第107話 楽園の闇と、怒りの転移
大広間のざわめきが、波のように静まっていく。
階段を降りてきた新領主バルバロスは、派手な宝石をじゃらじゃらと鳴らしながら、一直線に俺たちの元へと歩み寄ってきた。
「よくぞ参られた。帝国名誉公爵殿と、その見目麗しきお連れ様方。……私がこのブルーオアシスの領主、バルバロスだ。」
バルバロスは、ねっとりとした蛇のような視線で俺を、そしてシルヴィアやタマモ、レオナをなめ回すように見つめ、大仰に両手を広げた。
「お招きいただき感謝する。俺はクロウだ。……随分と豪勢なパーティだな。領主殿の気前の良さが窺える。」
俺はグラスを片手に、前世の営業時代に培った完璧な愛想笑いを浮かべて握手に応じた。
「はははっ、これはご挨拶だ。我が街の『ルール』も知らぬお客様が、少しばかりはしゃぎすぎていると耳にしましてな。こうして歓迎の場を設けさせていただいた次第ですよ。」
言葉の端々に棘が混じっている。俺たちがゴロツキを追い払ったことを『ルール違反』と言い放ち、暗に警告しているのだ。
「それは失礼した。ただ、静かなリゾートを楽しみたい観光客にとって、少々目障りな虫が飛んでいたものでね。つい、払いのけてしまっただけだ。」
俺が一切引かずに言い返すと、バルバロスはピクリと眉をひそめ、すぐにまた薄ら笑いを浮かべた。
「……なるほど。血の気の多いお客様だ。どうでしょう、クロウ殿。このような騒がしい広間ではなく、奥の部屋で『個別』にゆっくりとお話をしませんかな?」
バルバロスの提案に、俺はシルヴィアと視線を交わした。
敵の懐に入る最大のチャンスだ。だが、全員でついて行っては、本来の目的である裏帳簿の捜索ができない。
「いいだろう。……だが、彼女はもう少しここのワインと料理を楽しみたいそうなので、置いていく。俺と、こっちの二人だけで向かおう。」
俺は大人の美女に変貌しているタマモを指差した。
「ほほほっ。わらわはもう少し、この華やかな場を堪能させてもらうとするかのう。……領主殿、構わんじゃろ?」
タマモが扇子で口元を隠し、色香を含んだ流し目を送る。
バルバロスはその妖艶な姿に一瞬だけ目を奪われ、「え、ええ。もちろんですとも。どうかごゆっくり」と頷いた。
「レオナ、シルヴィア、行くぞ。」
「ああ、任せな! 旦那様の背中はアタシが守るよ!」
「ええ、行きましょうか。」
俺はレオナとシルヴィアを引き連れ、バルバロスの案内に従って広間の奥へと進んでいった。
◆
一人広間に残されたタマモは、周囲の貴族たちが送ってくる熱視線を適当にいなしながら、壁際へと移動した。
「ふん。どいつもこいつも、欲にまみれた豚のような顔ばかりじゃ。」
タマモは小さく鼻を鳴らすと、扇子で顔を隠しながら、誰にも気づかれないように高度な幻術を展開した。
周囲の人間からタマモの存在が『認識』から滑り落ち、彼女は完全に透明な存在となる。
「さて。クロウに頼まれた通り、悪党の証拠探しといくかのう。」
タマモは足音一つ立てず、大広間を抜け出して屋敷の奥へと潜入した。
豪奢な廊下を進み、警備の目を幻術で欺きながら、領主の執務室らしき部屋を物色する。
「……む? これは……。」
机の裏に隠されていた金庫の鍵をあっさりと開け、中から数冊の帳簿を取り出した。
パラパラと中身をめくると、そこにはカジノの不正な利益や、地上げで奪った土地の売買記録がびっしりと書き込まれていた。
「証拠は手に入れたぞ。……ん?」
タマモが帳簿を懐にしまった時、彼女の鋭い感覚が、床下から微弱な『人間の気配』を感じ取った。
「こんな地下深くから……しかも、多数の気配がするのう。それに、ひどく淀んだ空気じゃ。」
タマモは気配を辿り、執務室の奥にある書棚の裏に、地下へと続く隠し階段を発見した。
