第115話 決別の報告と、帝都での新たな生活
覇帝国ガレリアの帝都に位置する、一等地を与えられた巨大な別荘。
その広大な中庭に、突如として眩い転移魔法の光が弾けた。
光が収束すると共に、俺、レイア、シルヴィア、セツナ、レオナ、タマモ、そして俺の肩に乗ったフレイが、見慣れた石畳の上に降り立った。
「ふう。無事に到着したな。」
俺が周囲を見渡して息を吐くと、別荘の奥からバタバタと慌ただしい足音が聞こえてきた。
「ク、クロウ様!? それに、皆様も!」
現れたのは、ブルーオアシスの地下牢から救い出し、この別荘で従者として雇い入れた十人の若者たちだった。
彼らは帝国騎士団のエリーゼたちが手配してくれたベテランの教育係から指導を受け、真新しい執事服やメイド服をしっかりと着こなしている。
「驚かせて悪かったな。……実は、今日からここが俺たちの『本拠地』になる。少し慌ただしくなると思うが、頼めるか?」
俺の言葉に、若者たちは一瞬目を丸くしたが、すぐにパァッと顔を輝かせた。
「ほ、本当ですか!? もちろんです!! 俺たち、クロウ様たちのために全力で働かせていただきます!」
彼らが嬉しそうに深々と頭を下げるのを見て、俺は小さく安堵の笑みをこぼした。
「クロウさん。とりあえず、みんなで皇宮へご挨拶に行きませんか? 帝都を拠点にする以上、皇帝陛下にはきちんとお伝えしておいた方が良いかと。」
レイアが、赤い髪を揺らしながら提案してくれた。
「ああ、そうだな。俺は一応、帝国の名誉公爵という立場だからな。筋は通しておかないと。」
俺は頷き、仲間たちと共に、すぐさま帝都の中心にそびえる皇宮へと向かった。
◆
皇宮の最奥、豪奢な調度品に囲まれた皇帝の執務室。
そこに通された俺たちは、玉座に腰掛ける女皇帝カテリーナに向かって、事の顛末をありのままに報告した。
ブルーオアシスでの一件。
そして、王命を偽ってバベルの家を接収しようとした、アルカディア王国の愚かな貴族の暴走。
俺が時空間魔法で家を丸ごと収納し、国を捨ててこの帝国へと移住してきた経緯をすべて聞き終えたカテリーナは、呆れたように深い溜め息をついた。
「……アルカディアの連中め。自ら国の最大の盾をへし折るとはな。正気の沙汰とは思えん。」
カテリーナは玉座の肘掛けに頬杖をつき、鋭い眼光を細めた。
「貴様らがいてくれるだけで、我が帝国を含めた他国への凄まじい抑止力になっていたというのに。あの国の王や重鎮たちは、今頃青ざめて腸が煮えくり返っているだろうな。」
「アルバート伯爵には恩もあったから、少し申し訳ない気もするがな。……だが、理不尽な力で家族を脅かすような国に、これ以上長居するつもりはなかった。」
俺が淡々と告げると、カテリーナは「ふっ」と獰猛な笑みを浮かべた。
「当然の判断だ。貴様らのような規格外の者たちを、くだらぬ権力で縛り付けようとするなど、愚か者の極みよ。」
カテリーナはゆっくりと玉座から立ち上がり、俺の目の前まで歩み寄ってきた。
そして、その美しくも威厳に満ちた顔を俺に近づけ、悪戯っぽい瞳で囁いた。
「どうだ、クロウ。いっそこのまま帝国に骨を埋め、私を娶って皇帝の座に就く気はないか?」
「……は?」
あまりにも突拍子もない提案に、俺は思わず間抜けな声を出してしまった。
「私の夫となり、この覇帝国ガレリアのすべてを手にするのだ。貴様の実力ならば、誰も文句は言わんぞ?」
カテリーナの圧倒的な美貌と、世界最大級の国家のトップという地位。
並の男であれば、即座に平伏して受け入れるであろう魅力的な誘いだった。
だが、俺の背後に控えていた仲間たちの間から、ゴゴゴゴ……という凄まじい圧力が放たれ始めた。
「こ、皇帝陛下……? さすがにそれは、聞き捨てならない冗談ですね。」
