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第114話 愚者の代償と、残された者の懺悔

「ま、待ってくれクロウ殿!! どうか、我が国を見捨てないでくれぇぇっ!!」


私の悲痛な叫び声は、夜の風に虚しく吸い込まれて消えた。


視界を白く染め上げていた規格外の転移魔法の光が収束し、静寂が訪れる。


迷宮都市バベルの端に位置するその場所には、もう何一つ残されていなかった。


温かな光が漏れていた窓も、クロウ殿が精魂込めて作り上げた堅牢な外壁も、綺麗な花が咲いていた庭の柵すらも。


家屋という概念そのものが、巨大な魔法によって空間ごと抉り取られたかのように、完全に消失していたのだ。


後に残されたのは、綺麗に整地された四角い更地だけだった。


「あ、ああ……なんという……なんという損失だ……。」


私は、土の露出した更地の前に膝をつき、両手で顔を覆った。


王都から馬を潰す勢いで駆け通し、ようやく間に合ったと思った時には、すべてが手遅れだったのだ。


クロウ殿の瞳には、私に対する個人的な怒りこそなかったものの、このアルカディア王国という国家そのものに対する明確な『見切り』が浮かんでいた。


理不尽な力で家族の平穏を脅かそうとする国に、彼は一秒たりとも留まる気はなかったのだ。


そして、彼らは本当に、瞬きをする間に国を捨ててしまった。


「……私の叫びは、なんと醜いものだったか。」


私は、自らの口から咄嗟に飛び出した言葉を反芻し、深い自己嫌悪に陥った。


『我が国を見捨てないでくれ』と、私は叫んだ。


その言葉の裏には、少なからず、彼らという存在をアルカディア王国の抑止力として引き留めたいという、為政者としての計算が含まれていたのではないか。


私は、彼らに対して純粋な感謝と友情を抱いているつもりだった。


かつて、盗賊に襲われて死を覚悟した私と娘のシャルロッテを、クロウ殿とレイア殿は無償で救ってくれた。


見返りを求めることもなく、ただそこに命の危機があったから剣を振るってくれたのだ。


その後も、シルヴィア殿、セツナ殿、レオナ殿、タマモ殿という途方もない実力を持つ者たちが彼の下に集い、王都の地下で災害級の脅威を退けてくれた時も、彼らは決して権力を笠に着るようなことはしなかった。


そんな彼らに対して、私はどこかで「アルカディアの貴族として、彼らを厚遇して国に繋ぎ止めなければ」という、浅ましい思惑を抱いていなかったと言い切れるだろうか。


「クロウ殿は、すべてを見透かしていたのだろうな。」


彼はまだ若いはずだが、どこか達観した大人の余裕と、底知れぬ洞察力を持つ不思議な御仁であった。


貴族社会の薄汚い駆け引きや腹の探り合いなど、彼にとっては児戯に等しかったのだろう。


それでも彼は、私の顔を立てて穏やかに接してくれていたというのに。


私は、その優しさに甘え、彼らをこの国という鳥籠の中に無意識に閉じ込めようとしていたのだ。


なんと傲慢で、愚かな思考だったことか。


「……な、なんだ、今の魔法は……!? 家が、丸ごと消えただと……!?」


私の背後で、間の抜けた声が響いた。


王命を偽り、この最悪の事態を引き起こした張本人、ランドルフ子爵だ。


彼は馬から転げ落ち、尻餅をついたまま、目の前の更地を信じられないといった顔で見つめていた。


その間抜けな姿を見た瞬間、私の内に渦巻いていた後悔と懺悔の念は、冷たく燃え上がる激しい怒りへと変わった。


私はゆっくりと立ち上がり、ランドルフを振り返った。


「アルバート伯爵! 見ましたか、あの平民どもの無礼な態度を! 王国の誘いを断るばかりか、あのような奇術で逃げおおせるとは! 今すぐ追手を……!」


「黙れッ!!」


私の腹の底から絞り出した一喝が、夜のバベルに響き渡った。


その凄まじい剣幕に、ランドルフと彼の私兵たちはビクッと肩を震わせ、言葉を失った。


「奇術だと? あれが奇術に見えるのなら、貴殿の目は節穴だ。……あれは、万の軍勢を用意しようと到達できない、真の魔法の極致だ。」


私は一歩、また一歩とランドルフに歩み寄った。


「貴殿は、自分がどれほど取り返しのつかない大罪を犯したのか、まったく理解していないようだな。」


「た、大罪だと!? 私は王国の国益のために、あの生意気な冒険者どもを管理下に置こうと……!」


「その増長が、国を滅ぼしかけたのだ!!」


私はランドルフの胸ぐらを掴み、力任せに引き上げた。


文官である彼よりも、辺境の領主として剣を握ってきた私の方が、腕力は遥かに上だ。


「彼らは、ギルド本部が認めたSSランクの冒険者だぞ。彼らがいれば、どれほどの魔物の大群が押し寄せようと、このアルカディア王国は安泰だったのだ。……それを、貴殿のくだらない功名心と傲慢さで、すべて台無しにした!」


ランドルフの顔から、少しずつ血の気が引いていく。


「クロウ殿一人でさえ、一国を灰燼に帰す力を持っている。それに加えて、レイア殿の剣技、シルヴィア殿の魔術、セツナ殿の暗殺歩法、レオナ殿の破壊力、タマモ殿の底知れぬ力……。彼ら全員を敵に回せば、王国軍など半日も持たずに壊滅するのだぞ!」


