第105話 楽園の裏事情と、新領主からの招待状
ブルーオアシスの南に位置する静かな宿『パール・ガーデン』。
街での視察――もとい、観光と買い食いを終えた俺たちは、宿のテラスで海風に吹かれながら、今後の対策を練っていた。
「しかし、あの肉屋の親父さん、気の毒だったね。あの肉、絶対に美味いはずなのにさ。」
レオナが、買ってきた串焼きをかじりながら不満そうに鼻を鳴らす。
「ええ。組織的な地上げとなれば、いずれこの宿にもまたゴロツキたちがやってくるかもしれません。」
レイアも、紅茶のカップを置きながら真剣な表情で頷いた。
「俺たちが追い払ったとはいえ、根本的な解決にはなっていないからな。……さて、どうしたものか。」
俺が腕を組んで考えていると、コンコン、と控えめなノックの音が響いた。
「クロウ様、いらっしゃいますでしょうか?」
扉の向こうから聞こえたのは、この宿を営む老主人の声だった。
「ああ、起きてるよ。入ってくれ。」
俺が応じると、扉が開き、老主人と共に一人の若い男が部屋に入ってきた。
身なりは良いが、どこか疲れ切ったような、青白い顔をした青年だった。
「突然の訪問、申し訳ありません。……私はルシアン。このブルーオアシスを治めていた前領主の息子であり、現領主の弟にあたる者です。」
ルシアンと名乗った青年は、俺たちの前で深く頭を下げた。
「領主の弟……? それがなぜ、こんな辺境の宿に?」
シルヴィアが、鋭い視線でルシアンを見つめる。
「昨夜、この宿で暴れていた『黒鯱一家』のゴロツキどもを、帝国の高位貴族様が追い払ってくださったという噂を耳にしまして。……藁にもすがる思いで、ここへ参りました。」
ルシアンは顔を上げ、悲痛な声で語り始めた。
彼によれば、ブルーオアシスは元々、前領主である父親が「誰でも楽しめる美しい楽園」を目指して作り上げた街だった。
だが、父親が急病で亡くなり、長男である兄が新領主の座に就いてから、街の様子は一変したという。
「兄は、この街を一部の富裕層から莫大な金を搾り取るだけの、ただの歓楽街にしようとしています。邪魔な個人店を潰すためにゴロツキを雇い、法外な場所代を請求して無理やり土地を奪っているのです。」
「なるほど。昼間に見た肉屋の騒動も、その一つというわけだな。」
俺が納得して頷くと、セツナが狼の耳をピクッと動かした。
「でも、ルシアンさんは領主の弟なんですよね? お兄さんを止められなかったんですか?」
「……止めようとしました。ですが、兄はカジノの裏で得た莫大な資金力で、衛兵隊も取り込んでしまっていて。逆らった私は、皇宮からこの街の隅へと追放されてしまったのです。」
ルシアンは悔しそうに拳を握りしめた。
「どうか、皆様のお力をお借りできないでしょうか。このままでは、父が愛したブルーオアシスが、ただの欲望の掃き溜めになってしまいます……!」
必死に訴えかけるルシアン。
その想いは本物だろう。だが、俺はすぐに首を縦には振らなかった。
「ルシアン。あんたの気持ちは痛いほどわかったし、俺たちもあのゴロツキたちのやり方は気に入らない。」
俺は静かに、言葉を続けた。
「だが、俺たちはアルカディアから来た一介の冒険者だ。帝国名誉公爵の証を持っているとはいえ、他国の領主のイザコザに無償で首を突っ込むのは、冒険者としても貴族の端くれとしても、あまり褒められた行動じゃない。」
情だけで動くのは、サバイバルにおいて最も危険な行為だ。
リスクを背負う以上、それに見合う確かな対価が必要になる。
俺が冷徹とも取れる言葉を投げかけると、ルシアンはハッと息を呑み、そして覚悟を決めたように懐から一つの小箱を取り出した。
「……もちろんです。無償でなどとは申しません。私に用意できるのは、これだけですが……。」
ルシアンが小箱を開けると、そこには深い蒼色の魔力を放つ、古びた羅針盤のようなアイテムが収められていた。
「おっ、これは……なかなか面白い魔力を秘めておるのう!」
タマモが身を乗り出し、興味深そうに目を細める。
俺も【鑑定】スキルを意識して、そのアイテムの情報を読み取った。
【名称】海神の懐中時計(古代アーティファクト)
