第111話 帝国での新たな雇用と、残してきた約束
アルカディア王国、迷宮都市バベル。
俺の時空間魔法によって、海を越え、帝国を越え、帰還を果たした俺たちは、久しぶりに我が家である魔改造拠点へと戻ってきていた。
「はぁ〜……。やっぱり、自分の家が一番落ち着くわね。」
シルヴィアが、深層の倒木を加工して作った特製のソファに深く腰を沈め、心地よさそうに目を閉じた。
「ええ。ブルーオアシスの海も素敵でしたけど、この床暖房のじんわりとした温かさは、なんだかホッとします。」
レイアも、愛剣を丁寧に磨き終え、テーブルで温かいハーブティーを飲んでくつろいでいる。
「ご主人様、ご飯できましたか? 私、お腹ぺこぺこです!」
セツナが、キッチンのカウンターからひょっこりと顔を出し、銀色の尻尾を期待に満ちた動きでパタパタと揺らした。
「アタシもタロウの竜舎を掃除してやったら腹が減ったよ! 旦那様のご飯が待ち遠しいね!」
庭から戻ってきたレオナが、腕まくりをしたまま豪快に笑う。
「むぐむぐ……わらわは一足先に、買っておいた南国の果物を頂いておるぞ。」
タマモはすでに子供の姿に戻り、テーブルの端で甘い果実を頬張っていた。
「ああ、今できるぞ。今日はブルーオアシスの市場で買っておいた新鮮な海鮮と、バベルの野菜をたっぷり使ったパエリアだ。」
俺は巨大な平鍋を火から下ろし、香ばしい匂いを立てるパエリアをテーブルの中央へと運んだ。
エビや貝の旨味がたっぷりと染み込んだ黄金色のライスに、カリッと焼き上げた白身魚が乗っている。
「「「わぁ……っ!」」」
「早速いただくのじゃ!」
俺たちは食卓を囲み、久しぶりのバベルの家での温かい日常を満喫した。
◆
食後のコーヒーを飲みながら、俺はふと、数日前の帝都での出来事を思い返していた。
ブルーオアシスの悪徳領主バルバロスを失脚させた夜。
俺は地下の牢獄から救い出した約五十人の若者たちを、一斉に帝国の皇宮にある巨大な訓練場へと転移させた。
カテリーナ皇帝の手配により、彼らには十分な食事と医療ケアが施され、一晩の休息の後に落ち着きを取り戻した。
翌朝、俺は彼らの前に立ち、今後のことについて提案をしたのだ。
『まずは無事でよかった。……これからのことだが、ブルーオアシスや元の村へ帰りたい者はいるか?』
俺が尋ねると、五十人のうち、四十人ほどが恐る恐る手を挙げた。
『もし元の場所に戻るのなら、一人当たり金貨一枚を渡す。それを路銀なり、生活の足しにしてくれ。』
俺の言葉に、彼らは一様に信じられないといった顔をした。
金貨一枚といえば、一般の平民が数ヶ月は遊んで暮らせるだけの大金だ。俺にとってはカジノで稼いだ白金貨の端数に過ぎないが、彼らの人生を立て直すには十分すぎる額だろう。
『そ、そんな大金、受け取れません……!』
『俺たちは、命を助けてもらっただけで……っ。』
『気にするな。これは、あの悪徳領主の隠し財産から巻き上げた、本来お前たちが受け取るべき慰謝料だ。』
俺がそう言って革袋を渡すと、彼らは大粒の涙を流し、何度も何度も俺たちに頭を下げた。
その後、俺は彼らを、ルシアンが新領主として指揮を執り始めたブルーオアシスの安全な区画へと、責任を持って転移で送り届けたのだ。
だが、残った十人ほどの若者たちは、元の場所へ帰ることを希望しなかった。
『……俺たちは、帰れません。』
獣人の耳を持つ一人の青年が、暗い顔で口を開いた。
『俺たちは元々、家族が多すぎて食い扶持を減らすために、村から出稼ぎという名目で追い出されたんです。……ブルーオアシスでも、のけ者にされて……。』
他の九人も、同じように俯いている。
孤児であったり、家族から見捨てられていたり。彼らには、帰るべき故郷がすでに失われていた。
『もし、可能であれば……この強くて立派な帝国で、なんでもしますから、働かせてもらえないでしょうか……?』
青年がすがるような目で俺を見た。
帝国は実力主義の国だ。身寄りを持たない彼らが、この厳しい帝都でいきなり生活基盤を築くのは容易ではない。
俺が彼らの処遇をどうするか思考を巡らせていた時、ふと、あることに気がついた。
(……そういえば、カテリーナ陛下から貰ったこの帝都の別荘。広すぎるのに、俺直属の従者が一人もいないな。)
普段はバベルの家をメイン拠点にしているため気にしていなかったが、帝都の一等地にある巨大な屋敷を、誰も管理していない状態が続いているのは少しもったいない。
『……お前たち。俺の屋敷で働かないか?』
俺がそう提案すると、十人の若者たちはポカンと口を開けた。
