第31話 黒い槍の笑み
枢密会議の熱がまだ冷めぬ夜、大聖堂に足音が響いていた。
やがて足音が止まると、扉が静かに開き、重厚な音が響く。
その音に反応するように、聖堂で祈りを捧げていた聖女ミラは、白い法衣を翻した。
ミラのもとに現れたのは、黒衣の男。長身を軽く傾けて礼をとる。
「──黒槍騎士団、騎士団長ガルヴァン・デスフォルト。お招きに預かり光栄です、聖女様」
ミラは柔らかに笑みを返す。
「こんな夜更けに、御呼び立てしてしまい申し訳ありません、デスフォルト様……。先日の神託の間の一件では素晴らしいご活躍でした。もしデスフォルト様がいなければ王太子殿下は、いったいどうなっていたことか……」
ミラが嘆息するように言う。
「本当に、あの場に来ていただくようお願いしていてよかったですわ」
「聖女様の信頼にお応えすることができたようでなにより」
デスフォルトが腰に手をやり、うんうんと頷いている。
「……デスフォルト様。まさに、あなたのような、力ある方の助けが、この国には必要なのだと。私はそう思います」
「いやいや、力なんてものは、使う相手がいて、初めて価値があるものです。であれば、”今”の私は無力そのもの」
「ふふ……ご謙遜を……」
顔には微笑みを浮かべながらも、ミラはわずかに困惑していた。
──この男……何を考えている?
忠誠心はもとより、敬意も侮蔑も、好意や悪意すらも、何一つ宿していないのではないか──デスフォルトの無色の声色から受ける奇妙な感覚に、ミラの背筋を冷たいものが走る。
「……それで、私目を”こんな夜更けに、御呼び立て”までなさった理由──聖女様は、俺に”何をしてほしい”と?」
急かすようにデスフォルトが切り出した。
ミラの頬に射す影が、聖堂の灯りに揺れる。男の言葉にようやく”色がついた”ことにほっとすると、ミラは笑顔のまま口を開いた。
「──本日の、枢密会議、いかがでしたか?」
デスフォルトは、ミラの問いに少し困ったような顔をした。
「いやあ、討伐中の山賊たちが、なかなか私を離してくれませんで、あいにく会議には間に合わず──ああ、内容だけは伺いましたよ。筋書き通りの進行に、鳴りやまぬ拍手。なかなかの喜劇だったとか──」
「デスフォルト様……」
たしなめるように、ミラは言った。
「おっと、これは失礼を……」
不必要なほどに、仰々しく非礼を詫びる風のデスフォルトだったが、ミラはそれには触れることなく言った。
「お聞きになられましたように、本日の枢密会議にて、神託の御導きに従い、王太子殿下と、聖女である私の婚姻が決定されました」
「いや、まったく、めでたい話にございます」
「しかし、これは国家の根幹を揺るがしかねない前例のないこと。会議中にも反対意見が多く出たと聞き及んでいます」
「たしかに、たしかに」
デスフォルトの相槌は軽い。見る者によっては、全く話を聞いていないようにも見えるものだったが、ミラは無視するように続ける。
「……私は思うのです。これから先──神託の重みを、正しく理解できない方々が、もし現れたのなら、その時私たちはどうすべきなのかと……」
すっと、デスフォルトの口元が引き締まる。だが、それはほんの少しの間のことで、すぐにくつくつと笑いだした。不思議なことに、その目はまるで冗談を言っていない。
「なるほど。次は、”理解できていない者”を、”正しく導け”と。……ま、そりゃあ当然でしょうなあ」
ミラはその潤んだ瞳で、デスフォルトを見つめた。
「いかがでしょうか? デスフォルト様」
「……私に”導き手”になれと?」
その言葉に、ミラは小さく頷き微笑む。
デスフォルトは指を一度鳴らすと、左の胸を軽く叩いた。
「聖女様。たった今、あなたは、私に力を振るう相手を与えてくださった。ご安心ください。その想いに応え、このデスフォルト、”正しく導いて”ごらんに入れましょう。──その先は……期待しておりますよ」
「ふふ……ええ、それは……」
ミラの笑顔が、ふっとわずかに揺れる。
だが、次の瞬間には、聖女として、祝福を与えるようにやさしく語りかけた。
「とても頼もしいお言葉ですわ、デスフォルト様。……お願いいたします。私たちの”未来”を、守ってくださいませ」
「仰せのままに」
その場に、沈黙が落ちる。
やがて、雨の音すら届かぬ石の間に、再び足音が響き出した。