私の言葉は、決して誇張ではない。


王都の地下で、周囲の地盤を一切傷つけることなく強大な変異種を処理した彼らの絶技を、私は報告書で読んでいる。


あれほど精密に力を制御できる者たちが、もし制御を外して本気で暴れればどうなるか。


想像するだけで、背筋が凍る思いだ。


「さ、しかし……彼らは逃げたではないか! 帝国に尻尾を巻いて……!」


「逃げたのではない。見逃してくれたのだ!!」


私はランドルフを地面に突き飛ばした。


「クロウ殿は、私に免じて剣を抜かなかった。彼らがその気になれば、貴殿も、そこにいる私兵たちも、一瞬で首と胴体が離れていたはずだ。彼らにとって、貴殿らの命を奪うことなど、呼吸をするよりも容易いことなのだからな。」


ランドルフは地面に這いつくばり、ようやく自分が死の淵に立っていたことを理解したのか、ガタガタと全身を震わせ始めた。


「それに、問題は武力だけではないのだよ、愚か者め。」


私は、冷酷な為政者としての視点で、彼に突きつけられた現実を語り聞かせた。


「クロウ殿は、覇帝国ガレリアのカテリーナ女皇帝から直々に名誉公爵の地位を与えられている。さらに、ドワーフの国ガルドの重鎮たちとも深い繋がりがあるのだ。」


その事実を突きつけられ、ランドルフの配下の兵士たちも青ざめて互いの顔を見合わせた。


「我が国が、王命を騙って彼らに牙を剥き、追い出したと知れればどうなる? 帝国は、我が国を『恩人に対する無礼な敵国』と見なし、国境に軍を並べるだろう。ガルドからの武具の輸出も完全に絶たれる。」


私は更地となったクロウ殿の屋敷跡を指差した。


「彼らがこの国にいてくれたこと、ただそれだけで、他国に対する最大の抑止力となっていたのだ。……貴殿は、アルカディア王国の盾を自らの手でへし折り、周囲の国々に牙を剥かせる口実を与えたのだよ。」


「そ、そんな……私はただ、王国の威信を……。」


「国家反逆罪に等しい大罪だ。言い逃れができると思うな。」


私は振り返り、私と共に王都から駆けつけてきた精鋭の近衛騎士たちに命令を下した。


「この愚か者たちを全員捕縛し、武装を解除しろ! 抵抗する者は容赦なく斬り捨てて構わん!!」


「はっ!!」


私の近衛騎士たちが一斉に剣を抜き、ランドルフの私兵たちを取り囲む。


主の愚行に気づいた私兵たちは、もはや抵抗する気力も失っており、次々と武器を地面に投げ出して膝をついた。


「離せ! 私は子爵だぞ! 貴族の私をこんな風に扱って、タダで済むと……!」


「黙れ。貴殿の処遇は、王と議会が正式に裁く。……私が身を挺してでも、貴殿には極刑を下してもらうつもりだ。」


縛り上げられ、馬車へと押し込まれていくランドルフを見送りながら、私は深く、冷たい息を吐いた。


騒ぎが収まり、兵士たちが撤収の準備を進める中、私は再び、誰もいなくなった更地へと向き直った。


「……クロウ殿。レイア殿。シルヴィア殿。セツナ殿。レオナ殿。タマモ殿。」


私は、声に出して一人一人の恩人の名前を呼んだ。


彼らがこの場所で過ごした、穏やかで温かい日常。


庭で肉を焼き、笑い合い、時に寄り添い合っていた彼らの姿が、まるで幻燈のように脳裏に浮かんで消える。


「本当に、申し訳なかった。……この国は、あなた方のような気高き者たちを留めておくには、あまりにも泥にまみれすぎていたようだ。」


私は、更地に向かって深く、直角に腰を折り、深々と頭を下げた。


彼らがこの国に戻ってくることは、もう二度とないだろう。


その事実は、私の胸を鋭く抉り、癒えることのない痛みを刻み込んだ。


だが、私はアルカディア王国の貴族であり、この迷宮都市バベルを預かる領主だ。


ただ嘆き悲しんでいる暇はない。


「……私の行いも、深く反省せねばなるまい。」


他者を利用しようとする浅ましい心。


それを自覚した以上、私はこれからの人生を、彼らに恥じないよう、誠実なものにしていかなければならない。


まずは、王都に戻り、ランドルフの派閥がもたらした腐敗を徹底的に一掃すること。


そして、帝国や諸外国に対して、この一件が一部の愚か者の暴走であったと必死に弁明し、国の崩壊を食い止めること。


それが、恩人たちを失望させてしまった私にできる、せめてもの贖罪なのだ。


「……いつか。」


私は顔を上げ、夜空に浮かぶ月を見上げた。


「いつか、私がこの国を少しでも清らかで真っ当な場所にできたなら。その時は、もう一度だけ、あなた方に顔向けができるだろうか。」


その日が来る保証はどこにもない。


それでも、私は自らの心に誓いを立て、馬車へと歩き出した。


世界を救った真の英雄たちに、二度と泥を塗ることのないように。


私は、決意と懺悔を胸に抱き、静かに前を向いて歩みを進めるのだった。

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