第29話 白き盾の葛藤
白盾騎士団、騎士団長セラド・ヴァレンティスは、執務室で一人佇んでいた。
神託の間の一件に関する報告書を読み終えた彼は、ふうとため息を吐くと、そのまま視線を窓外にやる。
雨が降っていた。
何かを覆い隠すように、暗く濁った空模様が、ここ数日王都を沈ませている。
珍しく長く続く雨に、城内では「天の涙に違いない」と噂する声もあった。
──それは、昼の祈りを終え、セラドが執務室に戻ってきた時のことだった。
「ヴァレンティス団長」
扉を開けると、セラドの傍仕えをしている、騎士見習いのカリオンの姿があった。
いつもなら、部屋に入るなり、待ちきれない様子で「早く稽古場に行きましょう!」と笑顔で急かすカリオンだが、今日はというと神妙な面持ちで背筋を伸ばしている。セラドは眉をひそめた。
「剣の稽古は明日のはずだが……何があった?」
セラドが椅子に腰かける。
「枢密会議開催のお知らせです」
「枢密会議……?」
カリオンが間を置かずにさらに続けた言葉は、セラドにとって思いもしないものだった。
「明日、枢密会議が開かれ、そこで王太子殿下が“婚姻と聖務の両立”を建議されるとのことです」
セラドは、一瞬自分の耳を疑った。
「すまない、カリオン。……もう一度、言ってくれないか?」
「リオネル王太子殿下が、“婚姻と聖務の両立”を建議、されるとのことです」
ゆっくり、だが、はっきりとカリオンは繰り返した。
「……両立、だと?」
思わず漏れた声に、カリオンは小さく頷く。
「はい。聖女ミラ様を、おそらくは、聖女のまま王太子妃として迎えられるとのご意向を……教会からは異論なし、と」
「……先日、あんなことがあったばかりではないか……」
「王太子殿下も人の子ですから、慰めてもらえるような相手を必要とされていたのかもしれませんね」
確かにあれ以降、リオネル殿下は憔悴しきっているように見えた。
だが、だからと言って、そのような癒しを求めるような人となりであっただろうか。
しかも、その相手に、よりにもよって、聖女を選ばれたとは──
セラドの知る王太子殿下と、今の王太子殿下が重ならない。
セラドは一瞬だけ目を閉じた。
王太子殿下による建議である。建議とは名ばかりの決定事項なのであろう。
それよりも、セラドには“教会からは異論なし”、その言葉にこそ、引っかかるものを感じていた。
王権と教権の線引きは、この国の根幹をなす慎重なバランスである。
その境界が、たった一人の若者の感情ひとつによって塗り替えられようとしている。あるいは──
「……これも神託だというのですか?」
無意識にこぼれたその声に、カリオンは聞こえなかった風を装い、その場を辞す。
セラドは片手だけをあげ、カリオンを見送った。
──セラドは信じていた。
聖女の神託は絶対。王子は敬虔で、清らかな理想を持つ若者。
だが、クラリス追放からわずか数日──あまりにも、急すぎる。あまりにも……整いすぎている。
「俺は……何を守っているのだろうか……」
雨はまだ止まない。
暗く濁った空は、セラドの問いに答えることはなかった。




