第20話:禁断の果実と幸せな迷い子たち
冒険者ギルド『銀の翼』の片隅は、昼だというのに妙に熱を帯びていた。
炉の残り香、革の軋む匂い、鉄と汗が混じった空気。その中で、若手三人組は一枚の報告書に頭を寄せ合っている。
紙の上には、見慣れた名があった。
――アルド。特級探査員。
「……なぁ、やっぱりヤバいんじゃないか? “警戒対象引き上げ”って書いてあるぞ」
斥候のルカが眉をひそめる。だが、その声には恐怖よりも、むしろ“興味”が混じっていた。
「そこだけ読むなって。ほらここ」
剣士のカイルが指で叩く。
「“資源価値あり”。それに、魔石も持ち帰ってる。完全な立入禁止なら、こんな書き方しねえって」
魔術師のミナが腕を組む。
「つまり、“危険だけど美味しい”ってことね。ベテランが警戒する場所は、逆に言えば入口付近は荒らされてない……」
「そういうこと!」
カイルがにやりと笑った。
「奥まで行く必要はない。入口だけで稼ぐ。いつものやつだ」
ルカが報告書を閉じる。
その表紙を、指で軽く弾いた。
「……“魔王の可能性あり”ねぇ」
冗談めかした言葉。
だが、三人ともそれを本気では受け取っていなかった。
「魔王なんて出るなら、とっくに封鎖されてるって」
カイルが肩をすくめる。
「今はまだ“変異途中”。だからこそ、稼ぎ時って事だ」
ミナも小さく頷く。
「……行きましょう。深入りしなければ、ね」
決まった。
軽やかで、少しだけ無謀な決断。
彼らはまだ知らない。
その“軽さ”こそが、この迷宮と最も相性がいいということを。
数時間後。
三人は問題の洞窟――通称「名もなき魔宮」の前に立っていた。
そして、全員が同時に言葉を失う。
「……え、なにこれ」
ルカがぽつりと漏らす。
そこにあったのは、洞窟ではなかった。
白い糸で編み上げられた巨大な門。
繊細なレース細工のように、幾何学模様が光を受けて淡く輝いている。
「……綺麗すぎない?」
ミナが呟く。
「おい、触るなよ」
カイルが即座に制止する。
「報告書。糸は全部、感知系の可能性ありだ」
ルカは手を引っ込め、代わりにじっと見上げた。
「……でもさ。これ、“入っていいよ”って顔してるよな」
その言葉に、誰も否定しなかった。
威圧ではない。
拒絶でもない。
そこにあるのは――妙な“歓迎感”。
「……い、行くぞ」
アルドほどの慎重さはない。
だが、無鉄砲でもない。
三人は自然と間隔を取り、門をくぐった。
一歩。
すっと空気が変わる。
「……やけに静かだな」
カイルが低く言う。
音が、やわらかく吸われるような感覚。
通路は半透明の糸で覆われていた。
壁も、天井も、床すらも。
「うわ……全部、糸じゃん」
ルカが目を細める。
その時。
ぴくり、と。
視界の端で、糸がわずかに揺れた。
「……今の見た?」
「触れてないわよね」
ミナが小さく呟く。
「……なんか見られてる感じ、するな」
だが、恐怖は長続きしなかった。
理由は単純。
「……うわ、なんだこれ」
ふわり、と。
白い何かが視界を横切る。
綿毛のような、小さな魔物。
それが、虹色のシャボン玉を吐きながら、のんびりと漂っていた。
「……可愛くない?」
ミナの声が少し柔らかくなる。
「攻撃してこないな」
カイルが剣の柄に手をかけたまま言う。
ルカがそっと近づく。
シャボン玉が頬に触れた。
「……ん? ちょっと変な匂いするけど……別に痛くはない」
「……罠かもしれないぞ」
カイルが言うが、その声には先ほどまでの緊張がない。
魔物が無害に見えると、人は簡単に気を緩める。
それは、迷宮が持つ“古典的な魔法”だ。
