第112話 炎獄の再会と、新たな家族『フレイ』
視界がぐにゃりと歪み、青白い魔力の光が収束する。
空間跳躍の感覚が抜けた直後、俺の全身を包み込んだのは、肌を焼くような強烈な熱気と、硫黄の匂いが混じった乾いた風だった。
眼下には、煮え滾るように赤く波打つ海が広がり、背後には黒々とした噴煙を上げる巨大な活火山がそびえ立っている。
常夏の楽園ブルーオアシスの海域からさらに外れた、神獣の聖域。
『炎獄の火山島』に、俺は一人で降り立った。
「……相変わらず、とんでもない熱さだな。」
俺はアビス・クロークの温度調節機能を働かせながら、火山の麓の黒曜石のような岩肌を歩き出した。
以前ここを訪れた時は、島に足を踏み入れた瞬間に、島全体を揺るがすような親フェニックスの威圧的な咆哮と牽制を受けた。
今回も、俺という招かれざる客の気配を察知して、親鳥が空から舞い降りてくるだろうと予想し、空を見上げた。
だが、空から降ってきたのは、巨大な親鳥の影ではなかった。
『ピヨォォォォォォッ!!』
太陽の光を凝縮したような、真紅と黄金の小さな流星。
それが、物凄いスピードで一直線に俺の胸元へと突っ込んできたのだ。
「おっと……!」
俺は咄嗟に足腰の筋肉を緩めて衝撃を逃がす態勢を作り、その小さな赤い塊を両手でしっかりと受け止めた。
ドスッ、という見た目にそぐわない重みのある衝撃が腕に走る。
「ピッ! ピピピピィッ!!」
俺の腕の中で、燃えるような羽毛をパタパタと震わせながら、狂喜乱舞するように鳴き声を上げているのは、他でもない。
裏オークションの地下牢から救い出し、この島に送り届けた、あの神獣フェニックスの幼体だった。
「ははっ、久しぶりだな。元気だったか?」
俺が優しく頭を撫でてやると、フェニックスの幼体は俺の胸に頭をぐりぐりと擦りつけ、まるで犬や猫のように甘える仕草を見せた。
羽毛の艶は以前よりも遥かに増し、身体から発せられる熱量も段違いに高くなっている。
しっかりとこの過酷な環境で生き、親の愛情を受けて育っていることが伝わってきた。
「……ずいぶんと待ち焦がれていたようだな、クロウよ。」
ふと、頭の上から重厚な思念が降ってきた。
見上げると、太陽を背にするようにして、数十メートルはある巨大な親フェニックスが、音もなく空中でホバリングしていた。
前回はタマモの通訳を介していたが、今回は親鳥の方から、直接俺の脳内に思念で語りかけてきているようだ。
「久しぶりだな。挨拶もなしに島を出てしまって、悪かった。」
俺が素直に謝罪すると、親フェニックスはゆっくりと地上に舞い降り、巨大な翼を畳んだ。
「気にするな。お前たちがあの街の悪党どもを退治し、攫われた若者たちを救い出していたことは、空から見ていて知っていた。」
どうやら、親フェニックスの目は遠く離れたブルーオアシスの動向まで見通していたらしい。
「それにしても……我が子が、これほどまでにお前を慕うとはな。」
親フェニックスが、俺の腕の中にいる幼体を、呆れたような、それでいて深い愛情の籠もった目で見つめた。
「お前たちが島を去ったあの日から、この子は私に『早く大きくなりたい、あの男と一緒に旅がしたい』と、それはもう激しくせがんできたのだ。」
「こいつが?」
俺が腕の中の幼体を見下ろすと、幼体は「ピヨッ!」と誇らしげに胸を張った。
「神獣の成長は緩やかなものだ。だが、この子の熱意に負け、この一、二週間というもの、火山のもっとも過酷な火口で、私直伝の『超猛特訓』をつけてやったのだ。」
「超猛特訓……。」
俺は思わず苦笑した。
人間で言えば、まだ幼児のような時期に、親からスパルタ教育を志願して受けたようなものだ。
「見た目はまだ小さいままだが、その内に秘めた魔力と炎の純度は、すでに私が認める領域にまで達している。」
親フェニックスは真剣な眼光で俺を見据えた。
「クロウよ。我が子が、お前の旅についていくに相応しい力を得たかどうか……お前のその身で、試してやってはくれないか?」
その提案に、幼体も俺の腕から飛び立ち、数メートル離れた空中でホバリングして、やる気満々のポーズ(羽を広げて威嚇のような姿勢)を取った。
「なるほど。お前がどれだけ強くなったか、見せてくれるってわけか。」
俺は静かに頷き、自然体でスッと構えを取った。
手ぶらのまま、一切の殺気を抜いた『ゼロ』の状態。
「よし、いつでも来い。」
俺の合図と同時だった。
『ピィィィィィッ!!』
幼体の姿が、一瞬にしてブレた。
「……速いな。」
次の瞬間、俺の目の前に真紅の炎弾が迫っていた。
ただの突進ではない。全身から高密度の炎を噴射し、それを推進力に変えた超高速の体当たりだ。
俺は足首をわずかに返し、上半身を最小限の動きで捻って、その炎の弾丸を紙一重で躱した。
ゴォォォォッ!!