レイアが、引き攣った笑顔で愛剣の柄に手をかけている。
「ええ。クロウは私たちのものですわ。いくら皇帝陛下でも、抜け駆けは許しません。」
シルヴィアも、氷のような冷たいオーラを放ちながら微笑んでいる。
「ふはははっ! 皇帝よ、クロウを独り占めしようなど、百万年早いわ!」
タマモが三本の尻尾を逆立てて威嚇し、セツナとレオナも臨戦態勢を取っている。
「ははっ、すまないなカテリーナ陛下。……あいにくと、俺には皇帝なんて大層な器はない。それに、この騒がしくて自由な旅が気に入っているんでね。」
俺が苦笑しながら辞退すると、カテリーナは愉快そうに声を上げて笑った。
「くくっ、冗談だ。だが、貴様が望むならいつでも歓迎するぞ。……何はともあれ、帝都への移住は大歓迎だ。ここは力ある者が尊ばれる国。貴様らの平穏は、私が保証しよう。」
「感謝する。……これからもよろしく頼むよ。」
俺たちはカテリーナと固い握手を交わし、執務室を後にした。
◆
皇宮を訪れたついでに、俺たちは帝国騎士団の修練場へと足を運んだ。
そこには、俺たちに帝国の洗練された武を叩き込んでくれた師匠陣の姿があった。
「おお! クロウ殿ではないか!」
前騎士団長のジークが、豪快な笑顔で出迎えてくれる。
「お久しぶりです、ジークさん。それに、エリーゼさん、カーミラさん、ニーナさんも。」
俺の言葉に、赤い甲冑を纏ったエリーゼがレイアの元へ歩み寄る。
「レイア。さらに剣の腕に磨きがかかったようだな。構えに一切の無駄がない。」
「ありがとうございます、エリーゼ師匠。……でも、まだまだです。」
レイアが嬉しそうに微笑む。
「シルヴィア。また私の極大圧縮魔法の講義を受けていくかしら?」
魔女のようなローブを着たカーミラが、艶然と微笑む。
「ええ、喜んで。……カーミラ師匠。」
シルヴィアも、静かに頭を下げる。
セツナはニーナと音もなく影で交差し、互いの技術の向上を確かめ合っていた。
「実は、色々あって本拠地をこの帝都に移すことになったんです。これからも、また稽古をつけてもらえませんか?」
俺がそう切り出すと、ジークたちは一様に驚いた顔をした後、嬉しそうに相好を崩した。
「なんと! それは帝国にとって素晴らしいことだ! クロウ殿たちがいれば、若手騎士たちの良い刺激になる。いつでも修練場へ来るといい!」
ジークの力強い言葉に、俺たちは深く感謝の意を伝えた。
◆
皇宮を出た俺たちは、冒険者としての手続きを行うため、帝都の中心にある冒険者ギルドの巨大な本部へと向かった。
ギルドの扉を開けると、そこは武闘国家らしく、血の気の多そうな屈強な冒険者たちで溢れ返っていた。
俺は受付カウンターへ向かい、事務の女性に声をかけた。
「すまない。他国のギルドから本拠地を移す手続きと、ギルドマスターに直接報告をしたいんだが。」
俺がそう告げると、受付の女性は少し困ったような顔をした。
「申し訳ありません。ギルドマスターへの面会は、事前の予約がないとお通しできない決まりになっておりまして……。手続きだけであれば、こちらで承りますが。」
「アポなしでお通しできない……か。」
かつての社会人時代を思い出し、俺は「まあ、当然の対応だよな」と納得して頷いた。
強引に押し通るような真似は、真っ当に仕事をしている彼女の迷惑になる。
「わかった。それなら、今日は移転の手続きだけ頼む。面会はまた後日――」
俺がそう言いかけた、その瞬間だった。
「おや、これはこれは……。騒々しいと思えば、なんとも規格外のお客様がいらしていたのですね。」
ギルドの二階から、静かで落ち着いた、しかしロビー全体に響き渡る声がした。
ゆっくりと階段を降りてきたのは、初老に差し掛かった、細身で長身の男だった。
