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第104話 楽園の光と影、そして路地裏の地上げ屋

常夏の楽園『ブルーオアシス』の南側、静かな入り江に建つ宿『パール・ガーデン』での朝は、心地よい波の音と共に始まった。


昨夜、横暴な場所代の取り立てをしていたゴロツキたちを追い払ったことで、宿を営む老夫婦からは涙ながらに感謝され、俺たちは最上級の部屋と料理で手厚いもてなしを受けていた。


「ん……よく寝たな。」


俺は海風が吹き込むテラスで大きく伸びをし、眼下に広がるエメラルドグリーンの海を見下ろした。


「ご主人様、おはようございます! 朝ごはん、すっごく美味しそうですよ!」


セツナが銀色の尻尾をパタパタと振りながら、部屋のダイニングテーブルへと俺を呼ぶ。


テーブルの上には、老夫婦が腕によりをかけて作った朝食が並べられていた。


採れたての白身魚を柑橘系の果汁で締めたマリネ、ふっくらと焼き上げられた香草入りのパン、そして南国特有の甘い果実をたっぷり使ったサラダだ。


「わあ……朝からこんなに豪華なんて、幸せです。」


レイアが目を輝かせ、さっそくパンに手を伸ばす。


「本当に。昨日の地下カジノの脂っこい食事も嫌いじゃないけれど、こういう繊細な味付けの方が、朝の体には優しく染み渡るわね。」


シルヴィアも優雅な手つきでマリネを口に運び、満足そうに微笑んだ。


「アタシはもっと肉が食いたいところだけど、この魚も歯ごたえがあって美味いね! 旦那様、おかわりもらってきてもいいかい?」


レオナが、すでに自分のお皿を空にしてニカッと笑う。


「ああ、もちろんいいぞ。……タマモ、お前も果物ばかりじゃなくて魚も食え。」


「むぐむぐ……わらわはこの甘い実が気に入ったのじゃ! ほれクロウ、もっと皮を剥いてわらわの口に運ぶのじゃ!」


人間の子供の姿に扮したタマモが、短い足をパタパタさせながらふんぞり返る。


俺は苦笑いしながら、彼女の口に果実を放り込んでやった。


「よし。全員しっかり腹ごしらえが済んだら、今日は街の観光に出よう。」


俺の言葉に、レイア、シルヴィア、セツナ、レオナ、タマモの五人がパァッと顔を明るくした。


「そういえば、船が着いてからカジノに行ったり、ゴロツキの相手をしたりで、まだまともにブルーオアシスの街を歩いていませんでしたね。」


レイアが嬉しそうに言う。


「ああ。タロウには竜舎のスペースで新鮮な魔物肉をたらふく食わせて留守番してもらうとして、俺たちは純粋にバカンスを楽しもう。」


俺たちは身支度を整え、穏やかな入り江の宿を後にして、ブルーオアシスの中心街へと向かった。



街の中心部は、昨日にも増して凄まじい活気と熱気に包まれていた。


真っ白な石畳の幅の広い大通りには、色とりどりのテントを張った屋台が所狭しと並び、甘いお菓子や香ばしい串焼きの匂いが混ざり合って漂っている。


通りのあちこちでは、陽気な音楽を奏でる楽団が演奏し、それに合わせて観光客や地元の人々が踊っていた。


「すごい賑わいですね! 毎日がこんなにお祭りのような街だなんて、驚きです。」


レイアが、あちこちを見回しながら弾むような声を出した。


「ええ。カジノや闘技場といった賭け事の施設が多いから、世界中から一攫千金を夢見る人間や、遊びに来る貴族が絶えないのね。お金の回りが桁違いなんだわ。」


シルヴィアが、街の構造を冷静に分析しながらも、その楽しげな雰囲気に目を細めている。


「旦那様! あっちで何かやってるよ! 人がいっぱい集まってる!」


レオナが指差した先、大通りの開けた広場には、ひと際大きな人だかりができていた。


「行ってみるか。」


俺たちが人混みを掻き分けて前列に出ると、そこではサーカスのような大道芸のパフォーマンスが行われていた。


「わあ……! あの人、あんな大きな玉の上に乗ってますよ!」


セツナが感嘆の声を上げる。


広場の中央では、派手な赤と青のツートンカラーの衣装を着て、顔の上半分を白い仮面で隠した『ピエロ』が、自分の背丈ほどもある巨大な大玉の上に器用に乗り、バランスを取っていた。


