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第109話 世界を揺るがす報告と、各国の思惑

アルカディア王国、迷宮都市バベル。


その中心にそびえ立つ冒険者ギルドの長室では、深夜にもかかわらず重苦しい沈黙が漂っていた。


「……あいつ、またやりやがった。」


バベルの冒険者ギルドを束ねる男、バルガスは、分厚い両手で頭を抱え、机に突っ伏していた。


その傍らには、すでに空になった胃薬の瓶が転がっている。


つい数時間前のことだ。


書類仕事に追われていたバルガスの目の前に、空間が歪んだかと思うと、あの規格外の冒険者クロウがふらりと現れたのだ。


『ブルーオアシスの新領主が、誘拐と奴隷売買をやっていた。これから俺たちのパーティで、奴の屋敷と地下カジノを根こそぎ叩き潰してくる』


そんな冗談のような、しかし奴なら絶対にやり遂げてしまうであろう爆弾発言を投下し、事後処理を丸投げして再び消え去った。


「一国の領主を相手に、屋敷を根こそぎ叩き潰すだと……? しかも、他国のリゾート地でだぞ。ただの国際問題じゃ済まねえ……。」


バルガスはうめき声を上げながら、顔を上げた。


クロウたちの実力を疑ってはいない。むしろ、あのクロウと、レイア、シルヴィア、セツナ、レオナ、そしてタマモという錚々たる顔ぶれが本気で暴れれば、ブルーオアシスという島一つが地図から消え去ってもおかしくない。


「被害は最小限に抑えるだろうが、オケアノスの上層部が黙っちゃいねえだろうな。」


海洋通商国オケアノス。ブルーオアシスを領土として管轄する、海に面した大国だ。


バルガスは引き出しから新しい羊皮紙を取り出し、ペンを走らせ始めた。


宛先は、王都のギルド本部を仕切る隻眼の男、ガウェインだ。


『ガウェインの旦那へ。あの規格外の連中が、また特大の火種を打ち上げやがった。ブルーオアシスで悪徳領主を討伐し、人質を解放したらしい。オケアノス側からギルドに抗議が来るのは時間の問題だ。そっちでも、王家や上に話を通しておいてくれ。俺の胃はもう限界だ』


ペンを走らせるバルガスの表情は苦虫を噛み潰したようだったが、その瞳の奥には、どこか痛快な響きも混じっていた。


「まったく……。権力に媚びず、助けを求める弱者のために一国の領主に喧嘩を売る。……冒険者としちゃあ、最高に真っ当でかっこいい生き方だがな。」


バルガスは書き終えた手紙を封蝋し、窓の外に広がるバベルの夜空を見上げた。


「せいぜい、うまくやり抜けよ。SSランクの英雄ども。」



一方その頃、覇帝国ガレリアの帝都。


巨大な皇宮の奥深くにある皇帝の執務室では、女皇帝カテリーナが、報告に上がってきた帝国騎士団の部隊長エリーゼと向き合っていた。


「……以上が、クロウ殿の転移魔法によって運ばれてきた人質たちの状況です。全員の身元確認と医療ケアが完了し、現在は皇宮の訓練場で休息を取らせております。」


エリーゼが、背筋を伸ばして的確な報告を行う。


「大儀であった、エリーゼ。……それにしても、百人近い人間を一瞬で他国から転移させるとはな。相変わらず、底知れない男だ。」


カテリーナは、軍服の襟元を少し緩めながら、楽しげに口角を上げた。


しかし、エリーゼの表情は硬いままだった。彼女は少し躊躇いながらも、口を開いた。


「カテリーナ陛下。恐れながら申し上げます。……今回の一件、いかにクロウ殿の頼みとはいえ、安請け合いをしてよろしかったのでしょうか?」


「ほう。懸念があるか。」


「はい。オケアノス領内の事件に我が帝国が介入し、さらにその民を皇宮で保護したとなれば、オケアノス側は『帝国による拉致』と主張し、最悪の場合、戦争の火種になりかねません。」


エリーゼの指摘は、軍人として、そして国家の中枢を担う者として極めて真っ当なものだった。


だが、カテリーナは慌てる様子もなく、ふっと獰猛な笑みを浮かべた。


「戦争になる、か。……構わんさ。むしろ、そうなってくれた方が都合が良い。」


「え……?」


「最近のオケアノスは、海路の関税を不当に引き上げ、裏社会の奴隷売買すら黙認しているという噂が絶えなかった。目に余る行動が多すぎたのだ。」


カテリーナは玉座から立ち上がり、窓から帝都の街並みを見下ろした。


「それに、今回の件で我々が保護したのは『悪徳領主に不法に囚われていた無実の民』だ。クロウたちが押さえた裏帳簿の証拠があれば、オケアノス側は何も言えなくなる。もしそれでも我が帝国に刃を向けるというのなら……。」


