第110話 蠢く王都の陰謀と、愚か者たちの行軍
アルカディア王国、王城の奥深くにある円卓の間。
そこは普段、国の重要案件を決定するための厳粛な場である。
だが今日の会議は、朝から全くまとまりを見せず、不毛な怒号と冷笑が飛び交うばかりだった。
「だからこそ、今すぐに彼らを王室の直轄に置くべきだと言っているのだ! 放置しておけば、我が国の威信に関わる問題になりかねん!」
そう声を荒げたのは、知力派貴族の急先鋒であるランドルフ子爵だった。
最近になって爵位を継いだばかりの若い彼は、自らの功績を焦るあまり、事の重大さをまったく理解していなかった。
「彼ら……クロウの一党は、つい先日、海洋通商国オケアノスの領土であるブルーオアシスにて、現地の領主を武力で失脚させたと報告が入っている! さらに、不法に囚われていたとはいえ、百人もの民を一瞬にして帝国へと転移させたのだぞ!」
ランドルフ子爵は、手元の報告書をバンッと叩いた。
「これは見方を変えれば、我がアルカディアの冒険者が、オケアノスに恩を売り、帝国とのパイプを強固にしたということだ! 彼らを王国の正式な特務部隊として取り立てれば、隣国に対する強烈な牽制となる!」
「貴様、現場を何も知らぬからそのような寝言が吐けるのだ!」
ランドルフの言葉を遮るように、円卓の向かいから野太い怒声が飛んだ。
王国騎士団を束ねる武闘派の重鎮、ガレス侯爵である。
「クロウ殿と、その仲間たちの実力を何だと思っている! 彼らは王都の地下に湧いた災害級の変異種を、周囲の地盤に一切の傷をつけることなく討伐してみせたのだぞ! それがいかに異常なことか、文官の貴様には到底理解できまい!」
ガレス侯爵は、ギリッと歯を食いしばってランドルフを睨みつけた。
「彼らを縛り付けようなどと、正気の沙汰ではない。下手な真似をして彼らの機嫌を損ねれば、一個師団など一瞬で消し炭にされるわ!」
「野蛮な武官はこれだから困る。相手はしょせん、平民に毛が生えた程度の冒険者ではないか。王家の権威と、十分な金と地位を与えれば、尻尾を振って従うに決まっているだろうが。」
ランドルフ子爵が、鼻で笑うように冷笑する。
彼に追従する爵位の低い貴族たちも、「その通りだ」「手綱を握るのが我々貴族の仕事だ」と同調の声を上げ始めた。
その無知で傲慢なやり取りを、私――アルバート伯爵は、頭痛を堪えながら静観していた。
(……馬鹿げている。あまりにも愚かであるな。)
私は内心で深くため息をついた。
私はかつて、盗賊の群れに襲われたところを、クロウ殿に救われた。
あの時の光景は、今でも脳裏に焼き付いている。
数十人の盗賊を、まるで作業のように、一切の感情を交えずに撫で斬りにした彼の姿。
そして、その背後で静かに控えていた、レイア殿の凛とした構え。
その後、バベルにあるクロウ殿の屋敷を訪ねた際には、氷のような冷たい美貌を持つシルヴィア殿や、気配すら感じさせない小柄なセツナ殿、圧倒的な膂力を隠そうともしないレオナ殿、さらには底知れぬ魔力を放つタマモ殿といった、常軌を逸した者たちが彼の下に集まっていた。
彼らが腰に帯びている武具の数々も、王家の宝物庫にある品すら霞むような、途方もない代物ばかりだ。
「……ランドルフ子爵。貴殿の提案は、あまりにも危険が大きすぎますぞ。」
私はついに沈黙を破り、静かに、だが重々しい声で円卓の議論に割って入った。
「おお、アルバート伯爵。クロウの一党と直接の面識がある貴方ならば、私の提案に賛同していただけると思っておりましたぞ。」
ランドルフが調子に乗って身を乗り出してくる。
私は首を横に振り、彼を冷ややかな目で見据えた。
「勘違いなさるな。私は、貴殿の提案に明確に反対しているのです。」
「な、なんだと……?」
「彼らは、権力や金で縛れるような存在ではない。……クロウ殿は、義理堅く、道理を弁えた御仁だ。私のような者の命を救い、見返りを求めることもなかった。だが、それは彼が自由であるからこそ成り立つ関係なのだ。」
私は、あの穏やかで大人の余裕を持つクロウ殿の顔を思い浮かべた。
「オケアノスでの一件もそうだ。彼は自らの正義と信念に従って動いたに過ぎない。それを、我が国が都合よく政治利用しようと企めば、彼らはどう思うか。」
私の言葉に、円卓の間が静まり返る。
「彼らには、空間を跳躍し、遥か遠方の帝国へ一瞬で移動する魔法の使い手がいる。もし彼らが我が国に愛想を尽かせば、一瞬にして国を捨て、二度と戻ることはないだろう。……いや、それだけで済めば御の字だ。」
私はガレス侯爵の言葉を肯定するように、深く頷いた。
「万が一、彼らを敵に回すようなことになれば、アルカディア王国は一日と持たずに地図から消え去るかもしれん。……それほどまでの存在なのだよ、彼らは。」
私の真剣な警告に、武闘派の貴族たちは深く頷き、静寂が広がった。
だが、ランドルフ子爵をはじめとする一部の若手貴族たちの目には、私の言葉が単なる臆病風に吹かれた老人の戯言にしか映っていなかったようだ。