それだけではない。ピエロは玉の上で足踏みをして前後に移動しながら、両手で五本もの燃え盛る松明を空中に放り投げ、見事なジャグリングを披露しているのだ。


俺の前の世界、日本の遊園地やテレビで見たことのあるような、古典的だが高度な技術を要する大道芸だ。


「ほおお! あの道化師、なかなかやるではないか! 玉の上から落ちないのも凄いが、あの炎の扱い、わらわの狐火には及ばんが見ていて飽きぬのう!」


タマモが身を乗り出して拍手を送っている。


「確かに、素人芸じゃないな。」


俺は【鑑定】スキルこそ使わなかったものの、サバイバルで極限まで研ぎ澄まされた動体視力で、そのピエロの動きを観察した。


ただバランス感覚が良いだけではない。


足元の大玉の動きに合わせて、全身の筋肉の緊張と弛緩をコンマ一秒単位でコントロールしている。


帝国のジークから教わった『脱力』の理合に近い、洗練された体幹の使い方がそこにあった。


(……この街の大道芸人は、みんなあれくらい動けるのか?)


俺がそんなことを考えていた、その時だった。


ピエロが玉の上でクルリと一回転し、観客に向かっておどけたポーズを取った瞬間。


仮面の奥から覗く鋭い双眸が、観客席に紛れていた俺の目を、真っ直ぐに捉えた。


ドクン、と。


一瞬だけ、周囲のお祭り騒ぎの音が遠のき、ピエロと俺の間にだけ、奇妙な静寂の糸が繋がったような錯覚に陥った。


ピエロの口元が、三日月のように大きく歪み、はっきりと俺に向けて『ニヤリ』と笑いかけたように見えた。


「……ん?」


俺が目を細めた次の瞬間には、ピエロはすでに視線を外し、ジャグリングの松明を見事にキャッチして、観客に向かって深々と一礼をしていた。


「わあぁぁっ!!」


「すごいぞー!!」


割れんばかりの歓声と拍手が広場を包み込み、人々が次々とピエロの足元に敷かれた布へ銀貨や銅貨を投げ入れている。


「クロウさん、どうかしましたか?」


レイアが、俺の横顔を見て不思議そうに尋ねてきた。


「……いや。今、あのピエロと目が合った気がしてな。」


「目が? パフォーマーの方なら、観客と目を合わせるのも演出の一つじゃないですか?」


レイアが首を傾げる。


「そうだな。……気のせいだろう。」


明確な殺気や敵意を感じたわけではない。


ただの勘違いか、あるいはレイアの言う通り客あしらいの一環だろう。


俺はピエロへの違和感を一旦頭の隅に追いやり、仲間たちと共に大道芸の輪を離れた。



その後も、俺たちはブルーオアシスの活気を存分に味わった。


「旦那様! アタシ、あれやりたい!」


レオナが興味を示したのは、屋台が並ぶ一角にあった、巨大なスマートボールのようなお遊戯の屋台だった。


木製の坂の上からボールを転がし、下にある特定の穴に入れば豪華な景品のぬいぐるみがもらえるという、シンプルだが射幸心を煽るゲームだ。


「よーし、見てな! アタシの完璧なコントロールを見せてやるよ!」


レオナは銅貨を払い、気合十分にボールを握りしめた。


「レオナ、あまり力を入れすぎるなよ。台が壊れるからな。」


俺が釘を刺すと、レオナは「わかってるって!」と笑い、ボールを転がした。


だが、力加減は良くても、盤面に打たれた無数の釘の跳ね返りまでは計算しきれず、ボールはハズレの穴へと落ちてしまった。


「あーっ! もう少しだったのに!」


レオナが悔しそうに頭を掻く。


「ふふっ。そういうのは、ただ力任せに転がせばいいというものではないわ。」


シルヴィアが一歩前に出て、銅貨を支払った。