『え……? ク、クロウ様の、お屋敷で……?』
『ああ。俺は帝国の名誉公爵という立場柄、この帝都にかなり大きな別荘を持っているんだが、今は誰も住んでいなくてな。お前たちに、その屋敷の管理や掃除、従者としての仕事を任せたい。もちろん、給金と住み込みの部屋は保証する。』
俺の言葉の意味を理解した瞬間、彼らの顔にパァッと希望の光が差した。
『や、やります!! どんな辛い仕事でも、一生懸命やらせていただきます!!』
『どうか、よろしくお願いします……っ!!』
彼らは俺の足元にひれ伏さんばかりの勢いで、雇用契約に同意した。
その後、俺は帝国騎士団のエリーゼに頼み込み、カテリーナ皇帝が手配してくれていた皇宮のベテラン従者や料理人たちを別荘に招いた。
礼儀作法から掃除の技術、料理の基礎に至るまで、彼ら十人にみっちりと教育を施してもらうためだ。
『クロウ様! 本日はお日柄もよく……! あ、違った。お帰りなさいませ!』
数日後には、彼らは真新しいメイド服や執事服に身を包み、少しぎこちないながらも、立派に俺の別荘を管理してくれるようになっていた。
あの絶望に満ちた地下牢から救い出した命が、こうして俺の資産――確かな人脈と雇用という形で、新たな人生を歩み始めたのだ。
(……まあ、結果オーライというやつだな。)
◆
「……クロウ? どうしたの、コーヒーを飲んだままぼーっとして。」
シルヴィアの声で、俺は帝都での回想から現実へと引き戻された。
「いや、帝都の別荘で雇ったあいつら、元気にやってるかなと思ってな。」
俺が苦笑すると、シルヴィアも優しく微笑んだ。
「大丈夫よ。エリーゼたちから厳しい指導を受けて、きっと立派な従者に育っているわ。」
「ええ。クロウさんが与えてくれた居場所ですから、彼らも必死に頑張るはずです。」
レイアも嬉しそうに頷く。
バベルの家の窓から差し込む、穏やかな午後の日差し。
俺はコーヒーカップをテーブルに置き、ふと、ある「やり残したこと」を思い出した。
「……あ。」
「どうしたんじゃ、クロウ。変な声を出して。」
タマモが不思議そうに首を傾げる。
「いや……そういえば、フェニックスのところに、何も言わずに帰ってきちゃったなと思って。」
俺の言葉に、仲間たちも一斉に「あ」という顔をした。
裏オークションで救い出し、炎獄の火山島へ親元に送り届けた、あの神獣フェニックスの幼体。
別れ際に「強くなったら一緒に旅に連れて行ってやる。また来るよ」と約束していたのに、バルバロスの討伐と人質救出でバタバタしすぎて、ブルーオアシスを離れる際に挨拶へ行くのを完全に忘れていたのだ。
「あの子、もしかして私たちが来るのをずっと待っているんじゃないかしら……?」
シルヴィアが、少し申し訳なさそうに頬に手を当てる。
「うぅ……可愛そうなことをしてしまいました。今頃、火山の上からずっと海を眺めているかもしれません……。」
セツナが、狼の耳をぺたんと伏せて悲しそうな顔をする。
「それは少し気が引けるな。」
俺は立ち上がり、軽く肩を回した。
「ちょっと、俺一人でサクッと行ってくるよ。」
「えっ? クロウ一人で行くの?」
レイアが驚いて尋ねる。
「ああ。どうせ時空間魔法の転移ですぐに行き来できる。ただ顔を出して、無事を伝えてくるだけだからな。」
俺の提案に、シルヴィアが周囲を見渡して頷いた。
「そうね。私たちは、しばらく空けていたこの家の空気の入れ替えや、溜まっていた洗濯物を片付けてしまいたいし。」
「アタシも、タロウの奴がもっとブラッシングしてくれってせがむからさ。ここはアタシらが留守番しておくよ!」
レオナが、タロウ用の巨大なブラシを担いで親指を立てる。
「むむっ、わらわも行くと言いたいところじゃが……今日はお腹がいっぱいで動きたくないのじゃ。」
タマモはソファに寝転がり、尻尾をクッション代わりにしてあくびをした。
「わかった。それじゃあ、バベルの屋敷の留守は頼んだぞ。」
俺はアビス・クロークの襟を正し、仲間たちに向けて軽く手を挙げた。
「いってらっしゃい、クロウさん。」
「気をつけてくださいね、ご主人様!」
仲間たちの温かい声援を背に受けながら、俺は魔力を練り上げ、空間の座標を遥か南の海に浮かぶ『炎獄の火山島』へと設定した。
俺が留守にしているこのバベルの家へ、王都から愚かな野心を抱いた貴族の私兵たちが、王命を偽って迫ってきていることなど、この時の俺たちは知る由もなかった。
視界が歪み、俺の身体は一瞬にしてバベルの家から消失し、灼熱の風が吹く神獣の聖域へと跳躍した。




