第117話 帝都の別荘と、皇女の護衛依頼
覇帝国ガレリアの帝都に腰を据えてから、数日が経過した。
アルカディア王国、その迷宮都市バベルでは、俺たちが国を去ったことによって国家の存亡を揺るがすほどの激動が巻き起こっているらしいが……もちろん、遠く離れた帝国にいる俺たちがそれを知る由もない。
「うん、やっぱりこのソファは窓際に置いた方が日当たりがいいな。」
俺は、帝都の一等地にある巨大な別荘のリビングで、腕組みをしながら頷いた。
「ええ、クロウの言う通りね。ここで紅茶を飲むのが、これからの私の日課になりそうだわ。」
シルヴィアが、深層の倒木から俺が削り出した特製のソファに腰を下ろし、優雅に微笑む。
帝国の別荘は確かに広くて豪華だったが、長年放置されていたこともあり、置かれている家具は最低限の質素なものばかりだった。
そこで俺は、無限収納のインベントリ内に丸ごとしまってあるバベルの家から、俺たちが使い慣れた家具や絨毯、魔道具などを次々と引っ張り出し、この別荘を自分たち好みにカスタマイズしていたのだ。
「クロウさん! こっちの棚の配置も終わりましたよ!」
レイアが、エプロン姿でパタパタと小走りで駆け寄ってくる。
「お疲れ様。……だいぶ、俺たちの拠点らしくなってきたな。」
「はいっ! どこにいても、クロウさんが作った家具があると安心します!」
セツナも銀色の尻尾を揺らしながら、お気に入りのクッションを抱きしめている。
ブルーオアシスの地下牢から救い出し、この別荘で従者として雇い入れた若者たちも、すっかりこの生活に馴染んできたようだ。
「クロウ様! お茶の準備が整いました!」
真新しい執事服を着た青年が、ワゴンを押してやってくる。
「ありがとう。仕事にはもう慣れたか?」
俺が尋ねると、青年はパァッと顔を輝かせた。
「はいっ! 皆様がとても優しくしてくださるので、毎日が夢のように楽しいです!」
彼らは、最初は俺たちのことを雲の上の貴族のように恐縮して扱っていた。
だが、俺が率先して棚を作ったり、キッチンに立って手料理を振る舞ったりしているうちに、少しずつ打ち解けてくれた。
今では、別荘の管理や掃除、買い出しなどを生き生きとこなしてくれており、俺たちと彼らの間には、温かい信頼関係が築かれつつあった。
「ピヨッ!」
俺の肩に乗った神獣の幼体フレイも、用意されたクッキーを嘴で啄みながら、嬉しそうに鳴いている。
そんな、穏やかなスローライフを満喫していた午後のことだった。
別荘の門を叩き、皇宮から一人の使者がやってきたのだ。
「クロウ公爵閣下。カテリーナ皇帝陛下より、折り入ってご相談したい儀があると、お呼び出しでございます。」
使者の言葉に、俺は首を傾げた。
「相談? 珍しいな、あの人が。」
「何かの討伐依頼でしょうか?」
レイアが少し顔を引き締める。
「どうだろうな。とりあえず、話を聞きに行ってみるか。全員で押しかけるのもあれだから、レイア、シルヴィア、セツナ、一緒に来てくれるか?」
俺が声をかけると、三人はすぐに「はいっ」と頷いた。
「アタシは留守番かい? まあ、堅苦しい城は苦手だからいいけどさ!」
庭で素振りをしていたレオナが、愛用のハルバードを肩に担いで笑う。
「うむ! わらわとレオナで、帝都の街を散策してくるのじゃ! 美味そうな屋台を端から制覇してやるぞ!」
タマモが子供の姿のまま、レオナの肩にヒョイッと飛び乗った。
「買い食いもいいが、迷子にならないようにな。」
俺が苦笑いしながら釘を刺すと、二人は元気に別荘の門を出て行った。
俺たちは身支度を整え、迎えの馬車に乗って、巨大な皇宮へと向かった。
◆
皇宮の最奥にある、カテリーナ皇帝の執務室。
俺たちは重厚な革張りのソファに通され、極上の香りがする紅茶を淹れてもらった。
「急に呼び立ててすまなかったな、クロウ。……別荘の居心地はどうだ?」
玉座から立ち上がり、向かいのソファに腰を下ろしたカテリーナが、親しげな口調で尋ねてくる。
「最高だよ。従者たちもよく働いてくれているしな。……それで、相談というのは?」
俺が本題を切り出すと、カテリーナはティーカップを置き、少しだけ面倒くさそうな顔をした。
「うむ。実はな、私の『妹』が、アルカディア王国へ遠征することになってな。その件で、そなたらに頼みがあるのだ。」
「……妹?」
俺は思わず聞き返した。
レイアたちも、驚いたように目を丸くしている。
「カテリーナ陛下に妹君がいらしたのですね。初めてお聞きしましたわ。」
シルヴィアの言葉に、カテリーナは苦笑して頷いた。
「無理もない。あいつは表舞台に一切顔を出さぬからな。……せっかくの機会だ、私の家族について少し話しておこう。」
カテリーナの説明によると、先代の皇帝である父と母は、すでに公務から退いて隠居生活を送っているらしい。
現在の皇族は、長女であるカテリーナ。
そして、十六歳になる妹の『シオン』。
さらにその下には、まだ六歳になる幼い弟がいるとのことだった。