「こういうのは、盤面の釘の角度と、ボールの摩擦抵抗、そして傾斜から導き出される軌道を計算して、完璧な初速を与えるのよ。」


シルヴィアは弓を射る時のように真剣な目で盤面を数秒間見つめると、指先でピンッと優しくボールを弾いた。


ボールはシルヴィアの計算通り、釘の間を縫うようにスルスルと滑り落ち、見事に一番難しい特賞の穴へとスポッと吸い込まれた。


「「「おおーっ!!」」」


「すごいぞ姉ちゃん! 特賞だ!」


屋台の親父が驚きながら、巨大な海竜をデフォルメしたぬいぐるみをシルヴィアに手渡した。


「ふふっ、どうかしら?」


シルヴィアが自慢げに微笑む。


「シルヴィアさん、すごいです! じゃあ、次は私があっちの屋台をやってみます!」


セツナが向かったのは、魔力で動くコルク銃を使った射的の屋台だった。


動く小さな的を撃ち落とすというものだが、セツナのハイビーストとしての動体視力と、暗殺者として培った的確なエイムの前では、止まっているも同然だった。


パンッ! パンッ! パンッ!


セツナが引き金を引くたびに、景品が次々と棚から落ちていく。


「わあぁっ! ご主人様、見てください! こんなにたくさん取れました!」


セツナが両手いっぱいに抱えきれないほどの景品を持ってきた。


「すごいな、セツナ。でも、そんなにたくさん抱えて歩くのは大変じゃないか?」


俺が苦笑すると、セツナは少し考えてから、近くで屋台を羨ましそうに見ていた地元の子供たちに向かって歩み寄った。


「ねえ、これ、君たちにあげる。」


セツナが景品のおもちゃや小物を手渡すと、子供たちは「えっ!? 本当にいいの!?」と目を丸くし、やがて満面の笑みで「ありがとう、お姉ちゃん!」と喜んで走っていった。


「ふふっ。これで身軽になりました。」


セツナが尻尾を揺らして戻ってくる。


カジノのような大人の欲望が渦巻く場所だけでなく、こうして子供たちが無邪気に笑い合えるような、健全で温かいお祭りのような顔も、この街には確かに存在していた。


「本当に、いい街ね。」


シルヴィアが、海竜のぬいぐるみを抱えながら優しく目を細める。


俺も同感だった。


だが、この街の『すべて』が光り輝いているわけではないということに、俺たちは少しずつ気づき始めていた。



大通りの喧騒から少し離れ、昔ながらの建物が並ぶ、少し年季の入った区画へと足を踏み入れた時のことだった。


「ん? あの匂い……。すごく上質なお肉の匂いがします。」


セツナの鼻がヒクヒクと動き、ある方向を指差した。


そこには、レンガ造りの古びた店構えをした、地元に根付いているような老舗の精肉店があった。店頭には、丁寧に血抜きされ、熟成された見事な魔物肉が吊るされている。


「本当だ。あれは良い仕事をしてる肉屋だな。今日の夕飯の買い出しに、少し寄ってみるか。」


俺がそう提案し、店の前へと近づいていくと――。


「だからよォ、親父。いつまでもこんな古臭い店を構えてんじゃねえよ。」


「いい加減、立ち退きの書類にサインしろって言ってんだ。領主様からの温情だぞ?」


店の入り口を塞ぐようにして、五人ほどのガラの悪い男たちがたむろしていた。


昨夜、パール・ガーデンのエントランスで暴れていたゴロツキたちと、全く同じような身なり、同じような粗暴な空気を纏っている。


店の奥では、白いエプロンを着た恰幅の良い店主が、額に汗を浮かべながら必死に頭を下げていた。


「そ、そんな無茶な……。この店は、先代から何十年もこの場所でやってきたんです。急に立ち退けと言われても……それに、提示された買い取り額では、とても別の場所で店を開くことなど……。」


