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第108話 楽園の掃除と、大いなる帰還

夜の静寂に包まれた入り江の宿『パール・ガーデン』。


俺が転移魔法で部屋へと戻り、これからの奪還作戦を告げた直後だった。


俺の研ぎ澄まされた生存本能が、宿を包囲する無数の冷たい殺気を感知した。


「……どうやら、向こうから出向いてきてくれたらしいな。」


俺の言葉と同時に、部屋のテラスの窓と入り口の扉が音もなく開かれ、黒装束に身を包んだ十数人の暗殺者たちが雪崩れ込んできた。


「死ねェッ!! バルバロス様からの挨拶だ!!」


毒の塗られた短剣が、四方八方から俺たちを目掛けて突き出される。


「ひぃっ!?」


ルシアンが悲鳴を上げて床にへたり込んだ。


だが、俺たちの誰も、慌てて武器を抜くようなことはしなかった。


「……室内だ。宿の備品を傷つけるなよ。」


俺が静かに声をかけると、レオナとセツナが瞬時に動いた。


「わかってるよ、旦那様! アタシの手加減を甘く見ないでよね!」


レオナは背中のハルバードを抜かず、素手のまま前に出た。


暗殺者の突きを紙一重で躱し、その手首を掴んで軽く捻り上げる。


それだけで相手の姿勢は完全に崩れ、レオナの正確な手刀を首筋に受けて白目を剥き、崩れ落ちた。


「遅いです。……殺気が漏れすぎていますよ。」


セツナは影に溶け込むように背後へと回り込み、一切の音を立てずに急所を打ち据えていく。


家具一つ、壁の絵画一枚たりとも傷つけることなく、十数人の暗殺者たちは、わずか数秒で全員が床に転がる物言わぬ肉塊へと変わった。


「ふう。この程度の連中を差し向けてくるとは、随分と舐められたものね。」


シルヴィアが、冷たい視線で倒れた男たちを見下ろす。


「どうやら、バルバロスは俺たちを生かして帰すつもりはなかったようだな。」


俺は気絶している男の一人の胸ぐらを掴み、軽く頬を叩いて意識を呼び戻した。


「……あ、がっ……!」


「誰の差し金だ。言うまでもないとは思うがな。」


俺が静かな圧力をかけると、男はガチガチと歯の根を鳴らしながら口を開いた。


「バ、バルバロス様の命令だ……! 逆らう奴は全員消せって……!」


「……これで、十分すぎるほどの大義名分ができましたね。」


ルシアンが、震える声で、しかし確かな決意を持って立ち上がった。


領主側からの明確な暗殺指令。


他国の貴族という立場を持つ俺たちに対するこの行為は、単なる内政干渉の枠を越え、命を狙われた者としての正当防衛を成立させる。


「ああ。これでもう、この街に気兼ねなく手を下せるな。」


俺は立ち上がり、今後の段取りを瞬時に組み立てた。


「シルヴィア、少しの間だけ結界を張ってこの部屋を隠蔽してくれ。……俺は先に、撤収の準備を済ませてくる。」


俺はそう言い残し、時空間魔法の転移を発動させた。


一瞬で港の竜舎へと跳躍し、眠っていたタロウの首を優しく撫でる。


「タロウ、お前は先にバベルの家で待っててくれ。新鮮な肉を用意しておくからな。」


「グルルゥ……♪」


俺の言葉を理解したタロウを、バベルのマイホームの庭へと直接転移させる。


続いて、港に停泊していた船の巨大な船体に触れ、インベントリの空間へと丸ごと収納した。


再び転移で宿の部屋へと戻ると、俺は用意しておいた革袋をルシアンへと手渡した。


「クロウ様、これは……?」


「タマモが地下から回収してきた裏帳簿だ。バルバロスの悪事の証拠がすべて詰まってる。……それに、これからの復興資金として、少しばかりの金貨を入れておいた。」


ルシアンは目を見開き、中身を確認して息を呑んだ。


「これがあれば、兄を領主の座から引きずり下ろし、法の下で裁くことができます……! しかし、こんな大金まで……!」