「ふん。伯爵ともあろうお方が、たかが冒険者数人をそこまで恐れるとはな。……私は、彼らが王国の素晴らしい駒になると確信している。この件、引き続き私が調査し、適切な対応を検討させてもらう。」
ランドルフは不満げに鼻を鳴らし、乱暴に席を立った。
これ以上何を言っても無駄だと悟り、私は深く、重い溜め息をつくしかなかった。
◆
長い会議が終わり、私は疲労困憊で自邸へと戻ってきた。
オケアノスへの弁明や、帝国のカテリーナ女皇帝からの抗議(という名の牽制)に対する書類作成など、やるべき政務は山のように積まれている。
「お帰りなさいませ、お父様。」
屋敷のエントランスで、娘のシャルロッテが笑顔で出迎えてくれた。
「ああ、ただいま戻ったよ、シャルロッテ。……少し、骨が折れる会議でね。」
「会議が長引いたのですね。温かいお茶をご用意しておりますわ。……そういえば、クロウ様たちは、無事にブルーオアシスでの用事を終えられたのでしょうか?」
シャルロッテが、頬を少しだけ赤く染めながら尋ねてくる。
彼女の中では、クロウ殿は今でも白馬の騎士のような存在なのだ。
「ああ。どうやら、あちらの悪徳領主を懲らしめ、不法に囚われていた人々を救い出したらしい。彼ららしい、見事な立ち回りだよ。」
私が微笑みながら答えると、シャルロッテはパァッと顔を輝かせた。
「まあ! やはりクロウ様たちは素晴らしい方々ですわ! また、この屋敷に来てくださると良いのですが。」
「そうだな。次に彼らが王都に来た時は、またあの不思議な料理を振る舞ってもらいたいものだね。」
クロウ殿が作ってくれた、あの濃厚なチーズとミルクのパスタの味を思い出し、私は少しだけ心が軽くなるのを感じた。
彼らとの関係は、このまま友好的なものとして保ち続けなければならない。それが、このアルカディア王国が存続するための、最も確実で安全な道なのだから。
そう決意を新たにした、その時だった。
「旦那様!! 一大事でございます!!」
廊下の奥から、我がアルバート家の筆頭執事が、血相を変えて転がり込むように走ってきた。
普段は冷静沈着な彼が、これほど取り乱すのはただ事ではない。
「どうした、騒々しい。何があったのだ。」
私が顔を引き締めると、執事は息を荒げながら、信じられない報告を口にした。
「さ、先ほど、ギルド本部からの急報が入りまして……! あのランドルフ子爵が、自らの私兵と、彼に同調する一部の騎士たちをぞろぞろと引き連れて、王都を出立したとのことです!」
「なんだと!? 彼らはどこへ向かったというのだ!」
嫌な予感が、背筋を駆け上がっていく。
執事は青ざめた顔で、絶望的な事実を告げた。
「ランドルフ子爵の向かった先は……迷宮都市バベルにある、クロウ様たちのご自宅です! 王命を偽装してあの家を接収し、帰還した彼らを強制的に連行するつもりだとか……!」
「――ッ!!」
私は、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受け、その場にふらりとよろめいた。
「お、お父様!?」
シャルロッテが慌てて私の身体を支える。
「あの、大馬鹿者どもめがぁぁぁっ!!」
私は、生涯でこれほど大声を上げたことはないというほどの怒声で咆哮した。
迷宮都市バベルは、私の領地である。
私の領地で、私の恩人であり、世界を救った英雄たちに対して、あのような愚か者たちが王国の名を騙って牙を剥こうとしているのだ。
「クロウ殿の逆鱗に触れればどうなるか、あれほど口酸っぱく忠告したというのに……! なぜ、あそこまで愚かになれるのだ!!」
彼らがバベルの家に手を出せば、間違いなく破滅が訪れる。
クロウ殿だけではない。
彼を誰よりも敬愛するレイア殿の剣が、シルヴィア殿の氷が、セツナ殿の刃が、レオナ殿の怒りが、そしてタマモ殿の狐火が、あの愚か者たちを跡形もなく消し去るだろう。
それだけなら自業自得で済む。
だが、もし彼らがアルカディア王国からの攻撃と見なせば、この国全体が彼らの敵として認識されてしまうのだ。
「執事!! 今すぐ馬車を出せ! 私の直属の近衛騎士を全員集めろ!!」
私は血を吐くような思いで指示を飛ばした。
「急がねばならん! あの馬鹿どもがクロウ殿の家に手出しをする前に、何としても追いつき、首根っこを捕まえて引きずり戻してくれるわ!!」
「は、はいっ!! ただちに!!」
執事が弾かれたように走り出していく。
「お父様……どうか、ご無事で。クロウ様たちに、間違いが起きませんように……っ。」
シャルロッテが、祈るように両手を胸の前で組んでいる。
「案ずるな、シャルロッテ。我がアルバート家の名にかけて、彼らの平穏は私が守り抜いてみせる。」
私は娘に力強く頷いてみせたが、内心の焦燥感が消えることはなかった。
愚かな野心に目が眩んだ貴族たちが、神の尾を踏みに行こうとしている。
その最悪の事態を未然に防ぐため、私はアルバート家の総力を挙げ、自らの領地である迷宮都市バベルへと向かって、夜の街道を猛烈な速度で駆け抜けていくのだった。