【効果】海流と天候の予測。水属性魔法の極大強化および海中での呼吸・行動を可能にする。
(……なるほど。海の冒険にはこれ以上ない代物だな。ブルー・オリオン号での航海にも役立ちそうだ。)
「これは、父が大切にしていた古代の遺物です。兄はこれの価値に気づいていませんでしたが……皆様ならば、きっと使いこなせるはずです。どうか、これをお納めください!」
ルシアンが深く頭を下げる。
確かな対価と、自分の身を削る覚悟。それを見せられたのなら、断る理由はない。
「……わかった。その依頼、引き受けよう。」
俺が海神の懐中時計を受け取ると、ルシアンはポロポロと涙をこぼして安堵の表情を浮かべた。
「ありがとうございます……! 本当に、ありがとうございます……っ!」
「俺たちのバカンスの邪魔をする連中を、少しばかり掃除するだけさ。……ルシアン、あんたはしばらくこの宿に隠れてな。」
俺はルシアンを立ち上がらせ、これからの反撃の準備に向けて思考を切り替えた。
◆
そして、翌朝。
俺たちがテラスで優雅な朝食を楽しんでいると、再びエントランスの方が騒がしくなった。
「クロウ様! 領主様のお屋敷から、使いの者が参りまして……!」
老主人が慌てた様子で俺を呼びに来た。
エントランスへ向かうと、そこには煌びやかな装束を身に纏った、いかにも慇懃無礼な態度の執事が立っていた。背後には、重装備の護衛兵が数人控えている。
「あなたが、昨夜この区画で我が主の定めたルールを乱したという、帝国の貴族様ですかな?」
執事は、俺のアビス・クロークを値踏みするように見て、薄く笑った。
「乱した覚えはないな。騒いでいた害虫を追い払っただけだ。」
俺が淡々と返すと、執事の眉がピクリと動いたが、すぐに懐から封蝋のされた上質な封筒を取り出した。
「我が主、ブルーオアシス領主バルバロス様からの招待状でございます。……他国の高位貴族様がご滞在とあらば、領主として盛大な歓迎のパーティを開かねばならないと、今夜お屋敷へご招待したいとのこと。」
執事は招待状を俺に差し出し、低い声で付け加えた。
「もちろん、帝国の貴族様であれば、このささやかな招待をお断りになるような無粋な真似はなさいませんよね?」
言葉は丁寧だが、その目には明確な挑発の色があった。
要するに「俺のシマで勝手な真似をするな、直接面を拝んでやるから来い」という、事実上の牽制であり、喧嘩状だ。
「……ご主人様、これって。」
セツナが、微かな警戒の気配を漂わせて俺を見上げる。
俺は招待状を受け取り、不敵に口角を上げた。
「いいだろう。せっかくの歓迎だ、ありがたく参加させてもらおう。」
「それは重畳。では、今夜、バルバロス様のお屋敷にてお待ちしております。」
執事は芝居がかったお辞儀をし、護衛の兵士たちと共に宿を去っていった。
「……完全に罠ですね。」
レイアが、遠ざかる執事の背中を睨みつけながら言う。
「ええ。のこのこ出向いていけば、どんな言いがかりをつけられるかわかったものじゃないわ。」
シルヴィアも、呆れたようにため息をついた。
「アタシは暴れられるならどこでもいいよ! 旦那様、どうするんだい?」
レオナが愛用のハルバードの柄を叩き、やる気満々の笑顔を見せる。
俺は手元の招待状を軽く弾き、仲間たちを振り返った。
「ただ暴れるだけじゃ、ルシアンのためにならない。新領主のバルバロスを完全に失脚させるには、裏オークションや地上げの『決定的な証拠』が必要だ。」
俺は15年のサバイバルで培った、獲物を確実に仕留めるための計算を巡らせる。
「敵の懐に堂々と入れる、これ以上ない好機だ。……パーティの隙を突いて、領主の屋敷の裏帳簿か、カジノの不正の証拠をいただくぞ。」
俺の言葉に、タマモが「ふはははっ! 悪党の宝物庫を漁るのじゃな! わらわの幻術の出番じゃ!」と嬉しそうに飛び跳ねた。
表向きは華やかな歓迎パーティ。
だがその裏では、楽園の闇を暴くための隠密作戦が幕を開けようとしていた。
俺たちは最高のバカンスを取り戻すため、新領主バルバロスの待つ屋敷へと乗り込む準備を始めるのだった。