「お前は、前領主の志を継いで、この街を本当の楽園にしたいんだろう? だったら、お前が新しい領主になって、このブルーオアシスを立て直せ。……あとは頼んだぞ。」


俺が肩を叩くと、ルシアンはボロボロと涙をこぼし、深く頭を下げた。


「はい……っ! 必ず、父の思い描いた街を取り戻してみせます。貴方方の大恩、生涯忘れません!!」


俺たちは騒ぎに気づいて奥から出てきた老夫婦にも、多めの宿代と感謝の言葉を伝え、静かに宿を後にした。



夜の闇に紛れ、俺たちはバルバロスの領主館へと向かった。


正面ゲートには、先ほどの暗殺失敗の報を受けたのか、重武装の精鋭部隊がズラリと立ち並んでいる。


「止まれ! 貴様ら、よくもここへ顔を出す度胸があったな!!」


傭兵崩れや、他国から金で買われたであろう凄腕の賞金稼ぎたちが、一斉に武器を構える。


だが、俺たちの歩みは止まらない。


「レイア、セツナ、レオナ、シルヴィア。……一般の兵士や、雇われているだけの連中を無駄に殺す必要はない。力を抑えて、無力化しろ。」 


「「「「了解!!」」」」


俺の合図と共に、四人が同時に動いた。


「ハァァァァッ!!」 


レオナが使い込んだハルバードを抜き放つ。


だが、その刃を向けることはせず、長柄の部分を使った強烈な峰打ちで、大柄な傭兵たちの急所を次々と打ち据えていく。


鎧の上からでも内臓を揺らす絶妙な力加減により、相手は骨を折ることもなく、意識だけを刈り取られて地に伏していく。


「遅いです。……そこ。」


セツナは暗殺者の歩法で完全に気配を消し、敵の死角から次々と現れては、首筋を軽く叩いて昏倒させていく。


誰一人として、彼女の姿を捉えることすらできていない。


「一斉射撃!! 撃てェッ!!」


後方から魔法使いの部隊が炎や雷の魔法を放ってくるが、レイアが一歩前に出た。


愛剣を静かに構え、手首の柔らかなスナップで魔法の軌道を受け流す。


チィンッ!!という澄んだ音と共に、強大な魔法のエネルギーはすべて明後日の方向へと逸らされ、空中で虚しく霧散した。


「……氷結縛アイス・バインド。」


そして、シルヴィアが優雅に弓を構えて魔法を放つと、部隊の足元から極低温の氷が這い上がり、彼らの身体を傷つけることなく、その場に完全に縫い付けた。


「な、なんだこいつら……!? まったく手も足も出ねえぞ!!」


「どうなってやがる……っ!」


帝国での過酷な修行を経て、俺たちの力のコントロールは極致に達していた。


全力を出せば屋敷ごと吹き飛ばせる力を持ちながら、あえて数パーセントの出力に抑え、確実に無力化していく。


俺は一切の武器を抜かず、ただ歩みを進めるだけで、俺から漏れ出る覇気に当てられた周囲の敵が次々と腰を抜かしていった。


あっという間に地上の戦力を制圧した俺たちは、タマモが教えてくれた書棚の裏の隠し通路を通り、地下空間へと足を踏み入れた。



「……遅かったではないか、クロウ!」


地下の広大な牢獄。


大人の姿で黄金の結界を展開したまま待機していたタマモが、俺たちを見るなりホッと息を吐いた。


結界の中には、無数の檻に囚われた若い男女や獣人の子供たちが、不安そうに身を寄せ合っている。


「悪い、少し片付けに時間がかかった。みんな怪我はないか?」


「うむ。わらわの結界じゃ、傷一つつけさせはせんよ。」


タマモが自慢げに胸を張る。


俺が檻の鍵を魔法で次々と破壊していくと、囚われていた人々が恐る恐る外へと出てきた。


「あ、あなたたちは……?」


「もう大丈夫だ。ここは危険だから、これから安全な場所へみんなを逃がす。」


俺が優しく声をかけると、彼らは安堵の涙を流して抱き合い始めた。


その時、地下牢の奥の階段から、転がるようにして逃げてきた男の姿があった。