カツン、カツンと、冷たい石段を下りていく。
やがて開けた地下空間に辿り着いたタマモは、その光景に息を呑んだ。
薄暗い松明の光に照らされていたのは、何十もの頑丈な鉄の檻だった。
そして、その中には、手足を鎖で繋がれた『年若い人間や獣人たち』が、ボロボロの服を着て身を寄せ合い、絶望の表情で震えていたのだ。
「ひぃっ……!」
「誰か、助けて……お母さん……っ。」
檻の中から、すすり泣く声が微かに聞こえてくる。
「な、なんじゃこれは……。」
タマモが絶句していると、奥から酒瓶を持った見張りの男たちが歩いてきた。
「へへっ、今日も上玉が揃ってるじゃねえか。」
「ああ。地方の村から『帝都でいい仕事がある』って騙して連れてきたからな。明日の裏オークションに出せば、いい金になるぜ。」
男たちのゲスな会話を聞き、タマモの瞳にスッと冷たい怒りの炎が宿った。
「……なるほど。そういうことか。」
タマモは幻術を解き、静かに見張りの男たちの前に姿を現した。
「な、なんだお前は!? どこから入ってきやがった!」
男たちが慌てて剣を抜こうとするが、タマモの黄金の瞳が妖しく光った瞬間、彼らの意識は深い幻術の底へと沈み込んだ。
「……答えよ。お主ら、この者たちをどうするつもりじゃ。」
虚ろな目になった男の一人が、機械的に口を開いた。
「……領主様の命令で、周辺の村から若い奴らを騙して攫い、ここに幽閉している。……地下の裏オークションで、他国の貴族や奴隷商に売り飛ばすためだ……。」
その言葉を聞き、タマモの三本の尻尾が、怒りで逆立った。
罪のない子供たちを騙し、金のために売り飛ばす。神聖な霊山で子供たちを保護していたタマモにとって、それは絶対に許せない外道の所業だった。
「……腐れ外道どもが。」
タマモは男たちを幻術で気絶させて床に転がすと、檻に近づいた。
「お、お姉ちゃん……だれ?」
檻の中の少女が、怯えたようにタマモを見上げる。
タマモはしゃがみ込み、できるだけ優しい声を作って微笑みかけた。
「安心せい。わらわは、お主らを助けに来たのじゃ。……じゃが、今はまだ外へ連れ出すのは危ない。」
タマモは檻の周囲に、黄金の魔力を込めた複雑な印を結んだ。
「後で、わらわの頼もしい仲間たちが必ず迎えに来る。それまで、この結界がお主らを守るゆえ、静かに待っておれ。」
タマモが放った魔力は、SSランクのクロウですら破るのに骨が折れるほどの、絶対防護の黄金結界となって檻全体を包み込んだ。
「絶対に、助けに来るからな。」
タマモはそう言い残し、裏帳簿を抱えて、クロウの元へと急いだ。
◆
同じ頃、領主の館の最上階。
豪華な調度品が並ぶ応接室で、俺は分厚い革のソファに深く腰を下ろし、バルバロスと向かい合っていた。
俺の背後には、レオナとシルヴィアが静かに立っている。
「単刀直入に言いましょう、クロウ殿。」
バルバロスは最高級の葉巻をふかしながら、横柄な態度で足を組んだ。
「貴方方のような実力者が、なぜあのような場末の宿などにいるのかは知りませんが……いろいろと、私の街で『邪魔』をしてくれているようですな。」
「邪魔とは人聞きが悪い。俺たちはただ、目に余るゴロツキの暴挙を止めただけだ。」
俺の返答に、バルバロスは鼻で笑った。
「あの程度の連中、どうとでもなります。私がこのブルーオアシスを、世界最高の娯楽と富が集まる真の楽園にするための、ほんの些細な必要悪に過ぎない。」
バルバロスは身を乗り出し、ねっとりとした声で続けた。
「ですが、私は寛大な男です。クロウ殿、貴方のような強い力を持つ者が、私の『仲間』になってくれるのであれば、これまでの無礼は水に流しましょう。どうです? 莫大な富と、この街での自由を約束しますよ。」
権力者特有の、金と権力で人を支配できるという傲慢な勧誘。