カテリーナの瞳に、覇王としての圧倒的な闘気が宿る。


「その時は、我が帝国の誇る武力をもって、海の向こうの国ごと叩き潰すまでだ。……そもそも、世界を救ったSSランクの英雄であるクロウたちと敵対するなどという愚かな選択をするくらいなら、オケアノスと全面戦争になった方が遥かにマシだからな。」


その言葉に、エリーゼは息を呑んだ。


カテリーナにとって、クロウたちとの良好な関係は、一国との戦争リスクを冒してでも維持すべき絶対的な『価値』なのだ。


「それに、あやつに一つ大きな恩を売れたのだ。安いものだろう?」


カテリーナが振り返り、悪戯っぽく笑う。


エリーゼはしばらく呆然としていたが、やがて諦めたように小さく息を吐き、臣下の礼をとった。


「……陛下の深謀遠慮、恐れ入りました。引き続き、人質たちの警護と保護に全力を尽くします。」


「うむ。頼んだぞ。」


カテリーナは再び窓の外に視線を向け、遠く離れた海に浮かぶ楽園で暴れ回っているであろう英雄たちの姿を思い浮かべた。



海洋通商国オケアノスの王城。


豪華絢爛な王の間では、怒号が響き渡っていた。


「なんということだ!! 我が国の領主が、他国の貴族と冒険者によって館を破壊され、失脚させられただと!?」


玉座にふんぞり返るオケアノス国王は、報告書を床に叩きつけ、顔を真っ赤にして激昂していた。


「しかも、バルバロスが地下に隠していたという『商品』まで根こそぎ奪われ、挙句の果てには帝国の皇宮へ転移させられただと!? これは我がオケアノスに対する明確な主権侵害! 国家反逆罪である!!」


国王の怒りに、周囲の貴族や大臣たちは青ざめて震えている。


「おい! 冒険者ギルドのマスターを呼べ! 今すぐあのクロウという男と、そのパーティ全員を国際指名手配にしろ!!」


王の命令を受け、すぐさま王城に呼び出されたのは、オケアノスの冒険者ギルドを統括するマスター、グレアムだった。


銀縁の眼鏡をかけた、細身で知的な印象を与える初老の男だ。


彼は王の怒号を静かに聞き流した後、恭しく一礼して口を開いた。


「……国王陛下。お言葉ですが、ギルドとして彼らを指名手配することはできません。」


「なんだと!? 貴様、王の命令に背くつもりか!」


「滅相もございません。ですが、相手が悪すぎます。」


グレアムは眼鏡の位置を直し、懐から数枚の資料を取り出した。


「クロウ殿とそのパーティは、先日ギルド本部から正式に認定された『SSランク』の冒険者です。世界を滅ぼしかけた邪竜を浄化した、文字通りの英雄。彼らを罪人として手配すれば、我が国のギルドは世界中の冒険者から非難の的となります。」


「そ、それは……。」


「さらに、クロウ殿はアルカディア王国の後ろ盾を持ち、覇帝国ガレリアからは名誉公爵の地位を与えられています。ドワーフの国ガルドとも太いパイプがある。……彼らに懸賞金をかけ、敵対するということは、大陸の三大国を同時に敵に回すということに他なりません。」


グレアムの冷徹な事実の羅列に、国王は言葉を詰まらせ、玉座にへたり込んだ。


「し、しかし……我が国の領主が一方的にやられたのだぞ!? 面子が丸潰れではないか!」


「お言葉ですが、バルバロス元領主は、不法な奴隷売買と地上げを行っていた証拠がすでに上がっております。クロウ殿は、新たな領主として前領主の次男であるルシアン殿を後見し、街の復興資金まで提供しているとのこと。」


グレアムは静かに、だがはっきりと告げた。


「むしろ、彼らの行動を『我が国の腐敗を正してくれた英雄的行為』として称賛し、ルシアン殿を正式な領主として認める方が、国家の面子を保つ上で賢明かと存じます。帝国との不要な摩擦も避けられますからな。」


国王はワナワナと震えていたが、グレアムの反論の隙を与えない正論と、大陸を揺るがす強者たちの名を聞かされ、反論の言葉を見つけられなかった。


「……くっ、ええい! 勝手にしろ! ギルドの好きにしろ!!」


国王は吐き捨てるように叫び、足早に王の間から立ち去っていった。


「……やれやれ。」


残されたグレアムは、小さくため息をつき、王城の窓から見えるブルーオアシスの方角へと視線を向けた。


「あのバルバロスを一夜にして失脚させ、街の権力構造を丸ごとひっくり返したか。……噂には聞いていたが、とんでもない嵐を呼ぶ連中だ。」


グレアムは、ギルドマスターとしての矜持と、規格外の冒険者たちに対する純粋な畏怖を抱きながら、静かに踵を返した。


世界各国を巻き込んだ政治と権力の思惑。


だが、それらの全ては、クロウたちの圧倒的な実力と、信念に基づいた行動の前に、ただ押し流されるしかなかった。


ブルーオアシスの空は、そんな人間のちっぽけな思惑を嘲笑うかのように、今日も青く、透き通っていた。

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