「ひぃぃぃっ! な、なぜ貴様らがここにいる!! 私の精鋭部隊はどうした!!」


新領主、バルバロスだった。


どうやら地上での圧倒的な敗北を察知し、地下の隠し通路から逃亡しようとしていたらしい。


バルバロスは俺たちの姿と、解放された人質たちを見て、絶望に顔を歪めた。


「こ、こいつらを助けたところでどうにもならんぞ! 上層部にはすでに話が通っている! 貴様ら、他国の領主を攻撃した罪で国際手配してやるからな!!」


「……随分と威勢がいいな。だが、お前の悪事の証拠は、すでに弟のルシアンに預けてある。」


俺の言葉に、バルバロスの顔が引き攣った。


「今頃、まともな衛兵たちを率いて、この屋敷の制圧に向かっている頃だろうよ。」


「なっ……ルシアンだと!? あの小僧が……っ!!」


バルバロスが腰を抜かして床にへたり込む。


「裁きは、お前が踏みにじったこの街の人間たちに下してもらう。……せいぜい、震えて待っているんだな。」


俺はバルバロスを一瞥すると、すぐに意識を切り替え、広大な地下空間の中心に立った。


「レイア、セツナ、レオナ、シルヴィア、タマモ。……みんなを俺の近くに集めてくれ。」


「了解しました!」


「さあ、こっちへ集まって。もう怖いことはないわ。」


仲間たちの誘導で、百人近い人質たちが俺の周囲へと密集する。


これだけの大人数を、遥か遠く離れた帝国の皇宮まで一斉に転移させる。


俺の時空間魔法の出力と精密なコントロールが問われる大技だ。


「……行くぞ。」


俺は深く呼吸をし、全身の魔力回路を全開にして、空間の座標を帝国の皇宮・巨大訓練場へと合わせた。


目も眩むような青白い魔力の光が、地下空間全体を包み込む。


「えっ……光が……?」


人質たちが驚きの声を上げる中、俺は時空の歪みを固定し、一気に空間を跳躍させた。


シュンッ!!


ブルーオアシスの地下牢の冷たい空気から、帝国の皇宮が持つ厳かで清浄な空気へと、一瞬にして世界が切り替わる。


「……よし。無事に到着したな。」


俺が周囲を見渡すと、そこには事前の連絡通り、カテリーナ皇帝の命を受けた近衛兵たちと、医療班、そして温かい食事と毛布が用意された巨大な訓練場が広がっていた。


「よ、ここは……?」


「魔法で、遠くの国まで飛んできたのよ。もう安心していいわ。」


シルヴィアが、戸惑う人質たちに優しく語りかけ、毛布を配り始める。


「クロウ殿。見事な手際だったな。」


陣頭指揮を執っていた帝国騎士団の部隊長エリーゼが、俺に向かって敬礼をした。


「急な頼みを聞いてくれて感謝する。……彼らのケアを頼めるか?」


「ええ、お任せください。皇帝陛下からも、手厚く保護するよう厳命されております。」


エリーゼの力強い言葉に、俺は深く安堵の息を吐いた。


人質たちの無事な姿と、温かい食事を手にして涙を流す彼らの顔を見て、俺の胸の中にあった静かな怒りは、確かな達成感へと変わっていった。


「旦那様、お疲れ様! 大勢の転移なんて、さすがの旦那様でも疲れたんじゃないかい?」


レオナが俺の肩をポンと叩く。


「いや、これくらいなんてことはないさ。」


「ふふっ。でも、これでブルーオアシスのバカンスはお預けになっちゃいましたね。」


レイアが、少しだけ残念そうに微笑む。


「ああ。だが、ルシアンが新領主としてあの街を本当の楽園に立て直してくれたら……その時はまた、みんなで遊びに行こう。」


俺の言葉に、仲間たち全員が嬉しそうに頷いた。


こうして、常夏の楽園の闇を払う戦いは幕を下ろした。


理不尽な悪意を打ち砕き、罪のない人々を救い出した俺たちの旅は、さらなる世界と未知なる食を求めて、再び新たなページをめくっていくのだった。

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