍。
だが、俺たちの乗る魔改造キャンピングカーの中では、こうして新たな魔法の探求と、心温まる親睦の時間が、ゆったりと流れていくのだった。