「弟は、十歳の誕生日に正式にお披露目をする予定で、今は皇宮の奥で教育を受けさせている。……問題は、妹のシオンの方だ。」
カテリーナは、やれやれといった様子で肩をすくめた。
「シオンは、重度の『魔術オタク』でな。幼い頃から、図書室や地下の研究室にこもりっきりで、魔道書ばかり読み漁っているのだ。」
「魔術の研究、ですか。」
「そうだ。しかも、才能だけは恐ろしいほどあってな。扱う魔術の威力や精密さで言えば、シルヴィアの師匠であるカーミラにも引けを取らん。」
その言葉に、シルヴィアがわずかに目を見開いた。
あの極大圧縮魔法を操るカーミラ師匠に及ぶとは、相当な実力者だ。
「一般的な属性魔法はもちろん、古代の文献にしか記されていないようなコアな魔術まで使いこなす。いずれは宮廷魔術師団のトップに立つだろうと、城の中ではもっぱらの噂だ。」
「なるほど。それは頼もしい妹さんじゃないか。」
俺が素直に感心すると、カテリーナは大きなため息をついた。
「魔術師としてはな。だが、一応は帝国の皇族だ。いつまでも地下に引きこもらせておくわけにはいかん。……外交の経験も積ませねばならんのだ。」
カテリーナの瞳に、皇帝としての鋭い光が宿る。
「そこで、今回のアルカディア王国への遠征だ。……クロウよ。貴様らも知っての通り、アルカディアの馬鹿な貴族が、帝国の名誉公爵である貴様らに明確な敵対行動をとった。」
アルカディア王国、バベルでの一件。
俺の屋敷を包囲し、王命を偽って不当に接収しようとしたランドルフ子爵の事件だ。
「これは、覇帝国ガレリアという国家に対する、重大な侮辱だ。今後の関係性を含め、直接落とし前をつけさせねばならん。……最悪の場合、戦争になることも視野に入れた、極めて重要な外交交渉になる。」
カテリーナの言葉に、部屋の空気がピンと張り詰める。
「その外交使節団のリーダーとして、妹のシオンを抜擢したのだ。」
「そりゃまた、ずいぶんと重い初任務だな。」
俺が呆れたように言うと、カテリーナは深く頷いた。
「もちろん、シオン一人に任せるわけではない。実務の補佐として、外務副大臣であるセオドア伯爵を同道させる。それに加え、アルカディアへの威圧と護衛を兼ねて、帝国騎士団から一個師団を率いて行かせる予定だ。」
一個師団。
約一万人規模の、完全武装した帝国の精鋭部隊だ。
もはや外交という名の、軍事パレード……いや、宣戦布告に近い圧力である。
「なるほど、事情はわかった。……で、俺たちへの相談というのは?」
俺が尋ねると、カテリーナは少しだけ気まずそうに視線を逸らした。
「……シオンがな。外交に行くのは構わんが、条件として『クロウとそのパーティを護衛につけてほしい』と言い出して聞かんのだ。」
「俺たちを?」
俺はレイアたちと顔を見合わせた。
「一万人の精鋭部隊が護衛についているのに、さらに俺たちが必要なのか?」
「表向きは、クロウたち英雄を同行させることで、さらにアルカディアへの圧力を高めるため……と言っているがな。」
カテリーナは疲れたように眉間を揉んだ。
「実際のところは、ただの好奇心だ。空間を跳躍する時空間魔法をはじめ、貴様らの規格外の魔術を、馬車での移動中に間近で見たい……要するに、研究対象として観察したいだけなのだよ。」
「なるほど、そういうことか。」
俺は納得して苦笑した。
重度の魔術オタクであるシオンにとって、未知の魔法を操る俺たちの存在は、最高の研究対象に映ったのだろう。
「カテリーナ陛下。……そんな個人的な理由で、クロウさんを遠征に付き合わせようというのですか?」
レイアが、少し不満そうに唇を尖らせる。
「本当に申し訳ないと思っている。だが、あいつは一度言い出したら絶対にテコでも動かん性格でな。……どうだろう、引き受けてはもらえまいか?」
世界最大の国家の皇帝が、妹のわがままで頭を下げている。
俺は、その様子がおかしくて、思わず吹き出してしまった。
「……ははっ、いいよ。引き受けよう。」
俺が二つ返事で快諾すると、カテリーナはパッと顔を上げた。
「ほ、本当か!?」
「ああ。カテリーナ陛下には、普段から世話になっているし、ブルーオアシスの一件でも大きな借りができたからな。妹さんのお守りくらい、喜んで引き受けるさ。」
俺が言うと、レイアたちも「クロウさんがそういうなら」と、渋々ながらも頷いてくれた。
「恩に着る、クロウ。……シオンは変人だが、悪い子ではないのだ。道中、色々と手を焼くかもしれんが、よろしく頼む。」
カテリーナが、心底ホッとしたような顔で微笑む。
「任せてくれ。……それじゃあ、アルカディアへの里帰りも兼ねて、少しばかり遠出してくるか。」
まさか、こんなに早くアルカディア王国へ足を運ぶことになるとは思わなかった。
俺たちが去ったあの国が今どうなっているのか。
少しの気がかりを胸に抱きながら、俺たちは新たな依頼を受けることになった。
帝国の皇女を護衛する、大規模な外交使節団の旅が、ここから始まろうとしていた。