俺は小さく息を吐き、冷ややかな視線でバルバロスを射抜いた。
「……断る。俺たちはアルカディアのSSランク冒険者であり、帝国の名誉公爵でもある。あんたのような三流の悪党の下につく理由が、一つもない。」
「なっ……!」
バルバロスの顔が、怒りで一気に赤黒く染まった。
俺はさらに言葉を続ける。
「この街は、前領主が誰でも楽しめるように作った場所だと聞いている。罪のない人々を追い出し、恐怖で街を支配するような真似は、もうやめるんだな。」
「ふざけるな!! この街は私のものだ! 私のやり方に文句を言うな!!」
バルバロスが激昂して立ち上がり、机を激しく叩いた。
「SSランクだろうが公爵だろうが関係ない! ここは私のシマだ! 生きて帰れると思うなよ!」
部屋の扉が開き、重武装の兵士たちが雪崩れ込んできそうになる。
だが、シルヴィアが指先を軽く振っただけで、扉の蝶番が完全に凍りつき、外からの侵入を物理的に遮断した。
「……交渉決裂だな。」
俺は静かに立ち上がり、アビス・クロークの襟を正した。
「これ以上、あんたと話すことはない。行くぞ、レオナ、シルヴィア。」
「ハッ! いつでも首を落としてやれるんだからな、豚野郎!」
レオナがバルバロスに向かって牙を剥き、凄まじい殺気を放つ。
バルバロスは腰を抜かし、ソファーにへたり込んだ。
俺たちは凍りついた扉をレオナの蹴りで粉砕し、屋敷の廊下へと出た。
◆
「クロウ! おったか!」
館を後にし、夜の街を歩いていると、幻術を解いたタマモが物陰から飛び出してきた。
「タマモ。無事だったか。証拠は見つかったか?」
俺が尋ねると、タマモは懐から裏帳簿の束を取り出して俺に押し付けた。
そして、いつになく怒りに震える声で、地下で見た光景を話し始めた。
「クロウ、あの屋敷の地下に……大勢の若い人間や獣人たちが、檻に閉じ込められておった! 村から騙して連れてきて、明日の裏オークションで奴隷として売り飛ばすつもりじゃと!」
「……なんだと?」
その言葉を聞いた瞬間、俺の足がピタリと止まった。
地上げやカジノの不正どころの話ではない。罪のない人々を組織的に誘拐し、奴隷として売り捌く。
15年間、生きるために無数の魔物を殺してきた俺だが、これほどの明確な『外道の悪意』を前にして、俺の中の底知れぬ怒りが、静かに、そして確実に沸点を超えた。
「……そうか。わかった。」
俺から漏れ出した殺気を抜いた純粋な『圧力』だけで、周囲の石畳がピシピシと音を立ててひび割れる。
「クロウ……。」
シルヴィアが、俺の静かなる激怒を感じ取り、息を呑んだ。
「レオナ、シルヴィア、タマモ。宿に戻って、レイアたちとルシアンにこのことを伝えて、奪還の準備をしておいてくれ。」
「旦那様、どこへ行くんだい?」
レオナが心配そうに尋ねる。
「……少し、各所に『根回し』をしてくる。」
俺はそう言い残し、【時空間魔法】の転移を発動させた。
視界が歪み、空間が一瞬にして切り替わる。
俺が降り立ったのは、遥か遠く離れた、覇帝国ガレリアの皇宮、皇帝の執務室だった。
「――何者だ!!」
深夜の執務室に突然現れた俺に対し、近衛兵たちが一斉に武器を構える。
だが、机で書類に目を通していたカテリーナ皇帝は、俺の姿を見るなり、片手で兵士たちを制した。
「武器を引け。……クロウではないか。こんな夜更けに、しかも転移魔法で直接乗り込んでくるとは、ただ事ではないな。」
カテリーナが鋭い眼光で俺を見据える。
俺は単刀直入に切り出した。
「カテリーナ陛下。夜分遅くに申し訳ない。……今、俺たちはブルーオアシスにいるんだが、あの街の領主が、多数の若者を不法に攫って奴隷売買をしている証拠を掴んだ。」
「ほう……。ブルーオアシスの領主が。」