仕立ての良いスーツのような服を着こなし、腰は低く、物腰は柔らかい。
だが、その細められた瞳の奥には、すべてを見透かすような鋭い剣呑な光が宿っている。
「ギ、ギルドマスター……!」
受付の女性が慌てて頭を下げる。
男は俺たちの前に歩み寄ると、慇懃に、しかし全く隙のない所作で一礼をした。
「申し訳ありません、クロウ殿。うちの若い者が、規定に縛られて失礼をいたしました。」
男が顔を上げた瞬間、俺の生存本能が微かに警鐘を鳴らした。
この男、ただ者ではない。
魔力も気配も完全に消し去っているが、その内側に秘められた実力は、間違いなく『本物』だ。
「私はこの帝都ギルドを預かるマスター、ウォルターと申します。……こう見えても、かつて大災害級の魔物を単独討伐し、Sランクに昇格した身でしてな。」
ウォルターが静かに微笑む。
Sランク冒険者。
真の強者だけに許された称号。
その一人だったとは。
「なるほど、マスター自身がその領域の人だったか。……こちらこそ、急に押し掛けてすまない。俺はクロウだ。」
ウォルターが静かに微笑む。
「存じ上げておりますとも。邪竜アジ=ダハーカを浄化し、歴史上初めて『SSランク』へと至った伝説の英雄殿。……さあ、このような立ち話もなんですから、奥の部屋へご案内いたします。これからは、彼らがいらした時はすぐにお通ししなさい。」
ウォルターが受付の女性に指示を出し、俺たちは豪華なギルドマスター室へと通された。
「ピヨッ?」
フレイが、見慣れない部屋に興味を持ったのか、俺の肩で小さく鳴いた。
「さて、ウォルターさん。わざわざ時間を取らせて悪かったな。……実は、アルカディア王国のバベルから、この帝都へ本拠地を移すことになったんだ。」
俺がソファに腰を下ろしてそう告げると、ウォルターはいつもの穏やかな笑みを崩さず、しかし嬉しそうに目を細めた。
「おお……。それは帝国ギルドにとって、これ以上ない吉報です。皆様がこの帝都に腰を据えてくださるなど、ギルドの誉れ。」
ウォルターは立ち上がり、恭しく一礼をした。
「何かご不便なことがあれば、このウォルター、ギルドを挙げて全力でサポートさせていただきます。何なりとお申し付けください。」
「ありがとう。心強いよ。……これからは、この街でお世話になる。」
俺が手を差し出すと、ウォルターは恐縮しながらも、その細い手で力強く握り返してくれた。
◆
必要な手続きと挨拶をすべて終え、俺たちは帝都の別荘へと帰還した。
すっかり日が落ちた別荘のダイニングには、従者の若者たちが一生懸命に準備してくれた、温かな夕食が並べられていた。
「うむ! なかなか美味そうな肉じゃな!」
タマモが尻尾を揺らして席に着く。
「ええ。これからは、ここが私たちの新しい家ですね。」
シルヴィアが、広々とした美しいダイニングを見渡して微笑む。
「どこにいても、クロウさんがいてくれるなら、そこが私たちの居場所です。」
レイアが、俺の隣で幸せそうに微笑んだ。
「はいっ! ご主人様と一緒に、これからも美味しいものをたくさん食べたいです!」
セツナも銀色の耳をパタパタと動かして喜んでいる。
「アタシは庭が広くて気に入ったよ! タロウも喜んでたしね!」
レオナが豪快に笑いながら、すでに肉の塊に手を伸ばしている。
「ピヨォォッ!」
フレイも俺の肩から飛び立ち、テーブルの上で嬉しそうに羽ばたいている。
「ああ。これからはこの帝都で、またのんびりとやっていこう。」
理不尽な国を捨て、たどり着いた武闘国家の帝都。
だが、仲間たちがいれば、そこは間違いなく俺たちにとっての温かい日常になる。
俺たちはグラスを掲げ、新たな拠点での生活の始まりを祝って、静かに乾杯を交わすのだった。