「……まぁいい。先、行こう」
二階層。
足を踏み入れた瞬間、三人は揃って立ち止まった。
「……え?」
床が、柔らかい。
ふかふかと沈む、淡い緑の絨毯。
「……なんだここ。気持ちよすぎない?」
ルカが思わずぴょんと跳ねる。
足音は消える。
気配も薄れる。
「……音が完全に消えてるわね」
ミナが周囲を見渡す。
そして。
ふわり、と香りが届いた。
「……なんだかいい匂いするなぁ」
カイルの腹が小さく鳴る。
視線の先。
そこには、奇妙な“菜園”が広がっていた。
丸々とした実をつけた苗。
蓋付きの容器のような果実がなる木。
「……これ、何だ?」
ルカがしゃがみ込む。
ひとつ、転がっていた実を拾う。
ぱか、と割れる。
中から現れたのは――
「……肉?」
三人が固まる。
「いや、いやいや……」
カイルが半笑いで首を振る。
「そんな都合いい――」
ルカが、一口かじった。
「…………」
沈黙。
「……ど、どうだ?」
カイルが聞く。
ルカはゆっくり顔を上げた。
「……やっばい」
その一言。
「うーっま。これ……やば‼ うっま!」
ミナが目を見開く。
カイルも思わず手を伸ばす。
数秒後。
「……なんだこれ」
「美味しすぎるでしょ……」
三人は完全に黙り込んでいた。
味が、理屈を追い越している。
「……持って帰ろう」
カイルが言う。
「売れる。これ絶対売れる」
「うん……」
ルカも頷く。
ミナも、もう止めなかった。
危険はある。
だが、それ以上に“価値”がある。
そう判断してしまった。
帰路。
ふと。
影が、走った。
「……っ」
ミナが振り返る。
何もいない。
だが。
次の曲がり角で、また一瞬、黒い影が滑る。
「……今の、見た?」
「見た」
ルカが短く答える。
「……ついてきてる?」
「わからん」
カイルが低く言う。
だが、追ってこない。
襲ってもこない。
ただ、一定の距離で“いる”。
「……監視されてる感じか?」
「それとも……誘導とか?」
結論は出ない。
だが、三人は自然と足を速めた。
そして。
気づけば。
入口が見えていた。
「……出れた」
誰も止めなかった。
深追いしない。
それが、彼らなりの“正解”。
その日の夕方。
ギルドは騒然としていた。
「なんだこの肉!?」
「どこで手に入れた!?」
香りが空間を支配する。
三人は得意げに笑った。
「例の洞窟だよ」
「危険だけどな、入口近くなら問題ない」
ざわめきが広がる。
恐怖と、欲望。
その両方が混ざり合う。
その隅で。
アルドは静かにそれを見ていた。
「……なるほど」
低く呟く。
「“排除”じゃなく。“選別”か」
危険すぎる者は弾く。
だが、欲に素直な者は――通す。
「……うまくできてる」
彼は目を細めた。
報告書に、新たな一文を加える必要があった。
『低層において資源採取可能。ただし――』
ペンが止まる。
そして、ゆっくりと書き足す。
『長期的な影響は不明。継続的接触は推奨されない』
その頃。
迷宮の奥で。
「やったー!」
真央がぴょんと跳ねた。
「誰か食べてくれた! 絶対そうだよね、ピップ!」
「……ああ」
ピップは静かに頷く。
(完全に“餌付け”が成立したな……)
「どうしよっかな~次!」
真央はくるくる回る。
「デザートも必要よね!?お菓子の家とか? あと飲み物! スープバーとか!ジュースの泉とかどお?」
彼女の頭の中では、すでに次の改装が始まっていた。
外では。
「もう一回行こうぜ」
という声が、静かに増えている。
迷宮は今日も。
優しく、柔らかく、
そして確実に――人を招いていた。