「これから俺たちが武力で制圧し、彼らを救出する。だが、救い出した被害者たちを、混乱する街の中に置いておくわけにはいかない。」
俺はカテリーナの目を真っ直ぐに見返した。
「俺の転移魔法で、救出した被害者たちを一時的にこの帝国の皇宮で匿ってもらえないだろうか。落ち着いた後、俺がそれぞれの村へ送り届ける。……お願いだ。」
他国の民を、帝国の中心で保護する。政治的には非常に難しい判断だ。
だが、カテリーナはフッと獰猛な笑みを浮かべた。
「我が国が名誉公爵の地位を与えた男が、そこまで頭を下げて頼むのだ。断る理由はない。……それに、非道な奴隷商を潰すのは、武闘国家の皇帝としても痛快な話だ。いくらでも連れてこい。護衛と食事の手配をしておこう。」
「感謝する、陛下。」
カテリーナの快諾を得た俺は、すぐに再び転移魔法を発動させた。
次に俺が姿を現したのは、アルカディア王国、迷宮都市バベルのギルド長室だった。
「ぶふぉっ!? ゲホッ、ゴホッ!!」
深夜に書類仕事をしながらコーヒーを飲んでいたバルガスが、俺の突然の出現に驚き、盛大にむせ返った。
「く、クロウ!? お前、バカンスに行ったんじゃなかったのか!? なんで突然ここに……っ!」
バルガスが胃の辺りを押さえながら立ち上がる。
「悪い、バルガス。手短に伝える。」
俺はバルガスの机に手を突き、真剣な顔で告げた。
「ブルーオアシスの新領主が、誘拐と奴隷売買をやっていた。これから俺たちのパーティで、奴の屋敷と地下カジノを根こそぎ叩き潰してくる。」
「…………は?」
バルガスの動きが、完全にフリーズした。
「事後処理というか、ギルド本部に『領主が消えた』っていう報告がいくと思うから、その時はよろしく頼む。……じゃあな。」
「ま、待て! お前、一国の領主を相手に何を……ちょっと待てぇぇぇっ!!」
胃薬の瓶に手を伸ばして絶叫するバルガスを残し、俺は再び転移で空間を跳躍した。
◆
ブルーオアシスの宿、『パール・ガーデン』。
俺が転移で部屋に戻ると、そこにはカフェから戻って合流していたレイアとセツナ、そしてタマモから話を聞いたルシアンが、深刻な顔で待機していた。
「クロウさん! おかえりなさい!」
レイアが駆け寄ってくる。
「遅くなってすまない。……ルシアン、あんたの兄貴は、越えちゃいけない一線を越えた。」
俺はルシアンに向かって、静かに、だが重い声で告げた。
「裏帳簿の証拠と、地下に囚われていた人々のこと、聞きました。……まさか、兄がそこまで堕ちていたなんて……。」
ルシアンが、顔を覆って崩れ落ちる。
「帝国の女皇帝に話は通してきた。救出した人々は、俺の魔法で安全な場所へ避難させる手筈が整っている。」
俺は背中の『深淵の剣盾』を引き抜き、その刃の重みを確かめるように握り直した。
「作戦はシンプルだ。俺たちが正面から領主の館を粉砕し、すべての敵の注意を惹きつける。その間に、タマモの幻術とセツナの隠密で地下に潜入し、囚われている人たちを安全な場所まで誘導してくれ。合流次第、俺が転移で逃がす。」
俺の作戦に、仲間たち全員が深く、力強く頷いた。
「ええ。あのゲスな領主ごと、真っ二つにしてやります!」
レイアが『冥竜の魔法剣』に静かな炎を纏わせる。
「私の弓で、逃げる悪党は一人残らず射抜いてみせるわ。」
シルヴィアが『星砕きの竜弓』を構え、冷たい微笑を浮かべる。
「アタシのハルバードで、屋敷ごとぶっ壊してやるよ!」
レオナが筋肉を躍動させ、闘志を燃やす。
「お主ら、準備はいいな? わらわとセツナで、子供たちは絶対に守り抜いてみせるのじゃ!」
タマモとセツナも、真剣な顔で決意を固めていた。
「よし。行くぞ。」
夜の静寂に包まれた常夏の楽園。
その裏に隠された巨大な悪意を完全に根絶やしにするため。
容赦のない制裁と奪還作戦が、今まさに始まろうとしていた。