通り過ぎた炎の余波だけで、周囲の黒曜石の地面がドロドロに溶けていく。
(……この熱量とスピード。並のSランク魔物なら、今の突進を躱すことすらできずに消し炭にされるな。)
俺が冷静に分析している間にも、幼体は空中で急ブレーキをかけ、反転して再びこちらへと向かってきた。
今度は突進ではない。
小さな嘴を大きく開き、圧縮された黄金の炎のブレスを放ってきたのだ。
俺は懐から愛用の大剣を引き抜き、ガシャリとパーツを展開して、瞬時に巨大な盾の形態へと可変させた。
ドガァァァァァァッ!!
黄金の炎が盾の表面に激突し、凄まじい爆発を引き起こす。
「ふむ……威力も申し分ないな。」
俺は盾の裏側に張り付くようにして熱をやり過ごし、炎が収まった瞬間に盾の隙間から腕を伸ばした。
そして、ブレスを撃ち終えて隙ができた幼体の首根っこを、優しく、しかし確実な力でひょいとつまみ上げた。
「ピィッ!?」
「そこまでだ。……俺の負けだよ。見事な炎だった。」
俺が幼体を下ろし、頭を撫でてやると、幼体は嬉しそうに目を細めて喉を鳴らした。
「素晴らしい身のこなしだ、クロウ。……お前の底知れぬ力の前では、我が子などまだ児戯に等しいだろうがな。」
親フェニックスが、満足そうに頷く。
「いや、本当に強くなってる。あのまま本気で戦い続けていれば、俺もただじゃ済まなかったさ。」
俺は本心からそう評価した。
小さな身体に秘められた、膨大な生命力と魔力。これが成長すれば、世界を焼き尽くすほどの神獣になるというのも頷ける。
「クロウよ。」
親フェニックスが、再び深く、重々しい思念を送ってきた。
「約束通り、この子を……我が愛しき子を、お前の旅に連れて行ってやってはくれないか。」
「ああ。もちろん、そのつもりでここに来たんだ。」
俺は幼体の背中を優しく撫でながら、親鳥に向けてはっきりと宣言した。
「俺は、俺の身内になった奴は絶対に死なせない。この子は、俺が責任を持って絶対に守るから、安心してほしい。」
俺の言葉を聞き、親フェニックスは「ふふっ」と、人間のように優しく微笑むような思念を返してきた。
「心強い言葉だ。……だがな、クロウ。この子は私に、こう言っていたのだ。」
親鳥は、俺の足元で誇らしげに胸を張っている幼体を見つめた。
「『私が、あの男の背中を守るのだ』と。」
「……俺を?」
俺が驚いて足元を見ると、幼体は「ピヨッ!」と力強く鳴き、俺のアビス・クロークの裾を引っ張った。
「ははっ。随分と頼もしい相棒ができたもんだ。」
俺はしゃがみ込み、幼体と目線を合わせた。
「よろしく頼むぞ。……俺も、お前に負けないように頑張らないとな。」
俺の言葉に、幼体は嬉しそうに羽をパタパタと動かした。
和やかなムードの中、親フェニックスが空を見上げた。
「さて。旅立ちの前に、この子に何か『名前』を与えてやってはくれないか。我ら神獣は個を識別する名を持たぬが、人間と共に生きるのなら、名が必要だろう。」
「名前、か。」
俺は腕組みをして考え込んだ。
名付け親になるというのは、なかなか責任重大だ。
前にテイムした暴君雷風竜には、見た目がゴツかったから適当に『タロウ』と名付けてしまったが、神聖なフェニックスに『タロウ二号』や『ピヨ吉』はさすがに失礼だろう。
「うーん……赤いから、『アカ』とかどうだ?」
俺が提案すると、幼体は「ピピィィッ!?」と抗議するように嘴で俺の手を突いてきた。
「痛っ。だめか。……なら、炎だから『ホノカ』……いや、お前がオスかメスかもわからないしな。焼き鳥を連想させる名前は縁起が悪いし……。」
俺は前世の乏しいネーミングセンスをフル稼働させた。
炎、飛翔、神獣、赤、輝き。
「……『フレイ』。フレイってのはどうだ?」
俺がポツリとこぼした名前に、幼体はピタッと動きを止め、俺の顔をじっと見つめた。
そして、パァッと羽を大きく広げ、空に向かって高く、澄んだ声で鳴いた。
「ピヨォォォォォッ!!」
「気に入ってくれたみたいだな。よし、今日からお前の名前は『フレイ』だ。」
俺がフレイの頭を撫でると、フレイは気持ちよさそうに目を閉じ、俺の肩へと飛び乗ってきた。
「フレイ……良い名だ。我が子の新たな門出に相応しい。」
親フェニックスも深く頷き、巨大な翼を広げて空へと舞い上がった。
「クロウよ。我が子フレイを、頼んだぞ。……お前たちの旅路に、神獣の加護があらんことを。」
「ああ。またいつか、顔を見せに来るよ。」
俺とフレイは、空高く旋回する親鳥に向かって、見えなくなるまで手を振り(羽を振り)続けた。
「さて、フレイ。まずは俺の家に帰って、みんなに紹介しないとな。」
「ピヨッ!」
俺はフレイを肩に乗せたまま、時空間魔法の転移を発動させた。
次に目を開けた時には、バベルのマイホームの庭先だ。
そこで留守番をしているはずのシルヴィアやレイアたちが、フレイを見てどんな反応をするか。
そんな穏やかな日常の続きを思い描きながら、俺は空間の跳躍を実行した。
だが、その頃。
俺たちが拠点としている迷宮都市バベルへ向けて、アルカディア王国の首都から、功を焦った愚かな貴族の私兵たちが、軍靴の音を響かせて迫ってきていることなど、俺はまだ知る由もなかったのだ。