「あァ!? 文句があんのか! なら、明日から毎日ここに『視察』に来てやってもいいんだぜ? 客が一人も寄り付かなくなるまでなァ!」


男たちが下品な笑い声を上げ、売り物の肉の塊を汚れた手でバンバンと叩いている。


「や、やめてくれ! 売り物に触らないでくれ……っ!」


店主が悲鳴のような声を上げる。


「クロウ……あれって。」


レイアが、険しい顔で俺の顔を見上げた。


「ああ。昨日の宿の連中と同じだ。……目立たないように、少し離れたところから様子を見るぞ。」


俺たちは通りの物陰に身を潜め、その光景を静かに観察した。


ゴロツキたちはひとしきり店主を脅した後、「明日また来るからな、よく考えとけよ!」と捨て台詞を吐き、ドカドカと足音を荒くして路地を去っていった。


「……ひどい。あんなの、ただの嫌がらせじゃないですか。」


セツナが、静かな怒りを込めて双剣の柄を握りしめる。


「ただの嫌がらせ、か。……いや、どうやらもっと組織的で、根が深い問題みたいだな。」


俺は去っていくゴロツキたちの背中を見送った後、周囲の通りをぐるりと見渡した。


この古びた区画には、精肉店の他にも、昔ながらの食堂や、小さな個人経営の宿屋などが並んでいる。


だが、よく見ると、いくつかの店はすでにシャッターが下ろされ、「閉店」の張り紙が出されていた。そして、営業している店も、どこか怯えたような、活気のない暗い空気が漂っている。


「クロウ、何かに気づいたの?」


シルヴィアが尋ねる。


「ああ。昨日のパール・ガーデンの老夫婦が言っていた、『新しい領主』の話を思い出してな。」


俺は前の世界――地球でのブラック企業時代に、不動産関係の法務書類を山のように処理していた頃の記憶を引っ張り出し、頭の中で情報を繋ぎ合わせた。


「この島は、海に囲まれていて土地が限られている。そして、カジノや闘技場で莫大な金が動く、世界でも有数のリゾート地だ。……もし、俺が金儲けしか考えていない強欲な新領主だったとして、この街をさらに『儲かる街』にしようと思ったら、どうする?」


俺の問いに、レイアがハッとしたように口を開いた。


「……お金持ちの貴族や商人たちがいっぱいお金を使えるように、高くて派手なお店を増やす、ですか?」


「その通りだ。だが、新しい店を建てるには土地がいる。大通りや海の見える一等地は、昔からこの島に住んでいる連中が、安い値段で食堂や肉屋なんかを開いて占拠している。」


俺は先ほどの精肉店を顎でしゃくった。


「だから、あんな風に裏社会のゴロツキどもを雇って、嫌がらせをするんだ。『法外な場所代』を吹っ掛けたり、営業妨害をして客足を遠のかせたりしてな。」


「店が経営できなくなるまで追い込んで、安い値段で土地を買い叩く……。つまり、『地上げ』ってことね。」


シルヴィアが、氷のように冷たい声で結論を口にした。


「最低じゃ! 弱者をいじめて土地を奪うなど、領主のやることではないわ!」


タマモが怒りで狐耳を逆立てる。


「アタシもムカついてきたよ! 旦那様、あいつら後を追ってぶっ飛ばしてこようか!?」


レオナが拳をボキボキと鳴らす。


「待て、レオナ。ゴロツキの末端を数人ぶっ飛ばしたところで、根本的な解決にはならない。バックにいる領主の組織ごと潰さなきゃ、また別の連中が送り込まれてくるだけだ。」


俺はレオナを宥めつつ、冷静に状況を整理した。


ただのチンピラの小遣い稼ぎではなく、島の権力者が主導する組織的な地上げ行為。


俺たちはアルカディア王国から来たただの観光客であり、他国の内政に深入りする義理はない。


だが――。


「……あんなに美味そうな肉を熟成させてる店が、クソみたいな理由で潰されるのは、どうにも気分が悪いな。」


俺が低い声で呟くと、レイアたちが「ふふっ」と揃って笑みをこぼした。


「クロウさんがそう言うと思いました。」


「ええ。降りかかる火の粉は払う、でしたわね? クロウ。」


「ご主人様の行くところなら、どこへでもついていきます!」


仲間たちの迷いのない眼差しを受け、俺は不敵に口角を上げた。


「とりあえず、今日のところはこれくらいにしておこう。あの肉屋で買い出しをして、宿に戻って対策を練るぞ。」


華やかで陽気な楽園の裏に潜む、強欲な領主の陰謀。


俺たちのバカンスは、この美しい島に巣食う真っ黒な影との、新たな戦いの火種を孕み始めていた。

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